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第二章 蒲生定秀編 天文法華の乱
第20話 田楽の夏
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主要登場人物別名
藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣
三左… 後藤高恒 六角家臣
阿州六郎… 細川晴元 細川京兆家当主 六角定頼の娘を娶る約束をしている
筑前守… 三好元長 細川家臣 主君晴元によって謀殺された
――――――――
温泉の湯に浸かりながら、定秀は左腕を前後に振り動かしてみる。湯の抵抗が程よい負担を左腕に掛けて来るが、違和感は一切なかった。
続いて上下左右に左腕を曲げ、さらに指を握ったり開いたりしてそれぞれの感覚を確かめる。これも違和感を一切感じず、体に痛みを感じる場所も無かった。
「よし。すっかり元通りだな」
独り言ちた定秀はそっと左肩に手をやる。肩には昨年の箕浦河原で負った傷跡が残ったが、すでにしっかりとした皮膚が張られ、見た目にも古傷と一目でわかる状態にまで回復していた。
天文元年(1532年)七月
定秀は箕浦河原の合戦の後、傷を癒すべく定期的に永源寺の近くの温泉に通っていた。
温泉と言っても湯の湧く場所に粗末な小屋を設えた程度のもので、近郷の百姓や行商がてらに通りがかった商人達が湯に浸かって日常の疲れを癒す場所になっていた。
最初は温泉の湯が傷に障ったが、やがてその痛みも感じなくなり、徐々に左肩や体中に負った傷を元に戻すように湯の中で軽く動かす事を繰り返していた。
湯治を始めて一年。定秀はようやく傷が完全に癒え、元通りの体の動きを取り戻していた。
「ようございました」
隣で妻の辰が湯に浸かりながらニコニコと笑っている。
この一年は定頼から許しをもらい、体の治療と領内の整備に時間を使えた。特に物頭の多くを失った軍勢には各家から次男や三男などを召し出し、それも居ない家は進藤家や馬淵家の家中から養子を取らせて名跡を継がせ、戦力の回復を急がせた。
六角家自身もこの一年は外征を慎み、領内の整備と家臣達の軍勢の回復に充てた。それほど箕浦河原の合戦で受けた被害は深刻だった。
もっとも、辰にとっては有難い一年間だったようだ。
何しろ嫁いでから数えるほどしか顔を合せなかった夫と毎日一緒に居る事が出来た。傷の為に日常生活に不自由する定秀の身の回りの世話にまめまめしく働き、傷がある程度癒えてからは表向きの場に顔を出す事は極力控えたが、湯治の時には毎回同行して同じように身の回りの世話に務めた。
身の回りの世話ならば小姓や近習が居るのだが、湯治の時は護衛の為に同行はしても湯に入る段になると決まって皆一様に腹が痛くなるのだった。
定秀にも辰や家臣達の言いたいことは分かるし、辰を愛おしく思う気持ちももちろんある。身の回りの世話を頼む中で本当の意味での夫婦にもなった。
だが、こればかりは天が授けて下さるのを待つしかないのだから、苦笑しつつ辰と共に湯を楽しむのが恒例だった。
「藤十郎様。帰りにはまた永源寺に参りとうございますわ」
「うむ。今回は快癒のお礼参りに東光寺の薬師如来様にも参拝して参ろうか」
「はい」
辰の顔がだいぶ赤くなっている。「そろそろ上がるか」と言葉を掛けて定秀が先に湯から上がった。
後ろで辰も湯から上がる音がして、二人で体を拭うとお互いに小袖を羽織って少し体を冷ました。
貧血の気がある辰は長時間湯に浸かっているとすぐに気を失ってしまうので、定秀も最近はそこそこで湯から上がるようにしている。
最初に湯治に来た時はまだ左腕に傷が残っており、のぼせて倒れた辰を助け起こすこともできず、かといって外の近習を呼んで辰の素肌を見せる事もできずで、なんとか右腕一本で湯から上がらせてしばらく休ませる破目になった。
湯治を終えると永源寺の山門をくぐって本尊にお参りする。
