16 / 84
―― 第一章 ――
【十六】ただいまのキス
しおりを挟む「ただいまのキスは? 《してくれ》」
「……はい」
夕暮れ時、クライヴ殿下が帰宅した。エントランスで出迎えた僕は、顔を傾けて、また少し背伸びをする。僕の腰を抱き寄せて、クライヴ殿下は唇を重ねた。
そこからは二人で夕食をとる食堂まで歩く。クライヴ殿下はいつも僕の腰に腕を回し、僕の歩幅に合わせてゆったりと歩いてくれる。
僕はこの優しさに触れる度に、もう一つ申し訳なく思う事がある。
すっかり笑い方を忘れてしまった僕の表情筋は、無表情のまま動かない。嬉しいと、最近では確かに感じるのに、笑う事が出来ない。そんな僕を、いやな顔一つせずに、クライヴ殿下は促した。
本日の夕食は、サーモンのムニエルだ。まだ、僕達はサンドイッチを食べには出かけていない。いつかその約束は果たされるのだろうかと考えながら、僕はナイフとフォークを手にする。最近、少しずつ僕は食べる量が増えてきた。胃が食事を受け付けるように変化したようで、まだまだ平均的な体躯に比べれば貧相なのだろうが、少しだけ体重も増えた。
執事が葡萄酒を注いでくれる。この赤いワインの味にも、僕は慣れ始めた。全て教えてくれたのは、クライヴ殿下だ。
「今日は、祝祭の会場の、湖の前にある広場を見てきたんだ」
微笑しているクライブ殿下は、そう述べると、ワイングラスを傾ける。頷きながら、僕はその話を聞いていた。フォークで口に運んだ魚は美味だ。食事を楽しめるように変わった事も、僕はクライヴ殿下のおかげだと思っている。
「子供達が舞をして祈りを捧げる予定なんだ。恒例の行事だが、圧巻なんだ。その練習風景を視察してきたが、皆明るく笑っていたよ」
「そうですか」
「ルイスは、今日一日はどうだった?」
クライヴ殿下の采配で仕事が出来たから、僕にも語れる日々の内容が生まれている。
「大広間のカーテンの色は、白いレースと、紺色の厚手のものがよいかと考えていました」
「そうか。任せる。ルイスが選んだものでこの城が彩られるのは心地良いな」
「……」
果たしてそうなのだろうか?
僕にはまだ、実感がない。生活には随分と慣れてきたが、自信がつく事はまだないからだ。僕はまだ、クライヴ殿下の優しさにも怯えている。信じきる事が出来ないでいる。
「ルイスと共に、様々なものを成したいから、君の手が加わる事が俺は嬉しいんだ」
「……ありがとうございます。他には、冬の準備物の確認をしていました」
「意外と様々なものが必要で驚いただろう?」
「ええ。正直、驚きました」
「貴族の暮らしからは想像もできないだろう? 俺は直接民の暮らしに触れる事は大切だと思っているから、少しずつルイスにも慣れてもらえたら嬉しい」
穏やかな声音を放ってから、クライヴ殿下はワイングラスを置いた。
僕は小さく頷いて、本当に優しい方なのだなと考える。僕に対しても優しいが、民を思うクライヴ殿下は、あるいは皆に優しいのかもしれない。城の使用人達もクライヴ殿下がいると温かい目をする。時折、本当に僕はここにいていいのだろうかと、思い悩むほどだ。この空間に自分が迎え入れられた事が、まだ夢のようで信じられない。
穏やかな夕食の時間は、そのようにして流れていく。
その後、食べ終えてから、僕は湯浴みをした後、寝室へと向かった。
107
お気に入りに追加
2,399
あなたにおすすめの小説
幸せな復讐
志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。
明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。
だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。
でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。
君に捨てられた僕の恋の行方は……
それぞれの新生活を意識して書きました。
よろしくお願いします。
fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。
ブラッドフォード卿のお気に召すままに~~腹黒宰相は異世界転移のモブを溺愛する~~
ゆうきぼし/優輝星
BL
異世界転移BL。浄化のため召喚された異世界人は二人だった。腹黒宰相と呼ばれるブラッドフォード卿は、モブ扱いのイブキを手元に置く。それは自分の手駒の一つとして利用するためだった。だが、イブキの可愛さと優しさに触れ溺愛していく。しかもイブキには何やら不思議なチカラがあるようで……。
*マークはR回。(後半になります)
・ご都合主義のなーろっぱです。
・攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。
腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手)
・イラストは青城硝子先生です。
麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る
黒木 鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。完結しました!
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
恋人に捨てられた僕を拾ってくれたのは、憧れの騎士様でした
水瀬かずか
BL
仕事をクビになった。住んでいるところも追い出された。そしたら恋人に捨てられた。最後のお給料も全部奪われた。「役立たず」と蹴られて。
好きって言ってくれたのに。かわいいって言ってくれたのに。やっぱり、僕は駄目な子なんだ。
行き場をなくした僕を見つけてくれたのは、優しい騎士様だった。
強面騎士×不憫美青年
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる