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【前編】第一章 失ったものと与えられたもの
遥か彼方。
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保健室に着き、養護教諭達にベッドを貸してもらった。胸ポケットに用意してあった薬を飲んで横になると、眠気に襲われる。母が迎えに来るまでには時間がかかると知らされ、眠気に抗わないよう身を委ねた。
(……んっ)
目覚めると照明の明かりが眩くなり、キツめの消毒液の匂いがした。始業式が終わったのは正午前だから、結構な時間眠っていたことになるだろう。
(人の気配もあんましない。職員会議か。母さんは……仕事だな)
水樹の母はフリーライターをしながら工場で働いている。本業がどっちなのかわからないのは、恐らくもなにも自分のせいだった。二週間に一度の通院に加え、抑制剤は保険が効いてもまだまだ高い。おまけに女手一つで息子を育てた母親だ。苦労が絶えない母に水樹はまだ、男のアルファにフラれたことを伝えてはいない。
(体調を崩していないといいんだが。俺も在宅系のアルバイトを探してみるしかないか……)
カーテンに囲まれたベッドからは外の様子を眺めることもできず、頭を回すしか暇を潰せない。
(俺って本当にダメダメだな)
たとえそれが、自分の気持ちを追い込む結果になったとしても。
「失礼しまーす、絆創膏くださーい」
静かな保健室にやってきたのは男子だった。記憶の音声がたしかなら、教室を出る前に声をかけてきた人物。
水樹は己の運悪さに頭を抱えたくなる。足音が近づいたのは入口前に入室届けがあるから。水樹が横になっているベッドは入口近くに設置されている。養護教諭が把握するために置かれたボードには水樹の名前も記載してあった。つまりは。
「……あれ?」
自己紹介もまだなのに男子は疑問の声を上げる。絶望的な状況がすぐさま予想できた。的中する確率は五分五分だ。
(こないでくれ、こっちにこないでくれ……)
一枚のピンクカーテンで隔てたこっちは、顔どころか体も動かせない。動いたら確実に存在がバレるし、開けられたら確実に目が合う。息を殺し、相手が絆創膏を取って帰るのを祈った。
(足音が奥の戸棚の方に行った。大丈夫、彼との接点はまだ作っていない)
掛け布団に隠された心臓はバックバクだ。鼓動の音でバレることがあるとすれば、聴覚は常人を越している。
「あ、やっぱりいた!」
間髪入れずに開いたカーテン。こちらも耳を潜めたはずなのに全く聞き取れなかった。
「入室届けに一組の子の名前が書いてあったからさ。うん、君は顔見知りだ」
声の代わりに目が見開く。今さら不貞寝を使えば良かったなどと遅い思考は言い訳をした。
顔に桜を咲かせる相手は、ずかずかと入ってくる。理由はわからない。
(もしかしたら奏斗から俺の存在を知り、揶揄いにきたとか? 俺が自己紹介の時間を遮ったから、器用に笑いながら内心怒ってるとかか?)
前者でも後者でもこの先、いじめられるのはほぼ確定だろう。パシリや陰口ならまだ耐えられる。しかし、もしオメガのヒートについて触れられたら。
近年、人権運動や保健、道徳の授業強化によってオメガに対する偏見は減少方向に進んでいるとニュースやメディアで報道されるが、やはり目に見えぬ差別は存在する。
特に男のオメガなんて子を孕める体質から異端な存在に扱われがちだ。体育前の男子更衣室でも無駄に注目を浴びる。
アルファやベータ共に個人情報となる第二性は公表しなくてよくても、やはりヒートやヒート期間中の欠席から噂が立つし、能力の差異で勝手に漏洩する。
(神様からの警告なのかな。未練がましく奏斗のいた学校に安易に戻るからって。周囲に迷惑ばかりかける大馬鹿者って)
「まだ具合悪そうだね。保健の先生でも呼んできた方がいい?」
いつの間にか男子は水樹の顔の前にいた。膝で立ち、くりくりの瞳に心配の色が滲んでいる。
「僕の登場にびっくり仰天たまげた~って表情じゃなさそうだし、吐き気とか風邪薬とか持っている?」
奏斗によく似た青年は「あーもう、ちょっとくらい保健室に予備品あってもいいよな!」と愚痴を呟くが、怒りの矛は自分に向いていない。
(……ほ、本当に心配されている?)
