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―― 第二章:爆弾事件 ――
【二十】過去の亡霊
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冬が訪れ、師走特有の空気に世間は浮き足立って久しい。
既に年始も終わり、七草がゆの時期も過ぎた。
「いやぁ、本当死ぬかと思っちゃったよ」
片腕になった静間が復帰したのは、一昨日の事だ。端的に言えば自分のせいでそうなったのだと、梓藤は考えている。だが、生きている。それを実感した時、少し肩から力が抜けた。自分もまた、静間がいなければこの命は無かったわけだが、その点において梓藤は、腕を切り落とすという冷静な判断をした静間の評価を上方修正し、よしとした。
その日から、だろうか。
病院で首の後ろにガーゼを貼られて、帰宅を許された、爆発事件の翌日。
睡眠薬はとうに手元に無いというのに、ぐっすりと眠る事が出来た。悪夢を見なかった。以降、一度も悪夢を見ることはなく、かつてと同じように、夢を覚えてすらいない、すっきりとした朝を迎えている。その話を、一度それこそ、薬の宅配に訪れた榎本に伝えたところ、白衣のポケットに両手を突っ込んだ彼は、退屈そうな目をした。
「そう。じゃあもう薬は不要だね。治ったという報告は歓迎だよ。ただ、また何か困ったら来るといい。ガーゼの取りかえは自分で出来そうだけれど」
梓藤は頷きつつ、呆れた。声まで退屈そうであったからだ。
そうして梓藤は悪夢から逃れ、トラウマも克服した。己の死と向き合った事で、既に死者である斑目の事が割り切れたのではないかと、梓藤は考えている。死者を慮って生活しても、なにも生まれないと、もうよく理解している。今、自分がするべき事は、生きている者を見据え、同時に自分自身がきちんと生きていく事なのだと考えた。
「無駄口を叩いている暇があったら仕事をしろ」
「厳しいなぁ」
静間が苦笑した。今後、静間はこの本部に待機し、主に情報管理を専門に担当する事となった。元々その分野が得意でもあったし、片腕がなくとも、音声入力や瞳による視線操作、なにより右手で、静間は器用に仕事をこなしている。
「だけどさ、俺と冬親ちゃんを襲った二体、さも仲間がいる口調だったから、あの二体が仮に爆発事故で燃え尽きたとしても、まだ残党がいる可能性が高いよねぇ」
「ああ、そうだな。そちらに関しては、二つの方向から調べている」
「え? 誰が?」
「西園寺に任せてある」
「かなりこき使ってるね、色ちゃんの事。で? 二つの方向って?」
静間が首を傾げると、自分の席で梓藤が腕を組んだ。
「一つは、西園寺が解体した爆弾を運び出していて、そこに手がかりがないかの調査だ」
「なるほど、それはとっても参考になりそう」
「ああ。もう一つは、処理班の人間をご馳走として差し出した上層部の人間の尋問――というと言葉が悪いな。まぁ、だが、そういったものだ。彼らの家族には目撃者までいるわけだしな」
梓藤の瞳に鋭い色が宿り、唇の両端では弧を描いている。
「あれ? 上層部には珍しく従うんじゃなかったの?」
「眠くてどうかしていたらしい」
「へ、へぇ……」
そんなやりとりをしながら椅子から立ち上がり、梓藤は静間の隣に立った。
「どーしたの?」
不思議そうな顔をした静間を見て、瞳を揺らしてから、ゆっくりと瞬きをした後、ぽつりと梓藤が言う。
「ありがとう」
「え? 何に対するお礼?」
「俺を連れ出してくれたことだ」
「あー」
「まだ伝えていなかったからな」
「遅いよ。もう気にしてなかったのに」
静間がそう言って笑ったので、続いて梓藤が呆れたような顔をした。
「ただ、腕を切り落とした判断は、俺でもそうしただろうが、お前は決定的にミスをした」
「へ?」
「次に同じ事が発生したら、俺の事はおいて行くべきだ。生存率が高い方を選べという話ではなく、情報を持ち帰る事を優先しろという話だ」
それを聞くと目を丸くしてから、静間が顔を背ける。
「お礼の意味……なくない?」
「言いたいことは以上だ」
きっぱりとそう告げ、無表情で梓藤が席へと戻っていく。暫しの間そちらを見てから、小さく頷き、静間はパソコンのモニターへと視線を戻した。その口元には微笑が浮かんでいる。梓藤の感謝は、きちんと伝わっている様子だ。
それから、ふと気づいて、静間は改めて梓藤を見た。
「あれ? 今日はネクタイピンが違うね」
「そうだな」
「前のってさ、廣瀬くんとおそろいだったよね?」
「それが?」
「いや、それがって事はないでしょう?」
「もう不要になったから、捨てた」
「えっ!?」
「だから無駄口を叩くなと言っているだろう」
そう言いきると、梓藤は口を閉じ、仕事を開始した。こうなれば、なにも聞かせてくれないという事を、静間は知っている。本当に、いつも通りの梓藤が戻ってきた――というのも変だが、いち時の不安定な様相が一切見えなくなった。あの時の方がまだ、人間らしくて心配もしたが、今は心配は不要だとしか感じない。
――悪夢、過去の亡霊からは、もう逃れると誓っている。
そんな梓藤の心までは、静間にも分からなかった。
それは今、静間が左腕の幻肢痛に悩んでいることを梓藤もまた知らないのと、同じ事なのかもしれない。
