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―― 本編 ――
【十一】聖夜週間
しおりを挟む――聖夜週間が訪れた。
この国では聖夜の前々日から国民は、基本的にお休みになる。
そして、王族の方々は、個々人に与えられた城で過ごす事になるそうだ。
「さぁ、行こうか」
フェンネル様に促されて、私は馬車に乗った。
今日から、フェンネル様のお城に向かうからだ。
「聖夜をマリーローズと二人で過ごせて、俺は嬉しいよ」
「私も嬉しいです」
「ゆっくりと休もうね」
頷きながら私は、鞄の中に入れてきたプレゼントについて思い出した。
聖夜当日に渡す予定だ。
「二泊三日だから、羽を伸ばせる。俺個人の城に連れて行くのは初めてだね。気に入ってもらえるといいんだけどな」
フェンネル様のお顔は楽しそうだ。
「俺が生まれた時に与えられた城でね。普段は王都での公務が多いからあまり足を運ばないんだけど、個人的には居心地が良いんだよ。だからマリーローズにも慣れて欲しいな」
「きっと、好きになれます。だって、フェンネル様がお好きな場所なのですから」
「うん。俺は好きだよ」
その後、半日をかけて馬車で移動した。
ずっとフェンネル様とお話をしていたから、一瞬だった。
桟橋を馬車が抜け、車窓から湖が見えた。
崖の傍に造られているお城は、とても綺麗だ。
「ここが俺だけの城だよ」
「綺麗……」
「さ、馬車を降りよう」
こうして私は、停車した馬車から、エスコートされて外へと出た。
使用人達に出迎えられて中へと入り、まずは促された部屋に荷物を置いた。
そこから繋がる寝室――。
「今回はここに泊まろうね」
フェンネル様が、そっと私の肩に触れた。
寝台は一つきり。
ドキリとして、私は息を呑んだ。
「一番風景が綺麗に見える部屋なんだよ」
「そうなんですね」
「うん。マリーローズにも是非見て欲しいんだ」
「見てみます。有難うございます」
お礼を言いつつ、私は緊張していた。
普段、フェンネル様が後宮の寝室に泊まっていく事はない。
二人で同じ夜を過ごすのは、初めての事となる。
「マリーローズ」
二人きりの寝室で、不意にフェンネル様が、私を抱きしめた。
力強い腕が、私の腰に回っている。
「好きだよ」
「わ、私もです」
「そんなに緊張しなくて良い」
「っ、だ、だって……無理です。好きな人と二人きりだったら、緊張すると思います!」
「可愛いな。実は俺も緊張してるけどな」
「え?」
「俺は自分を抑える事に必死だよ」
フェンネル様が、より強く私を抱きしめた。
その表情は、笑顔だ。
「必ず幸せにするからね」
「私はもう十分幸せです」
「全然足りないと、足りなかったと、思わせてあげるよ」
「そんなの、どんどん私は贅沢になってしまいます」
「マリーローズは控えめだから、貪欲になるくらいで丁度良いじゃないかな」
フェンネル様は、それから私の体から腕をほどいた。
「君に、渡したいものがあるんだ」
「え?」
「聖夜のプレゼント」
「!」
「わ、私も――」
「え? 用意してくれたの?」
「はい! その……フェンネル様に喜んで欲しくて」
「嬉しいよ。まずは俺から。受け取ってもらえるかな?」
フェンネル様はそう言うと、ポケットから小箱を取り出した。
「有難うございます」
おずおずと手を伸ばす。
私は手で、ヴェルベット張りの小箱を受け取った。
「あけて」
「はい!」
小箱の蓋を開けると、中にはブルートパーズが輝く首飾りが入っていた。
細い銀色のチェーンがついていて、意匠は三日月だ。
「綺麗……」
「気に入ってもらえたかな?」
「はい。私からはこれを」
私は鞄から、プレゼントを取り出した。
するとフェンネル様の瞳が優しくなった。
「有難う、マリーローズ」
「あけても良いかな?」
「勿論です」
私が渡した小箱を、フェンネル様があける。
「――ボタンカフスか。マリーローズは趣味が良いな。すごく俺は、これが気に入ったよ。有難う。俺のために選んでくれたのかな?」
「はい。喜んで頂きたくて」
「とても嬉しいよ」
こうして私達は、無事にプレゼントを交換した。
私は早速、フェンネル様に頂いたネックレスを身に付ける。
「よく似合ってる」
「有難うございます。大切にします」
「俺も大切にする。このボタンカフスを見る時、常に君の事を思い出すと誓う」
そう言うと、フェンネル様が再び私を抱きしめた。
幸せに浸りながら、私は破顔する。
