困窮フィーバー

猫宮乾

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chapter:裏 …………ローラの苦悩…………

【16】涙

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 その後、大学に行く火朽さんを見送ってから、僕はローラを見た。

「ローラもさ、藍円寺さんの、して欲しい事をしてあげたら?」
「あいつのして欲しい事? どうせ、俺に地域住民を襲うなだとか、言わないだろうが気持ちよくなりたいだとか、そういう事だろう? そのくらいは分かる。俺だってそれは叶えているだろ。なのにな……あいつは……」

 それを聞いて、僕は思わず腕を組んだ。

「正直、無理矢理、あんなに強い薔薇の香りの中で抱いたりしたりさ、意地悪い事ばっかりしていたら、嫌われちゃうと思うよ」

 なお、現在の所、たまに心を見る限り、藍円寺さんは、相変わらずローラの事が好きらしい。

「もう嫌われているだろ」
「ローラ……あ、あのさ?」
「慰めてくれなくて良い」

 そのままローラは歩いて行った。そして、藍円寺さんが来るのを待っていた。
 憔悴しているのが分かる。

 それからローラは考え込むような顔をして、テーブル席に座っていた。
 ずっと貧乏ゆすりをしている。

 不機嫌そうな顔をしているが、悲しい気持ちが遠くにいる僕にまで伝わって来る。
 コツコツとテーブルを叩いているローラを透視していた時、店の扉が開いた。
 入ってきた藍円寺さんの姿を見て、僕は何とも言えない気持ちになる。

 相変わらず藍円寺さんの頭の中は、ローラに対する恋心でいっぱいなのだが、表情は非常に険しいのだ。嫌々ながら血を提供にきてやったぞ、と、いう風にしか見えない。

「あーあー。なんで藍円寺なんだろうなぁ。火朽が羨ましい。せめて、玲瓏院紬ならなぁ」

 ローラがポロリと本音を漏らした。それから、慌てたように付け足した。

「美味いだろうなぁ」

 ローラ側も、あくまで餌を食べているという素振りだ。
 それを聞くと、藍円寺さんが目を細めた。息を飲んでいる。

「まさか紬に手を――」
「いや? あいつは吸血鬼じゃないからな。俺も出してない」

 静かに答えてから、ローラが、最近時折見せる、暗い瞳をした。

「――ま、お前からしたら、体を張って地域の皆様を守ってるんだもんな」

 それを耳にした僕は、この時になって、改めてハッとした。
 もしかして、ローラと藍円寺さんは、すれ違っているのではないのだろうか……?
 僕は、翡翠色の数珠の存在を、ここに来てやっと思い出した。

 そうだった。今のローラには、吸血しても、藍円寺さんの気持ちは、見えないんだった。

 その後二人が交わり始めた。普段なら僕は見るのをやめるのだが、今日はそうしなかった。
 藍円寺さんの気持ちを、ローラに伝えたほうが良いと思ったのだ。
 なんとなくだけど、このままいくと、良い結果にはならない気がする……。

 痛みと快楽から涙で顔をドロドロにしている藍円寺さんは、僕から見ても辛そうだ。
 ローラが、そんな藍円寺さんを見て、意地悪く笑った。

「どうして欲しい? ん? 言ってみろよ。気持ち良くなりたいんだろ?」

 僕はこれを聞いて――表情こそ余裕そうだが、ローラは相当精神的に限界なんだろうなと思った。火朽さんとのやり取りを参考にして、取り入れた発言だ。ローラは、本当に火朽さんと、仲の良いお友達である紬くんの関係が、羨ましいのだろう。本音としては、ローラだって、藍円寺さんと仲良くしたいに違いない。

「や、優しくしてくれ……っ……」

 その時、藍円寺さんが小さな声を出した。ローラを見る瞳が潤んでいる。

「――は?」

 するとローラが虚をつかれた様子で、呆気にとられたような顔をした。

「優しく……?」

 繰り返したローラに、藍円寺さんが小さく頷く。縋るようなその瞳は、ローラを求めているのが分かる。快楽といった意味合いではなく、恋心がにじみ出ている。

 ローラの側からは、強い困惑が漏れてきた。
 ――俺に優しくされたら、嬉しいのか? と、考えている。

 嫌いな相手に優しくされると嬉しいという意味がわからないと、ローラは考えているらしかったが、同じくらい藍円寺さんに優しくしたいという気持ちも伝わって来る。

 だがローラは、「きっと優しくSEXしろという意味だな」と判断したようで、先程までよりも動きを優しくした。しかし、そうではない。僕はそれが分かったけれど、今わざわざ出て行って言うべきではないと思いながら、紅茶を飲む。

 そうしていたら、藍円寺さんが言った。

「キスしてくれ」
「っ、おいおい藍円寺、反則だろ」

 ローラが舌打ちしているのが見えた(透視)。かなりローラは焦っているようだ。
 好きな相手に、キスしてほしいと言われたら、まぁ動揺もするだろうか。

 いいや、一番の理由は別だろう。

 素直に藍円寺さんが、暗示のない状況で、そんな事を言ったのが、初めてだからだ。確かに薔薇の香りはするが、思考は曖昧にできても、「して欲しい事」といった気持ちを変える事は出来ない。

