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第二章 蒲生定秀編 天文法華の乱
第22話 新時代の息吹
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今回は別名一覧無しです
――――――――
観音寺城の評定の間には下座に六角定頼が座し、その後ろには進藤・後藤・蒲生・三雲など錚々たる六角重臣が控えている。
対する上座側には幕臣として大舘尚氏を筆頭に、上野・一色・三渕・海老名・進士など二十名が座っていた。
上座の中央には将軍義晴の席が用意されているが、未だ空席のままになっている。権威を大切にする幕府では将軍の御成りは最後にご出座あそばすのが習わしだった。
幕臣として上座の一席に座る朽木植綱は、やや硬い表情で定頼以下六角家中の頭頂部を眺めながら端座していた。
程なく奥から足音が聞こえてくると、御成りになった将軍足利義晴が上座の中央に座った。
「面をあげよ」
義晴に代わって幕臣筆頭格の大舘尚氏が下座に宣言する。
まず定頼が顔を上げ、続いて六角家臣一同が顔を上げる。一斉に下座からの目線を受け、植綱は思わずたじろいだ。
この一人一人が朽木と同等かそれ以上の軍事力と経済力を有する一端の国人領主なのだ。例えば進藤や後藤・蒲生・永原などは例え単独であっても朽木と互角以上の戦いを充分にできる戦力を持っている。
それらを束ねて一つの勢力としてまとめている定頼の器量のほども推して知るべしだった。
―――これらの者達が公方様御為だけに働けば、幕府の権威など立ちどころに回復できるだろうに…
叶わぬ事と知りつつも植綱はそう思わずにはいられなかった。
朽木もそうだが、本来的に地頭職は守護の配下ではなく幕府直属の代官であり、言うなれば将軍義晴に代わって各地の年貢徴収と治安維持を差配しているに過ぎない。
対して守護は一国、あるいは半国単位で任命されて国内の警察権と裁判権を司る役職で、直接に領地と関わる役職ではない。
本来の役職で言うのならば、彼ら国人領主は六角家と同格の立場で義晴に仕えなければならない。
しかし、戦乱の世にあっては国人領主も幕府を当てにせず、強い力を持つ者を上に戴いて結束を強めて領内の治安維持に当たる。
北近江などは名目上は京極氏の守護する地だが、実質的には国人領主の中から浅井氏という代表者を立てて北近江一帯の結束を強めている。
そして、南近江においては六角氏をその代表者として団結している。彼らは守護六角氏に従っているのではなく、六角定頼という偉大な守護に庇護される事を望んで、自らその被官として働く道を選んだ者達だ。
自分にも彼らをまとめるだけの器量があるかと問われれば、植綱にも確たる自信はない。だが、同年代である定頼に負けてなるものかという思い一つで将軍側近として仕える道を選んだ。
六角定頼は三十九歳、朽木植綱は三十五歳
人生五十年としてもまだまだ勝負はこれからだという思いを密かに持ち続けていた。
「此度の公方様のお成り、有難う存じまする。これなるは某の嫡子、四郎にございます」
定頼がそう言うと、まだ幼さの残る若武者が進み出た。定頼の嫡男である亀寿丸も十三歳になり、この春に元服して六角四郎を名乗っていた。
まだ甲高い声を響かせながら六角四郎が言上する。
「四郎にございます。この度はお目見えの栄誉に浴し、恐悦至極にございまする」
「うむ、よき若武者であるな。先が楽しみな事よ」
義晴も四郎の初々しい名乗りに、自身の置かれた状況も一時忘れて顔を綻ばせた。
植綱にも格別の思いがある。
