上 下
6 / 16
―― 本編 ――

【六】テラスにて

しおりを挟む

 食堂へと移動した私とフェンネル様は、テーブルをはさんで向かい合った。

 二度目の公務は、心地の良い疲労感をもたらしてくれた。
 メインの白身魚のムニエルを食べながら、私はフェンネル様と視線を合わせる。

「今日は、俺の祖とも言われる風の精霊が、人間の姫に愛を告げた日だとされるけど、たまに考えるんだ」
「何をです?」
「種族が違う恋は、どんな風だったのかなって。おとぎ話はハッピーエンドで、悲恋だったとは聞かないけれどね」

 そう語ってからフェンネル様が、不意に窓を一瞥した。
 つられて私も、そちらを見る。
 窓の外には、星々が輝いている。

「今夜は星がよく見える」
「昼間も快晴でしたね」
「そうだね。恋人達を祝福するような空模様だった」
「私もそう思います。精霊が祝福してくれているみたいで、なんだか嬉しくて」
「風の精霊が愛を告げたのも、今日みたいな夜だったのかもしれないな」

 それを聞き、私は本当にロマンティックなおとぎ話だと思った。
 精霊と人間の姫の恋愛譚は、耳にするだけで胸に響いてくる。
 私の表情が自然と綻ぶ。

 今日という日を、こうしてフェンネル様と過ごせるのが、たまらなく嬉しい。

「そうだ。食事が終わったら、少し二階のテラスで星を見ない? 君と二人で星が見たいんだ」
「ぜひ、ご一緒させて頂いたいです」

 私は、軟禁されていた当時から、空を見るのが好きだった。
 窓枠で区切られていたけれど、空はいつも私の気持ちを晴らしてくれた。

「良かった。どうしても君と星が見たい気分なんだ」
「フェンネル様は、星がお好きなんですね」
「――そうだね」

 頷いたフェンネル様を見て、私は温かい気持ちになった。
 気になる相手……好きな人の事を、私はもっと知りたい。
 フェンネル様の事を、もっともっと知りたい。

「マリーローズと二人で星が見られると思うと、今日という日がより特別に思えるよ」

 そんな事を言いながら、フェンネル様が食事を終えた。
 そして私が食べ終えるまでの間、精霊伝承について教えてくれた。

 楽しい心地で耳を傾けながら、時を過ごし、食後私達はテラスへと向かった。

 向かった先のテラスからは、星空がよく見えた。
 小さい星が川のように散らばっていたり、一際大きな星が三角形を築いていたりする。

 様々な星座が、空には浮かんでいる。その一つ一つにも、精霊由来の神話がある。
 本当にロマンティックだ。

 私は手すりに両手をのせて、空を見上げる。

「綺麗……」

 この後宮には、綺麗なものは沢山ある。
 それはドレスであったり、装飾具であったり――だけど。
 私は自然の美に、とても惹かれる。

「そうだね」
「私、夜空を見ていると、世界って広いんだなと感じます」
「世界?」
「はい。この星と同じように、世界には沢山の人がいて、それで――」
「その数だけ、愛があって」
「風の精霊は人間の姫に、星空の下でプロポーズしたらしいね」
「聞いた事があります」

 幼い頃、家庭教師の先生から、建国神話について習った時だ。
 それに、実母も時折、私に精霊の話をしてくれた。
 小さいながらに、心を躍らせた記憶が色濃い。

「素敵なお話ですよね」

 笑顔で私はそう述べてから、空から視線をフェンネル様へと向けた。
 そして虚を突かれて、息を呑んだ。
 フェンネル様の目に、あんまりにも真剣な色が宿っているように見えたからだ。

