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第六章 蒲生賢秀編 元亀争乱
第78話 転進
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主要登場人物別名
駿河守… 青地茂綱 織田家臣 蒲生賢秀の実弟
権六… 柴田勝家 織田家臣 蒲生賢秀の寄親
三左… 森可成 織田家臣 青地茂綱の寄親
――――――――
「遅くなって申し訳ありません」
「いや、駿河守にも急なことで済まぬ」
青地茂綱は一礼して広間の末席に座る。宇佐山城の広間では城代の森可成を筆頭に森寄騎衆が勢ぞろいしていた。蒲生定秀の次男である青地茂綱は、兄の賢秀と別れて今は森寄騎の一人として宇佐山城に詰めている。その寄り親である森可成から緊急の呼び出しがあり、茂綱も慌てて屋敷から広間へと駆け付けたのだった。
「実は集まってもらったのは他でもない。摂津を攻める御屋形様の軍勢に対し、石山本願寺が一揆を起こして攻めかかったと報せが入った」
茂綱はピクリと顔を上げた。摂津攻めには兄の賢秀や甥の賦秀も参戦している。一向一揆に攻められたと聞き、何よりも二人の身が心配になった。末弟の小倉実隆が小倉の乱で討ち死にし、今や二人だけの兄弟になっている。この上長兄の賢秀まで失いたくは無かった。
「御屋形様の軍勢は大事ないのですか?」
「心配はない。去る十二日夜半に一揆を起こした門徒衆は程なく撃退され、今は摂津の戦線も安定しているそうだ」
一座に安堵の空気が漂う。だが、それも森可成の次の言葉で一気に空気が重くなった。
「同時に、高島郡から浅井・朝倉が京を目指して進軍していると報せが入った」
―――よりによってこんな時に!?
茂綱も言葉を無くす。今は織田家の主力が摂津で釘付けになっている。一向一揆が蜂起したということは、少なくとも石山本願寺を鎮圧するまでは織田家の主力は動けないということだ。
その機を狙って浅井・朝倉が湖西路を進軍して来る。一向一揆と連携していると見る方が自然だった。
「南近江は……観音寺城周辺はどうなっているのですか?」
六角親子の木浜侵攻は撃退したが、再び兵を起こすことも十分に考えられる。織田の主力が摂津に出払っている今ならば寄せ集めでもある程度の成果は期待できるだろう。
「そちらでも一向一揆が起きている。金森道場を中心に志村城や小川城が一揆の拠点になっているそうだ」
再び茂綱は絶句した。金森と志村城・小川城と言えば、南近江でも交通の要衝に当たる。つまり、一向一揆によって南近江はバラバラに寸断されたということになる。
特に近江金森は現代での守山市中心部に当たり、京から瀬田川を渡って東海道と東山道が分岐する街道の起点に当たる。ここを抑えられれば、尾張から伊勢を経由して京に至る街道も封鎖することが可能になる。
つまり、織田家の本拠地と京・摂津を完全に遮断した形だ。
「し、しかし、それでは摂津の主力は……」
「このままでは包囲殲滅されることになる」
茂綱の言葉に重々しく頷いた可成は、改めて一座を見回した。
「このままでは摂津の御屋形様は成す術無く滅ぶしかない。金森や志村・小川の一揆勢は横山城を守る木下藤吉郎や佐和山城を囲んでいる丹羽五郎左に任せ、我らは北から南下する浅井・朝倉を押しとどめねばならん」
―――こちらはこちらで激戦か
茂綱は森可成の言葉の先を読んだ。このまま浅井・朝倉が京へと進軍すれば信長本軍は逃げ場を失う。それを防ぐためには宇佐山城に籠る森可成が浅井・朝倉を押しとどめ、その間に信長本軍が摂津戦線にケリをつける必要がある。
仮にも相手は浅井・朝倉の正規軍だ。近江戦線の中で森可成が引き受ける湖西の戦がもっとも過酷な戦いになるだろう。
「我らは宇佐山城に籠って……」
「お待ち下され」
森可成の言葉を遮って青地茂綱が発言する。茂綱は、浅井・朝倉を止める為には宇佐山城に籠るだけでは不十分だと思っていた。
「坂本を抑えねば京を守ることは出来ません。坂本から山を越えて将軍地蔵山城を抑えられれば、京を守ることは容易ではなくなります」
「むう……」
森可成が絶句する。
今まで六角家が上洛する際は坂本から山を越えて将軍地蔵山城に入るのが常だった。地蔵山城は京洛が一望できる好立地で、しかも後ろを山に守られて非常に攻めにくい場所にある。
今では半ば忘れられたような城だが、六角旧臣である青地茂綱は地蔵山城の重要性をこの場の誰よりも正確に理解している。
茂綱には坂本を越えられたら終わりだという確信があった。