定頼と植綱が同年代であるということは、その子らも必然的に同年代となる。朽木植綱の嫡男朽木晴綱はこの時十六歳。既に元服も済ませており、義晴の側衆として随行している植綱に代わって朽木谷の差配を任せていた。自分と定頼がそうであるように、六角四郎は嫡男弥五郎晴綱にとって生涯意識していかねばならない相手となることだろう。
義晴側近として民部少輔の官位に就いていた植綱は、通称である弥五郎の名は晴綱に譲っていたが、定頼は変わらず植綱を「弥五郎殿」と昔の名で呼んだ。
本来なら無礼千万と怒るところだが、定頼にとって官職を得ても通称で呼び続けるのは一種の親愛の情の表れであり、言い換えればそれだけ定頼に愛され、信頼されているという事の証でもある。
それを理解している植綱は、定頼に「弥五郎殿」と笑顔で呼ばれる事は不愉快ではなかった。
植綱が六角四郎に思いを巡らせていると、四郎の横に座る定頼から野太い声が響く。
「某からも重ねて御礼申し上げます。つきましては、この四郎を名代として公方様の御上洛のお供を仕りまする」
義晴の左右から「おおっ」と声があがる。ついに六角家が本腰を入れて上洛支援を行うと正式に言明した格好だ。
「まずは、こちらに控えまする後藤・蒲生を先手として遣わし、京の地ならしを行います。公方様のご出座は京の騒乱を落ち着かせてからと相成りまする」
「うむ。期待しておるぞ」
義晴の視線が定頼の後ろ一列目に座す後藤高恒と蒲生定秀を行き来する。
二人は視線を受け、両拳を突いて頭を垂れた。
天文二年(1533年)四月二十一日
うららかな春の日差しの下で六角四郎の将軍義晴へのお目見えが行われた。
前年の山科本願寺の焼き討ちの後、目的を達した六角定頼は入京する事すらせずに九月九日にはさっさと観音寺城に帰っていた。
本願寺焼き討ちが八月二十三日であったから、二十日も滞在しなかった事になる。
必要最小限の残務処理だけ済ませて帰ったのだろう。定頼は徹頭徹尾、上洛に興味を示さなかった。
その後、未だ和睦が成立していなかった将軍義晴と細川晴元の間を仲介し、正式に両者が和睦すると、今度は将軍義晴を仲介者として箕浦合戦以来緊張状態が続いていた京極高延との和睦を成立させる。
その間義晴は箕浦合戦時に京極から朽木谷を攻められそうになった反省から、坂本の陣を払うと観音寺城の隣にある桑実寺に滞在していた。
今や義晴の帰京を支援できるのは定頼を置いて他に居ない。そう思い定めた義晴は、朽木植綱の勧めもあって定頼を全面的に頼っていた。
一方、一向一揆の反乱を招いた細川晴元は、本願寺を焼き討ちした後、摂津各地で法華宗門徒を率いて一向一揆と戦いを続けている。
天文二年の二月には一向一揆に敗れて一時淡路島へ逃れるが、四月七日には再び摂津に上陸し、芥川山城に入って再び一向一揆との戦いを再開する。それに合わせて、未来の舅である定頼にも何度も援助を求めてきていた。
定頼は何度か軍勢を京までは送ったものの、自身は一切出陣せず、さらには京から山崎辺りまでを主戦場としてそれより先には軍勢すら送らなかった。
定頼が軍勢を派遣したのは、あくまで一向一揆を近江に持ち込ませない為だけだった。
だが、大物崩れで敗走した細川高国の弟である細川晴国が丹波で兵を興すと晴元は窮地に立たされた。
これを受けて定頼も晴元を支援するべく上洛軍を興す事を決意する。
目的は京から細川晴国の勢力を駆逐する事だ。
再三にわたって上洛支援を依頼していた将軍義晴の要望に応えるという意味合いもあったが、何よりも自分の起こさせた一向一揆の後始末を晴元自身にさせようと考えての事なのだろう。そのためには、細川晴国にかき回されては困る。
