上 下
17 / 39
―― 第二章:爆弾事件 ――

【十七】嫌な予定の増加

しおりを挟む
 翌日、梓藤は素直に、静間に言われた通り医務室へと向かった。
 そこには専任の医師が常駐している。この形態は比較的珍しく、テスト的なものだという。パンフレットによると、マスク対策をしている場合、物理的にも心的にも、被害を受ける可能性が高いため、このように医務室が設置されたらしい。梓藤は待合室でそのパンフレットを読みながら、事件の現場にいない医師に、一体どんな物理的対応が出来るのだろうかと考えた。マスクと戦う事になれば、この建物に戻る前に死ぬか、無傷で生き残る事が、圧倒的に多い。

「梓藤さん、どうぞ」

 その時、看護師に声をかけられたので、梓藤は立ち上がり、診察室へと入った。
 看護師は中に着いてこなかったので、そこで梓藤は、正面に座るレトロな白衣姿の青年と二人きりになった。

「どうぞ」

 椅子に促されたので、会釈をして腰を下ろす。顔を上げた青年は、細いフレームの眼鏡をかけていた。名札には、榎本千景と書かれている。

「今日は、どうされましたか?」

 榎本の手元に、先程書いたばかりの問診票がある事を見て取り、梓藤は辟易した。

「そこに書いただろう、眠れないと」
「問診票は、あくまでも問診票だからね」
「……それだけだ」
「いつからですか?」

 榎本の言葉に、溜息を零してから、梓藤は腕を組んだ。

「……一ヵ月と少し前だ」
「なるほど。原因に心当たりは?」

 斑目の件以外には、思い当たらない。だがそれを口に出すことが躊躇われた。根掘り葉掘り事件について聞かれたりしたら、耐えられる自信が無い。

「無い」
「本当に?」
「ああ。だから睡眠薬でも出してくれ」
「三分診療を希望するって事かな?」
「そうだ」
「残念ながら、特に精神面に問題がある患者の初診には、僕は時間を割くたちでね」

 無表情で淡々と述べた榎本は、電子カルテの表示されているパソコンから、漸く梓藤に向き直る。そして真っ直ぐに梓藤を見た。

「一ヵ月と少し前というと、斑目警視正が亡くなった頃だね」
「っ」

 その名を耳にし、あからさまに梓藤は息を呑んだ。嫌な冷や汗が、こみ上げてくる。なお斑目が警視正なのは、殉職して二つ階級が進んだからではなく、マスクに関わる特殊捜査局の人間は、皆元々階級が上がりやすいからにほかならない。坂崎は例外だ。

「顔色が変わったね」
「何故、廣瀬の名前を知っているんだ?」
「この狭い警備部の建物のなかで、逆にどうして知らないと思ったのかお聞かせ願いたいけどね、僕としては」
「……そうだな。葬儀も派手に行われたんだから、噂にもなっていたんだろうな」
「そうだね。噂といったものには興味が無い僕の耳にすら入ったよ」

 嘘を述べずに、榎本がはっきりと答えた。それが少しだけ信用できそうな人間だと判断する材料となった。普段であれば、また違った見方をしたかもしれないが、この時の梓藤には、そう感じられた。

「他にいくつか確認しても構わないかな?」
「ああ、好きにしてくれ」
「悪夢を見ることは? あるいは、白昼夢を」

 まさに悩んでいる事を言葉にされて、梓藤は息を詰める。

「どっち?」
「悪夢だ」
「そう。どんな夢? 斑目警視正に関連がある夢?」
「そうだ」

 素直に梓藤が頷くと、その後も榎本は質問を続けた。梓藤は頷くこともあれば、首を振ることもあった。ただそのいずれの際にも、このような質問で、一体何が分かるのだろうかと、苛立ちを隠せなかった。

「まだ質問があるのか?」
「もう、終わりだよ。結論からいって梓藤警視正は、現在心的外傷後ストレス障害、俗にいうPTSDの状態にある。急性といえる時期は超過しているからね」
「薬で治るのか?」
「治療法は、薬物両方と認知行動療法となるね。特に暴露療法だ」
「いつ治るんだ?」
「まぁ半年程度で症状が消失する例は多いけど、いつとは言えない。君の治療に臨む態度も関係があるし、周囲の人間の理解も回復への大切な要因となる」

 淡々と無表情のままで続けた榎本に対し、片目だけを半眼にして、腕を組んだままで梓藤が問う。

「不眠は?」
「悪夢との関わりもあるけど、それが一番困っているのかな?」
「そうだ。仕事に支障が出かねない」
「なるほど、それは問題だね。今日は抗うつ剤と眠剤を処方するけど、特に前者はきちんと飲まないと効果が出ない。朝夕で出すからきちんと飲んでね。眠剤は、寝る前。ただし、眠れないからといって、二錠・三錠と飲むのは絶対に禁止だ。それこそ眠気が残って、翌日の勤務に支障が出るよ」