「ならば、敵に先んじて坂本を抑えねばならんな」
「左様にございます。某は急ぎ青地城に戻り、軍勢を整えてすぐさま坂本へ参ります」
「相分かった。ならば儂は駿河守が参るまで先に手勢を率いて坂本を抑えよう」
「そ、それは……」
無茶だ。と、そう言いそうになった。
宇佐山城に今いる軍勢ですぐに動かせるのは僅か五百に過ぎない。だからこそ、茂綱は青地城に戻って軍勢を整えると言ったのだ。青地城に戻れば、少なくとも千五百ほどは動員できる。現在の動員兵力の四倍の兵を持って当たれる。もう一日時間があれば二千ほど集める自信はあったが、今はその一日が惜しい。
だが、言いかけて茂綱も言葉を引っ込めた。
この防衛戦は土台無茶なのだ。相手が浅井・朝倉連合軍となれば、兵力は一万を優に超えるだろう。五百が二千になったところで焼け石に水だ。
「何、お主が駆け付けるまでの間は何としても保たせる」
「……承知しました。手勢を取りまとめてすぐに坂本へ参ります」
「うむ」
森可成の覚悟を知り、青地茂綱は頭を下げてすぐさま退出した。軍議を途中で退席する非礼を咎める者は誰も居ない。どの顔も討ち死にを覚悟していた。
※ ※ ※
賢秀は柴田勝家と共に天満ガ森の織田信長本陣で主君と対面していた。
あくまでも献策は柴田勝家からとしたが、今回の献策は賢秀が何としても信長に申し上げて欲しいと柴田勝家に食い下がったものだった。
「権六、一体何事だ」
「ハッ! 御屋形様には一刻も早く摂津の陣を退き、近江への援軍を行われるべきと愚考した次第にございます」
「間もなく三好は落ちる。本願寺が蜂起したとはいえ、それらも今はあらかた撃退が終わっている。確かに浅井・朝倉の動きは見過ごせんが、あと十日のうちには摂津の戦もケリが着く。三好に止めを刺してから三左の後詰に向かえばよかろう」
「ですが……」
信長の剣幕に押され、柴田勝家が言葉に詰まって賢秀の方をチラリと見る。賢秀は思わず心の中で舌打ちした。あれほど今すぐ軍勢を引き返すことの重要性を説いたのに、柴田はそれを十分に理解していないように見える。
―――やむを得ぬ
賢秀は覚悟を決めて信長に視線を合わせた。
「恐れながら、それでは遅うございます」
「遅くはあるまい。宇佐山城は堅城だ。宇佐山城に籠って防戦すれば、三左ならば十日の間持ちこたえることはできるだろう」
「戦は宇佐山城ではなく坂本で起きます」
「坂本だと? 何故だ? わざわざ宇佐山城を捨てて野戦に及ぶほど三左は愚かな男ではないぞ」
「森殿が名将であるが故に、坂本で戦をせざるを得ないのです」
信長が不審そうな顔をする。信長にも賢秀の言いたいことが今一つ理解できていなかった。
「坂本から山を越えれば京の白川口に出ます。白川口の将軍地蔵山城は、かつて六角家が上洛の際に前進基地として築いた城にございます。地蔵山城を抑えられれば、宇佐山城を迂回して京へ進軍できましょう。浅井・朝倉に先んじて地蔵山城を抑えなければ、この戦我らの負けでございます」
賢秀の言葉に信長の目がピクリと上がる。信長とて地蔵山城の存在は知っていたが、中尾城に取って代わられて半ば打ち捨てられた城になっている。そのため、地蔵山城の戦略的価値は低いと思い込んでいた。
「……むぅ。しかし中尾城や霊山城は今も城郭として残っている。そこに兵を入れれば白川口を抑え込めるのではないのか?」
「難しゅうございます。中尾城や霊山城はあくまでも京洛を睨む城。京洛を守る城ではございません。地蔵山城を抑え込むための城には成り得ません」
信長の顔が益々険しさを増す。賢秀の言葉をそのまま信じて良いものかどうか、信長の頭の中で様々な思考が渦巻いていた。とはいえ、浅井・朝倉に京を抑えさせるわけにはいかない。京を奪われれば織田家の面目が潰れるのみならず、帝や将軍義昭を奉じて織田討伐軍を起こすことも可能になるからだ。
「それに、我が弟の青地駿河守は必ずや坂本を守るべきと進言いたしましょう。弟もかつて六角家に従って上洛軍に参加しております。地蔵山城の重要性は十分に認識しております」
「ならば、三左もお主の弟の言を容れて野戦に及ぶと申すか」
「森殿が名将ならば、弟の言葉に理を認めるでしょう。坂本を守り通さねば京を守護することは出来ません」
ガタッという音と共に信長が床几を蹴立てて立ち上がる。
「例え討ち死にしてでもか!」
「いかにも!」
なおも厳しい目を向けて来る信長を賢秀は正面から見返す。周囲には鉄砲と兵達の上げる鬨の声だけが響いた。だが、やがて信長がカッと目を見開くと断を下した。
「今すぐに軍勢を近江へ向ける!