フェンネル様と一緒に居られて、本当に幸せだ。
こうして、聖夜の休暇が始まった。
その後、部屋に夕食が運ばれてきた。
私とフェンネル様は、静かに席つく。
「まさかマリーローズがプレゼントを用意してくれるとは思わなかったよ」
「これからは可能な限り毎年用意します」
「俺も約束する。ここで、生涯共に、聖夜を過ごそう」
「ずっとフェンネル様と一緒に居られたら、すごく幸せです」
「俺もそう思う」
「マリーローズとずっと一緒に居たい」
フェンネル様は穏やかな声でそう言うと、メインの皿を見た。
「この魚は、この周辺の名産なんだよ。王都より海に近いから、魚介類が美味しいんだ。今度海に連れて行きたいと話したけど、それもこの城から近い事も理由だよ」
「楽しみにしていますね。それに、お料理も本当に美味しいです」
王宮の料理も美味しいけれど、このお城の料理も私は好きになれそうだ。
ナイフとフォークで白身魚を切り分けて、口に運ぶ。
「フェンネル様はお魚が好きですよね?」
「まぁね。話したかな?」
「いえ、見ていれば分かります」
「気恥ずかしいな」
「好きな人の好きなものの事は知りたくなるものでしょう? もしかしてこのお城でお魚が好きになりました?」
「正解だよ。小さい頃から、毎年聖夜に訪れて、食べるのをいつも楽しみにしていたんだ。いつか、愛する人にも食べさせたいと、幼少時には夢を見た事もある。ただ――自分には恋愛の自由は無いと思っていたんだ」
「フェンネル様……」
自由が無いと思っていたのは、私も同じだ。
「でも今は、マリーローズが好きになって、そしてそれが幸せだよ」
「私も同じです。フェンネル様を好きになって、幸せです」
私達はそれから視線を合わせて、どちらともなく微笑した。
本当に幸せなひとときだ。
食後はそれぞれ入浴を済ませ、寝間着に着替えてから、寝室で合流した。
現在は、ベッドで二人。
私はフェンネル様の横顔を見る。
腕枕をされている私は、その温度が全然嫌では無い事に気がついて、照れくさくなってしまった。
当初こそ、違う体温、『他人』だという感覚に戸惑っていたのに。
今となっては、フェンネル様は、いなくてはならない人に変わってしまった気がする。
「――という事があったんだよ」
フェンネル様は楽しそうに、幼少時の思い出を語っている。
海のお話だ。
「あの時は、溺れてしまうかと焦ったんだ。そうしたら陛下が――父上が血相を変えてね。俺は幼いながらに、愛されているとは思っていなかったんだけど……そうでもなかったみたいでね。父は、俺を自ら助けてくれたし、その後は、すごい剣幕で怒ったよ。俺も子供を守れるような父親になりたい。……ただ、宣言通り、多数ではなくたった一人を愛したいんだけどね」
「フェンネル様……フェンネル様なら、きっと良いお父様になると思います」
私はあまり家族に愛された記憶が無い。
その部分で、私とフェンネル様は似ている部分があると思う。
だけど、私にも優しかった実母や、優しかった頃の父の記憶もある。
「一緒に、そうです、一緒に! 素敵な家族になりましょうね」
「マリーローズが居てくれるなら、大丈夫だと思ってるよ」
この日は、遅くまでそんな話をしていた。
「フェンネル様とお話ししていると、時間を忘れてしまいます」
「俺も何だ。困ってしまうな。ずっと話していたくなってしまうから」
「私も」
「そろそろ眠ろうか」
「はい!」
フェンネル様が優しく私の頭を撫でてくれた。
そして気がつくと、私は睡魔に呑まれて眠っていた。
フェンネル様の腕の中で。
「――て。起きて」
「……っ」
瞼越しに、明るい陽光を感じた。
朝が来たみたいだ。
私は目を閉じたままで、抱き寄せられているのを感じていた。
「朝だよ、マリーローズ」
「あ……」
その時、唇に柔らかな感触がした。
それを感じながら薄らと目を開ける。
するとフェンネル様が、私から顔を話した所だった。
「おはよう」
「おはようございます」
キスをされたのだと気付いて、私は瞬時に赤面した。
一気に目が覚める。
私はフェンネル様に腕枕をされていた。
「そろそろ朝食だ」
フェンネル様が私を腕から解放する。
身を起こした私は、それから同様に体を起こしたフェンネル様を見た。
フェンネル様が、先に寝台から降りる。
「早く結婚式が終わると良いな」
「どうしてです?」
「そうすれば、毎朝マリーローズと一緒に起きられる。幸せな朝を。いつも君と共に朝を迎えたいから」
