富貴楼と元老

猫宮乾

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―― 番外 ――

【*】勲章

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 ――また一つ、山縣は勲章を授与された。高級な礼服を身に纏い、堂々と歩く。
 山縣は、勲章が好きだ。
 いくつ貰おうとも、その度に嬉しくなる。
 理由は主に二つだ。
 一つ目は、またこの国……日本のためになる事を一つ達成できたのだと、そう目に見える形で実感できるからである。日本のためだと漠然と考えながら、仕事では現実を見て過ごしている日常にあって、本当にそれがこの国のためになっているのか否かは、何も証明してくれない。しかし勲章を授与されると、その重みを感じる度に、己のした事は間違っていなかったのだと感じる事が出来る。それが、誇らしい。
 二つ目の理由は、妻だ。友子がいつも、褒めてくれるからだ。
 満面の笑みで友子が祝福してくれる度に、山縣は己が、友子に相応しい男になれたと実感できる。
 山縣は、何度も繰り返し考えている。もしもあの激動の時代がなかったならば、己と友子が結婚する事は、決して出来なかっただろうと。友子はそれほどまでに、山縣にとって素晴らしい相手だった。下級よりも下の武士では、庄屋の娘には本来ならば手が届かなかっただろう。だが、新しい時代の幕開けにより、友子と添い遂げる事が叶った。

 ――数日後、山縣は富貴楼へと足を運んだ。
「おめでとうございます」
 浴衣に着替えていると、顔を出したお倉にそう声をかけられた。すぐに勲章の事だと理解して、山縣は頬を持ち上げた。
「耳が早いな、相変わらず」
「山縣様のお話ですから、鮮魚よりも早く仕入れております」
「喩えがよく分からん」
「情報は、お魚よりも美味しいのです」
「お前が食えない女だというのは、よく理解している。よほど魚の方が美味いだろう」
 帯を締めた山縣が、あぐらをかいて座ると、お倉がお酌をした。酒盃を手にしながら、山縣は微笑したまま天井を見上げる。既に見慣れたお座敷だ。異国情緒を感じさせる横浜にあるとはいえ、この店もまた、山縣にとっては紛れもなく、この国の――『日本』の象徴である。
「また一つ、手に入れた」
「本当によろしゅうございましたね」
「ああ」
 頷いた山縣は、酒を一口飲み込んでから、お倉へと視線を向けた。そのいつもより柔らかな山縣の表情を見て、お倉がうっすらと唇を持ち上げた。山縣の純粋な喜びが伝わって来るように思えたら、お倉は微笑ましい気分になったのである。
 山縣は二度、緩慢に瞬きをすると、再び天井を見上げた。
「勲章をもらうと、国のために、また一つ――達成できたと感じる」
 何度も考えてきた事を繰り返す。するとお倉が頷いた。
「そうですね。国、というと漠然としておりますが、山縣様の頑張りが目に見える形になるというのは、素晴らしいと思いますよ。誇って良いことです」
「――国のため、というのはな、究極的には、そこに住む国民……人間の為なんだ。俺にとって、それは友子だ」
「私もこの国に住んでおりますが?」
「それもそうだな」
 山縣とお倉が吹き出したのは、ほぼ同時だった。
 その時、山縣が酒盃を持つ手の、浴衣が少し下に落ちた。何気なく山縣の腕を見たお倉が、そこにある傷に目を留める。
「その傷は、どうなさったのですか? 以前から気になっていたんですよ」
「ああ……新潟で、少しな」
 戊辰戦争の記憶を思い出しながら、山縣が袖を直した。それを見ながら、お倉が呟く。
「そちらの方が、よほど男の勲章と言えるのではありませんか?」
 山縣はそれを聞くと、ぐいと酒盃を煽ってから、小さく首を振った。艶やかな黒髪が揺れる。
「いいや、これは違う」
 そう述べた山縣の声は、先程までとは異なり、怜悧な印象を与えるものだった。
「俺は、本音を言うのであれば、争いが無い国を作りたいんだ」
「山縣様…」
「だが――そのために、大日本帝国は強くならなければならない」
 芯のある、よく通る声で、山縣が続ける。
「欧米列強に踏みにじられるわけにもいかない。絶対にだ。同時に、近隣諸国もまた存在感がある。だからこそ、俺は強い陸軍を作らなければならない」
 お倉は話を聞きながら、酒を継ぎ足そうとして止めた。山縣の声を、もっと聞いていたかったからなのかも知れない。
「それは、戦わない平和を、この国にもたらすためなんだ。強ければ、襲われない。襲われても、防衛ができる」
 山縣は、そう語ると静かに目を伏せる。
「だからな、これは、この腕の傷は、ただの傷なんだ。勲章なんかじゃない。過去に、流れた血を、決して忘れないための傷だ。この傷を見る度に、俺は決意を固められる。この日本を確固たるものにし――もう血が流れない平和な世が訪れる土台作りをしなければならないと。その過程で身に受けた、先人達の痛みを想起させる、ただの傷だ。だから、勲章なんかじゃない。これは、風化させてはならない、ただの想いの傷跡だ」
 自分自身に言い聞かせるように語っている山縣を、お倉は優しい瞳で見つめながら耳を傾けていた。そして、やはり勲章であると考える。なにせ、この国のために出来た傷だ。だが、それは山縣には伝えない。
 山縣の声が途切れてから、お倉は頷くにとどめ、何も言わずに酒を注いだ。
 満月が、窓から覗いている。
 その日は、明るい夜だった。


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