保健室通いの水樹を見ては、半目のまま隣と噂したがる歴代の同級生達。付き合っていた奏斗にさえ、ヒートの管理がなっていないとよく叱られたものだ。
「今日は気温の変化が激しいとか笹アナが注意報出してたよね。先生達も合同会議だからって具合の悪い生徒を放ったらかしにするなんて非常識だ」
初めての状況に戸惑う。これは、もしかしなくても。
「薬はあいにく持ち合わせていないけど、水とか飲んだ方がいいね。勝手にココア作ったら怒られるかな?」
奏斗にも向けられたことのない優しい笑顔と声色に、目の前がパチンと弾けた。
「え、ええっ!? マジで具合悪い? どこだ。お腹とかかな」
突然泣き出す水樹に、あわあわする男子はベッドに触れないよう手を動かしている。何気ない仕草にぽっかり空いた穴に温もりが流れてきた。
(奏斗だったら険しい顔して、放っておかれるか制裁されるのに……)
『オレのオメガになったんなら、行動で示せ。本能もコントロールしろ』
水樹がヒートでなくても不定期に怒りをぶつけられ、その頻度は一緒にいる日が長くなるほど増す。制裁は付き合って三ヶ月足らずで行われるようになった。
その行為も水樹にとってみれば数少ない、好きな人からの愛情の裏返しだった。『お前のために』と叩かれる間も言われ、苦痛な顔を見せる。一時的でも満たされる愛情は甘い猛毒で、底を尽くと禁断症状みたいにまた相手を求める。昨年より症状は落ち着いたように見えるが、今も心は彼を欲している。
(あれは俺が悪いだけで、奏斗は悪くない)
カウンセリングが経過しても、頑なにその考えは捨てきれない水樹であった。
痛みの表現がなくとも、表情や声色だけで枯れた砂漠が海へと変わる。奇跡の魔法に涙が止まらない。尻ポッケから潰れたあんぱんを出す青年に、水樹は必死に首を振って体調不良ではないことを伝える。
「あんぱんいらない?」
こくこく。
「やっぱりどこか痛い?」
ふる、ふる。
「そっかあ」
相手は腑に落ちなさそうにパイプ椅子を広げ、腰をかける。
「……自己紹介が遅れたね。僕は彼方。遥か彼方の彼方ね」
かなた。湿った唇で真似すると、にこやかに微笑まれた。
「そう。で、名字が谷を守るで、守谷。守谷 彼方だ、よろしくね」
差し出される手を握り返そうか躊躇した。あの奏斗と同じ名字だ。雰囲気を除くパーツが全て揃っていて、これをなんというのだろう。
人間は自分と似た他人が三人いると聞く。そのうちの一人が奏斗と同じ名字だと?
奏斗は家族の話はしたがらなかった。話さないだけで弟がおり、弟が三年生になってもおかしくはない。
体を起こすと「無理しなくていいよ?」と気遣われる。首を持ち上げながら会話するのは、少々失礼だと思ったからだ。寝て休んだのもあり、今はそこまで悪くない。
水樹は鼻を啜り、スラックのポケットから厚紙タイプのリングメモ帳とシャーペンを取る。言葉を話せなくなってから、大事になったコミュニケーションツール。手話は勉強中だ。
──守谷 彼方さんにお兄さんはいますか。
頭に浮かんだことをそのまま書こうとしたが。
(なんだろう。核心を突いて聞くのが怖い)
おの一画目をぐるぐると黒く塗り潰し、不思議そうに待つ守谷彼方のためにペンを急いで走らせる。
『守谷 彼方さん、心配してくれてありがとうございます』
そのままメモを見せると守谷は食い入るように見る。
「うわ、字っうま!」
よからぬところを褒められ、顔の両端に熱を感じた。急いで髪で耳を隠す。
「僕の書く字は子供みたいな丸っぽい字だから、細くても芯がある綺麗な字に惚れ惚れしちゃうな。大人の魅力ってやつ? すっごいよ!」
筆談がコミュニケーションの一つなので、相手が読みやすい字を水樹は常に心がけている。中学卒業まで習い続けた習字の影響も大きい。
綺麗という単語がまさかここで使われるとは。着眼点がそれぞれ違う。兄弟じゃないのかもしれない。
(奏斗には綺麗の理由を聞きそびれたけど)
しかし、守谷の褒め言葉は心にすっと入ってきて気分が幾分か楽になる。
『自己紹介の場面で体調崩してしまい、申し訳ございません。それから俺なんかにお心遣い痛み入ります』
