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―― 第一章:天球儀の儀と女性 ――
【三】紅朽葉院配下記録
しおりを挟む応接間から出てきた光悦茶院累卿は、そのまま奥の専用執務室へと消えた。
続いて出てきた青瀬を見ると、書類の山の間から、辟易したような顔で杜若が視線を向けた。
「結論だけ教えてくれ。これ以上俺の仕事は増えるか? 減るか?」
「――杜若の仕事は増えないんじゃない?」
「そうか」
青瀬の言葉に心底安堵した様子で、杜若が肩から力を抜いた。
「でも、今日はもう俺は帰るから、残りの仕事はよろしくね」
「え……?」
書類を片付ける戦力が戻ってきたと思っていた杜若が、目に見えて顔を強張らせた。しかし素知らぬふりで、そのまま青瀬は帰宅した。
本日は、霙交じりの空模様だ。
傘をさして歩きながら、冬の外気に晒され、青瀬は歩いた。
青瀬が現在暮らしているのは、王都郊外のマンションである。2DKで各部屋は八畳と六畳だ。一人暮らしには十分だと、青瀬は考えている。
帰宅後すぐに、電子レンジに、ミルクを注いだマグカップを放り込んだ。
電子レンジというのは、『ロストテクノロジー機器』である。冷蔵庫もそうだ。一部のこうした古代に開発された機器は、一般市民も所持を許されているが、どのようにして動くのかは知らされていない。
……が、青瀬は分解をした事がある。
庶民は『これも何らかの魔術の力で動いている』と判断しているようだが、正しくこれは、閲覧制限をされている『科学』により土台が築かれていると、青瀬は理解している。しかし、そこまでは思考上で導出しても、『その先』を考えた事は一度も無い。
「なんでなんだろうね……」
電子レンジをじっと見ながら、自分の思考を不思議に思ったが、それ以上考えようと思っても、青瀬はそこで思考停止するのが常だった。
ふと思い出して、洗濯機も回さなければと、設置してある浴室の方へと向かう。そこにシャツなどを入れて、液体洗剤を垂らした。あとは電源を入れて、スイッチを押すだけだ。
独身男性の一人暮らしとしては、騎士団に所属しているだけあって、それなりに家電もそろっているし、悪くはない。元来青瀬は綺麗好きであるし、掃除も料理も得意だ。ただこの国における平均的な家族風景は、『嫁』が『家事の指示』をし、『子育てをする』というものだ。嫁と呼ばれるのは、魔術妊娠技術で孕む側の男性を指す。恋愛結婚や、階級が上であれば政略結婚も珍しくはない。結婚後、どちらが産むかは、話し合いで決定される事が多いが、多くの場合、受け身――挿入される側の男性が孕む事が常だ。
兎に角妊娠・出産は貴ばれている。身ごもった場合は、仕事は禁止だ。家事も指示のみであるし、育児も基本的にはしない。するのは、子育て専任の魔術師を雇う事が基本だ。そして第二子・第三子を設ける事が推奨される。だが、男性妊娠技術は、第一子は特に何も問題は内容だが、二人目からは不妊になりがちだというのが通説だ。
というのは、子は、父母(母というのは産みの父だ)の魔力を半分ずつ、あるいは混合状態で受け継ぐ事が多く、それに第一子は問題が生じない。しかし魔術妊娠技術は、全く同じ魔力色を持つ子を同一の夫婦のもとでは出生出来ないようで、第二子以後の魔力調節が上手く働いていないらしい。
人は三つの魔力を持っていて、それが『攻撃魔術』『認識魔術』『神聖魔術』のそれぞれの元となる。それらには独特の魔力色がある。
「これはこれで不思議だけど、こちらは理論的に義務教育でも習う事だしね」
ポツリと呟いてから、青瀬は長い間自分が洗濯機を見ていた事を自覚した。
慌ててキッチンへと戻ると、既にレンジは止まっていた。
中からマグカップを取り出せば、冷めたミルクの上には、薄い膜が出来ていた。
――翌日、青瀬は久しぶりに華族が住まう区画にある本宅へと向かった。
幼少時に両親は没しており、青瀬は天涯孤独だといえる。その面倒を見てくれたのは、十年前に惨殺されてしまった友人とその家族や使用人だった。現在も保存されている淪家邸宅を一瞥してから、青瀬家へと向かう。
公休だ。
天球儀の祝祭の準備として、青瀬には数日間の休暇が与えられている。
門の前で、魔術結界を解除し、青瀬は敷地の中へと入った。先に向かったのは、蔵である。鍵を開ければ、中にはいつか分解して壊した電子レンジがそのまま置いてあった。しかし目的物は、それではない。青瀬家にも残っている数多の古文書、それを閲覧する事だ。
「……」
自宅にある古文書であり、そこにあるのは青瀬の継承した品であるはずだが、ここにすら、『閲覧制限』がある。解除をするには、特殊な鍵が必要らしい。だが、一部は制限がないものもあるし、制限があっても特殊な儀式の関連であれば通知・開示される場合もある。今回、青瀬は累卿から天球儀の祝祭関連の一部の閲覧用の鍵を受け取っていた。
