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―― 本編 ――

【第六話】魔王、魔獣と対峙する。

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 貧民街から続く細い坂道を通り抜けて、俺は王都の大通りへと戻った。

「キャー!!」

 すると悲鳴が聞こえた。

「逃げろ!!」

 俺の目の前を男女が走っていく。走ってきた方を見ると砂埃が舞い上がっていて、大勢の人々が走ってくるのが見えた。

「魔獣だ! 魔獣が出たぞ!!」

 その言葉を耳にしたのとほぼ同時に、俺も魔力を感知した。夕陽が街を橙色に染めている中で、まだ砂埃のせいで魔獣の姿は視認できないが、大型の魔獣が出たのは間違いないと思った。魔獣は、俺達魔族にとっても害獣だった。

 突然出現する時空の歪みから、魔獣は出現する。時空の歪みは、世界に渦巻く膨大な魔力が一点集中すると出来るという仮説はあるが、実際に何故生じるかは推論の域を出ない。

 俺は王都にいた人々が逃げ出してくる方向を見ながら、ふと思い出した。俺はいつも魔獣を討伐する時は、魔槍ラッツフェリーゼという魔導武器を用いていた。あれも召喚魔術で喚び出せるように普段は別空間にしまってあった。今も取り出す事は可能なのだろうか? 漠然とそう思い、俺は脳裏に魔法陣を思い描き、『いでよ』と念じた。

 すると俺の右手の正面に、光が生まれ、それが消えると細く長い巨大な槍が出現した。それを握ると、光が粒子となって消失し、俺の掌にはしっかりとした槍の感触がした。じっと俺は魔槍を見据え、きちんと出てきた事に安心する。柄の少し上の部分には、人間の唇によく似た意匠が施されている。魔力を込めるとこの唇はより立体的になるのだったりもする。だがまだ俺は魔力を込めていない。魔力を込める時というのは、討伐時や試しに揮う時である。

 ……丁度魔獣がいるし、魔槍の威力を確かめるには最適だ。
 目立たないように、少し突きさすくらいならば、きっと問題は無いだろう。
 俺は過去に退治した魔獣の記憶を思い出しながらそう考えて、人々とは逆方向に走る事にした。しかし平和なこの時代にも、魔獣はいるんだなぁ。それが少し驚きだった。まだ時空の歪みが生じる事もあるというのが、やはり世界には五元素のもととなる魔力が溢れているのだと感じさせる。

 こうして俺は砂埃の中へと進み、魔獣を目視した。
 そこにいたのは、ドラゴン型の魔獣で、図体は非常に大きい。緑色で、肌にはうろこが見て取れる。口からは、風の攻撃魔術が漏れだしている。俺の次代にも存在した、風竜という種類の魔獣だ。本来風竜は、口から風の刃をもらすのだが、まだ本気でないのか、現在はただ強風を吐き出しているようにしか見えない。これなら、風を躱して少し突き刺すくらいなら可能だ。そう判断し、俺は地を蹴って跳んだ。身体能力も魔王だった時とあまり変わらないようだったが、風属性の魔術で跳ぶ力を補助し、空中高くに体を浮かべる。そして俺は槍を揮った。

 結果――ちょっと突き刺して魔槍の感触を確かめるだけのつもりが、ずぶりと突き刺さってしまい、予想外の事が起きた。魔獣は魔力の塊なので、内に秘めている魔力が弱ければ、たとえば皮膚も柔らかい。鱗自体はただの見た目なので、硬いのは強い魔力を秘めている時となる。そして今回、俺の想定だと、俺が知る風竜とは硬い存在だったのだが、俺の持つ長い魔槍はあっさりと深々突き刺さり、その瞬間、光の粒子となって魔獣が消失してしまった。つまり、俺は倒してしまったのである。え? この程度の威力で? 魔獣が弱体化してるのか? 困惑しながら、俺は着地した。そしてまだ消えていく途中の光の粒子を凝視する。いやいやいや、あり得ないぐらいに弱い。

「凄い!」
「なんという攻撃力!」
「あんなに強いSSSランクの魔獣を倒すなんて!!」
「それもたった一人で!」
「英雄だ。王都を守った英雄だ!」

 するとその場を見ていたらしい騎士団の人々が、俺に走り寄ってきて、俺を取り囲んだ。焦って俺は冷や汗を浮かべる。俺は非常に目立っている……マズイ!

