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―― 第二章 ――

【045】林

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 ――社の右手の奥には、林が広がっている。
 結櫻は木々の合間を跳びながら暫くその方向に進む。時折青波が発砲する音が響く。
 それが停止したのは、神磐かみくらと呼ばれる、御饌が行われる巨石がある開けた場所においてのことだった。立ち止まった結櫻が、無表情でくるりと振り返る。すると正面にゆっくりと立った青波が、銃把を持つ右手を持ち上げ、銃口に息を吹きかけた。

「間一髪だったな」

 いつもの明るい様子とは一転し、怜悧な眼差しをしている青波の静かな声に、こちらも柔和な笑みとはほど遠い無表情で結櫻が頷く。二人の右手の薬指には、同一の指輪が嵌まっている。

「時生くんを紹介するはずだった礼瀬中将の配下の者はどうなったのかな」
「すぐに遺体が見つかるに、百円賭けるぞ、俺は」
「安くない?」

 そう答えた時、結櫻がやっと頬を持ち上げた。しかし浮かんでいるのは苦い笑みだ。綺麗な茶色い髪が、冷や汗でこめかみに張り付いている。

「青波、遅いよ。僕は間に合わないのかと覚悟したよ。ぺらぺらと無駄話をして、少しでも時間稼ぎをしようとはしたけれどね? 絶対に不審に思われたように思う」
「そう言われてもな。俺だってお前からの緊急連絡を、不自然でないように本部に伝えるのに苦労したんだよ」

 二人の指輪の青い宝石が、ほぼ同時に輝いた。これは破魔の技倆を用いた通信装置である。

「折角の潜入調査が無駄になるところだった――だけならいいけど、僕の命が危うかったよ。僕だって、万が一の時は、時生くんを見捨ててまでは、潜入できないからね? そこまで鬼ではないよ? 助ける方法を考えちゃったよ」
「結櫻は優しいな。俺なら見捨てても潜入を続ける」
「青波……君のそういうところ、直した方がいいと思うよ。冷たすぎる」

 結櫻は苦笑すると、踵を返した。

「偲には引き続き内緒にね」
「ああ。あいつは優しすぎるからな。俺達みたいな腹芸が出来ないからな」
「言っておくけど、僕は青波ほどは黒くないからね?」

 そう言うと結櫻は地を蹴り、木々の合間に消えた。
 その場で、青波は片膝をわざと枯れ葉の上につく。そして息を一度止め、それから苦しそうな呼吸を取り繕った。

「青波!」

 そこへ到着した偲が声をかける。首だけで振り返った青波は、苦笑するような、悔しそうなような、そんな表情を上辺だけに浮かべた。

「悪い、逃げられた」
「……青波、怪我は?」

 屈んだ偲が、青波の肩に手で触れ、心配そうに覗きこむ。

「無いよ。ありがとうな。ああ、不甲斐ない」
「――青波」
「ん?」
「お前は、嘘をつくとき、いつも左手の親指と人差し指を合わせるな」
「へ!?」
「……結櫻が裏切るわけがないだろう」
「……」
「なにをしているのかは知らないし、敢えて関知しないこととするが……」

 偲はそう言うと、青波の背を軽く叩いた。

「お前がわざと逃がしたのは分かっている」
「……」

 青波は引きつった顔で笑いながら沈黙を通す。

「そうでなければ、お前は差し違えてでもと考えて、止まらず走る奴だからな。無傷などありえない」
「はぁ。よくお分かりで。偲のそういう察しのいいところが、俺はなんとも苦しくなるな。だがこれは、『俺の班』の規定行動で、作戦通りだ。何も言うな。何も聞かなかったこと、見なかったことにしてくれ。勿論、相樂さんはご存じの上だ。これまでにもう長い間、動いてきたことだからな」
「――そうか。ならば、承知した。無論、信頼している。お前達は、大切な同期だからな。ただし」

 偲はそう言うと、一度言葉を句切った。

「たとえばそれが、俺の大切なもの――それは時生であったり、部下の灰野、そういった者を害するような作戦であるならば、俺は親友といえど、お前達を許さない」

 それを聞くと、青波が笑顔を浮かべた。

「それは約束できないな。俺はできない約束はしない主義なんだ」
「そうか。ならば、俺は俺の思う通りに『守る』とする。ただな、青波」
「ん?」
「それはお前や結櫻のことでもある。忘れるな。危険に身を置くこと、それがあやかし対策部隊の常とはいえ、俺は決してお前達を見捨てたりはしない」

 青波は偲のその言葉に目を丸くしてから、柔らかく笑い頷いた。

「おう。俺はお前を信頼してるよ。さ、帰るぞ。それこそ大切な奴らが今頃心配して泣いてるかもしれないからな」

 偲が手を差し出したので、パシンと音を立ててその掌を握り、青波が立ち上がる。
 こうして二人は、林を後にした。



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