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下界の淫魔

07

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 「ふーん、いーとこ住んでんじゃん」

  キョロキョロとカグヤは辺りを見渡した。
  楼依は溜息を吐きながら、とりあえず炭酸飲料のペットボトルをカグヤの前に置いた。
  大学からの帰り道、最寄りの駅でカグヤに捕まった。
  適当にグラタンでも食わせて帰りたかったのだが、しつこく取り憑かれ、仕方なく自宅マンションに連れて来た。

「んな事よりせめて家に帰れよ。弟達が心配してんだろ」

  向かいの床に座り込み、楼依は言った。

「あははっ、お兄ちゃんは忙しくてさ~」

  カグヤはへらっと笑って、ペットボトルを開けた。

「んな事よりさ、ルシカとはもう交尾した?」

  カグヤの問に、どいつもこいつもと言いたげな何とも言えない表情を楼依は見せた。

「テメェは飲んだら帰れ」
「弟の想ってる奴がどー言う生活してんか見たいじゃん?ルシカ、足抜けさせてさ。結構おカネ使ったんだろー?」
「別に。大した金額じゃねぇし。嫌がってん事無理矢理しても仕方ねぇだろ」
「俺達は淫魔だって忘れてね?」
「淫魔じゃねぇ可能性もあんだろ」

  楼依の言い方に、カグヤはムッとした。

「刷り込みって言いてぇの?」
「俺とアイツがキスしても何ともなかった」
「でも、交尾はしてねぇだろ?」
「……腹が減らねぇって。俺に言われるまで、減ってたかどうかも分かんねぇらしい」
「まだ淫魔になって日が浅いからだ」
「アンタは自分と同じにしてぇのか?」

  楼依の質問に、カグヤは言葉を飲み込んだ。

「アンタと同じ様に、ただの尻軽にしてぇのか?」
「お、お前こそっ!ルシカが腹減って餓死にでもさせたいのか?我慢してんかもしれねぇだろっ!?」
「まぁ、アイツの性格なら我慢するかもな。……だけど、そう言う欲求はねぇのは分かるんだよ」

  楼依はシャツを捲った。
  左胸には逆十字を型どり、魔族の文字でルシカの名前が刻まれている。

「アイツの感情に連動してる見てぇなんだ。だから、この前アイツが襲われたのが分かった」

  そう言うと、楼依はシャツを直した。

「アンタが魔王を弾くのと同じなんじゃねぇの?アンタは先輩から、俺はアイツから、何らかの形で魂の一部を貰ってんだ」

  魔王を弾く、その言葉にカグヤは一瞬目を見開いた。
  魔王を全身で弾いてしまった。
  もしかしたら、千皇以外のニンゲンと交尾したらこの先弾いてしまうかも知れない。

「違うっ!俺はっ」
「厄介なもん貰ったって思ってんの?自分から望んで顔を欲しがったんじゃねぇの?」

  確かに、千皇の綺麗な目が欲しいと強請った。
  でもそれは魔界に帰る手段だ。
  
「俺は望んでなかった。弾くなんて……」
「アンタ、先輩以外触られたくねぇんじゃねぇの?だから、弾く」
「確かに、セックスはしたかった。それは否定しない。でも、誰とやったって同じなんだっ!誰だって、穴さえありゃ同じだっ!」
「アンタからしたらそーだろうよ。……でも、違うって分かってんじゃねぇの?先輩は先輩なりに大事にして来たんだ」
「誘ってもノって来なかった奴が何を」 
「大事にしたいから手ぇ出さねぇ場合もあるんだよ」

  千皇が何故カグヤに手を出さなかったのか、実際分からない。
  セックス好きを黙らせたかっただけか、面白がったか分からない。
  でも、顔を渡すくらいだ、別に何かを考えては居たはずだ。
  