「別に気にしていないよ。てか、痛み入りますの意味がわからない」
「てか」の口癖は似ている。意味がわからないと聞き、水樹は辺りにあるスマホを探したが「僕が調べるからいいよ」と返ってきた。
守谷はスマホを取り出し、速攻で打っていく。
「へえ、なるほど。感謝の意味を表すんだ~。また一つ賢くなったよ、ありがとう」
(どうしてそう、易々と笑顔を浮かべられるんだ)
一連の流れからあの症状はヒートじゃなかったみたいだ。不順と診断される前から何度かヒート周期がズレていたし、キツさもまちまちだったから確信が持てずにいた。最小限の状況に胸を撫で下ろすが、またすぐに新たな疑問が浮かんだ。
人口的に少ない男のオメガだと知ったら、態度が豹変するだろうか。
顎を摘み、難しそうな顔をした守谷は口を開く。
「うーんでも、同じクラスで同級生なんだから言葉遣いは気にしなくてもいいよ。敬語って書く時、大変じゃない?」
小馬鹿にした言い方ではなく、親しみがある助言だった。さらに続ける。
「感謝されるのも嬉しいけど、僕は君の名前を知りたいな」
目元を和らげ、ふふっと笑う。愛嬌たっぷりの笑みについ見蕩れた。入室届けを見たのなら、ぼんやりとでも覚えるだろうに。手の内側から転がったペンはふかふかの布団の上に落ちた。
「はい、どうぞ」
ぺこりと頭を下げ、受け取ったペンで慣れた名前をスラスラ書く。
『遊佐 水樹』
フリガナも振り、差し出すように見せた。
「へえ~、綺麗な名前! 遊佐 水樹君か……。よぉし、覚えたぞ。改めて遊佐 水樹君、僕と友達になってくれるかな?」
(……んっ)
目覚めると照明の明かりが眩くなり、キツめの消毒液の匂いがした。始業式が終わったのは正午前だから、結構な時間眠っていたことになるだろう。
(人の気配もあんましない。職員会議か。母さんは……仕事だな)
水樹の母はフリーライターをしながら工場で働いている。本業がどっちなのかわからないのは、恐らくもなにも自分のせいだった。二週間に一度の通院に加え、抑制剤は保険が効いてもまだまだ高い。おまけに女手一つで息子を育てた母親だ。苦労が絶えない母に水樹はまだ、男のアルファにフラれたことを伝えてはいない。
(体調を崩していないといいんだが。俺も在宅系のアルバイトを探してみるしかないか……)
カーテンに囲まれたベッドからは外の様子を眺めることもできず、頭を回すしか暇を潰せない。
(俺って本当にダメダメだな)
たとえそれが、自分の気持ちを追い込む結果になったとしても。
「失礼しまーす、絆創膏くださーい」
静かな保健室にやってきたのは男子だった。記憶の音声がたしかなら、教室を出る前に声をかけてきた人物。
水樹は己の運悪さに頭を抱えたくなる。足音が近づいたのは入口前に入室届けがあるから。水樹が横になっているベッドは入口近くに設置されている。養護教諭が把握するために置かれたボードには水樹の名前も記載してあった。つまりは。
「……あれ?」
自己紹介もまだなのに男子は疑問の声を上げる。絶望的な状況がすぐさま予想できた。的中する確率は五分五分だ。
(こないでくれ、こっちにこないでくれ……)
一枚のピンクカーテンで隔てたこっちは、顔どころか体も動かせない。動いたら確実に存在がバレるし、開けられたら確実に目が合う。息を殺し、相手が絆創膏を取って帰るのを祈った。
(足音が奥の戸棚の方に行った。大丈夫、彼との接点はまだ作っていない)
掛け布団に隠された心臓はバックバクだ。鼓動の音でバレることがあるとすれば、聴覚は常人を越している。
「あ、やっぱりいた!」
間髪入れずに開いたカーテン。こちらも耳を潜めたはずなのに全く聞き取れなかった。
「入室届けに一組の子の名前が書いてあったからさ。うん、君は顔見知りだ」
声の代わりに目が見開く。今さら不貞寝を使えば良かったなどと遅い思考は言い訳をした。
顔に桜を咲かせる相手は、ずかずかと入ってくる。理由はわからない。
(もしかしたら奏斗から俺の存在を知り、揶揄いにきたとか? 俺が自己紹介の時間を遮ったから、器用に笑いながら内心怒ってるとかか?)
