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【十】キス
しおりを挟む馬車を降りる時も、ジェフリーは完璧にマリーウェザーをエスコートした。
はたから見ている分にも、マリーウェザーから見ても、ジェフリーは完璧だったし、慣れていて余裕があるようにしか見えない。緊張しているようになんて、微塵も見えない。その上、怒っているようにも見えないので、周囲のご令嬢達はマリーウェザーに羨望の眼差しを向けているほどだ。
会場にも並んで自然と入った。
マリーウェザーは氷姫と名高い無表情であったが、こちらも口を開いていないため――二人が並ぶと本当に一枚絵のようの美しく、見惚れた人々も多い。いつも口論している印象しかないため、実に意外な取り合わせにも思えたが、黙っている分には非常によく似合う二人だなと感じた者も多かった。
馬車の中でのことが嘘のように堂々としているジェフリーの横顔を、チラリとマリーウェザーが見る。
彼女は馬車での会話から、内心ではジェフリーのことを意識せずにはいられなかった。
一方のジェフリーは、何も考えていなかった……わけでもない。
マリーウェザーのことを好きだと自覚した状態で会場を見渡せば、明らかにマリーウェザー狙いだとわかる貴族の男子は意外と多かった。つまり全員、敵である。
その後、夜会の主催者が挨拶に訪れたので、マリーウェザーはそれに答えて、そちらを横目にさらりとジェフリーは会場にまぎれた。
帰りは、王宮が別の馬車を手配していた為、別々だった。
「はぁ……」
エインズワース侯爵家に帰宅したジェフリーは、自室で深々と溜息をついた。
本日の夜会において、マリーウェザーを熱い眼差しで見ていた青年貴族は十五名ほど。
マリーウェザーはあしらっていたが、考えてみれば適齢期の彼女だって、その内結婚してしまうだろう。
……。
ジェフリーは考える。現在己にあるのは家柄のみだ。やはり、ギルバートが話していた通り、釣り合うステータスも得たりしながら、なんとか自分を見てもらうに越した事は無いだろう。
だが……マリーウェザーにプロポーズはおろか、いまだ告白すらしていないという現実が如実に語る大問題。
働きだすまでは、夜会にもほとんど出ず、あがり症を理由に高位貴族の子息の多くが受ける夜の講義すら全力で回避した上、猥談をするような男友達が一人も居ないジェフリーは、恋愛経験ゼロの童貞だったのである。童貞である事は別段恥ずべき事では無いだろうが、ジェフリーは溜息をつかずにはいられなかった。今更講義を受けたいとも、花街で捨ててきたいとも思わない。マリーウェザー以外を相手には、そういう気にはならない。
逆に、だ。
最近マリーウェザーを見ていると、グラグラする。本日も馬車で隣にいたら、ムラっとした。
しかしながら特に童貞は尊ばれないが、この国において処女は尊ばれている。特に高位貴族や王族のご令嬢は、結婚するまで処女が多い。秘密裏に事に及んでいるケースはあるのだろうが、ジェフリーは基本的に真面目だ。マリーウェザーに対して、迂闊に手を出したら極刑だというのも理解している――が、それ以上に、どうしたらマリーウェザーに自分を好きになってもらえるのか分からないでいた。
彼には恋愛スキルはゼロだった。
――その為、脈を感じる能力に乏しかった。
この日、ジェフリーはマリーウェザーの夢を見て、夢精した。
翌日。
宣言通り、ジェフリーはマリーウェザーの庭園へと向かった。仕事がいつもより早く片付いたというのもある。そしてベンチに一人座り、咲き誇る薔薇を見ていた。
「眠いな」
昨夜はマリーウェザーと行為に及ぶ夢を見て飛び起きた事もあり、いつもより早く起きた。腕を組み瞼を閉じれば、すぐに眠気が訪れる。ジェフリーは気が付くとそのまま眠っていた。
茂みが揺れたのは、ジェフリーが眠りについてから、二十分ほどしての事である。王立学院から帰ってきたマリーウェザーは、本当にジェフリーが庭園に来ているのだろうかと考えながら、どこかでそれを期待しつつ、侍女をおいて単身庭園を見に来た所だった。
「!」
するとベンチに、ジェフリーの姿があった。
綺麗なアーモンド型の目を閉じ、腕を組んで――眠っている。
その無防備な姿に驚いて、マリーウェザーは音をたてないように歩み寄った。
「……」
少し屈んでのぞき込んでみるが、ジェフリーに目を覚ます気配は無い。
「……本当に、お疲れなのね」
