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―― 本編 ――
【002】ログアウト不可
しおりを挟む「ふぅ……」
【ファナティック・ムーン】へとログインした砂月は、腕時計を見た。これは課金してガチャをすると入手可能なお洒落用のアバターの一種だが、実際に時刻も正確に表示する。
降り立った場所は、最もトレードが盛んな商業都市クリーマだ。紫色の和服アバター姿でふらりふらりと歩きながら、視覚操作ではトレード希望の一覧を表示させ、砂月は思案していた。生産品のアイテムであれば、仮にログアウト不可になったとしても、時間をかければ自作できる自信があったが、ボスがドロップするような膨大な時間をかけなければ入手が困難な品や、課金アイテムで強化するような武器や防具は、仮にログアウト不可になるのならば、今の内にいくつかストックを手に入れておいて損はない。後に売る事も出来るだろう。
「まぁログアウト不可になった時に、装備状況がどうなるのかは不明だけど」
ぽつりと呟いてから、砂月はトレードの一覧の中から、現在の各職の最強装備の売買価格の内、相場より少し安めの品を販売しているプレイヤーに、手紙機能でトレード希望を送った。歩きながらそれを繰り返し、一時間もする頃には、自分が使う職以外の装備も複数手に入れる事が出来た。勿論、ゲーム内通貨もあった方がいいだろうと判断し、あくまでも予算の範囲内での買い物ではあったが、砂月は元々、俗に富豪と呼ばれる程度には、ゲーム内では少なくとも資産家だ。
「食べ物とか衣類もあった方がいいよね」
砂月は一度、自分の『家』へと戻る事にした。ハウス機能といって、ユーザー単位で個別生成される空間が、このゲームには存在する。移動操作を行うと、砂月の姿が揺らぐように消えた。次の瞬間、それまでの夕暮れの都市の風景とは異なる、夜空の下の島の上に、砂月はいた。そこに青い屋根に風見鶏がついた家が一軒建っている。これらも課金アイテムだ。ドアを開けて中に入ると、キッチンとリビングがあり、奥には寝室があって巨大なベッドがある。VRの中で睡眠をすることは本来はないが、オブジェとして寝台を購入したのはもう随分と前の事だった。包丁や石鹸といったものは生産品、レンジはやはり課金品だ。
砂月は寝室に入り、クローゼットを開ける。そこには、課金品のアバターや生産品やイベント限定品のアバターが入っている。
続いて砂月は、視覚操作をして、倉庫にアクセスした。倉庫機能は、各家またはギルドホームから接続可能だ。現在砂月は、自分のみが在籍するソロギルドに入っている。その方が、なにかと動きやすいからにほかならない。倉庫の中には、先程購入して鞄に収納していた高額な装備類を複数しまう。同時に、食べ物になりえる回復アイテムなどの在庫数を確認した。
「まぁこれだけあれば……不老不死とするなら餓死はそもそもないのかもしれないけど、仮にするような状況になっても、俺だけは暫く生きながらえられそう」
一人でくすりと笑った砂月は、まだ半信半疑であるから、娯楽で見るデスゲームもののお話に自分が入り込んだ場合のような空想をしている状態で、自分だったらこうする、というのを、楽しく突き詰めていった形だった。
その後は課金ショップに接続し、武器を強化するアイテムのガチャを戯れに引いた。課金した額が額なので、欲しいアイテムはほぼ全て揃ったといえる。
「これだけ備えて、ゼロからスタートだったら悲しいものがあるけどなぁ。でも、そもそも肉体が消えるなんてあるわけが……――あ、そろそろ十八時だ。イベントは、叡皇都市センディアで行われて、各地に実況されるって話だったけど……ログアウト不可になったら現地は大混乱するかな? でも……見てみたい」
砂月の独り言に本音が混じる。
そんな己に苦笑してから、砂月は鞄機能に必要最低限の食べ物や装備を入れて、イベントを見物しに向かうことに決めた。
移動は【転送鏡】という鏡をくぐると、各都市へ移動できる。ハウス機能の家にだけは、アクティブモンスターがいないフィールドからならば、何処からでもアクセス可能だ。ギルドホームは任意の都市に設置する形となっている。
一度、先程までいた商業都市クリーマに戻ってから、【転送鏡】で砂月は叡皇都市センディアへと移動した。
叡皇都市センディアの中央広場は、既にイベントを待ちわびるプレイヤーでごったがえしていた。人混みを縫って歩き、空いているベンチを見つけた砂月は、さらりとそこへ座る。行き交う人々を眺めながら、再びちらりと腕時計を見れば、あと一分ほどで十八時となるところだった。