鍵の形状は腕輪型で、それをはめて蔵の地下三階の扉の前に立ち、腕を翳すとガチャリと音がして鍵が開いた。地下二階より先の鍵を開ける事に成功したのは、これが初めてである。そもそも鍵が腕輪型だという事すら知らなかったし、そこから光が出るという事も知らなかった。
内部に入り、青瀬は室内を見渡す。特に誇りもなく、清潔な空間が広がっていた。純和風の造りであり、箪笥や棚が並んでいる。古文書が重ねられている棚を見つけ、青瀬は歩み寄った。一冊手に取り、表紙を捲る。
「『天球儀の祝祭は、朝顔宮様に直接お会いできる貴重な機会』……宰相閣下が仰っていた通りみたいだね。リリーマリア公爵家と朝顔宮家は同一で……ええと……『天啓を得る事が叶う』……何かの比喩かな? いいや、こういうのは、もう王宮で聞いているし。そうじゃなくて、もっとこう朝顔宮様関連というか……」
率直に言って、女性の知識が欲しい。未だ、五元老が女性であるという話に関して半信半疑の青瀬だったが、つい内心でぼやいてしまった。
「……へぇ。天球儀の祝祭の開始は四百年ちょっと前、ね。今が王国歴485年だから、建国後少し経ってから始まったのかぁ。それまでは――『五元老が直接、政に携わり』……ふぅん」
ブツブツと呟きながら、青瀬はその『天球儀の祝祭の覚書』という古文書を読み進めていった。しかし、魔術による把握ではなしに実際に目で読んで見ても、これまでに王宮で伝達された以上の情報は無かった。
「これが厳重管理される必要性があるのかなぁ。まあ、昔の人の考える事は分からないけど」
だが、まだ一冊目だ。二冊目、三冊目と、青瀬は積んである古文書の表紙を見ていく。
そして、手を止めた。五冊目の表紙を見た時の事である。
――『紅朽葉院配下記録』と、書かれている。
「確か、朝顔宮様が今名乗っておられるという……」
単純な一致とは思わないので、手に取り、青瀬は表紙を捲った。著者は、青瀬家の数代前の当主だ。淪家から分家した初代である。即ち、元々は淪家の人間による古文書だ。
「『紅朽葉院桜様は、女性である』……この文献は、当たりかな? 少なくとも、不老長寿で代替わりがあるという話ではあるけど、この時代のこの人物は女性だったと、俺のご先祖様は書いてるわけか。桜様というのが、この時の当代のお名前かな」
少し信憑性が増してきたなと感じながら、青瀬は続きを読む。
「『華族が紺瑠璃院澪華様・岩緑青院馨子様』で『貴族が光悦茶院麗亜様・銀煤竹院ベアトリクス様』で……『両方の爵位を所持するのが紅朽葉院桜様即ちリリーマリア公爵である』……麗奈様が当代という話だから、麗亜様は書き損じではなく、この時の当代という事かな? 『皆、女性である』……やっぱり、女性がいると書いてある」
澪華、馨子、麗亜、ベアトリクス、桜。
五名の名前を脳裏に刻んでから、青瀬は続く文字列を目で追う。
「『この内、光悦茶院家は元々は華族であった。紅朽葉院家の配下であった。それは淪家と同様である』……朝顔宮家と黄茶家の話と同じだから、これは俺でも知ってるよ。『淪より分かれし青瀬の者として、これを見た者にも、紅朽葉院桜様をお支えする意志がある事を願う』」
そこまで読んで、青瀬は目を眇めた。正直、そんな意志は無い。存在すら知ったばかりであるし、何より、これが事実であるならば――紅朽葉院の人間に、様々な面で便宜を図ってほしいというのが本音だ。お支えするどころか、逆に支えてもらいたい。
「『以上の女性五名――五元老は、各塔に住まう。花の名前を関した宮である。紅朽葉院家は、朝顔を意匠とする為、朝顔宮と呼ばれる。同様に、枸橘宮家が紺瑠璃院家や梔子宮家が岩緑青院であり、青瀬家同様華族のくくりにあるが、各代の男性当主は陽神子同様天啓を受けるのみである』……? 天啓? やっぱり何かを指しているのかな。もし俺が古文書を書くとしたら、死ぬほどわかりやすい記述に変えよう。後世の人間的に迷惑なんだよね」
青瀬はつらつらと独り言を口にしてから、続きを読み進めていった。
「『各塔において手伝いをする者は、寿命に制限ある女性のみ』――? 女性は他にもいるの? え? 結構沢山いる感じ? 五元老以外は不老長寿ではないという事かな? 『紅朽葉院桜様及び朝顔の塔の執権・用人達は、過去、配下の者に様々な便宜を図ってくれた。例を挙げるならば、黄茶家が貴族となり、五元老に加わった時にも尽力した事は言うまでもない』――……残念ながら、言われても分からないんだけどね……」
元々が薄い冊子だった事もあり、名前以外の収穫はほとんどない状態で、読み終えてしまった。
「うーん。兎に角、直接お会いしてみるしかないだろうな、やっぱり。調査するには、知識制限解除の鍵も必要だけど……紅朽葉院の当代様でなくとも、部下もいるみたいだし、誰か一人でも俺に便宜を図ってくれるような存在が見つかれば……」
以後もいくつかの古文書の確認をしたが、それ以上に有益な情報は特に得られなかった。
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