「名前は?」
「と、通りすがりのものです。たまたまです。運が良かっただけです! 失礼します!」

 俺は口早にそう述べ、全力疾走して貴族街の方向へ向かった。そして逃げるように家へと入り、扉を閉めて即座に施錠する。はぁ、本当に焦った。

「それにしても弱すぎただろ……少し、現代の魔獣災害史を確認した方がいいな……あのクラスがSSSランク……最強って、どう考えてもおかしい」

 ブツブツと呟きながら、俺は今も握りしめていた魔槍を、再び別空間へとしまったのだった。



 次の日学院に行き馬車を降りると、校門のところにリザリアが立っていた。腕を組んで、じっと俺を見ている。

「グレイル」
「あ、おはようございます」

 俺は素通りしたかったが、名前を呼ばれたので挨拶をしておいた。すると頷いてから、大きくリザリアが頷いた。

「今日の放課後、私の家に来てくださいませ」
「へ?」
「それでは、お願いいたします。それと本日の昼食の時は、私ちょっと他の友人と約束が入ってしまったので、別に食べさせて頂きますわ。申し訳ありません」
「それは良いけど」

 願ったりかなったりだ。

「この学院にも、貴族の女子のサロンがあるのです。リリーローズの園というのですが」
「へぇ」
「公爵令嬢として、顔を出さないわけにはまいりませんの」

 リザリアは心底申し訳なさそうな顔をしたが、俺は全く気にならない。いつもそのサロンとやらが開催されていればいいのにと思ったほどだ。

 こうして俺達は結果として並んで校舎へと入り、それぞれの教室に行くために別れた。
 それにしても公爵家に招かれるなんて、一体何の話だろうか。嫌な予感しかしない。俺にとって良い話が、公爵家から提供される気が全くしない。そんな事を考えながら放課後を待つと、公爵家の馬車の御者が校門に立っていた。

「本日は、ベルツルード伯爵の馬車の御者には僭越ながら事情をお伝えさせて頂きました。公爵家には、こちらの馬車にご同乗下さい。帰宅時もこちらでお送りします」

 そう言うと、御者は既にリザリアが乗り込んでいる馬車を示した。俺は頷く。断る権利もなさそうだからだ。なんだか逃がさないぞというような気迫が伝わってくる気がして、嫌な感じだ。こうして御者が開けてくれた広い馬車に乗ると、中央のテーブルには紅茶がのっていた。カップは二つあり、片方にリザリアが手を伸ばしたところだった。俺は彼女の隣に座る。

「それで話ってどんな内容?」
「それは到着してからお話いたしますわ」
「ああ、そう」

 頷きつつ、俺も紅茶を頂く事にした。さすがは公爵家の馬車、紅茶の茶葉にいたるまで最高のものを用いている。伯爵家とは生活水準が違う。

「グレイルのクラスでは、魔術理論の講義はどこまで進みましたか?」
「五属性魔術やその他の魔術の概論までだよ。まだ実技には入っていない」
「私のクラスと変わりませんわね」

 俺達はそんなやりとりをしつつ、進んだ。
 そして公爵家に到着し、御者が開けてくれた扉から降りた。するとリザリアが折りかけた姿勢でこちらを見ている。そこで俺は思い出した。普通男女が同伴して同乗していたら、男が女のエスコートをするのは、貴族の常識だ。俺達は婚約者なのだから、リザリアが降りる際、俺は手を伸ばして、その掌に彼女の指が触れるのを待たなければならなかった。面倒だなと思いつつ、俺は手を差し出す。するとリザリアがホッとしたような顔をした。俺の指先に、長く華奢な指がのる。白磁のように白い肌をしているなと俺は思った。

 こうして公爵家の応接間に案内され、俺の顔はいよいよ引きつった。そこには、リザリアの父である宰相閣下と、その隣には入学式にも挨拶に訪れていた、騎士団の総団長であるジェファーソン団長の姿があったからだ。団長は焦げ茶色の髪と同じ色の、短いあごひげを撫でながら、自身に満ちた瞳をし、笑顔を俺に向けている。

