失楽園の扉

猫宮乾

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―― 第一章:天球儀の儀と女性 ――

【四】天球儀の祝祭

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 その日は、良く晴れていて、冬の青空が清々しかった。
 天球儀の祝祭が行われるリリーマリア公爵のもとには、王宮から『光の梯子』と呼ばれる転移魔法陣で移動すると定められている。見た目は光の階段なのだが、一番上に銀色の扉があり、そこをくぐると公爵の塔に転移するという仕組みなのだという。

 華族としての正装、冠はかぶらなかったが束帯姿で、青瀬は光の階段が降りてきた王宮の庭にいた。儀式の際、限られた者しか入る事が出来ない場所で、日常的に足を踏み入れる事が許されているのは、国王と宰相とそれこそ五元老のみとされている。陽神子とその代理は特別に、この祝祭の日には許可される。

 現ハポネス王国の国王陛下は、若干十三歳。
 生存していれば、流歌も同じ学年のはずだ。
 聡明な少年王、美沙仁みさひと陛下に挨拶をし、累卿と目配せした後、青瀬は光の梯子を登り始めた。一段一段、薄い板のようになっている光の上を歩く。かなり高い位置に進んだため、高所恐怖があるわけではないが、僅かに緊張した。扉の前に立つと、自然とそれが開き、眩い光が当たりを包んだ。思わず目を閉じつつも、一歩前に進む。

 瞼の向こうで光が終息したのを感じてから、青瀬は目を開けた。
 そこが実際に王国の何処に位置しているのか推測する事は困難だったが、気づけば青瀬は、巨大なネオ・バロック様式の城の前に立っていた。背後では、扉が閉まる音がした。

 塔というよりは、貴族が好む歌劇場のような印象を受ける。
 そう漠然と考えながら、青瀬は周囲の人の気配を探った。認識魔術をひっそりと発動させてみれば、誰もいないように見えて、多くの『人間』が各地にいるのが把握できた。

 ――儀式は、リリーマリア公爵以外とは顔を合わせない。

 これがしきたりである。
 一人で青瀬は先に進む。すると玄関が自動的に開き、正面には階段が見て取れた。儀式の手順としては、それを上って、一番右の奥にある部屋にノックをして、声がかかったら入出する、と、聞いていた。持参している品は、儀式で用いる箱だけだ。前代の陽神子からの返還物であり、無事に進めば、新しい言祝ぎの品をリリーマリア公爵から受け取ると決まっている。それ以外の一切の無用な発言は、禁止だと資料に記されていた。行動も同じだ。決して、五元老に失礼があってはならないと、何度も繰り返し、資料に出てきた。

 玄関から目的の部屋までは、細長い絨毯が敷かれている。
 その上を無言で進み、青瀬は到着した扉の前で、一度深く吐息した。
 そうして、ノックをした。

『どうぞ』
「失礼いたします」

 規定通りの返答をしてから、青瀬は扉を開けた。開けながら、まるで少年のように声が高いなと思った。変声期前なのだろうかと考える。だとすれば、紅朽葉院家にも代替わりがあったのだろうかと思案していた。

 だが、中へと一歩進んで入り、背後の扉を閉めてから、ただ一人室内にいる人物を見て、思わず息を呑んだ。まず最初に感じたのは――美しい、それだけだった。

 黒檀のような艶やかな髪を、後頭部でゆるくふんわりとまとめている人物。
 目の形はアーモンド型で大きく、睫毛が非常に長い。
 白磁の肌をしているが、その頬は薄っすらと桃色がちりばめられている。
 唇は桜色の紅が彩っている。

 整った顔立ちをしていて、青瀬はこれまでの人生で、これほどまでに美しい存在を目にした事が無かった。

 その人物は、プリンセスラインの黒いドレスを着ている。背中の、錦の帯風のリボンは和柄だ。その模様は、古文書などで目にした事のある朝顔宮家の紋章でもあった。背中が見えたのは、ゆっくりとその人物が振り返ったからである。なお、ドレスやスカートは現存している品がほとんどない為、博物館でしか、青瀬は目にした事が無かった。いいや、振り返ったというのは正確ではないだろう。

