15 / 32
―― 本編 ――
第15話 初代内閣総理大臣
しおりを挟む山縣は内務卿の執務室で、首元を正していた。本日は、初代内閣総理大臣の選定がある。首相を決める会議の場に、己が参加出来る事を、まず誇りに思う。しかし自分が総理大臣になるとは、思わない。なりたいかと問われると、正直分からなかった。
伊藤には成果が無いと言われるが、山縣とて政府を更に安定させるべく働いている。その為に力が欲しいという思いは、伊藤と変わらない。
政府の自分を除いた実力者としては、井上馨の事も忘れがたい。
「どうなさるんですか?」
内閣制度が始まれば、内務卿という名称も、内務大臣に変わる。そんな事を考えていた山縣のもとに、腹心の部下の一人である大山巌が顔を出した。現在は彼が陸軍卿をしている。温厚な大山を見る時、山縣は器の大きさを感じる事がある。山縣と違い大山は、部下としても上官としても、補佐にまわり、任せる質だ。
「どう、とは?」
「俺としては、山縣内務卿も、十分首相に相応しいと思うんですけどねぇ」
「光栄な事だな」
「ただ、ほら、みんなの噂だと、三条様と伊藤さんの争いになるとかって」
「争いというのは正確じゃない。国にとって、相応しい者が首相となる、その為の場だ」
単なる権力争いではないのだと、山縣は念じる。すると大山が朗らかに笑った。
「俺は山縣さんの、そういう真面目な部分を尊敬してますよ」
その言葉に送り出されて、山縣は会議の場へと向かった。しかし理性では国のためだ、信念がある、そう繰り返しても、心の中に嫉妬や羨望、目が息吹き始めた権力への執着が無いといえば嘘になる。
重々しい飴色の扉を明け、会議の部屋に山縣が足を踏み入れると、既に会議の出席者は揃っていた。山縣が一番最後だったらしい。己の席を目指して進んでいると、三条実美と視線が合った。彼を推す者達も、山縣を見る。
一方の伊藤を推す井上馨などは、困ったように山縣へと視線を向けた。伊藤本人は、俯いている。この時伊藤は、己が内閣総理大臣になる事は、現時点では無いと、半ば確信していた。生まれもあるが、山縣がまず自分を推さないだろう。その状況下では、仮に首相になったとしても、山縣の協力が得られない可能性が高い。好敵手であっても、今は親友と呼ぶには溝があるとは言え、発言力を増してやまない山縣の協力が得られなければ、内閣の維持は厳しいものがある。山縣が欠くならば、総理になっても困難の方が多い。ならないとは思っていたが、なった場合も不安の方が大きい。ならば、首相という力を今回は諦めるほかない。伊藤はそう考えていた。
こうして、会議が始まった。
「やはり太政大臣の三条様は、お生まれが違いますな」
三条実美を推す一人が、それとなく切り出した。あくまでも雑談のような口ぶりだった。三条実美本人は、複雑そうな顔で腕を組んでいる。彼自身も、己があくまでも名目上のトップだったと理解しているからだ。その後も、三条実美に対する賛美は続いたが、どれも高貴な身分を褒めるものばかりだった。
その流れを打ち切るように、静かに発言したのは、井上馨である。
「しかしまぁ、世の中は変わりましたな。鹿鳴館外交をしていても、言葉の壁というのは、思いのほか大きいと感じますよ」
井上はそう告げると、心なしか引きつっているものの、努力するように笑顔を浮かべる。
「やはりこれからの総理大臣という新しい、大日本帝国の代表は、外国とのやり取り――それこそ、赤電報の一つも、すらすらと読めないと、とても西洋と並び立つ事は出来ないのでは無いでしょうかねぇ」
三条実美が英語を流暢に話せるわけではないと、勿論井上は知っていた。井上は言いながら、伊藤の方を見る。伊藤は井上に対して、片目を細くしながら、口元だけに笑みを浮かべた。井上だって英語はそれなりに出来る。しかし伊藤と親しい井上馨は、伊藤を首相にと推す一番の人間だ。
「だったら伊藤! 伊藤君しかいないなぁ」
そこへ、声がかかった。伊藤が硬直する。それから目を見開いた。
その聞き慣れた声の主は、しかし予想外にそんな事を言った。
ゆっくりと確認するように、伊藤は山縣へと視線を向けた。