前者でも後者でもこの先、いじめられるのはほぼ確定だろう。パシリや陰口ならまだ耐えられる。しかし、もしオメガのヒートについて触れられたら。
近年、人権運動や保健、道徳の授業強化によってオメガに対する偏見は減少方向に進んでいるとニュースやメディアで報道されるが、やはり目に見えぬ差別は存在する。
特に男のオメガなんて子を孕める体質から異端な存在に扱われがちだ。体育前の男子更衣室でも無駄に注目を浴びる。
アルファやベータ共に個人情報となる第二性は公表しなくてよくても、やはりヒートやヒート期間中の欠席から噂が立つし、能力の差異で勝手に漏洩する。
(神様からの警告なのかな。未練がましく奏斗のいた学校に安易に戻るからって。周囲に迷惑ばかりかける大馬鹿者って)
「まだ具合悪そうだね。保健の先生でも呼んできた方がいい?」
いつの間にか男子は水樹の顔の前にいた。膝で立ち、くりくりの瞳に心配の色が滲んでいる。
「僕の登場にびっくり仰天たまげた~って表情じゃなさそうだし、吐き気とか風邪薬とか持っている?」
奏斗によく似た青年は「あーもう、ちょっとくらい保健室に予備品あってもいいよな!」と愚痴を呟くが、怒りの矛は自分に向いていない。
(……ほ、本当に心配されている?)
保健室通いの水樹を見ては、半目のまま隣と噂したがる歴代の同級生達。付き合っていた奏斗にさえ、ヒートの管理がなっていないとよく叱られたものだ。
「今日は気温の変化が激しいとか笹アナが注意報出してたよね。先生達も合同会議だからって具合の悪い生徒を放ったらかしにするなんて非常識だ」
初めての状況に戸惑う。これは、もしかしなくても。
「薬はあいにく持ち合わせていないけど、水とか飲んだ方がいいね。勝手にココア作ったら怒られるかな?」
奏斗にも向けられたことのない優しい笑顔と声色に、目の前がパチンと弾けた。
「え、ええっ!? マジで具合悪い? どこだ。お腹とかかな」
突然泣き出す水樹に、あわあわする男子はベッドに触れないよう手を動かしている。何気ない仕草にぽっかり空いた穴に温もりが流れてきた。
(奏斗だったら険しい顔して、放っておかれるか制裁されるのに……)
『オレのオメガになったんなら、行動で示せ。本能もコントロールしろ』
水樹がヒートでなくても不定期に怒りをぶつけられ、その頻度は一緒にいる日が長くなるほど増す。制裁は付き合って三ヶ月足らずで行われるようになった。
その行為も水樹にとってみれば数少ない、好きな人からの愛情の裏返しだった。『お前のために』と叩かれる間も言われ、苦痛な顔を見せる。一時的でも満たされる愛情は甘い猛毒で、底を尽くと禁断症状みたいにまた相手を求める。昨年より症状は落ち着いたように見えるが、今も心は彼を欲している。
(あれは俺が悪いだけで、奏斗は悪くない)
カウンセリングが経過しても、頑なにその考えは捨てきれない水樹であった。
痛みの表現がなくとも、表情や声色だけで枯れた砂漠が海へと変わる。奇跡の魔法に涙が止まらない。尻ポッケから潰れたあんぱんを出す青年に、水樹は必死に首を振って体調不良ではないことを伝える。
「あんぱんいらない?」
こくこく。
「やっぱりどこか痛い?」
ふる、ふる。
「そっかあ」
相手は腑に落ちなさそうにパイプ椅子を広げ、腰をかける。
「……自己紹介が遅れたね。僕は彼方。遥か彼方の彼方ね」
かなた。湿った唇で真似すると、にこやかに微笑まれた。
「そう。で、名字が谷を守るで、守谷。守谷 彼方だ、よろしくね」
差し出される手を握り返そうか躊躇した。あの奏斗と同じ名字だ。雰囲気を除くパーツが全て揃っていて、これをなんというのだろう。
人間は自分と似た他人が三人いると聞く。そのうちの一人が奏斗と同じ名字だと?