「フェンネル様?」
「マリーローズ」
「はい」
「……」

 沈黙したフェンネル様は、まじまじと私を見た。
 その瞳に、吸い寄せられるようになって、私は視線を離せなくなる。

 いつもの柔和なフェンネル様の気配とは、全然違う。

 驚いて、私は言葉を探したのだけれど、気圧されて声が出てこない。
 だからただ、フェンネル様の端正な顔を見上げるしか出来ない。

 直後不意に、フェンネル様に抱きしめられた。
 力強い腕が、私の腰に回る。
 反射的に仰け反ると、強く抱き寄せられた。

「……」
「……」


 私の顔を覗き込むように、フェンネル様がじっとこちらを見ている。
 ――目が離せない。

 鼓動が早鐘を打ち始める。
 ドクンと私の心臓が啼いた。

 普段優しげなフェンネル様。
 普段からは考えられないほど強く抱きしめられて、私は息を詰めた。

「フェンネル様……」

 必死で、私は声を絞り出した。
 唐突な事で驚いたけれど、私は気がついた。
 フェンネル様の腕の感触や温もりが、決して嫌ではない。

「……」

 フェンネル様は何も言わない。
 私も再び口を閉ざした。
 真剣すぎる眼差しに、何も言えなくなってしまったから。

 嘗て、出会った夜会にて。
 最初に手を握られた時の私は、フェンネル様の温度が慣れないと確かに思った。
 いつか慣れる日が来るのかと悩んでいたほどだ。

 だけど今、こうして抱きしめられていると、胸が幸福感で満ちる。

 いつの間にか、じわりじわりと、フェンネル様の存在は私の心の中に入り込んでいたらしい。フェンネル様の体温が、愛おしい。

「マリーローズ」

 フェンネル様が、片手で私の後頭部の髪を撫でた。
 おずおずと、私は勇気を出して、フェンネル様の背中に自分の腕を回してみる。
 するとフェンネル様が少しだけ驚いたように息を呑んでから、微笑した。

 より強く、フェンネル様の腕に力がこもる。
 私も、腕に力を込めてみる。

 そのまま再び沈黙し、私達は見つめ合った。
 そうして長い間、抱き合っていた。

 無言の時間は、決して気まずくはない。
 そこにフェンネル様がいるだけで、その体温を感じるだけで、幸せだと嫌でも実感させられる。私は自身の胸の高鳴りの理由に、しっかりと気づきつつある。