「ペラペラと英語を話せて、文章も読める。確かにこれからの時代には必須だなぁ」
山縣は一歩引いたような、興味がなさそうな瞳で、よく通る声を放つ。それから緩慢に視線を動かし、伊藤を見た。視線が合うと、山縣は口角を持ち上げて、ニヤリと笑った。しかし今度は、その瞳に苦笑が見て取れる。
――その数日後の夜、伊藤と山縣は、富貴楼にいた。
二人が最後に揃って訪れてから、十年以上が経過している。
「伊藤博文内閣総理大臣、か」
開け放された窓からは、冬の海が見える。薫ってくる潮風は、現在も過去も変わらない。
「狂介には、反対されるかと思うちょった」
現在室内には、二人と――お倉しかいない。お倉は、二人に酒を注ぎ終えると、窓辺に座って外を眺めている。山縣と伊藤は、その姿を一枚絵のようだと感じながらも、まるで二人だけがここにいるかのような体で話をしていた。
「なぁに。ここでの予言が、本当になったっつぅ事にすぎねぇだろ」
冗談めかした江戸弁で、山縣が答えた。すると伊藤が吹き出した。
お倉は何も言わない。
結局の所、国を思えば、伊藤以外の選択肢は無いと、初めから山縣は考えていた。やはり、溝――対立したとしても、それはお互いが国を思うからこそだったのだ。上辺でいくら険悪になろうとも、相変わらず二人は気心が知れた親友のままだったのだ。
こうして久しぶりに気楽に話をしてみたら、驚く程昔と変わらなかった。
山縣はいつかこの部屋で、伊藤が首相になる日が来ると考えた事がある。
それが現実になっただけの事だ。
「狂介、内閣ではお前が尽力してくれる事を期待しちょる」
「――俺達は方向性が違う。よって、俺は俺の信念を貫くから、協力出来ない事は出来ない。そう言う時は、率先して俊輔を推す事は無いぞ。先に断っておくがな」
「相変わらず真面目だな。僕に取り入って、地位を固めるという発想は無いのかい?」
「今でも散々、長州藩閥と言われているだろうが」
山縣の言葉は事実だったが、伊藤はそれが正確ではないと知っている。一つは、薩長で政治をしつつ、政党政治を考えてもいる伊藤は、単純に政府の中で現在の所、発言力が高いといえる人材が、あくまでも薩長に限られているだけだと理解していたからだ。
大事なもう一つは、藩閥政治の代名詞のように挙げられる山縣は、勘違いされていると知っている点だ。まるで在りし日の西郷隆盛のように、山縣は一度面倒を見たら、その後の面倒見も良いのだ。何もそれは、長州の者や陸軍省上がりの者に限った事ではない。確かに近しい彼らをより大切にしている面もあるだろう。それは木戸に蔑ろにされた過去が手伝っているのかもしれないと、伊藤は時に考える。だが、山縣の元に集う多くは、山縣の面倒見の良さに惹かれてやってくるのだ。これは、伊藤には無いものだった。伊藤は人当たりは良いが、誰かに目をかけたりはしない。よく言えば、平等であり公正だったが、悪く言えば、割り切り、冷たいのだ。古くからの友人はいるが、伊藤の下に集う者は、伊藤を慕う同志のような存在よりも、圧倒的に伊藤を過度に尊敬しているか、権力欲が旺盛な者ばかりである。伊藤は、山縣の人望が羨ましくもある。
伊藤は、誰よりも山縣を理解している。だからこそ、相対するのだ。
――その後、伊藤はますます力を増していくのだが、山縣もまた、伊藤に次ぐNo.2の座を確固たるものとしていく。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
【完結】奔波の先に~井上聞多と伊藤俊輔~幕末から維新の物語
瑞野明青
歴史・時代
「奔波の先に~聞多と俊輔~」は、幕末から明治初期にかけての日本の歴史を描いた小説です。物語は、山口湯田温泉で生まれた志道聞多(後の井上馨)と、彼の盟友である伊藤俊輔(後の伊藤博文)を中心に展開します。二人は、尊王攘夷の思想に共鳴し、高杉晋作や桂小五郎といった同志と共に、幕末の動乱を駆け抜けます。そして、新しい国造りに向けて走り続ける姿が描かれています。