奏斗は家族の話はしたがらなかった。話さないだけで弟がおり、弟が三年生になってもおかしくはない。
体を起こすと「無理しなくていいよ?」と気遣われる。首を持ち上げながら会話するのは、少々失礼だと思ったからだ。寝て休んだのもあり、今はそこまで悪くない。
水樹は鼻を啜り、スラックのポケットから厚紙タイプのリングメモ帳とシャーペンを取る。言葉を話せなくなってから、大事になったコミュニケーションツール。手話は勉強中だ。
──守谷 彼方さんにお兄さんはいますか。
頭に浮かんだことをそのまま書こうとしたが。
(なんだろう。核心を突いて聞くのが怖い)
おの一画目をぐるぐると黒く塗り潰し、不思議そうに待つ守谷彼方のためにペンを急いで走らせる。
『守谷 彼方さん、心配してくれてありがとうございます』
そのままメモを見せると守谷は食い入るように見る。
「うわ、字っうま!」
よからぬところを褒められ、顔の両端に熱を感じた。急いで髪で耳を隠す。
「僕の書く字は子供みたいな丸っぽい字だから、細くても芯がある綺麗な字に惚れ惚れしちゃうな。大人の魅力ってやつ? すっごいよ!」
筆談がコミュニケーションの一つなので、相手が読みやすい字を水樹は常に心がけている。中学卒業まで習い続けた習字の影響も大きい。
綺麗という単語がまさかここで使われるとは。着眼点がそれぞれ違う。兄弟じゃないのかもしれない。
(奏斗には綺麗の理由を聞きそびれたけど)
しかし、守谷の褒め言葉は心にすっと入ってきて気分が幾分か楽になる。
『自己紹介の場面で体調崩してしまい、申し訳ございません。それから俺なんかにお心遣い痛み入ります』
「別に気にしていないよ。てか、痛み入りますの意味がわからない」
「てか」の口癖は似ている。意味がわからないと聞き、水樹は辺りにあるスマホを探したが「僕が調べるからいいよ」と返ってきた。
守谷はスマホを取り出し、速攻で打っていく。
「へえ、なるほど。感謝の意味を表すんだ~。また一つ賢くなったよ、ありがとう」
(どうしてそう、易々と笑顔を浮かべられるんだ)
一連の流れからあの症状はヒートじゃなかったみたいだ。不順と診断される前から何度かヒート周期がズレていたし、キツさもまちまちだったから確信が持てずにいた。最小限の状況に胸を撫で下ろすが、またすぐに新たな疑問が浮かんだ。
人口的に少ない男のオメガだと知ったら、態度が豹変するだろうか。
顎を摘み、難しそうな顔をした守谷は口を開く。
「うーんでも、同じクラスで同級生なんだから言葉遣いは気にしなくてもいいよ。敬語って書く時、大変じゃない?」
小馬鹿にした言い方ではなく、親しみがある助言だった。さらに続ける。
「感謝されるのも嬉しいけど、僕は君の名前を知りたいな」
目元を和らげ、ふふっと笑う。愛嬌たっぷりの笑みについ見蕩れた。入室届けを見たのなら、ぼんやりとでも覚えるだろうに。手の内側から転がったペンはふかふかの布団の上に落ちた。
「はい、どうぞ」
ぺこりと頭を下げ、受け取ったペンで慣れた名前をスラスラ書く。
『遊佐 水樹』
フリガナも振り、差し出すように見せた。
「へえ~、綺麗な名前! 遊佐 水樹君か……。よぉし、覚えたぞ。改めて遊佐 水樹君、僕と友達になってくれるかな?」
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