永源寺は六角氏の居城である観音寺城からほど近い場所にあり、開山そのものが南北朝の動乱期に京の戦乱を逃れて近江へ来た寂室元光という禅僧を迎える為に開いたという由緒がある。
その時に元光を迎えて開基を行ったのが定頼の七代前の当主である六角氏頼だった。
その後も永源寺は六角氏の強力な庇護の元に発展してきた。
臨済宗の寺である永源寺には修行中の禅僧も多く居て、本来的には修行の妨げになる女人は立ち入りを禁じていたが、六角重臣の蒲生藤十郎の妻女と言えば無碍にも出来なかった。
「熱心にお参りされていますな」
永源寺の住職を務める開光禅師がにこやかに定秀に声をかけて来る。視線の先には本堂に向かって一心に手を合わせる辰の姿があった。
永源寺は愛知川が削り取った渓谷の中に建立されており、眼下には愛知川の流れがはるか下に望め、彼方には湖東三山の山並みが雄大に広がる風光明媚な景勝地だ。
だが、辰が湯治の度に永源寺を参りたがるのは別の理由があった。
子が無かった氏頼の息子の六角満高が熱心に本尊に祈願していると、やがて嫡子の満綱を授かったと言う故事にちなみ、永源寺の本尊は世継観音と呼ばれた。
世継観音を参ると良い跡継を授けて下さるという伝承があり、子宝を願う辰にとっては一日中参っていても飽き足りないご本尊だった。
―――早く授けてやれるといいのだがな…
定秀は心の中で苦笑した。
開光禅師もニコニコと対応しているが、周りがそうやって微笑ましく対応すればするほど定秀には重圧がかかる。
定秀は二十五歳、辰も十九歳になっている。定秀には辰だけでなく家臣達や開光禅師にまで早く子宝をとせっつかれている気がして落ち着かなかった。
もっとも、辰の背負っている重圧は定秀の比ではないだろうと思うと、何はともあれ早く授けてやりたいと願う事しかできなかった。
※ ※ ※
七月の末には観音寺城にほど近い八日市で夏祭りが開催され、定秀も辰を伴って祭り見物に来ていた。
観音寺城下には家臣に屋敷地が与えられ、定頼の直臣以外に国人領主層も観音寺城に上る時には与えられた屋敷地を宿とした。日野音羽城などのように不必要な城を破却し、中央集権化を推し進める一方で商工業者の屋敷地も整備され、全国に先駆けて城下町の祖型が出来上がっていた。
湯治の利便性から定秀も近頃では観音寺城下に居住する事が多くなり、それに伴って辰も観音寺城下の蒲生屋敷に住んでいる。
もっとも、後年のように妻子を人質として住まわせるような事はなく、各々の妻子を呼び寄せるかどうかはそれぞれの国人領主に一任されている。それどころか領主本人の在住すら強制ではなかった。
定秀は定頼に対して一切の二心を抱く事は無かったので、何の疑問も無く観音寺城下に辰を住まわせた。
「あ、殿。あちらに田楽の舞台がありますわ」
「まあ待て、慌てずとも田楽は逃げんさ」
辰が楽しそうに定秀の手を引いて田楽の舞台の方へと歩く。
新婚当初の慎み深さはどこへやらで、一度肌を重ねてからは辰も定秀に積極的に接して来ていた。
辰と手を繋いで歩いていると、同じく田楽見物に来ていた定頼夫妻とばったりと出会ってしまった。
「おっ、御屋形…モゴッ」
「しっ!それ以上言うな!」
驚いて声を上げそうになった定秀の口を強引に塞いで、定頼が慌てて自分の口元に人差し指を当てる。
よく見れば定頼と志野も護衛らしき者を連れておらず、さらには二人共着古した小袖を着て百姓と見まがうように変装している。
おそらくこっそり抜け出して来たのだろうなと思うと、いかにも定頼らしい振る舞いに定秀も苦笑するしかなかった。
「百姓の祭りに守護が来ているなどと知られれば百姓たちが心から楽しめんだろう。わしはこっそりと見物したいのだ」
憤然と言い放つ定頼に、志野もニコニコと笑っている。足利家御一門の出自であるにも関わらず、志野にはそういった事に頓着するところは一切なかった。むしろ定頼と共にそうした振る舞いをすることを楽しんでいる節さえあった。