楽しそうにフェンネル様が言った。
私も同じ気持ちだったので、頷いてみせる。
「私も、いつも一緒に同じ日を迎えたいです」
「フェンネル様のお顔を朝一番に見たら、元気が出る気がして」
「また俺達は、同じ事を考えていたみたいだね」
その言葉に嬉しくなって、私は大きく頷いた。
そうして揃って寝台から降りてから、私達は身支度をした。
朝食が運ばれてきたのは、それから少ししての事。
本日のメインは、じゃがいもと卵のサラダだった。
こうして、城に到着して二日目が始まった。
「そうだ。今日は、城の中を見て回らない?」
朝食後、フェンネル様が、私を誘ってくれた。
「見晴らしがいい場所もあるし、調度品も美しいんだよ。是非マリーローズにも、この城の良さを知って欲しいんだ」
「ぜひ拝見したいです」
何より、フェンネル様と一緒に過ごしたい。
だけどこの本音は、気恥ずかしいから黙っておく。
「良かった。じゃあ案内するよ」
こうして私達は、城内を見て回る事となった。
最初は二階の回廊の調度品を見て回った。
彫像や油絵が美しい。
「これは……」
「歴代の国王陛下と正妃様の肖像画だね」
「マリーローズの肖像画も落ち着いたら宮廷画家に頼もう」
その言葉に私は小さく頷いた。
フェンネル様の隣に立つ者として、相応しい正妃になりたい。
「俺はこの国を、国王となったら、より良くするつもりだ。一緒に尽力して欲しい」
「頑張ります」
「期待しているよ。「さて、それじゃあ次は――俺のお気に入りの場所に案内するよ」
「お気に入りの場所?」
「塔から見える風景が気に入っているんだ」
「是非!」
私が笑顔で頷くと、フェンネル様が私の手を取った。
そして恋人繋ぎをすると、手を引く。
「行こう」
そのようにして、私達は階段を上がり始めた。
二人で話をしながら、一段ずつ登る。
いくつもの塔があるお城だけれど、フェンネル様の足取りに迷いは無い。
「さぁ、ついた。ここだよ」
フェンネル様が立ち止まったので、私は視線を窓の外へと向けた。
「! わぁ……綺麗……! すごいです」
私の視線が釘付けになる。
塔から見える風景は、本当に美しかった。
「連れてきて頂き、有難うございます!」
「喜んでもらえたのなら、良かったよ。俺の好きな風景の一つなんだ、ここは。ふとした時に思い出す場所でもある」
「分かる気がします」
「ねぇ、マリーローズ」
「はい」
「俺はね、君と一緒に、様々な風景が見たいんだ」
「フェンネル様……私もです」
「有難う」
「私はまだまだ何も知らないから。一つ一つ教わっていますけど。私にも好きな風景が、いっぱい出来ました。フェンネル様が教えてくれたから。もしも今後、私しか知らない風景が出来たら、フェンネル様に絶対お伝えします!」
「楽しみにしているよ」
「それに、ずっとフェンネル様のおそばにいたいです」
「俺もだよ。常に、マリーローズの隣に寄り添っていたい。そして、そうすると約束するよ。俺は必ず君を幸せにする」
「私もフェンネル様を幸せに出来るように頑張ります」
「心強いな。有難う」
フェンネル様の瞳が優しい。それを見てから、私は視線を上に向けた。
「それにしても、綺麗な空」
「ここにいると心が洗われる気がするんだ」
「分かります」
その後も私達は、手を繋いで、ずっと綺麗な風景を見ていた。
私はもう、フェンネル様の体温が嫌いじゃ無い。
フェンネル様の事が大好きだ。
その後私達は昼食の席へと向かった。
貝のスープやカルパッチョが並んでいる。
「なにか不自由があったら言って欲しい」
「何もありません」
「君は抱えがちに見えるからね、心配なんだ」
「フェンネル様のおそばにいられるだけで幸せです。だけど風景も素敵でしたし。このお料理も美味しいし、私は今、すごく楽しいんです」
「それならば良かった。俺はマリーローズを喜ばせたくて仕方が無いんだ」
「それは私も同じですよ? 私だってフェンネル様に喜んで頂きたくて」
「――俺を喜ばせる、とても簡単な方法があるよ。聞く?」
「なんですか?」
「そろそろ本格的に、敬語をやめて欲しいな」
「え?」
「もっと身近に君を感じたいんだ」
「フェンネル様……わかりま……」
「うん」
「二人で話している時は、直すようにしたいと思います」
「有難う。俺はいつでもね、マリーローズのそばに、そして近い場所にいたいんだ。物理的にも、精神的にも。だから、気を遣わないで欲しい」
