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第十一章 夢への挑戦

積み上げてきたもの。

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──チクッ。
 スタジオの壁に掛けられている時計は秒針が鳴らないタイプのものだ。マイクの性能が良いからだろう。
 十時。蒼空学園の卒業式が始まった時間だ。
 ポケットに入れたスマホのバイブ音が鳴り、注意がかかる。
「まだオフにしていない方は今すぐやってくださーい」
 水樹も急ぎ電源を切ろうとすると、新着メッセージに気づいた。
 親指が電源ボタンではなく通知画面をタップする。
 五枚の写真を一枚の画像に加工したものが彼方のから送信されていた。薄いピンク色の背景に白桜が降るデザイン。彼方や希星達、紅城、目元が真っ赤な鷹橋を含めた写真がずらり。ポーズを変えたものや、壮大な黒板アートの下でピース。目を惹いたのは色紙を写した写真。
 ポン。
『また後で送るねー by希星』
 ポン。
『落ち着いたらお泊まり会しよ! 鷹橋が今夜焼肉奢ってくれるみたいよ by光希&芳美』
……ポン。
「早くしてくださーい。失格になりますよー」
「あ、はい……」
 電源を切ったスマホをリュックに仕舞い込む。数秒後、オーディションが開始された。
「Flyプロダクション所属、奏斗です。よろしくお願いします」
 前方の席にいた奏斗がマイク前で豹変する。マドンナ的ポジションで芯を持つ麗音に、野太い声を足したのだ。発想の転換に、中性的、美しい音色を期待したであろう審査員達も度肝を抜いていた。
(……いいなあ)
 羨んだのは才能などの能力ではなかった。
 水樹の思考は未だ写真に映る彼方達のことだった。送り出された身として後悔のないよう励まなければいけないが、胸に桜ブローチを誇らしげに飾り、笑顔で友人や育った場所に別れを告げる彼らが羨ましい。今後も後悔する選択だっただろう。
(母さんも鷹橋先生も、深くは聞かずに背を押してくれた。いつも)
 この二年振り返ればあっという間だった。寒く厳しい冬が明けるのに時間はかかったが、終われば苦笑いくらいできる。
「次は『愛する人が訃報が届いた』風にやってください」
 写真してみると彼方の成長具合が一目でわかる。記憶にある四月の頭頃に撮った集合写真に比べたら、かなり大人っぽくなった。
「ありがとうございます。続いて、事前に用意した歌を披露してください。一番か二番、お好きな方をどうぞ」
 最終選考に生き残った猛者は意外にも多い。また、ソーシャルゲームの社長が『会うことでしか味わえない人の魅力』を大切にし、アニメの監督が『人となりを見て深掘りするのが好きなタイプ』のため、終了時間は昼を過ぎるだろうと行く前に神崎から伝えられた。
(お昼……。彼方はもう飛行機の中か)
 妙な落ち着きがあるのは諦念の境地に至ったからだ。冴えていく冷静さがひどく憎い。今、この瞬間に、自分は高校生という子供の枠組みから外れた。我儘を口にすることも許されなくなる。
「次の方、どうぞ」
 一巡目の最後が呼ばれた。水樹は席から立ち、マイク前に移動する。数えただけでざっと十二人の審査員がいるファイナルステージへ。
 深く息を吸い、肺に溜まる二酸化炭素を吐く。
(Legendプロダクション所属、守谷 水樹です。今日はよろしくお願いします。……よし)
 もう一度息を吸った音がしたのは、発声するのに口を開いたため。演技を始める声優以外は静かだからか、すぐに伝わる。一人ひとりの表情を確認したのは、神崎から教授してもらったルーティン。一期一会に感謝を込めて。
 だから唇を動かした時、審査員がざわつき驚きの表情を作ったのは想定外だった。
「守谷さん? もう一度お願いします」
(あ、はい……)
 また口を開く。しかし。
 水樹は喉に手を当てるが、温まっていない手にぎょっとした。
(……声が出ない?)
 何度も試みるが、出ない。
(早くしないと。早くしないと無効になる……! 今まで積み上げてきたものが台無しになる……!!)
 Legendの皆が協力してくれ、勝ち取ろうと奮起したのに。特に麗音は弱虫な自分を変身させてくれるようなキャラクターだと確信し、レッスンでは麗音役に多くの時間を費やした。
 足場が震え、気が動転しそうになる。パンッと弾かれた音に心臓が止まるかとさえ思った。
 席の真ん中に位置し、オーディションを見守る男性がほんわかした笑顔で「今から義隆よしたか役の審査に入りますので、十分ばかりの休憩を取りますね」と場を解散させた。
──終わった。
 呆気なく。これ以上は無駄だと判断され、強制的に終わらせた。キャラクターはまだ五人いる。賢明な判断だ。
 トイレ休憩や水分補給など各々が動く中で、水樹はパイプ椅子から一ミリも微動だにしない。憐れな視線も時折感じるが、これが勝負の世界だ。
 乾いた目で瞬きをする。神経の奥が痛む。
──俺がこのままここに居続ける意味、ある?
 自分の疑問にすら答えられなかった。
 
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