無意識にマリーウェザーは、小声で呟いた。
「ん」
その気配で、ジェフリーが薄っすらと瞼を開ける。
唐突にジェフリーが目を開いた為、まっすぐに二人の視線がぶつかる。端正なジェフリーの瞳を見て、マリーウェザーは惹きつけられた。
「……」
「……」
一方のジェフリーも、ド迫力のマリーウェザーの美貌が真正面にあったので、うっとりしつつ――確信した。これは、昨夜の夢の続きだ。自分が寝ていた自覚はあった。
夢、だし。
ジェフリーは迷わず、マリーウェザーの後頭部に手をまわして、彼女を抱き寄せるようにした。硬直していたマリーウェザーは、反応が遅れる。そのままジェフリーは、マリーウェザーの唇を奪った。
「! っ」
驚いて何か言おうとマリーウェザーが唇を開いた時、迷わずジェフリーは舌を差し込んだ。狼狽えているマリーウェザーの逃れようとしている舌を、ジェフリーが追い詰める。元が器用であるからなのか、それとも夢の中でも何度もそうしたからなのか、ジェフリーのキスは非常に巧みだった。マリーウェザーの方も経験など皆無のため、こちらは息継ぎすらままならない。しかしそこに気遣う余裕はないというか、夢だと信じているジェフリーは熱烈なキスをくり返した。
「ぁ」
引きずり出された舌を甘く噛まれた時、マリーウェザーが小さく声を零した。そこへ来て、ようやくジェフリーも、これはおかしいと我に返った。
「……ん?」
そしてまじまじとマリーウェザーを見る。
「マリーウェザー様……?」
「な……なにをするのです……」
そこには白磁の頬を真っ赤に染め、どこか怯えるような目をしたマリーウェザーの麗しいかんばせがある。普段は圧倒的な美人だが、現在の彼女は愛らしく可愛らしい。艶やかに濡れた蒼い瞳を見て――ジェフリーは漸く夢ではないと気が付いた。
「……」
「……」
無言のまま再び視線を重ねた後、瞬時にジェフリーもまた赤面した。
それを見て、マリーウェザーもより真っ赤になった。
しばしの間、その場には長い沈黙が横たわる。
「悪い、寝ぼけていた」
「寝ぼけ……?」
やっと口を開いたと思ったら、目を覚ましたジェフリーがそんな事を言ったものだから、マリーウェザーは真っ赤のままで、怒りたいのだがそれもできず、どうして良いのか分からなくなる。
「ゆ、夢だと思ったんだ。だから、良いかと思って」
「何故夢ならば私にキスをして良いことになるのですか?」
「それは……夢だからな。それだけだ」
「……」
「悪かった。嫌だっただろう?」
嫌か嫌でないかと言われたら――嫌ではなかった。マリーウェザーはその事実に気が付いてしまった。だが、己は誰かと間違われたのだろうと思えば、胸が痛い。
「……間違ってキスするなど失礼です」
「間違って? いいや、俺は寝ぼけてはいたが、マリーウェザー殿下と他の誰かを間違ったりはしないが?」
「え? で、では……私だからキスをしたという事ですか?」
「そうだ」
心臓は早鐘を打っていたが、マリーウェザーの前では素直になれるジェフリーは、再び本音を述べた。
――これではまるで告白だ。
マリーウェザーはそう感じ、自分の顔から火が出そうになった気がした。
しかし残念ながら、ジェフリーにはその自覚はなかった。
「が、外聞もあります、し……婚姻前の口づけなど恥ずべきことです。こ、この、この事は秘密にしましょう」
「ああ。悪かったな」
ジェフリーが頷く。それからふと思ったままの事を聞いた。
「――秘密にするなら、またキスをしても良いのか?」
「え?」
マリーウェザーは呆気にとられた。
「悪かったとは思うが、外聞のみが問題ならば、嫌ではなかったという事だろう?」
「!? ジェフリー卿は寝ぼけていたのですよね?」
「ああ。夢の中で殿下とキスをしていると確信していた」
「!!」
「で? 嫌だったのか? 嫌ではなかったのか?」
「そ、それは……」
再び真っ赤になったマリーウェザーを見ていたら、ジェフリーは気分が良くなった。寝起きが非常に悪いため、まだ完璧には覚醒していないというのもあったかもしれない。
「……その……嫌ではなかったですが」
「そうか」
消え入りそうな声でマリーウェザーが答えると、ジェフリーが珍しく優しい笑顔を浮かべた。マリーウェザーの前では、言葉だけではなく表情筋も正常に仕事をしたので、そこには怖い笑みは浮かんではいなかった。
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