「……ルシカを抱かないのも、大事にしてんからか?」

  ボソッとカグヤが言った。

「意気地がねぇんじゃねぇの?」
「……まだ、感情を分かってねぇからだ」

  その答えに、カグヤはゆっくり立ち上がった。
  そして、楼依の前に立つと楼依の胡座の上に跨った。

「……ルシカを抱けねぇなら、俺が練習台になろっか ?雄相手なんてハジメテだろ?」

  カグヤの指先が、楼依の顎をなぞる。

「アンタさ……、弟にヤキモチ妬いてんの?自分が先輩に相手されなかったから」

  楼依がふっと笑う。
  馬鹿にされているようで、カグヤの目の色が変わった。

「それとも、弟を守る役目を俺に取られたから腹たってんの?」

  楼依はカグヤの手首を取った。

「自分の役目を取られたから、自分の存在意義が無くなると思ってんの?」
「ルシカも他の雄と交尾しねぇとなんねぇなら、お前の相手は俺でも良いだろ?」
「もし、俺とヤッても後悔しねぇんだろうな?」

  楼依は何時も以上に冷たい瞳で見詰めた。
  カグヤの手首を取った手に力が入る。
  手首が痛い。

「先輩じゃねぇで俺を誘うくらいだ。自信もあるんだろ?」
「お前、ルシカが相手しねぇから溜まってんの?いーぜ、ルシカと思ってくれても」

  カグヤは手の痛みに耐えながらも、余裕に見せかけた。
  楼依の首にもう片方の手を絡める。

「もしかしたら、お前が俺に骨抜きにされるかもな?」

  にっとカグヤは笑って見せた。
  
「へぇー、そりゃ楽しみだなっ!」

  そう楼依は言うと、カグヤの手首から手を離し、カグヤの後ろ髪を掴んだ。

「捕まえ「楼依君、ルシカちゃんとばったり逢ったから連れて……」」

  楼依が何かを掴んだ時だった。
  瑠依がルシカを連れてリビングに入って来た。

「あ」

  楼依の上に、楼依に抱き着き跨るカグヤ。
  瑠依の後ろに目を丸くしているルシカ。

「……おい、テメェ。どー言うつもりか説明出来るんだろうな?」

  瑠依の表情が静かな怒りに変わる。

「瑠依」
「何だ?」
「とりあえず、何かタッパに熱湯入れて持って「そんな場合か、馬鹿兄貴」」

  確かにそんな場合では無い。

「……あー、ごめんな?連絡しなかったこっちも悪い。……ちょっと、浮かれちまってたし」

  ルシカは堪える様に笑顔を見せた。

「俺、帰るね……。兄さんも、いい加減ちょっとは帰らねぇと、ヨゾラが心配する……」
「ルシカ……、ごめん……」

  カグヤは楼依から離れた。
  兄貴かよ、と瑠依は楼依を睨んだ。

「……ルシカ」
「……もう、良いよ……。俺は、大丈夫だから。ごめん、瑠依ちゃん。……兄貴、怒らないでやってな」

  にこっと笑うルシカは、涙を堪えていた。
  じゃ、とルシカは玄関へと歩き出した。

「……瑠依、悪いけど」

  何かを握ったまま、楼依は瑠依を見上げた。

「あたしがルシカちゃん襲っても文句言うなよ?」
「そんな事しねぇぐれぇ分かってる」
「精々納得の行く言い訳、考えとけ」

  瑠依はカグヤを一瞬睨むも、ルシカを追う様に部屋を出て行った。
  楼依は立ち上がると、キッチンへ行った。
  カグヤは全身から崩れ落ちた。
  しばらくして、楼依がお湯の入ったタッパを持って戻って来る。

「アンタが望んだ結果だろうが」

  楼依はタッパをテーブルに置いた。
  ウニョウニョと動く、羽の生えた黒くて小さいミミズの様な物体がそこに居た。
  楼依はスマホでそれを撮ると、誰かに送った様だ。

「……何で言い訳しなかったんだよ。……ルシカ、泣きそうだっただろ」

  俯きながら、カグヤがボソッと言った。

「襲われてました、ってか?……言い訳したって泣かせるだけだ」

  スマホを弄りながら、楼依は答える。

「俺が悪者になれば、丸く収まるだろ……」
「悪者になる度胸なんざねぇクセに」

  楼依はタッパを揺らした。
  中に居る変な生き物は、激しく悶え動く。

「悪者になる奴が、弟が泣きそうになって謝るかよ」

  虐める事に飽きたのか、楼依はタッパを静かに置いた。

「……俺だって、傷付けたくねぇよ。……ルシカやヨゾラが、安心して生きて行けるなら、……俺は」
「……」
「……どうすりゃ良いんだよ。……俺は、言われるままにして来ただけなのに。……何で俺が。俺にだって……」
「そこまで分かってんなら、俺に八つ当たるな。相手が違う」