「有難うございます」
そんなやりとりをしながら食べた魚は、本当に美味だった。
私は舌鼓を打ちながら、フェンネル様と言葉を重ねた。
ああ……どうしてこんなに好きになってしまったんだろう。
フェンネル様が愛おしくてたまらない。
食後は、再び城内を見て回る事になった。
手を繋いで。
「俺は幸せだな」
「私こそ」
「――俺の母は、さ」
「はい?」
「政略結婚で、愛されていなかったんだ」
「……」
「俺も、自分自身もそういう結婚をすると思っていた。でも俺は、マリーローズに出会えた。これがどんなに幸福なことか、分かる?」
「私はずっと一人だったから……」
「俺の周囲には、人は居た。例えばクレソンだってそうだよ。良くしてくれる人も居た。だけどね、たった一人の愛する人に出会えるというのは貴重だと思う。俺はマリーローズを愛してる。この愛だけは、誰にも負けない自信がある」
「フェンネル様、私だって負けません。私こそ、フェンネル様を愛してますから!」
「またそこで、張り合うの?」
「ダメですか?」
「ううん。嬉しいよ。だけどね、俺の方が君を愛してる」
「フェンネル様こそ張り合って……!」
私が言うと、クスクスとフェンネル様が吐息に笑みをのせた。
「幸せになろうね。いいや、幸せにするよ」
フェンネル様が、私の手を握る指に、ギュッと力を込めた。
私もまた握り返す。
「私もフェンネル様を幸せにします!」
「敬語」
「あ……幸せにする!」
「うん。有難う」
楽しそうなフェンネル様の表情を見ていたら、私は嬉しくなった。
「俺は、愛なんてずっと幻想だと思っていたんだ。だけどマリーローズと出会って考え方が変わったよ。世界には、愛があったんだね」
「フェンネル様……私に愛を教えてくれたのも、フェンネル様ですよ」
「俺が?」
「はい!」
「そうだといいな。俺はマリーローズを幸せにしたいから」
「十分幸せ。一緒に居てもらえるだけで、私は……幸せで!」
「うん。敬語をやめるのを頑張ってるのは伝わってきた」
「からかわないで!」
「からかってないよ。ああ、本当――好きだよ、マリーローズ」
「私の方がフェンネル様の事好き」
「君こそ張り合ってる」
私達はそんな事を言い合って笑い合った。
この空間が本当に貴重だ。
「俺の両親は、こういう空間を知らない人達なんだ。だから俺もこの空気感を知らなかった。マリーローズが教えてくれたんだよ」
「私も知りませんでした。私に教えてくれたのはフェンネル様ですからね?」
「じゃあ一緒に、少しずつ覚えていこう。俺達で、協力して知ろう。君と二人なら、俺は頑張れそうだ」
「私に出来る事なら喜んで!」
「マリーローズにしか出来ない事だよ」
このようにして、城での二日目の日々も過ぎていった。
夜は、フェンネル様の腕枕で眠った。
帰りの馬車に、フェンネル様にエスコートされて乗り込んだ。
二人で座りながら、楽しかった城に振り返る。
「また来たいです」
「気に入ってもらえて良かったよ」
「本当に楽しかった」
「俺もだよ。来年も、再来年も、いつも一緒に来よう」
「はい!」
「マリーローズと一緒だと、どの風景も普段より魅力的に見える。やっぱり君は特別だな。そばにいてくれて有難う」
「私こそ。フェンネル様がいてくれて、いさせてくれるから、頑張れます!」
「俺はマリーローズがいてくれて幸せだ」
「私も!」
「有難う」
「これからも沢山の景色を一緒に見ましょうね!」
「うん。それにどこにいても、どんな景色の場所でも――俺は君といられたら幸せだと思う」
「私は断言して幸せです」
「嬉しいな」
「私はフェンネル様がいるだけで幸せだから」
そんなやりとりをしながら、馬車は進んでいった。
だけど本当に、フェンネル様の隣にいられて嬉しい。
車窓から見える風景は貴重で、フェンネル様との二人の思い出が増えていく。
「フェンネル様」
「ん?」
「大好きです!」
「本当に可愛いな……俺も好きだよ」
「フェンネル様こそ格好良いです」
「例えば何処が?」
「気配りがこんなに出来る方、すごいなって」
「それは君の方こそじゃないかな?」
「いいえ! 私はフェンネル様を見習いたいです」
「褒められて悪い気はしないかな」
そんな話をしながら、私達は王宮へと帰還した。
充実した旅路の記憶を、私はずっと忘れないと思う。
本当に楽しかった。
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