 電子カルテに何事か打ち込みながら、榎本が言う。梓藤はしぶしぶといった調子で頷いた。

「多忙で暫くは来られないだろうから、薬は、多めに出してくれ」
「断るよ。大量服薬されて死なれでもしたら困るからね」
「なっ、誰が――」
「君、が。他に誰がいるの? 大体、忙しいとは言うけど、ここのワンフロア下が君のオフィスなんだから、昼休みにでも顔を出してくれたらいい」
「マスクの対策中に昼休みなんてない」
「じゃあ僕が届けるよ、その場合。電話くらい出来るでしょ? ほら、これが僕の名刺」

 投げるように渡されたので、思わず梓藤が受け取る。それから目を据わらせた。

「配達係もやっているのか? 医者とは随分と暇な職業なんだな」
「そうだねぇ、なにせマスクによる負傷者なんて、原則亡くなるし、マスクによる心的外傷が酷い場合は、とっくに退職してこの医務室には来る機会もない。主な診察対象は、風邪と建物内での不慮の怪我かな。まぁ医師の僕は、暇な方がいいでしょう? 怪我人や病人ばかりではないのだから」

 嫌味のつもりだったが、それも躱され、梓藤は顔を背けて嘆息した。

「いいね? 電話か、薬だけでも取りに来るか。僕としては、来週も診察をするべきだと考えている。検討して下さい」

 こうして梓藤の日常に、嫌な予定が一つ増えた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おむつオナニーやりかた

rtokpr
エッセイ・ノンフィクション
おむつオナニーのやりかたです

(いいね🧡 + リツイート🔁)× 1分しか生きられない呪い

明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ホラー
 ――1日生き残る為に必要な数は1,440個。アナタは呪いから逃げ切れるか?  Twitterに潜むその『呪い』に罹った人間は、(いいね🧡 + リツイート🔁)× 1分までしか生きられない。  1日生き延びるのに必要ないいね🧡の数は、実に1,440個。  呪いに罹った※※高校2年4組の生徒たちが次々と悲惨な怪死を遂げていく中、主人公の少年・物部かるたは『呪い』から逃げ切れるのか?  承認欲求 = 生存欲求。いいね🧡の為なら何だってやる。  血迷った少年少女たちが繰り広げる、哀れで滑稽な悲劇をどうぞご覧あれ。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

メインキャラ達の様子がおかしい件について

白鳩 唯斗
BL
 前世で遊んでいた乙女ゲームの世界に転生した。  サポートキャラとして、攻略対象キャラたちと過ごしていたフィンレーだが・・・・・・。  どうも攻略対象キャラ達の様子がおかしい。  ヒロインが登場しても、興味を示されないのだ。  世界を救うためにも、僕としては皆さん仲良くされて欲しいのですが・・・。  どうして僕の周りにメインキャラ達が集まるんですかっ!!  主人公が老若男女問わず好かれる話です。  登場キャラは全員闇を抱えています。  精神的に重めの描写、残酷な描写などがあります。  BL作品ですが、舞台が乙女ゲームなので、女性キャラも登場します。  恋愛というよりも、執着や依存といった重めの感情を主人公が向けられる作品となっております。

【完結】ああ……ようやくお前の気持ちがわかったよ!

月白ヤトヒコ
ホラー
会社の同僚と不倫をしていた彼女は、彼の奥さんが酷い人なのだと聞いていた。 なので、彼女は彼と自分の幸せのため、『彼と別れてほしい』と、彼の奥さんへ直談判することにした。 彼の家に向かった彼女は、どこか窶れた様子の奥さんから……地獄を見聞きすることになった。 這う這うのていで彼の家から逃げ出した彼女は、翌朝―――― 介護士だった彼女は、施設利用者の甥を紹介され、その人と結婚をした。 その途端、彼に「いつ仕事を辞めるの?」と聞かれた。彼女は仕事を辞めたくはなかったが…… 「女は結婚したら家庭に入るものだろう? それとも、俺の稼ぎに不満があるの? 俺は君よりも稼いでいるつもりだけど」と、返され、仕事を辞めさせられて家庭に入ることになった。 それが、地獄の始まりだった。 ⚠地雷注意⚠ ※モラハラ・DV・クズ男が出て来ます。 ※妊娠・流産など、センシティブな内容が含まれます。 ※少しでも駄目だと思ったら、自衛してください。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

フリーの祓い屋ですが、誠に不本意ながら極道の跡取りを弟子に取ることになりました

あーもんど
キャラ文芸
腕はいいが、万年金欠の祓い屋────小鳥遊 壱成。 明るくていいやつだが、時折極道の片鱗を見せる若頭────氷室 悟史。 明らかにミスマッチな二人が、ひょんなことから師弟関係に発展!? 悪霊、神様、妖など様々な者達が織り成す怪奇現象を見事解決していく! *ゆるゆる設定です。温かい目で見守っていただけると、助かります*

銀塊メウのちょっと不思議で怖い話 短編集

銀塊 メウ
ホラー
ホラー好きの作者が思いつきで考えた 不思議だったり怖かったりする。 暇つぶし用のお話です(⁠☉⁠。⁠☉⁠)⁠!

処理中です...