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―― 第三章 ――

【058】秘刀

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 あやかしと化した群がる人々を偲が躊躇無く手刀で床に伏せさせた合間を通り抜け、時生は澪を抱いて階段を駆け上がる。いつの間にか隣には灰野がいて、三人で礼瀬家にあてがわれた客室へと入った。鍵を開ける時は、手が震えていた。だが澪を助けなければと言う一心で、必死に扉を開けて中へと入り、内鍵を固く閉じたところで、やっと時生は息を吐き、澪をベッドに座らせた。

「一体何が起きて……」

 時生がぽつりと呟くと、灰野が険しい顔で言う。

「牛鬼は、その妖力を人に注ぐことで、吸血魔の一種に出来るんだ」
「え?」
「最初は人のまま、牛鬼の妖力に指示された通りに、自我を失い動き始める。その後、全身に妖力がまわると、体に黒い茨の模様が出て、それらが腐食し始めると、人間は人間ではなく、あやかしになる。牛鬼が、人間の体を乗っ取る方法の亜種だ。西洋でも類似の存在がいて、それらは吸血鬼と呼ばれる」

 灰野の説明に、時生は思わず両腕で体を抱く。

「屍となり、人体が腐りきるまで、あやかしと同じ存在になる。腐食は、十二時間で始まるとされる。丁度――明日の朝五時だ。この夜会の終わりの時間と同じだ。ああ……そうか。西洋の珍しい食事か。人肉ということだ。異国には、血を啜るあやかしがいるという。そんな上位の存在……鬼の一種となるんだな……」

 いつも冷静沈着な灰野の瞳にも、不安が宿っているのが見えた。
 灰野はそれから、チラリと部屋中に視線を這わし、ハッとした顔をした。

「あれは……礼瀬副隊長の……軍刀じゃ……?」
「う、うん」
「あれならば、牛鬼を傷つけられる。牛鬼さえ倒せば妖力は流れ込まなくなるはずだ。そうすれば、模様も消失する。っく、届けなければ」

 灰野が慌てたようにチェストに歩みよる。そして手袋をはめた手を伸ばした時だった。
 稲妻のような光と衝撃が走り、ビクリとした灰野が手を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。

「灰野さん!?」
「……ダメだ。牛鬼の……魔の血が流れ、その力を宿す俺には、触れることすらできない」

 灰野の声はどこか苦しそうだった。
 駆け寄りしゃがんで灰野の背に触れた時生は、強い眼差しで軍刀を見る。

「僕が届けます。そうしたら、きっと偲様なら、牛鬼を倒してくれるから」
「で、でも礼瀬隊長は、お前だからご子息を任せたんだ。それを、牛鬼の血を引く俺と二人にするなど――」
「なにを言ってるんですか!? 灰野さんなら、必ず澪様を守ってくれる。だって僕達、仲間でしょう!?」
「時生……」

 二人のやりとりを聞いていた澪がベッドから飛び降りると、灰野の腕を小さな体で抱きしめた。

「安心しろ! おれはお前と待っていても怖くなんかない! おれは、お父様の子供なんだぞ! なにかあったら、おれはおれも……お前のことも守ってやるんだからな! 時生、早くお父様のところに持っていってくれ! お、おれ……い、いい子でここにいる!」

 涙で瞳を潤ませている澪の体は震えている。それに息を詰めてから、灰野が強く抱きしめ、そして澪の体を抱き上げた。

「分かった。俺は、必ず澪様をお守りする」
「うん。信じているというか、当然だよ。灰野さんがそうしないところなんて、僕は想像もつかないよ」
「――ああ。俺は友達との約束は必ず守る。だから、届けて牛鬼を止める手助けを。この前配布された護刀はあるか?」
「手放さないように言われていたから、きちんと持ってきたよ」

 時生の声に、大きく灰野は頷いた。
 そして扉を見る。

「俺もまた、時生ならば必ず礼瀬隊長に届けてくれると信じている。気をつけろ」
「うん!」

 こうして立ち上がり、時生は礼瀬家の秘刀に手を伸ばした。
 すると先程とは異なる眩い光が溢れ、時生が柄を握りしめた時、それが収束した。

「行ってきます!」



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