権六! お主は殿を務め、三好や一向門徒の追撃を抑えよ」
「ハハッ!」
信長はそのまま本陣を後にし、賢秀と柴田勝家もそれぞれの持ち場に戻って摂津戦線を撤退する準備にかかる。摂津ではあと一息で勝利を収めることが出来る所まで来ていたが、それでも今は摂津よりも近江を優先すべきという賢秀の献策を信長は容れた。
何よりも近江は豊かな穀倉地帯であり、かつ岐阜と京を結ぶ交通の要衝だ。何としても失う訳にはいかなかった。
元亀元年(1570年) 九月
後に『志賀の陣』と呼ばれる戦は摂津からの撤退戦によって幕を開けた。
織田信長は柴田勝家・和田惟政の両将に殿軍を任せ、即日江口の渡しを渡って京へと帰還し、坂本の森可成らを救うべく湖西に向けて進軍する。
同じころ、尾張と伊勢の国境に位置する伊勢長島でも一向門徒が蜂起し、北伊勢の国人衆も同調して長島城に攻めかかっていた。近江・伊勢・摂津と各地で蜂起した一向門徒の軍勢は、個々の力こそ小さいものの広域的な連携を持つことで信長を次々に翻弄していく。
信長包囲網とも呼ばれる『元亀争乱』は、まだ始まったばかりだった。
駿河守… 青地茂綱 織田家臣 蒲生賢秀の実弟
権六… 柴田勝家 織田家臣 蒲生賢秀の寄親
三左… 森可成 織田家臣 青地茂綱の寄親
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「遅くなって申し訳ありません」
「いや、駿河守にも急なことで済まぬ」
青地茂綱は一礼して広間の末席に座る。宇佐山城の広間では城代の森可成を筆頭に森寄騎衆が勢ぞろいしていた。蒲生定秀の次男である青地茂綱は、兄の賢秀と別れて今は森寄騎の一人として宇佐山城に詰めている。その寄り親である森可成から緊急の呼び出しがあり、茂綱も慌てて屋敷から広間へと駆け付けたのだった。
「実は集まってもらったのは他でもない。摂津を攻める御屋形様の軍勢に対し、石山本願寺が一揆を起こして攻めかかったと報せが入った」
茂綱はピクリと顔を上げた。摂津攻めには兄の賢秀や甥の賦秀も参戦している。一向一揆に攻められたと聞き、何よりも二人の身が心配になった。末弟の小倉実隆が小倉の乱で討ち死にし、今や二人だけの兄弟になっている。この上長兄の賢秀まで失いたくは無かった。
「御屋形様の軍勢は大事ないのですか?」
「心配はない。去る十二日夜半に一揆を起こした門徒衆は程なく撃退され、今は摂津の戦線も安定しているそうだ」
一座に安堵の空気が漂う。だが、それも森可成の次の言葉で一気に空気が重くなった。
「同時に、高島郡から浅井・朝倉が京を目指して進軍していると報せが入った」
―――よりによってこんな時に!?
茂綱も言葉を無くす。今は織田家の主力が摂津で釘付けになっている。一向一揆が蜂起したということは、少なくとも石山本願寺を鎮圧するまでは織田家の主力は動けないということだ。
その機を狙って浅井・朝倉が湖西路を進軍して来る。一向一揆と連携していると見る方が自然だった。
「南近江は……観音寺城周辺はどうなっているのですか?」
六角親子の木浜侵攻は撃退したが、再び兵を起こすことも十分に考えられる。織田の主力が摂津に出払っている今ならば寄せ集めでもある程度の成果は期待できるだろう。
「そちらでも一向一揆が起きている。金森道場を中心に志村城や小川城が一揆の拠点になっているそうだ」
再び茂綱は絶句した。金森と志村城・小川城と言えば、南近江でも交通の要衝に当たる。つまり、一向一揆によって南近江はバラバラに寸断されたということになる。
特に近江金森は現代での守山市中心部に当たり、京から瀬田川を渡って東海道と東山道が分岐する街道の起点に当たる。ここを抑えられれば、尾張から伊勢を経由して京に至る街道も封鎖することが可能になる。
つまり、織田家の本拠地と京・摂津を完全に遮断した形だ。
「し、しかし、それでは摂津の主力は……」
「このままでは包囲殲滅されることになる」
茂綱の言葉に重々しく頷いた可成は、改めて一座を見回した。
「このままでは摂津の御屋形様は成す術無く滅ぶしかない。金森や志村・小川の一揆勢は横山城を守る木下藤吉郎や佐和山城を囲んでいる丹羽五郎左に任せ、我らは北から南下する浅井・朝倉を押しとどめねばならん」
―――こちらはこちらで激戦か
茂綱は森可成の言葉の先を読んだ。このまま浅井・朝倉が京へと進軍すれば信長本軍は逃げ場を失う。それを防ぐためには宇佐山城に籠る森可成が浅井・朝倉を押しとどめ、その間に信長本軍が摂津戦線にケリをつける必要がある。
仮にも相手は浅井・朝倉の正規軍だ。近江戦線の中で森可成が引き受ける湖西の戦がもっとも過酷な戦いになるだろう。
「我らは宇佐山城に籠って……」
「お待ち下され」
森可成の言葉を遮って青地茂綱が発言する。茂綱は、浅井・朝倉を止める為には宇佐山城に籠るだけでは不十分だと思っていた。
「坂本を抑えねば京を守ることは出来ません。坂本から山を越えて将軍地蔵山城を抑えられれば、京を守ることは容易ではなくなります」
「むう……」
森可成が絶句する。
今まで六角家が上洛する際は坂本から山を越えて将軍地蔵山城に入るのが常だった。地蔵山城は京洛が一望できる好立地で、しかも後ろを山に守られて非常に攻めにくい場所にある。
今では半ば忘れられたような城だが、六角旧臣である青地茂綱は地蔵山城の重要性をこの場の誰よりも正確に理解している。
茂綱には坂本を越えられたら終わりだという確信があった。
「ならば、敵に先んじて坂本を抑えねばならんな」
「左様にございます。某は急ぎ青地城に戻り、軍勢を整えてすぐさま坂本へ参ります」
「相分かった。ならば儂は駿河守が参るまで先に手勢を率いて坂本を抑えよう」
「そ、それは……」
無茶だ。と、そう言いそうになった。
宇佐山城に今いる軍勢ですぐに動かせるのは僅か五百に過ぎない。だからこそ、茂綱は青地城に戻って軍勢を整えると言ったのだ。青地城に戻れば、少なくとも千五百ほどは動員できる。現在の動員兵力の四倍の兵を持って当たれる。もう一日時間があれば二千ほど集める自信はあったが、今はその一日が惜しい。
だが、言いかけて茂綱も言葉を引っ込めた。
この防衛戦は土台無茶なのだ。相手が浅井・朝倉連合軍となれば、兵力は一万を優に超えるだろう。五百が二千になったところで焼け石に水だ。
「何、お主が駆け付けるまでの間は何としても保たせる」
「……承知しました。手勢を取りまとめてすぐに坂本へ参ります」
「うむ」
森可成の覚悟を知り、青地茂綱は頭を下げてすぐさま退出した。軍議を途中で退席する非礼を咎める者は誰も居ない。どの顔も討ち死にを覚悟していた。
※ ※ ※
賢秀は柴田勝家と共に天満ガ森の織田信長本陣で主君と対面していた。
あくまでも献策は柴田勝家からとしたが、今回の献策は賢秀が何としても信長に申し上げて欲しいと柴田勝家に食い下がったものだった。
「権六、一体何事だ」
「ハッ! 御屋形様には一刻も早く摂津の陣を退き、近江への援軍を行われるべきと愚考した次第にございます」
「間もなく三好は落ちる。本願寺が蜂起したとはいえ、それらも今はあらかた撃退が終わっている。確かに浅井・朝倉の動きは見過ごせんが、あと十日のうちには摂津の戦もケリが着く。三好に止めを刺してから三左の後詰に向かえばよかろう」
「ですが……」
信長の剣幕に押され、柴田勝家が言葉に詰まって賢秀の方をチラリと見る。賢秀は思わず心の中で舌打ちした。あれほど今すぐ軍勢を引き返すことの重要性を説いたのに、柴田はそれを十分に理解していないように見える。
―――やむを得ぬ
賢秀は覚悟を決めて信長に視線を合わせた。
「恐れながら、それでは遅うございます」
「遅くはあるまい。宇佐山城は堅城だ。宇佐山城に籠って防戦すれば、三左ならば十日の間持ちこたえることはできるだろう」
「戦は宇佐山城ではなく坂本で起きます」
「坂本だと? 何故だ? わざわざ宇佐山城を捨てて野戦に及ぶほど三左は愚かな男ではないぞ」
「森殿が名将であるが故に、坂本で戦をせざるを得ないのです」
信長が不審そうな顔をする。信長にも賢秀の言いたいことが今一つ理解できていなかった。
「坂本から山を越えれば京の白川口に出ます。白川口の将軍地蔵山城は、かつて六角家が上洛の際に前進基地として築いた城にございます。地蔵山城を抑えられれば、宇佐山城を迂回して京へ進軍できましょう。浅井・朝倉に先んじて地蔵山城を抑えなければ、この戦我らの負けでございます」
賢秀の言葉に信長の目がピクリと上がる。信長とて地蔵山城の存在は知っていたが、中尾城に取って代わられて半ば打ち捨てられた城になっている。そのため、地蔵山城の戦略的価値は低いと思い込んでいた。
「……むぅ。しかし中尾城や霊山城は今も城郭として残っている。そこに兵を入れれば白川口を抑え込めるのではないのか?」
「難しゅうございます。中尾城や霊山城はあくまでも京洛を睨む城。京洛を守る城ではございません。地蔵山城を抑え込むための城には成り得ません」
信長の顔が益々険しさを増す。賢秀の言葉をそのまま信じて良いものかどうか、信長の頭の中で様々な思考が渦巻いていた。とはいえ、浅井・朝倉に京を抑えさせるわけにはいかない。京を奪われれば織田家の面目が潰れるのみならず、帝や将軍義昭を奉じて織田討伐軍を起こすことも可能になるからだ。
「それに、我が弟の青地駿河守は必ずや坂本を守るべきと進言いたしましょう。弟もかつて六角家に従って上洛軍に参加しております。地蔵山城の重要性は十分に認識しております」
「ならば、三左もお主の弟の言を容れて野戦に及ぶと申すか」
「森殿が名将ならば、弟の言葉に理を認めるでしょう。坂本を守り通さねば京を守護することは出来ません」
ガタッという音と共に信長が床几を蹴立てて立ち上がる。
「例え討ち死にしてでもか!」
「いかにも!」
なおも厳しい目を向けて来る信長を賢秀は正面から見返す。周囲には鉄砲と兵達の上げる鬨の声だけが響いた。だが、やがて信長がカッと目を見開くと断を下した。
「今すぐに軍勢を近江へ向ける!
権六! お主は殿を務め、三好や一向門徒の追撃を抑えよ」
「ハハッ!」
信長はそのまま本陣を後にし、賢秀と柴田勝家もそれぞれの持ち場に戻って摂津戦線を撤退する準備にかかる。摂津ではあと一息で勝利を収めることが出来る所まで来ていたが、それでも今は摂津よりも近江を優先すべきという賢秀の献策を信長は容れた。
何よりも近江は豊かな穀倉地帯であり、かつ岐阜と京を結ぶ交通の要衝だ。何としても失う訳にはいかなかった。
元亀元年(1570年) 九月
後に『志賀の陣』と呼ばれる戦は摂津からの撤退戦によって幕を開けた。
織田信長は柴田勝家・和田惟政の両将に殿軍を任せ、即日江口の渡しを渡って京へと帰還し、坂本の森可成らを救うべく湖西に向けて進軍する。
同じころ、尾張と伊勢の国境に位置する伊勢長島でも一向門徒が蜂起し、北伊勢の国人衆も同調して長島城に攻めかかっていた。近江・伊勢・摂津と各地で蜂起した一向門徒の軍勢は、個々の力こそ小さいものの広域的な連携を持つことで信長を次々に翻弄していく。
信長包囲網とも呼ばれる『元亀争乱』は、まだ始まったばかりだった。
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それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。
~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。
この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。
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