下手に自分が一向一揆討伐の矢面に立って近江国内の宗門を刺激したくないというのが定頼の本音だった。
※ ※ ※
「では、行って参る」
「ご武運をお祈りしております」
蒲生定秀は観音寺城下の蒲生屋敷で妻や留守居の家臣達から見送りを受けていた。
辰の顔は明らかに落胆していた。もちろん戦に出る夫を心配する気持ちも多分にある。
だが、何よりも一年間という時間を得ながらついに懐妊の兆しが無かった事が辰の心を騒つかせていた。
今度の出陣は将軍義晴を上洛させ、その立場を安定させるためのものになる。必然、一度上京してしまえばそう易々と近江に帰る事は難しくなるはずだった。
定秀は辰の肩に手をやると、優しく笑った。
「戻ったら、また一緒に温泉に行こう。それまで、留守を頼むぞ」
「はい。お待ち申し上げております」
ようやく暗い顔を払った辰は、いつもの笑顔に戻って定秀を見送った。
やはり暗い顔よりも明るい顔で見送って欲しいのが男心というものだ。
屋敷を出た定秀は、城門を出て城下の入口まで石段を下った。城下の木戸前では日野から呼び寄せた軍勢が待機している。
「殿、いつでも出立できます」
「うむ」
傍らでは町野将監が騎乗したまま定秀に言上する。定秀も一つ頷くと、ヒラリと馬の背に跨った。
「出立する!」
定秀の一声で蒲生勢二千は観音寺城下を出発した。
先頭に外池茂七の長柄隊を筆頭に一千本の長柄槍が列を成し、その後ろには七百の弓隊が続く。弓隊が切れた後に馬廻を中心とした騎馬三百騎が続いた。
最後尾には荷駄の列が二百頭の牛を引きながら続く。
天下に武威を轟かす六角軍、その先手として堂々たる威容を見せつけるように蒲生勢はゆっくりと楽市内の大路を抜けて観音寺城下を後にした。
賑わいを見せていた楽市の人々も、蒲生勢の凛々しい陣容に会話を止めて感嘆の視線を送る。観音寺城下の人々にとって、戦とは六角軍が南近江の外に遠征して行うものとなっていた。
対い鶴の旗は初夏の風にたなびき、青い空には雲一つ浮かんではいない。
心晴れやかな出陣だったが、広がる青空とは裏腹に間もなく訪れる梅雨空のように、定秀の心には暗い影が貼り付いていた。
―――とうとう、京の政情を無視できなくなったか…
定頼にとっては上洛そのものが本心から喜ばしい事ではない。だが、一向一揆という脅威を前にすれば水際で食い止めるべく京を確保せざるを得なくなったというのが実情だ。
六角の槍として働く定秀にも否応なしに巻き込まれる事への不安はある。だが、やらねば辰や家臣達の暮らす観音寺城下や日野の者達が戦乱に巻き込まれる事になるのだ。
辰の笑顔を思い浮かべながら、定秀は兜の庇を押し上げて視線を周囲に巡らせる。
水を張ったばかりの田が陽の光を反射してキラキラと美しくきらめいていた。
天文二年(1533年)五月三日
蒲生・後藤の軍勢は観音寺城下を発し、五月十日に北白川の将軍山城に着陣する。
総勢五千の六角軍は、手始めに五条の辺りに陣する細川晴国方を打ち払い、北白川を拠点に京の治安維持活動に着手した。
――――――――
ちょこっと解説
武士が官職を得た時は官職名で呼ぶのが習わしですが、これは会社で言えば『朽木課長』という役職名を呼ぶようなイメージと思ってます。
公式の場では役職名を呼ぶのが礼儀ですが、プライベートな場になれば『朽木さん』とか『弥五郎さん』という呼び方をするように、別名で呼ぶのはそれだけ親しい間柄という印象を持っています。
そのため、この物語では定頼は信頼する人々はいつまでも別名で呼び続けるという設定にしています。