 私にとって、フェンネル様は特別だ。
 とっくに、特別になっていたみたいだ。

 その時、フェンネル様の顔が近づいてきた。

 あ。
 キスされる。

 そう思って、私はゆっくりと瞼を閉じようとした。

「フェンネル様? マリーローズ様? 大丈夫ですか?」
「!」

 唐突に室内から響いてきたクレソンの声に、私は目を見開いた。
 それはフェンネル様も同様で、私達は慌てて距離をとった。

 ドキドキと煩い胸中をなんとか収めていると、そこにクレソンが顔を出した。

「そろそろお戻りになった方が良いのでは?」
「間が悪いな」
「え?」
「……そ、そうね。もう夜も遅いし」
「そうだね」

 フェンネル様はどこか苦笑が滲んだ声音で言うと、私の肩に触れた。

「戻ろうか」
「は、はい!」

 その後、踵を返したクレソンに続いて、私とフェンネル様も室内へと戻った。
 フェンネル様とはテラスがある部屋を出たところで別れた。

 そうして私は、クレソンに先導されて、後宮の自室へと戻る。
 終始ドキドキしっぱなしで、私は胸に手を当て、何度も深呼吸をした。

 クレソンが下がった後、就寝の準備をする間も、ずっと胸が高鳴っていた。

「もしクレソンが声をかけなかったら……」

 寝台に座りながら、ポツリと私は呟く。
  熱くなった両頬に、私はそれぞれの手を添えた。

「きっと私とフェンネル様は……」

 唇を重ねていたと思う。
 それを思えば、より一層、胸がドクンと喚く。

「……」

 どんなに考えてみても、嫌じゃない。
 そのまま寝台に横になり、私は毛布を抱きしめた。

 フェンネル様の真剣な顔を思い出すと、胸が更に高鳴る。

「今なら、風の精霊に告白されたお姫様の気持ちが分かる気がする」

 私はギュッと目を閉じ、真っ赤になったままで悶えた。
 嬉しい。
 とても嬉しい。

 この夜、私は幸せに浸ったままで、目を伏せたのだった。



 ◆◇◆



 ドキドキしっぱなしで、眠れぬ夜を過ごした私は、翌朝あくびを噛み殺した。
 今日も朝食は、約束通りフェンネル様と一緒だ。

「おはよう、マリーローズ」

 フェンネル様は、昨日のテラスの件なんか無かったみたいに、いつもと同じ顔をしている。私ばかりが意識しているみたいで、気恥ずかしい。

 私にはそれだけ衝撃が大きかったんだけれど。

「昨日の公務の疲れは取れた?」
「はい。大丈夫です」
「そう? それならば良いけど、無理だけはしないで欲しいな」

 優しい言葉に、私は口元を綻ばせる。
 それからクリームチーズを、パンに塗った。
 今日の朝食のメインは、ハムだった。

 歓談しながら食事を終えると、フェンネル様が扉へ向かう。

「それじゃあ、行ってくるよ」
「ご公務、頑張って下さいね」
「マリーローズに応援してもらえるだけで、元気が出るよ」

 頷くと、フェンネル様は部屋を出ていった。
 見送ってから、ソファに戻った私に、クレソンが紅茶を淹れてくれた。

「なんだか嬉しそうですね」
「そ、そう?」
「はい。良い事でもありましたか?」
「え?」
「昨日のご公務で」
「あ、その……素敵な精霊神話を改めて聞いたの」

 私は言葉を濁した。クレソンも、特に追求してくるでもなく頷いている。
 その後私は、侍女に手伝ってもらい、本格的に身支度を整えた。

 こうしてまた、新しい一日が始まった。





しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

[完結]7回も人生やってたら無双になるって

紅月
恋愛
「またですか」 アリッサは望まないのに7回目の人生の巻き戻りにため息を吐いた。 驚く事に今までの人生で身に付けた技術、知識はそのままだから有能だけど、いつ巻き戻るか分からないから結婚とかはすっかり諦めていた。 だけど今回は違う。 強力な仲間が居る。 アリッサは今度こそ自分の人生をまっとうしようと前を向く事にした。

竜王陛下と最愛の番

しましまにゃんこ
恋愛
三年前、第一王子から突然婚約破棄を突き付けられたフェリシエは、国で一番身分の高い公爵令嬢でありながら、冷遇され、寂しい生活を送っていた。 フェリシエの心を慰めてくれるのは、友達の小さな蜥蜴だけ。 そんなフェリシエにある日新しい政略結婚の話が舞い込む。 相手はなんと、新しく即位した竜王陛下で…… 愛に飢えた不遇な公爵令嬢と、可愛くてちょっぴり危険な竜王陛下の王道溺愛ストーリーです! 小説家になろう、他サイトでも掲載しています。

【完結】溺愛される意味が分かりません!?

もわゆぬ
恋愛
正義感強め、口調も強め、見た目はクールな侯爵令嬢 ルルーシュア=メライーブス 王太子の婚約者でありながら、何故か何年も王太子には会えていない。 学園に通い、それが終われば王妃教育という淡々とした毎日。 趣味はといえば可愛らしい淑女を観察する事位だ。 有るきっかけと共に王太子が再び私の前に現れ、彼は私を「愛しいルルーシュア」と言う。 正直、意味が分からない。 さっぱり系令嬢と腹黒王太子は無事に結ばれる事が出来るのか? ☆カダール王国シリーズ 短編☆