 多分であるが、痛みと快楽に同時に襲われたせいで、藍円寺さんは少し怯えているのだと思う。ローラだけが、藍円寺さんの頼りみたいな心境に近い。それもあって、思うがままに願いを口に出したのだろう。

 その内に――プツンとローラの理性が途切れたのを、僕は理解した。

 薔薇の香りが溢れかえったからである。ここまで強い香りは、ローラが制御できず無意識に使ってしまったとしか考えられない。

 カクンと人形のように藍円寺さんが意識を落とした。体から力が抜けてしまった様子だ。


 藍円寺さんを抱き上げたローラを見て、僕は歩み寄った。
 するとローラが僕を見た。

「今日から、三階の研究室に寝泊まりさせる。これでお前も火朽も楽だろう?」
「え? け、けど、研究室から出る時は、二階を通るし……っていうか、あの」
「通らない」
「へ?」
「藍円寺の事は、帰さない」
「ローラ!?」

 驚いた僕には答えずに、ローラは三階に向かった。

 そして、同じ間取りの部屋を用意したらしく、そこに強い薔薇香を焚いて、藍円寺さんをベッドに眠らせた。

 僕は、完全に伝えるタイミングを逃した。
 それよりも――帰さない!? え!? 監禁!?
 どうしようと、僕はリビングのソファに座り、呆然としていた。


 ローラが降りてきたのは、翌日の昼過ぎだった。

「ね、ねぇ? ローラ、あ、あのさ、藍円寺さんだって、除霊のバイトとかあるし、みんな心配すると思うし、そ、その……」
「だからなんだ?」
「え……?」
「あいつは俺のものだ」
「う、うん……」

 僕が顔を引きつらせると、ローラが俯いた。

「あいつは俺に優しくして欲しい、キスしてほしい、そう言った。その願いを叶える代わりに、俺の願いも叶えてもらう」
「ローラの願い?」
「あいつが俺のものになる事だ」
「う、うん?」
「――もう良いんだ。気持ちなんかいらない。あいつがそばにいてくれさえすれば、それだけでいいんだ。体だけでいい。それがなくてもいい。まぁ、快楽堕ちさせなきゃ、あいつが俺のそばにいるとは思えないし、俺も喰いたいから、それは別として……もういいんだ」

 自嘲気味に笑ったローラは、とても辛そうだった。
 その日から――ローラは檻の中に入れたかのように、藍円寺さんを一歩も外に出さなくなった。朝会いに行き、食事をさせてから、散々藍円寺さんを貪る。

 僕はとりあえず妖怪薬と紅茶の勉強を再開する事に決めて、しばらく忘れる事にした。
 ローラの恋心は、もう爆発しているというか、執着が凄すぎて、僕にはどうにもできない。
 うん。それに恋愛は、自分で頑張るべき事柄だ。

 そう考えていたある日、昼食の席に顔を出したローラに、本日は大学がお休みだという火朽さんが声をかけた。

「あのように強い香の中で、人間は、意識を維持していられるんですか?」
「――いいや。あいつはもう、何も考えられないんじゃないか?」
「人形と変わりませんね」
「……」
「感情のない人間を見ていて、何か面白いんですか?」

 火朽さんは、純粋に疑問そうだった。しかしローラが苦しそうな顔で、テーブルを叩いた。

「うるさい。俺はあいつがそばにいるだけで満足なんだよ。それだけで幸せなんだ」


 すると火朽さんが呆れたような顔をした。

「僕には理解できません。僕は、例えば相手にもまた満足してもらったり、相手が幸せだと感じてくれない限り、自分側のみが幸福になれるとは思えません」

 正論である気がしたが、ローラが死ぬほど傷ついたような顔をしたものだから、僕は何も言わないことにした。ローラの胸が抉られたらしいのが分かる。

「……あいつだって、藍円寺だって……夢現に快楽だけを感じて平穏に暮らしているんだから、幸せだろう? 寝て、食べて、ヤって。人間の三大欲求を満たすだけの生活を送っていられるんだ。これ以上の幸福なんかあるわけがねぇよ。俺といるだけで、あいつは幸せなんだよ」

 ローラの言葉に、火朽さんが溜息をついた。

「苦しい言い訳ですね」
「言い訳なんかじゃ……」
「ローラ、涙が出てますけど、それは僕の気のせいですか?」

 見れば、ローラが泣いていた。いつもはこらえるくせに無理だったらしく、ポロポロと泣いている。僕は吹き出しそうになった。藍円寺さんも外見からは想像がつかない考えの事は多いが、ローラもかなりの強がりだから、見ていて面白い。

 ――だからこそ、ローラが僕にとっての主人公なのだ。


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