結局他者は他者の全てを分かるのは無理だという結果の片鱗が、そこには見えたといえるだろう。
既に年始も終わり、七草がゆの時期も過ぎた。
「いやぁ、本当死ぬかと思っちゃったよ」
片腕になった静間が復帰したのは、一昨日の事だ。端的に言えば自分のせいでそうなったのだと、梓藤は考えている。だが、生きている。それを実感した時、少し肩から力が抜けた。自分もまた、静間がいなければこの命は無かったわけだが、その点において梓藤は、腕を切り落とすという冷静な判断をした静間の評価を上方修正し、よしとした。
その日から、だろうか。
病院で首の後ろにガーゼを貼られて、帰宅を許された、爆発事件の翌日。
睡眠薬はとうに手元に無いというのに、ぐっすりと眠る事が出来た。悪夢を見なかった。以降、一度も悪夢を見ることはなく、かつてと同じように、夢を覚えてすらいない、すっきりとした朝を迎えている。その話を、一度それこそ、薬の宅配に訪れた榎本に伝えたところ、白衣のポケットに両手を突っ込んだ彼は、退屈そうな目をした。
「そう。じゃあもう薬は不要だね。治ったという報告は歓迎だよ。ただ、また何か困ったら来るといい。ガーゼの取りかえは自分で出来そうだけれど」
梓藤は頷きつつ、呆れた。声まで退屈そうであったからだ。
そうして梓藤は悪夢から逃れ、トラウマも克服した。己の死と向き合った事で、既に死者である斑目の事が割り切れたのではないかと、梓藤は考えている。死者を慮って生活しても、なにも生まれないと、もうよく理解している。今、自分がするべき事は、生きている者を見据え、同時に自分自身がきちんと生きていく事なのだと考えた。
「無駄口を叩いている暇があったら仕事をしろ」
「厳しいなぁ」
静間が苦笑した。今後、静間はこの本部に待機し、主に情報管理を専門に担当する事となった。元々その分野が得意でもあったし、片腕がなくとも、音声入力や瞳による視線操作、なにより右手で、静間は器用に仕事をこなしている。
「だけどさ、俺と冬親ちゃんを襲った二体、さも仲間がいる口調だったから、あの二体が仮に爆発事故で燃え尽きたとしても、まだ残党がいる可能性が高いよねぇ」
「ああ、そうだな。そちらに関しては、二つの方向から調べている」
「え? 誰が?」
「西園寺に任せてある」
「かなりこき使ってるね、色ちゃんの事。で? 二つの方向って?」
静間が首を傾げると、自分の席で梓藤が腕を組んだ。
「一つは、西園寺が解体した爆弾を運び出していて、そこに手がかりがないかの調査だ」
「なるほど、それはとっても参考になりそう」
「ああ。もう一つは、処理班の人間をご馳走として差し出した上層部の人間の尋問――というと言葉が悪いな。まぁ、だが、そういったものだ。彼らの家族には目撃者までいるわけだしな」
梓藤の瞳に鋭い色が宿り、唇の両端では弧を描いている。
「あれ? 上層部には珍しく従うんじゃなかったの?」
「眠くてどうかしていたらしい」
「へ、へぇ……」
そんなやりとりをしながら椅子から立ち上がり、梓藤は静間の隣に立った。
「どーしたの?」
不思議そうな顔をした静間を見て、瞳を揺らしてから、ゆっくりと瞬きをした後、ぽつりと梓藤が言う。
「ありがとう」
「え? 何に対するお礼?」
「俺を連れ出してくれたことだ」
「あー」
「まだ伝えていなかったからな」
「遅いよ。もう気にしてなかったのに」
静間がそう言って笑ったので、続いて梓藤が呆れたような顔をした。
「ただ、腕を切り落とした判断は、俺でもそうしただろうが、お前は決定的にミスをした」
「へ?」
「次に同じ事が発生したら、俺の事はおいて行くべきだ。生存率が高い方を選べという話ではなく、情報を持ち帰る事を優先しろという話だ」
それを聞くと目を丸くしてから、静間が顔を背ける。
「お礼の意味……なくない?」
「言いたいことは以上だ」
きっぱりとそう告げ、無表情で梓藤が席へと戻っていく。暫しの間そちらを見てから、小さく頷き、静間はパソコンのモニターへと視線を戻した。その口元には微笑が浮かんでいる。梓藤の感謝は、きちんと伝わっている様子だ。
それから、ふと気づいて、静間は改めて梓藤を見た。
「あれ? 今日はネクタイピンが違うね」
「そうだな」
「前のってさ、廣瀬くんとおそろいだったよね?」
「それが?」
「いや、それがって事はないでしょう?」
「もう不要になったから、捨てた」
「えっ!?」
「だから無駄口を叩くなと言っているだろう」
そう言いきると、梓藤は口を閉じ、仕事を開始した。こうなれば、なにも聞かせてくれないという事を、静間は知っている。本当に、いつも通りの梓藤が戻ってきた――というのも変だが、いち時の不安定な様相が一切見えなくなった。あの時の方がまだ、人間らしくて心配もしたが、今は心配は不要だとしか感じない。
――悪夢、過去の亡霊からは、もう逃れると誓っている。
そんな梓藤の心までは、静間にも分からなかった。
それは今、静間が左腕の幻肢痛に悩んでいることを梓藤もまた知らないのと、同じ事なのかもしれない。
結局他者は他者の全てを分かるのは無理だという結果の片鱗が、そこには見えたといえるだろう。
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