あくまで私の個人的イメージなので、史実の定頼がそのように振る舞っていたという根拠はありません。
――――――――
観音寺城の評定の間には下座に六角定頼が座し、その後ろには進藤・後藤・蒲生・三雲など錚々たる六角重臣が控えている。
対する上座側には幕臣として大舘尚氏を筆頭に、上野・一色・三渕・海老名・進士など二十名が座っていた。
上座の中央には将軍義晴の席が用意されているが、未だ空席のままになっている。権威を大切にする幕府では将軍の御成りは最後にご出座あそばすのが習わしだった。
幕臣として上座の一席に座る朽木植綱は、やや硬い表情で定頼以下六角家中の頭頂部を眺めながら端座していた。
程なく奥から足音が聞こえてくると、御成りになった将軍足利義晴が上座の中央に座った。
「面をあげよ」
義晴に代わって幕臣筆頭格の大舘尚氏が下座に宣言する。
まず定頼が顔を上げ、続いて六角家臣一同が顔を上げる。一斉に下座からの目線を受け、植綱は思わずたじろいだ。
この一人一人が朽木と同等かそれ以上の軍事力と経済力を有する一端の国人領主なのだ。例えば進藤や後藤・蒲生・永原などは例え単独であっても朽木と互角以上の戦いを充分にできる戦力を持っている。
それらを束ねて一つの勢力としてまとめている定頼の器量のほども推して知るべしだった。
―――これらの者達が公方様御為だけに働けば、幕府の権威など立ちどころに回復できるだろうに…
叶わぬ事と知りつつも植綱はそう思わずにはいられなかった。
朽木もそうだが、本来的に地頭職は守護の配下ではなく幕府直属の代官であり、言うなれば将軍義晴に代わって各地の年貢徴収と治安維持を差配しているに過ぎない。
対して守護は一国、あるいは半国単位で任命されて国内の警察権と裁判権を司る役職で、直接に領地と関わる役職ではない。
本来の役職で言うのならば、彼ら国人領主は六角家と同格の立場で義晴に仕えなければならない。
しかし、戦乱の世にあっては国人領主も幕府を当てにせず、強い力を持つ者を上に戴いて結束を強めて領内の治安維持に当たる。
北近江などは名目上は京極氏の守護する地だが、実質的には国人領主の中から浅井氏という代表者を立てて北近江一帯の結束を強めている。
そして、南近江においては六角氏をその代表者として団結している。彼らは守護六角氏に従っているのではなく、六角定頼という偉大な守護に庇護される事を望んで、自らその被官として働く道を選んだ者達だ。
自分にも彼らをまとめるだけの器量があるかと問われれば、植綱にも確たる自信はない。だが、同年代である定頼に負けてなるものかという思い一つで将軍側近として仕える道を選んだ。
六角定頼は三十九歳、朽木植綱は三十五歳
人生五十年としてもまだまだ勝負はこれからだという思いを密かに持ち続けていた。
「此度の公方様のお成り、有難う存じまする。これなるは某の嫡子、四郎にございます」
定頼がそう言うと、まだ幼さの残る若武者が進み出た。定頼の嫡男である亀寿丸も十三歳になり、この春に元服して六角四郎を名乗っていた。
まだ甲高い声を響かせながら六角四郎が言上する。
「四郎にございます。この度はお目見えの栄誉に浴し、恐悦至極にございまする」
「うむ、よき若武者であるな。先が楽しみな事よ」
義晴も四郎の初々しい名乗りに、自身の置かれた状況も一時忘れて顔を綻ばせた。
植綱にも格別の思いがある。
定頼と植綱が同年代であるということは、その子らも必然的に同年代となる。朽木植綱の嫡男朽木晴綱はこの時十六歳。既に元服も済ませており、義晴の側衆として随行している植綱に代わって朽木谷の差配を任せていた。自分と定頼がそうであるように、六角四郎は嫡男弥五郎晴綱にとって生涯意識していかねばならない相手となることだろう。