小説は、聞多と俊輔の出会いから始まり、彼らが長州藩の若き志士として成長し、幕府の圧制に立ち向かい、明治維新へと導くための奔走を続ける様子が描かれています。友情と信念を深めながら、国の行く末をより良くしていくために奮闘する二人の姿が、読者に感動を与えます。
この小説は、歴史的事実に基づきつつも、登場人物たちの内面の葛藤や、時代の変革に伴う人々の生活の変化など、幕末から明治にかけての日本の姿をリアルに描き出しています。読者は、この小説を通じて、日本の歴史の一端を垣間見ることができるでしょう。
Copilotによる要約
KAKIDAMISHI -The Ultimate Karate Battle-
ジェド
歴史・時代
1894年、東洋の島国・琉球王国が沖縄県となった明治時代――
後の世で「空手」や「琉球古武術」と呼ばれることとなる武術は、琉球語で「ティー(手)」と呼ばれていた。
ティーの修業者たちにとって腕試しの場となるのは、自由組手形式の野試合「カキダミシ(掛け試し)」。
誇り高き武人たちは、時代に翻弄されながらも戦い続ける。
拳と思いが交錯する空手アクション歴史小説、ここに誕生!
・検索キーワード
空手道、琉球空手、沖縄空手、琉球古武道、剛柔流、上地流、小林流、少林寺流、少林流、松林流、和道流、松濤館流、糸東流、東恩流、劉衛流、極真会館、大山道場、芦原会館、正道会館、白蓮会館、国際FSA拳真館、大道塾空道
朝敵、まかり通る
伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖!
時は幕末。
薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。
江戸が焦土と化すまであと十日。
江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。
守るは、清水次郎長の子分たち。
迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。
ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
明治仕舞屋顛末記
祐*
歴史・時代
大政奉還から十余年。年号が明治に変わってしばらく過ぎて、人々の移ろいとともに、動乱の傷跡まで忘れられようとしていた。
東京府と名を変えた江戸の片隅に、騒動を求めて動乱に留まる輩の吹き溜まり、寄場長屋が在る。
そこで、『仕舞屋』と呼ばれる裏稼業を営む一人の青年がいた。
彼の名は、手島隆二。またの名を、《鬼手》の隆二。
金払いさえ良ければ、鬼神のごとき強さで何にでも『仕舞』をつけてきた仕舞屋《鬼手》の元に舞い込んだ、やくざ者からの依頼。
破格の報酬に胸躍らせたのも束の間、調べを進めるにしたがって、その背景には旧時代の因縁が絡み合い、出会った志士《影虎》とともに、やがて《鬼手》は、己の過去に向き合いながら、新時代に生きる道を切り開いていく。
*明治初期、史実・実在した歴史上の人物を交えて描かれる 創 作 時代小説です
*登場する実在の人物、出来事などは、筆者の見解や解釈も交えており、フィクションとしてお楽しみください
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
TAKAFUSA
伊藤真一
歴史・時代
TAKAFUSAとは陶隆房のことである。陶隆房の名は有名ではないが、主君大内義隆を殺害し、のち厳島の合戦で毛利元就に討たれた陶晴賢といえば知っている人も多いだろう。その陶晴賢の歩みを歴史の大筋には沿いながらフィクションで描いていきます。
全く初めての小説執筆なので、小説の体はなしていないと思います。また、時代考証なども大嘘がたくさん入ってしまうと思いますがお許しください。少数の方にでも読んでいただければありがたいです。
*小説家になろう にも掲載しています。
*時間、長さなどは、わかりやすいと思うので現代のものを使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる