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第三章 蒲生定秀編 木沢長政の乱

第39話 太平寺の戦い

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主要登場人物別名

尾張守… 畠山稙長 河内畠山家当主 遊佐長教に担がれて傀儡と化す
修理大夫… 畠山政国 河内畠山家当主 木沢長政に担がれて傀儡と化す

河内守… 遊佐長教 畠山家臣 木沢長政と畠山家の実権を争う
左京亮… 木沢長政 畠山家臣 遊佐長教と畠山家の実権を争う

筑前守… 三好長慶 三好家当主 細川家臣
大和守… 篠原長政 三好家臣

――――――――

 
「何!?畠山尾張守が高屋城に入っただと?」
「ハッ!畠山修理大夫様は信貴山城に逃れ、南河内は遊佐河内守が掌握して我が方に敵対しております!」
「おのれ!」

 木沢長政は唇を強く噛んだ。口の端からは赤い雫が零れ落ちる。

 ―――どいつもこいつも六角に尻尾を振りおって!

 天文十一年(1542年)二月
 越水城を攻めるべく飯盛山城まで進出していた木沢長政は、細川晴元が芥川城に戻ったのを受けて山城国井出まで退がり、対陣していた。
 北からは木津川を挟んで細川晴元勢が、西からは淀川を挟んで三好長慶・三好政長が対峙しており、南河内の離反によって三方から包囲を受ける情勢となった。

 遊佐長教はそれまでも畠山家の主導権を巡って木沢長政と対立していたが、この頃には遊佐長教の擁立した畠山稙長が幕府の木沢追討令を受けて高屋城に入り、木沢長政の擁する畠山政国は信貴山城に逃れた。

 南河内からの援軍を失った木沢長政は、最後の本拠として懐かしい飯盛山城に向かった。
 高屋城を見下ろす尼上山に再び陣を取った木沢長政は、三方から同時に包囲されてすでに退路を封じられていた。

 木沢勢七千に対し、遊佐勢八千。しかし、高屋城に拠る遊佐長教には三好長慶や三好政長の援軍が続々と向かっていた。
 そして天文十一年三月十七日ついに戦端が開かれる。
 木沢長政最後の戦いとなる『太平寺の戦い』の幕開けだった。



 ※   ※   ※



「うん?既に戦端が開かれているのか?」
「そのようですな」

 三好長慶の言葉に、篠原長政も東の山を見上げる。
 遊佐長教の求めによって高屋城の後詰として摂津から回って来た三好長慶だったが、高屋城付近に着いた時にはすでに生駒山中で激しく揺れる旗指物を視界に捉えていた。

「遊佐殿からはまだ出陣の要請は届いていないな?」
「こちらへは伝令などはまだ来ておりません。行軍中ですので高屋城に入ればすぐさま出陣の令が来るのかもしれませんが……」

 話していると、前方から使番らしき騎馬が三騎駆けて来る。

 ―――どうやら本当に今始まった所のようだな。

 恐らく行軍中の各軍に慌てて伝令を出しているのだろう。開戦自体も想定外の遭遇戦だったのかもしれない。

「失礼!三好筑前守様の軍勢とお見受けします!」

 使番の一人があぶみを外して篠原長政に話しかける。旗指物には三好の『三階菱さんかいびし五つ釘抜いつつくぎぬき』の家紋が描かれているから、三好勢であるということは分かるはずだ。

「いかにも。こちらが三好筑前守様である」

 予想していたであろう答えに、使番が下馬して膝を着く。

「失礼いたしました!高屋城の遊佐河内守様からの伝令でございます!」
「うむ!申せ!」
「ハッ!我が軍の誉田山城守の軍勢が生駒山中を物見に回っていた折りに木沢勢の進出を確認。そのまま誉田の先陣と開戦となり、高屋城の軍勢も誉田山城の後詰へ出ております。
 三好筑前守様には申し訳なきことながら、高屋城へは入らずにそのまま誉田勢への後詰に向かって頂きたいとのことにございます!」

「委細承知した!このまま後詰に向かうと遊佐殿にお伝えあれ!」
「ハッ!失礼いたします!」

 一礼して再び騎乗すると、使番はそのまま高屋城に向けて帰って行った。

「大和守、聞いた通りだ。このまま尼上山へ向かう」
「ハッ!全軍!尼上山へ進出する!このまま太平寺方面へ向かうぞ!」

 篠原長政の号令に全軍に伝令が飛ぶ。急な行先変更指令は徹底するのが難しいことが多いが、三好軍は長慶の指令を行き渡らせるように各物頭が率いる軍勢を明確に区分けしていた。
 指令を受けて各軍が次々に変更を伝える。四半刻(三十分)もしないうちに、三好軍は再び行軍を開始した。

 ―――木沢左京亮。貴様の首級はこの俺が頂く。



 ※   ※   ※



「長柄隊は隊伍を揃えて前進!騎馬は長柄隊の後ろに付け!敵の隊列は乱れている!長柄が突き込んだら騎馬はそのまま敵陣を切り裂け!」

 長慶の下知で一斉に長柄隊が進軍する。突撃というほどではないが、早足で進軍する長柄隊は目の前で展開されている戦に興奮を隠しきれない様子だ。

 三好勢一千が戦場に到着した頃、戦場は尼上山中から麓の太平寺へと移っていた。
 尼上山上に布陣していた木沢長政は、当初の誉田勢との戦闘を形勢不利と見て山上に三千を残して残りを前線に投入し、戦線を高屋城の手前まで押し戻していた。
 八尾方面から進軍していた三好長慶の軍勢はちょうど高屋城に向けて前線を作っている木沢勢の側面を突く形になる。
 到着早々ではあるが、長慶にためらいは無かった。

「進めー!木沢左京亮の首を取るのは我が三好だ!」
「オウ!」

 長慶の激に軍勢が一丸となって進む。
 三好本陣からはしきりに寄せ太鼓の音が響き、木沢勢は新手の出現に気を逸らしているのが遠目にも見てとれた。

 ―――いけ!

 長慶が内心で気合を入れるのとほぼ同時に三好の長柄隊三百の先頭が木沢勢と接触する。
 遥かに見える木沢勢の後ろでは後詰の手当てをする為の旗指物がしきりに動き回っていた。

「長柄隊第二陣!進め!」

 長慶の下知で待機させていた二陣目の長柄隊が隊伍を揃えて前進する。

「兵百を残して前線に突撃だ!大和守!俺も出るぞ!」
「ハッ!」

 騎馬のまま指揮を取っていた長慶は、ひと声宣言すると槍持から自分の槍を受け取る。
 長柄隊の第二陣の後ろに付き、長柄・騎馬総勢五百の主力部隊が突撃を開始した。長慶の周囲は篠原長政と共に馬廻衆の精鋭達が固める。
 第一波の攻撃を捌くのに精一杯になっていた木沢勢は、第二波の突撃に堪らず隊伍を崩しながら後ろに退がりはじめた。
 既に木沢勢の前線は細切れに分断され、まともに連携が取れなくなっていた。



 ※   ※   ※



 柳生家厳は新たに参戦してきた三好長慶を迎え撃つために柏原方面へと移動して指揮を執っていた。
 手にした太刀で飛んで来る矢を払いのけながら各部隊を叱咤して回る。
 既に敗色は濃厚だった。

「三好の援軍に誉田勢が勢いを取り戻しております!正面の平尾からは次々に長柄隊が突撃し、我が方は戦線の維持が難しくなっております!」
「安堂の陣を堅守しろ!殿の後詰を要請する!」
「無理です!大和川の対岸からは遊佐勢の矢が届きます!お味方は盾の陰に隠れるのが精一杯です!」

 ―――くっ!最初から勝ち目のない戦だったか

 伝令の言葉に柳生家厳の動きが止まる。その隙に三好陣から騎馬の一団が駆け込んで来た。

「ともかく、後退して態勢を建て直せ!」

 ―――自分が後退できるかは、わからんがな

 伝令を下がらせた後、柳生家厳は少し自虐的な気分になって馬を降りた。
 太刀を握り直しながら、周囲を囲む三好勢を次々に切り伏せていく。
 家厳の子の柳生宗厳は後に上泉信綱に学んで柳生新陰流を興した剣豪として知られることになるが、家厳自身も戸田一刀斎に学んだ富田流の達人だった。

「雑兵共!近寄った者は一人残らず斬り殺してくれるぞ!」

 既に十人以上を切り裂いて太刀の刃は赤く染まっている。
 周囲を取り囲む三好兵も予想外の柳生家厳の強さに、槍を握り直して距離を取るだけだった。

「どけい!某は三好家臣、松永甚助!兜首を頂きに参った!」

 一騎の騎馬武者が人の群れを割って柳生家厳の前に躍り出る。松永久秀の弟である松永長頼(後の内藤宗勝)だった。

「大和国人、柳生新左衛門家厳!いざ参れ!」
「おお!」

 松永長頼も下馬して太刀を戦わせる。
 太刀筋はまだ拙いものの、それを補って余りある膂力があった。柳生家厳も太刀を受けると思わずたじろいでしまう。

 ―――良き若者だ!だが、負けるわけにはいかん!

 柳生家厳の精緻な太刀筋に、今度は松永長頼が防戦一方になってたじろぐ。

「くっ!さすがは大和国人衆の中でも名高い柳生の武士。感服仕った」

 松永長頼の言葉に家厳もニヤリと笑う。
 今この時だけは、敗色濃厚な旗色も何もかも忘れて目の前の敵と相対することができた。

「ゆくぞ!松永甚助!」
「おお!」

 また数合太刀を戦わせる。周囲の足軽達は二人の一騎打ちを固唾を飲んで見守っていた。
 と、突然後方の陣の辺りが騒がしくなる。

 ―――何事か!

 思わず振り返ると、下山していた後詰の将である粟屋元親の旗印が打ち倒されるところだった。
 柳生家厳に生まれた一瞬の隙を突いて松永長頼が下段から太刀を切り上げて来る。
 振り返った柳生家厳は不覚にも左の二の腕に太刀を受け、深く切り裂かれていた。

「くそっ!」
「ぬ!逃げるか!」

 さっと身を翻して後ろに走り出した柳生家厳の後を松永長頼が追う。だが、茂みに隠れた柳生家厳を見失った松永は諦めて再び騎馬に戻った。

 ―――ここまでか。左京亮様への忠勤は充分に果たしたであろう

 柳生家厳は血が滴る左腕を縛って止血しながら、尼上山から逸れて大和川沿いに上流に向かって歩き出した。
 既に勝敗は決した。粟屋元親が倒れた以上、木沢長政に逃げ場はない。

 ―――我が柳生庄もこれからまた難しい戦いをしなければならなくなるか……

 一人落ち延びながら柳生家厳の頭にはこれからの大和の情勢のことが去来していた。
 今まで大和を抑えていたのは木沢長政と筒井氏だった。だが、その木沢が倒れたことで大和にも新たな主導権争いが起きるだろう。
 河内の畠山や遊佐なども介入してくるだろうし、当然三好や細川もこれから大和に進出してくる可能性が高い。
 いずれにせよ、柳生の生きる道を新たに模索せねばならなかった。

 ―――松永甚助か。良き若武者であった



 ※   ※   ※



「木沢左京亮、遊佐家臣の小嶋善右衛門が討ち取ったそうにございます!」

 三好長慶の本陣に伝令が駆けこむ。太平寺で粟屋元親を討ち取った三好勢は、遊佐勢と共に飯盛山城へ逃げる木沢長政を追撃し、生駒山中で木沢長政の背を捉えた小嶋によって討ち取られていた。

「そうか。よし!引き上げるぞ!」

 高屋城へ軍勢を戻すよう伝令を出しながら、三好長慶にはこの戦での反省があった。
 敵軍を打ち崩したのは三好勢だが、最終的に木沢長政の首級を挙げるという戦功は得られなかった。

 ―――俺はまだまだ詰めが甘いな

 何よりも自分一人では木沢長政に勝てなかっただろうという思いがある。
 六角定頼と肩を並べるにはまだまだ武を磨く必要がある。何と言っても、今回の戦を裏で圧倒的優位に導いていたのは六角定頼の根回しだった。

 細川晴元を芥川城に戻し、一向一揆を木沢から切り離し、畠山稙長が遊佐に擁立されると幕閣を動かして直ぐに木沢追討令を出させた。
 それによって木沢は次々と離反者を出し、遂には包囲殲滅される運命となった。
 仮に自分が六角に敵対していたらどうなっていたか。それを思うと、勝ったからと単純に喜ぶ気になれない。
 返す返すも、六角と対等に渡り合った父の影が大きいものに感じた。

「殿、此度はよき戦振りでしたな」
「大和守か。いや、俺はまだまだだ。六角と渡り合えるところまで行けておらぬ」

 篠原長政の顔にも厳しさが戻る。
 六角の名を聞いて今更ながらに長慶の目指す高みに思い至ったのだろうか。

 ―――今はまだ武を磨く。今は……な



――――――――

ちょっと解説

ここで出て来た『粟屋元親』は、毛利家臣の粟屋氏とは別の粟屋氏になります。
木沢配下の粟屋元親は、元々若狭武田家の武田信豊の家臣だったのが出奔して木沢長政に仕えていたそうです。
また、松永甚助(松永久秀の弟)は右筆を務めていた兄と違って、最初から武人として三好長慶に仕えていたそうです。
初期の三好を支えた松永兄弟もこの辺りから徐々に歴史の表舞台に出始めます。
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