黒薔薇の刻印

猫宮乾

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【一】黒薔薇の刻印Ⅰ

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 手を引いて、ひたすら走っていた。
 それは仕事だったからじゃない。ただ、守りたかったからだ。呼吸が苦しくなり、胸が熱くなっても、俺は小さな手を引いて、ずっと走っていた。

 闇夜、太い木の根を踏んだ時、ミネスが転んだ。つられて俺も足を縺れさせる。ミネスはまだ、五歳だ。俺は、十三歳。八歳も年上だというのに、このままでは守ってやれない。母様と約束したはずなのに。絶対にこの幼い弟を守り抜くと。

「立て」
「足が……痛いよ……ネルス兄上……もう走れない」
「いいから立て」

 無理にミネスの手を引き、俺は歩みを再開した。後方からは、追っ手の気配がする。何人もの敵兵達が、俺達を探している。

 俺達が生まれたこの樹の国の王宮が襲撃されたのは、三時間ほど前の事だ。俺は、父王陛下の首が落とされた所も、母様が拘束された所も、どちらも見た。何も出来なかった。ただミネスの手をギュッと握っていただけだ。

 王宮からの秘密通路を抜けて、地下からこの闇夜の森に逃れたのは、それからすぐだ。通路自体もすぐに発見されて、嫌な靴音が俺達を追いかけてきた。鎧が軋む音、剣の音、どちらもいまだ耳の奥で残響していて、現実のものと交わっている。

「いたぞ!!」

 その時、声がかかった。ビクリとして振り返ると、そこには何人もの甲冑姿の敵兵がいた。ダメだ、早く走り抜けなければ――殺される。俺は無理にミネスの手を引いた。すると足を痛めているらしいミネスが、再びバランスを崩した。思わず幼い手を離す。敵兵が走ってくる。ああ、ダメだ。このままでは、死んでしまう。ミネスも、俺も。

「ッ」

 思わず顔を歪めた。俺、一人ならば。走る事が出来る。
 ミネスを見ると、ボロボロと泣きながら、俺を見上げていた。

 ――俺は、弱い。

 ギリと奥歯を噛んで、恐怖に飲まれた俺は、そのまま踵を返した。

「兄上!」
「……」
「兄上、待って」

 そのまま俺は、一人で走り始めた。兎に角、死ぬのが怖かったのだと思う。俺は、ミネスを見捨てる決意をしたのだ。母様との約束は、守らなかった。そこからは、真っ直ぐに走った。森の中を兎に角走る。走りながら、ミネスの首が落とされる姿を脳裏に思い浮かべ、何度も振り返ろうとした。だが、怖くてそれも出来ない。いつまでも、いつまでも、ミネスが俺を呼ぶ声が、耳の奥にこびりついている。

 森を抜け、俺は国境付近にたどり着いた。あとは、砦の先へ行けば、同盟国である隣国への道がある。助かる――そう思った時だった。

「止まれ」

 ピタリ、と。俺の背後から、首筋に冷たい刀身の感触がした。硬直した俺は目を見開き、ただ冷や汗だけが垂れていくのを実感していた。


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