義晴側近として民部少輔の官位に就いていた植綱は、通称である弥五郎の名は晴綱に譲っていたが、定頼は変わらず植綱を「弥五郎殿」と昔の名で呼んだ。
本来なら無礼千万と怒るところだが、定頼にとって官職を得ても通称で呼び続けるのは一種の親愛の情の表れであり、言い換えればそれだけ定頼に愛され、信頼されているという事の証でもある。
それを理解している植綱は、定頼に「弥五郎殿」と笑顔で呼ばれる事は不愉快ではなかった。
植綱が六角四郎に思いを巡らせていると、四郎の横に座る定頼から野太い声が響く。
「某からも重ねて御礼申し上げます。つきましては、この四郎を名代として公方様の御上洛のお供を仕りまする」
義晴の左右から「おおっ」と声があがる。ついに六角家が本腰を入れて上洛支援を行うと正式に言明した格好だ。
「まずは、こちらに控えまする後藤・蒲生を先手として遣わし、京の地ならしを行います。公方様のご出座は京の騒乱を落ち着かせてからと相成りまする」
「うむ。期待しておるぞ」
義晴の視線が定頼の後ろ一列目に座す後藤高恒と蒲生定秀を行き来する。
二人は視線を受け、両拳を突いて頭を垂れた。
天文二年(1533年)四月二十一日
うららかな春の日差しの下で六角四郎の将軍義晴へのお目見えが行われた。
前年の山科本願寺の焼き討ちの後、目的を達した六角定頼は入京する事すらせずに九月九日にはさっさと観音寺城に帰っていた。
本願寺焼き討ちが八月二十三日であったから、二十日も滞在しなかった事になる。
必要最小限の残務処理だけ済ませて帰ったのだろう。定頼は徹頭徹尾、上洛に興味を示さなかった。
その後、未だ和睦が成立していなかった将軍義晴と細川晴元の間を仲介し、正式に両者が和睦すると、今度は将軍義晴を仲介者として箕浦合戦以来緊張状態が続いていた京極高延との和睦を成立させる。
その間義晴は箕浦合戦時に京極から朽木谷を攻められそうになった反省から、坂本の陣を払うと観音寺城の隣にある桑実寺に滞在していた。
今や義晴の帰京を支援できるのは定頼を置いて他に居ない。そう思い定めた義晴は、朽木植綱の勧めもあって定頼を全面的に頼っていた。
一方、一向一揆の反乱を招いた細川晴元は、本願寺を焼き討ちした後、摂津各地で法華宗門徒を率いて一向一揆と戦いを続けている。
天文二年の二月には一向一揆に敗れて一時淡路島へ逃れるが、四月七日には再び摂津に上陸し、芥川山城に入って再び一向一揆との戦いを再開する。それに合わせて、未来の舅である定頼にも何度も援助を求めてきていた。
定頼は何度か軍勢を京までは送ったものの、自身は一切出陣せず、さらには京から山崎辺りまでを主戦場としてそれより先には軍勢すら送らなかった。
定頼が軍勢を派遣したのは、あくまで一向一揆を近江に持ち込ませない為だけだった。
だが、大物崩れで敗走した細川高国の弟である細川晴国が丹波で兵を興すと晴元は窮地に立たされた。
これを受けて定頼も晴元を支援するべく上洛軍を興す事を決意する。
目的は京から細川晴国の勢力を駆逐する事だ。
再三にわたって上洛支援を依頼していた将軍義晴の要望に応えるという意味合いもあったが、何よりも自分の起こさせた一向一揆の後始末を晴元自身にさせようと考えての事なのだろう。そのためには、細川晴国にかき回されては困る。
下手に自分が一向一揆討伐の矢面に立って近江国内の宗門を刺激したくないというのが定頼の本音だった。
※ ※ ※
「では、行って参る」
「ご武運をお祈りしております」
蒲生定秀は観音寺城下の蒲生屋敷で妻や留守居の家臣達から見送りを受けていた。