「初めまして。リリーマリアと申します」
「――お初にお目にかかります、陽神子様の代理として参りました」
「どうぞおかけ下さい」

 声をかけられて、青瀬は我に返って、記憶していた挨拶を述べた。全身にびっしょりと汗をかいていた。これほどまでに魅了された事が無かったから、というのは、勿論ある。だが冷静に考えれば容姿といった外見美は、それこそ身体表現性技能……リリーマリア公爵に美の才能があるというだけであり、それは下々にも伝わっている事実だ。青瀬だってその才能を持っている。

 声が震えてしまいそうになって、必死に制した事には、別の理由がある。
 リリーマリア公爵は、浮かんでいたのだ。
 攻撃魔術の応用だと判断は出来たが、膨大な魔力を消費するのは間違いない。即ち、桁違いの魔力を保持しているといえる。

 またドレスに隠れていて足は見えないが、目算で体格を見て取り、青瀬は動揺していた。青瀬の身長は、186cmであるのだが、リリーマリア公爵は160cmに届くか届いていないかといった所に思えた。何より、己とは骨格が違うのが明らかだった。また胸元にどうしても目が釘付けになる。乳房が、膨らんでいるように見えるからだ。人間は授乳をしない。それが、男性しか存在しない世界で生きてきた青瀬の常識だったし、女性は乳房が膨らむ事すら知らなかった。そもそも声変わりという現象自体も男性特有であるとすら知らない。華奢で折れてしまいそうなリリーマリア公爵は、ゆっくりと宙から降りて、ソファに座した。良い匂いがする。呆然としていた青瀬は、慌てて、テーブルを挟んで正面のソファに向かい、腰を下ろした。五元老の指示は絶対であるし、儀式の失敗は許されない。

 良い香りがする麗人、という認識から我に返って、続いて圧倒的な魔力量の差を確信して、迂闊に攻撃などすればそれこそ頭部を攻撃魔術で破壊されるだろうと判断してから、そうして座って――……俯いた。どこかで、女性という存在の事は、結局は実在しないと思っていたし、仮に存在したとしても、同じ人間なのだから勝機や利用方法はあると感じていた。だが、そんな考えが、一瞬で打ち砕かれてしまった。

「……」
「そう、硬くならないで下さい」

 リリーマリア公爵はそう述べると、指をパチンと鳴らした。そこに、ティセットが出現する。紅茶の浸るカップを青瀬は確認したが、勿論飲むのは不敬だと事前に言いつけられていた。飲まない事もまた、下々の世では不敬とされるが、今回は異なる。名を名乗る事が許されないのも同じだ。

「では、これより天球儀の祝祭の儀典を行います。前任の陽神子より返却されし『神器』の入る筺をこちらへ」
「承知いたしました。こちらです」

 テーブルの上に、震えを押し殺しながら、青瀬は函を置いた。漆塗りの黒い筺だ。中身は知らない。開ける事は許されないからだ。

「確かに。では、新たなる陽神子への新しい神器を。こちらです」

 受け取ってから、魔術で消失させたらしく、次いで新しい筺を出現させて、リリーマリア公爵がテーブルに載せた。

「どうぞ、お受け取り下さい」
「有難く頂戴します」

 青瀬が筺を受け取った。そしてそれを膝の上に載せる。内容物の確認までは、代理の仕事だ。

「拝見します」
「ええ」

 正面でリリーマリア公爵が頷いた。その顔は無表情であり、特に笑うでも怒るでもない。
 だがそれが逆に畏怖を誘う。
 そう考えながら、青瀬は蓋を開けた。そして僅かに眼を細くした。中に入っていたのは、薄い一枚の板のような品だが、気配として『電子レンジ』に通じるものを感じさせる。即ちこれは、ロストテクノロジーを用いた――科学技術を利用した品であると直感した。

「どうかされましたか?」
「いえ……確かに受け取り、確認いたしました。有難うございます」

 しかし規定通りのやりとりは、これである。基本的に、全てにおいて、『是』と答える事が、代理である青瀬に求められている事柄だ。

 なお、入出前から展開中の認識魔術であるが、その発動をリリーマリア公爵が感知していないとは考えられなかったが、咎められるわけでもないので、ずっと青瀬は使い続けている。無論、本来それすらも不敬なのだろうが、糾弾されない限り、余計な事をしてももう遅いという判断だ。