  楼依は呆れ気味に頭を搔いた。

「分かんねぇよ、モヤモヤして可笑しくなりそうだ……」
「仮に俺を押し倒して既成事実作ったら、モヤモヤも消えて満足か?」

  楼依のスマホの通知音が鳴る。
  それを見て、スマホを弄ると再びテーブルに置いた。
 
「で、俺はお前を抱けば良い?そんで、一緒に後悔したらいい訳?」
 「俺は淫魔なんだよっ!!どんなに否定したってして来た事は変えられねぇんだっ!!」
「だから、これから先を変えりゃ良いだろ?」
「……簡単に言うなよ。……魔王様が許さねぇ」
「んなもん、どうにでもするだろ」
「ニンゲンじゃねぇんだ」
「だったら、何でお前もこっちに来た?うだうだ言うなら、一人で残ったら良かっただろ?」

  カグヤは俯いた。
  弟達の事は心配だった。
  ただでさえ、魔界でも良い待遇はされている訳でもなくて、ルシカは狙われ、カグヤは喧嘩っ早さから反感を持たれている。
  ニンゲンが、時には魔族をも凌ぐ程の強い欲求を持つ事が危険な事も知っていた。
  でも、心の奥底で、どんなに誰かに抱かれても千皇の存在は消しきれなかった。
  
「アンタは弟達の覚悟を無駄にするのか?」
「……」
「末っ子のワガママ程度に付き合ってるなら、今すぐ魔界とやらに帰れ。弾さんからはアイツと末っ子の事は任されたんだ。こっちで俺が面倒見れる」
「……何で、俺ばかり」
「末っ子がどんだけ必死にお前の事考えてるか、知らねぇとは言わせねぇけど。兄貴は兄貴の考えがあるだろうが、弟の想いは踏み躙るな」

  その時、部屋の玄関が開く音がした。
  その足音は、リビングまで続いた。

「鍵閉めねぇの、不用心だな」

  その低い声に、カグヤの心臓が跳ねた。

「瑠依に逢ったんすか?」
「次男慰めてた。つーか、何だ?その気持ち悪ぃ動く物体は?」

  テーブルのタッパに目が行ったのだろう、声の主は怪訝そうに声を上げた。

「監視されてる見たいです、俺ら。んで、末っ子君に捕まえるって約束しちまったんで」

  気持ち悪い生き物は、力尽き掛けているらしい。

「覗きなんざ悪趣味だな」
「暇なんでしょうかね」
「まぁ、どうでもいい。……連れて帰りゃ良いんだろ?」

  そう言いながら、声の主はタッパに手を伸ばした。

「先輩、笑えないっす。そっちじゃねぇで、こっち」

  楼依がカグヤを指さしたのが分かった。
  カグヤは下を向いたまま、顔が上げられない。

「ほら、帰るぞ」

  千皇はカグヤの腕を掴んだ。
  カグヤは思わず手を振り解いた。

「触んな……。俺はお前と行かねぇ……」
「んな事言っても家にも帰らねぇだろ。暇ヤクザんとこなんて余計に」
「それでも弾は俺を必要としてくれる……。一時だけでも」 

  千皇はあからさまに溜息を吐いた。
  
「……そうかよ」

  千皇は立ち上がって楼依を見た。

「どうやら俺の自惚れらしい」

  そう言う千皇に、顔は上げられないがカグヤは胸に手を当てた。
  痛くて、苦しい。

「……そのようですね。すみません、俺も勘違いで」
「俺は帰るけど、どーすんだ?」
「とりあえず、コイツは家に帰して、弟と交換します。しばらくは離れてお互い頭を冷やした方が良いかと」
「そうか……。まぁ、頑張れよ。サンプル素材」
「俺はもう、俺達の事でしか動きませんので」

  楼依のその言葉に、千皇は小さく笑った。
  そして、部屋を出て行った。
  カグヤは締め付けられる感情に、グラグラしながらも、間違ってはいない、と何度も心の中で繰り返した。

    

    
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