辰の顔は明らかに落胆していた。もちろん戦に出る夫を心配する気持ちも多分にある。
だが、何よりも一年間という時間を得ながらついに懐妊の兆しが無かった事が辰の心を騒つかせていた。
今度の出陣は将軍義晴を上洛させ、その立場を安定させるためのものになる。必然、一度上京してしまえばそう易々と近江に帰る事は難しくなるはずだった。
定秀は辰の肩に手をやると、優しく笑った。
「戻ったら、また一緒に温泉に行こう。それまで、留守を頼むぞ」
「はい。お待ち申し上げております」
ようやく暗い顔を払った辰は、いつもの笑顔に戻って定秀を見送った。
やはり暗い顔よりも明るい顔で見送って欲しいのが男心というものだ。
屋敷を出た定秀は、城門を出て城下の入口まで石段を下った。城下の木戸前では日野から呼び寄せた軍勢が待機している。
「殿、いつでも出立できます」
「うむ」
傍らでは町野将監が騎乗したまま定秀に言上する。定秀も一つ頷くと、ヒラリと馬の背に跨った。
「出立する!」
定秀の一声で蒲生勢二千は観音寺城下を出発した。
先頭に外池茂七の長柄隊を筆頭に一千本の長柄槍が列を成し、その後ろには七百の弓隊が続く。弓隊が切れた後に馬廻を中心とした騎馬三百騎が続いた。
最後尾には荷駄の列が二百頭の牛を引きながら続く。
天下に武威を轟かす六角軍、その先手として堂々たる威容を見せつけるように蒲生勢はゆっくりと楽市内の大路を抜けて観音寺城下を後にした。
賑わいを見せていた楽市の人々も、蒲生勢の凛々しい陣容に会話を止めて感嘆の視線を送る。観音寺城下の人々にとって、戦とは六角軍が南近江の外に遠征して行うものとなっていた。
対い鶴の旗は初夏の風にたなびき、青い空には雲一つ浮かんではいない。
心晴れやかな出陣だったが、広がる青空とは裏腹に間もなく訪れる梅雨空のように、定秀の心には暗い影が貼り付いていた。
―――とうとう、京の政情を無視できなくなったか…
定頼にとっては上洛そのものが本心から喜ばしい事ではない。だが、一向一揆という脅威を前にすれば水際で食い止めるべく京を確保せざるを得なくなったというのが実情だ。
六角の槍として働く定秀にも否応なしに巻き込まれる事への不安はある。だが、やらねば辰や家臣達の暮らす観音寺城下や日野の者達が戦乱に巻き込まれる事になるのだ。
辰の笑顔を思い浮かべながら、定秀は兜の庇を押し上げて視線を周囲に巡らせる。
水を張ったばかりの田が陽の光を反射してキラキラと美しくきらめいていた。
天文二年(1533年)五月三日
蒲生・後藤の軍勢は観音寺城下を発し、五月十日に北白川の将軍山城に着陣する。
総勢五千の六角軍は、手始めに五条の辺りに陣する細川晴国方を打ち払い、北白川を拠点に京の治安維持活動に着手した。
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ちょこっと解説
武士が官職を得た時は官職名で呼ぶのが習わしですが、これは会社で言えば『朽木課長』という役職名を呼ぶようなイメージと思ってます。
公式の場では役職名を呼ぶのが礼儀ですが、プライベートな場になれば『朽木さん』とか『弥五郎さん』という呼び方をするように、別名で呼ぶのはそれだけ親しい間柄という印象を持っています。
そのため、この物語では定頼は信頼する人々はいつまでも別名で呼び続けるという設定にしています。
あくまで私の個人的イメージなので、史実の定頼がそのように振る舞っていたという根拠はありません。
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