 その限りにおいて、姿こそ見えないが、隣室などにも大勢の人がいるのが理解できる。古文書にあった、部下――執権や用人だろうかと考える。だが、彼らに接触する機会はなさそうだと、冷静に判断する。

「では、お持ち帰り下さい」
「はい」

 青瀬は同意した。これにて祝祭の祭儀は終了であり、暗に帰るよう促されているというのも理解している。だが――青瀬は、立ち上がらなかった。己を奮い立たせる。

「どうかなさいましたか?」
「――朝顔宮様」
「はい? なんでしょうか?」

 問いかけた青瀬に対し、否定するでもなく、リリーマリア公爵が聞き返した。
 つまり、あっさりと朝顔宮が己の名前だと認めた形だ。青瀬は更に勇気を出した。隣室に攻撃魔術の気配を感じ、それが己に向けられているのを理解していたが、それでも続けて口を開く。

「俺は、朝顔宮様の配下の華族の人間で、青瀬北斗と申します」
「ええ。青瀬家の方は、独特の――今でいうところの魔力色をお持ちなので、すぐに分かりました。元々は淪家の由来の、懐かしい色相です。お会いできて光栄です」

 そこで初めて、リリーマリア公爵――こと、朝顔宮が微笑した。その笑顔があんまりにも可憐で、再び我を忘れそうになったが、ギュッと握った手に爪を立てて、青瀬はこらえる。同時に、朝顔宮の反応の結果なのか、隣室での攻撃態勢が緩和されたのも理解した。

 チャンスは今しかないのだと、何度も念じながら、青瀬は続けた。

「探している方がいます」

 友人との約束を、忘れるわけにはいかない。流歌の捜索こそが、己に課せられた使命だと、青瀬は考えている。

「そのために、いくつかの資料を閲覧したいと考えています」

 真っ直ぐに青瀬が述べた。処刑も覚悟の上だった。再び隣室の緊張が高まったのを理解したが、もう引くつもりはない。なお、正面にいる朝顔宮は小首を傾げ、頬に手を添えている。それから大きな瞳で、二度瞬きをした。

「――許可印が必要なセキュリティレベルなのですか?」
「ええ」
「その相手は、味方ですか? 敵ですか?」
「――淪流歌様、今代の陽神子様です。味方だと俺は考えています」
「そうですか」

 朝顔宮は少し考えた顔をした。緊張しながら、青瀬はそれを見守る。
 暫しの間沈黙した朝顔宮は、それから小さく頷いた後、一枚の黒いカードを出現させた。白銀で朝顔の紋章が描かれている。

「私の許可証です」
「!」
「青瀬様。ご活躍をお祈り致しております」
「感謝致します」

 青瀬はすぐに受け取り、深く頭を下げた。びっしりと汗が浮かんでくるのを再認識しながら、テーブルの上に置かれたカードを受け取る。

「私に出来る事は、そう多くはありません」

 それを聞きながら、不敬を承知の上で、青瀬はティカップに触れた。時間を引き延ばすためだ。

「非常に感謝しております。所で――紅朽葉院家のご当主の桜様とは、」
「私の事です。ご存知だったのですか? 私の名前を」

 言いかけた青瀬の言葉を、朝顔宮……ではなく、改めて名乗った紅朽葉院桜が拾う。

「古文書にて拝読しました。その……不老ちょ――」
「制限がございます。なお、きっとお知りになりたい事として、一定の回答となると判断してお伝えしますが、襲名性ではございません。青瀬様、これ以上は、貴方の身が危険です」
「……ご配慮、感謝いたします」

 再度一礼し、一気にカップの中身を飲み干して、青瀬は立ち上がった。
 そして、そのまま道中も無人で帰宅した。周囲の人々は、桜が「構わない」として魔力伝達で待機指示を出したため、動かなかったようだった。

 光の梯子をおりながら、少しだけ緊張が解けてきた体で、受け取ったカードを握りしめる。片手に持つ筺が、妙に重く感じた。


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