家族から虐げられた令嬢は冷血伯爵に嫁がされる〜売り飛ばされた先で温かい家庭を築きます〜

香木あかり
恋愛
「ナタリア! 廊下にホコリがたまっているわ! きちんと掃除なさい」 「お姉様、お茶が冷めてしまったわ。淹れなおして。早くね」 グラミリアン伯爵家では長女のナタリアが使用人のように働かされていた。 彼女はある日、冷血伯爵に嫁ぐように言われる。 「あなたが伯爵家に嫁げば、我が家の利益になるの。あなたは知らないだろうけれど、伯爵に娘を差し出した家には、国王から褒美が出るともっぱらの噂なのよ」   売られるように嫁がされたナタリアだったが、冷血伯爵は噂とは違い優しい人だった。 「僕が世間でなんと呼ばれているか知っているだろう? 僕と結婚することで、君も色々言われるかもしれない。……申し訳ない」 自分に自信がないナタリアと優しい冷血伯爵は、少しずつ距離が近づいていく。 ※ゆるめの設定 ※他サイトにも掲載中

喋ることができなくなった行き遅れ令嬢ですが、幸せです。

加藤ラスク
恋愛
セシル = マクラグレンは昔とある事件のせいで喋ることができなくなっていた。今は王室内事務局で働いており、真面目で誠実だと評判だ。しかし後輩のラーラからは、行き遅れ令嬢などと嫌味を言われる日々。 そんなセシルの密かな喜びは、今大人気のイケメン騎士団長クレイグ = エヴェレストに会えること。クレイグはなぜか毎日事務局に顔を出し、要件がある時は必ずセシルを指名していた。そんなある日、重要な書類が紛失する事件が起きて……

告白さえできずに失恋したので、酒場でやけ酒しています。目が覚めたら、なぜか夜会の前夜に戻っていました。

石河 翠
恋愛
ほんのり想いを寄せていたイケメン文官に、告白する間もなく失恋した主人公。その夜、彼女は親友の魔導士にくだを巻きながら、酒場でやけ酒をしていた。見事に酔いつぶれる彼女。 いつもならば二日酔いとともに目が覚めるはずが、不思議なほど爽やかな気持ちで起き上がる。なんと彼女は、失恋する前の日の晩に戻ってきていたのだ。 前回の失敗をすべて回避すれば、好きなひとと付き合うこともできるはず。そう考えて動き始める彼女だったが……。 ちょっとがさつだけれどまっすぐで優しいヒロインと、そんな彼女のことを一途に思っていた魔導士の恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

無表情で不気味と婚約破棄された令嬢は、王子に溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
フローナ・レフェイグには、表情というものがなかった。感情がないという訳ではないが、それを表現する方法を失ってしまっているのだ。 そのこともあって、フローナは婚約者からも拒絶された。無表情で不気味と言われて、婚約破棄されてしまったのだ。 意気消沈していたフローナだったが、そんな彼女に婚約を申し込んでくる者がいた。それは、第四王子のエルクル・コルディムである。 なんでも、エルクルは前々からフローナに好意を抱いていたようなのだ。 さらに、驚くべきことに、エルクルはフローナの無表情から感情を読み取ってきた。どうやら、彼はフローナ自身ですら気づかないような些細な変化を読み取っているらしい。 こうして、フローナは自身の表情を理解できる王子と婚約することになったのである。 ※この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「アルファポリス」にも掲載しています。

恋愛戦線からあぶれた公爵令嬢ですので、私は官僚になります~就業内容は無茶振り皇子の我儘に付き合うことでしょうか?~

めもぐあい
恋愛
 公爵令嬢として皆に慕われ、平穏な学生生活を送っていたモニカ。ところが最終学年になってすぐ、親友と思っていた伯爵令嬢に裏切られ、いつの間にか悪役公爵令嬢にされ苛めに遭うようになる。  そのせいで、貴族社会で慣例となっている『女性が学園を卒業するのに合わせて男性が婚約の申し入れをする』からもあぶれてしまった。  家にも迷惑を掛けずに一人で生きていくためトップであり続けた成績を活かし官僚となって働き始めたが、仕事内容は第二皇子の無茶振りに付き合う事。社会人になりたてのモニカは日々奮闘するが――

処理中です...