『これより、【ファナティック・ムーン】の一大イベント、大型アップデートまでのカウントダウンを始めます』
その時、空から響いてくるような声がした。AIの入るNPCである女神ファリアの声だった。女神ファリアは、【ファナティック・ムーン】の八神の中の一人だ。八神はそれぞれ、八つの属性を司っている。火・水・風・土・光・闇・無・空である。ファリアは光の女神だ。
『――30……21……9、8、7、6、5、4、3、2、1』
砂月が空を見上げていると、カウントダウンが終わった瞬間、勢いよく花火が空を彩った。周囲には歓声が上がっている。
『はーい! 皆様は、ログアウトできなくなりました! これからはこちらが現実です!』
女神ファリアの声が続くと、その場に一瞬、奇妙な沈黙が訪れた。
砂月は冷静にログアウトボタンを確認し、それが無いことを理解した。
ここにきて初めて、少しだけひやりとした。
「嘘だろ?」
「ログアウトボタンが無い!?」
「え、明日テストなんですけど」
「デスゲーム?」
「変わったイベントだなぁ」
次第に周囲がざわつきはじめる。だが、まだ困惑の色の方が濃く、多くの皆は動かない。それは砂月も同様だ。
『何も指針が無いと、初めは混乱するかと思いますので、特別クエストを公開します。無事に攻略したあかつきには、現実へ戻る以外の一つだけ願いを叶えます!』
奇妙なほどに明るい女神ファリアの声が続いている。
その後は、不老不死となった事や、同性でも子供が得られる事などの説明があった。トイレなどは不要になったという話で、ただし入浴などは現実と同様しなければしないなりの状態になるという説明だった。不老不死ではあるが、髪や爪は伸びるのだという。
爪切りも生産品にあったなぁと、漠然と砂月は考えていた。この頃になると、この思考は最早、現実逃避だった。
『注意ですが、死にませんがお腹は減りますし、餓死して生き返るという状態になるのが正確ですからね!』
女神ファリアが観衆の疑問の声を時折広い、説明を続けていく。だんだんその場の空気に緊迫感が生まれてきた。
『それでは最後に特典です。現実と同じ性別と顔に変更します! えいっ!』
そう声が続いた時、砂月はすぐに己の髪の色が、ゲーム内の茶色から現実と同じ黒に変わったことに気がついた。ただし顔立ちに関しては、特にアバターを弄っていなかったので、砂月の場合は変化が無かった。だが、ここにきて、その場には阿鼻叫喚が溢れた。それまで肩を抱き合っていた二人が一斉に距離を取ったり、相手の性別を見て狼狽えたりなど、様々な風景が広がっていく。
『それでは素敵な【ファナティック・ムーン】での第二の人生を!』
その言葉を最後に、もう一度花火が上がり、女神ファリアの声は消失した。
すると人々がいよいよ混乱しはじめた。NPCのショップは、6時と12時と18時にアイテムが補充され、視覚操作か実際に店舗を訪れる事で購入可能なのだが、視覚操作で砂月が見た時には、食べ物系の回復アイテムは全て品切れと表示されていた。また各都市の広場などからは生産者の露店にアクセス可能なのだが、こちらも品切れ商品が多く、逆に生産者は露店を閉めている様子だった。行動が早い者は、既に幾人もいるようだ。
「……用意しといてよかった……」
呟いた砂月は、暫くの間ベンチに座っていた。人々はログアウトを試そうとしたり、アクティブモンスターがいる隣のフィールドへと出て行ったり、【転送鏡】で移動していったりと、とにかく混乱している。
「落ち着くまでは、家にいた方がいいかな……」
腕を組んだ砂月は、家にならばすぐに移動が可能だと判断しつつ、もう少しこの場を見守るべきか思案した。それから視覚操作でフレンドリストを開いてみると、数少ないフレンド達はほぼ全員がログイン中の表示だったが、退席中を示すマークが表示されている者が圧倒的多数だった。
「これから、どうなるんだろう」
砂月は呟いたが、特に現実に未練はないため、実はこの状況が楽しみでもあった。ゾクゾクと、武者震いのような、独特の高揚感が体を支配していく。
「まぁ俺がやる事は決まってるけどね」
それは、一つだ。
何故ならば、砂月は情報屋なのだから。
「どんな情報、集めよっかな」
ニッと唇の片端を持ち上げて笑ってから、砂月はもう暫く見ていると改めて決め、その日は朝方まで中央広場のベンチに座っていた。
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