「座ってくれ」

 宰相閣下に促されて、二人の前に俺は座った。俺の隣にはリザリアが座る。

「君が昨日、単独で風竜を討伐したグレイル卿か?」

 直後、ジェファーソン団長に言われた。俺は引きつった顔で笑うしかない。きっとあの場にいた誰かが俺の顔を知っていたのだろう……。

「さすがはリザリアの婚約者に足る器の持ち主だ。ナイトレル公爵家としても誇りに思う」

 宰相閣下も満面の笑みだ。リザリアは静かに耳を傾けている。
 否定も言い逃れも出来そうにないので、俺は作り笑いの頬をぴくぴくとさせながら、頷くにとどめた。しかし俺からすると非常に弱かった魔獣だが、今のご時世では騎士団の人々があんなに集まっても倒せないのだろうか……? 想像以上に人間の魔術力は退化しているのかもしれないな……。

「そこで提案なんだが、グレイル卿。貴殿にとっても良い話だと思うのだが、我が騎士団にて、まだ王立魔術学院在学中ではあるが、今後働いてはくれないか? 普段は講義に出ていて構わない。臨時雇用で必要時というかたちだ。放課後に顔を出してくれればいい」
「えっ」

 俺は狼狽えた。騎士団でバイトをしないかという誘いだと正確に理解した。伯爵家は確かに火の車だが、最近は四天王もいるし、食べるのに困っているほどではない。俺は学院に行きながらバイトをするなんていう多忙な毎日は嫌だし、大人しく目立たずに生きていきたいのだから選択肢は一つだ。

「本当に偶然運よく倒せただけですので、有難く光栄なお話ですが、辞退させて頂きます」

 こういう時は、きっぱりと断るに限る。うんうんと頷きながら俺が述べると、団長が残念そうな顔をした。宰相閣下とリザリアは、何も言わずに俺を見守っている。ここで二人に勧められたら、さすがに俺も断れないが、その様子はない。それが幸いだった。

「そうか。仮にも公爵家の縁者であるから、危険が伴う騎士団の仕事には、意思が無いのならついてもらう事は出来ないな……だ、だが! 貴殿の力は目を瞠るものがある。魔獣災害による有事の際には、助力してくれると、約束してはくれないか?」

 すると宰相閣下が俺に対して頷いた。その瞳が、『約束しろ』と語っている。なんだよこの圧は……!

「お約束いたします」

 俺は約束などしたくなかったが、爵位と権力に屈した。そうしないと、俺への説得が始まり、長時間ここに拘束されるのが目に見えていたというのも大きい。俺は一刻も早く帰りたい。

「ありがとう、グレイル卿。いやぁ、治癒魔術による回復と魔獣討伐が可能な攻撃力を併せ持つ貴殿の存在は、本当に心強い!」

 ジェファーソン団長が満面の笑みに変わった。満足そうに宰相閣下も頷いている。
 その後、俺は帰宅を許され、やっと帰る事が出来た。玄関までリザリアが見送りに出てきた。俺は「じゃあね」と別れを告げて、送ってくれるという馬車へと乗り込んだ。

 こうして公爵家の馬車で帰宅した俺は、真っ直ぐに亡き父親の書斎へと向かった。俺の両親は王宮の騎士団所属の魔術師で、それこそ魔獣災害で亡くなっている。討伐部門に所属していた。そのため、書斎には沢山の魔獣の資料があった。

 パラパラと父の残した討伐の記録を捲り、俺は半眼になってしまった。
 魔導写真機で撮影された魔獣の姿は、大小さまざまだったが、特徴や討伐方法の記述を見る限り、いずれも弱い。SSSを最高とし、Eランクを最下位とする場合、俺から見るとDランク程度――即ち下から二番目の強さの魔獣……弱い魔獣が、今の時代ではSランク以上という扱いを受けている。そりゃあ弱いはずだ。

「生活に密着する魔導具は進化しているけど、この前見た限り魔導武器は退化しているんだったもんなぁ。確かにその分誰にでも扱えるようにはなっているけど」

 俺はそう思いだしながら、何気なく魔槍を出現させた。するとはっきりと唇の部分が浮かび上がっている魔槍ラッツフェリーゼは、紅い口紅を塗ったようなその唇を大きく開き、同色の舌を出した。

「魔獣を貫くのは、やっぱり気分がいいな!」

 ラッツフェリーゼの声に、俺は曖昧に笑う。この魔槍は、比較的攻撃的な性格だ。ただ、かわいらしい一面も持ち合わせていると、長い付き合いなので俺は知っている。

「君を喚びだす機会が極力ない事を祈るけどね」

 俺はそう告げ、つまり騎士団にも呼び出されませんようにと祈ったのだった。





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