余りの事に辰は言葉を失って慌てて頭を下げるだけだったが、定頼は一切気にする事無く、むしろ定秀をからかいにきていた。
「噂には聞いていたが、美しき妻女ではないか。うらやましいのう、藤十郎」
「ええ、そうでしょう。某は果報者です」
定秀がニコリと返すと、定頼が豆鉄砲をくらったような顔をして定秀を見た。
「こやつ、さらりと言い返しおって。すっかりからかい甲斐が無くなってしもうたわ」
定頼が興ざめたように苦笑する。定秀も近頃ではようやく定頼の扱い方を心得てきていた。
からかわれても慌てずに平然としていればいいのだ。恥ずかしがったり慌てたりしたら、その反応を面白がって益々からかいにくる。
しかし、それを知らない辰は顔を真っ赤にして俯いていた。このように真正面から定秀に美しいと言われた事はない。
久々に顔を赤らめて俯きながら、定秀の小袖の裾を握っていた。
行きがかり上、護衛を兼ねて定頼夫妻と共に田楽を見物する事になった。
暗闇の中で舞台の周りに明々とかがり火が焚かれ、太鼓の音に合わせてくちをすぼめた道化役の男が袖から出てきた。
一座が拍手で迎えると、早速男はおどけた仕草で田植えの様子を演じ始める。
次々に野良仕事をこなしながら合間合間に女とあいびきする男に、女房役の役者が舞台袖から出てきて男を問い詰め始める。演目は女好きの男が野良仕事の合間に上手く浮気をしながら過ごしていくが、ついにバレて女房に尻を蹴り上げられるという筋書きだった。
この時代男は庶民であっても複数の女性と関係を持つのが一般的だが、女房も大人しく従っているだけではない。
気に入らなければ亭主の尻を蹴り上げて三下り半を突きつける事もあった。
主従関係と同じく、江戸時代ほどに男女の関係は女性に厳しい物ではなかった。
一座の百姓たちも大笑いで手を叩いていた。興が乗った定頼は定秀を引っ張って飛び入りで舞台に上り、即興でおどけた舞を披露して百姓たちを喜ばせた。
どの顔もまさか城主である六角様が田楽舞台で舞っているとは夢にも思っていない。
世阿弥は猿楽を洗練して能を完成させたが、定頼は上品な猿楽だけでなく下卑た笑いを楽しむ田楽も好んだ。
民衆が生活の中で娯楽として舞った田楽は、その時代なりの『あるあるネタ』のような笑いを民衆に提供するものだった。
※ ※ ※
八月に入ると六角家臣に召集が掛かった。
「またぞろ京で騒ぎが起こったようだ」
上座に座る定頼がため息を吐きながらそう宣言すると、定頼の後を継いで進藤貞治が一座に話し始めた。
「阿州六郎様が一向一揆の軍勢を使って三好筑前守殿を敗走させ、腹切らせたとの報せが参りました」
定秀は驚きの余りしばらく無言で進藤の顔を見つめる事しかできなかった。
あの明るさを持つ青年が主君に裏切られて腹切らされたなどと、聞いていて気持ちの良い話ではない。しかし定秀の視線にも気づかぬように進藤は話を続ける。
「一向門徒は筑前守殿を死なせて堺の政所を壊滅させただけでは止まらず、続けて大和に乱入して興福寺を攻撃し、筒井や越智などの地頭が軍勢を出してようやく大和から追い出したとの由。
さらに勢いを増した一向門徒は、摂津や河内の諸城を落として各地の兵糧を食い荒らし、とうとう六郎様も軍勢を出して一向門徒の討伐を始められたそうにございます。
一向門徒の本拠地である山科本願寺を攻略して京洛から一向門徒を駆逐するため、我が六角家にも山科本願寺攻めに参加してもらいたいと要請が参りました」
一座には沈黙が落ちた。外の眩しいくらいの日差しと対照的に日陰となった室内は暗い空気に包まれ、うるさく響く蝉の声は過ぎ去る夏を表すように茫漠とした寂寥感を運んで来る。
―――六郎様は一体何を考えておられるのか…
しばらく蝉の声だけが響く室内で、定秀は細川晴元の頭は本当に大丈夫なのかと不安になった。
「笑えるだろう。敗走寸前の自分を救ってくれた家臣を謀殺し、その手先となった一向一揆を制御できずに今度は一向一揆を討つというのだからな。そして一向一揆を討つために今度は法華宗の一揆を使うそうだ。
真におつむの切れる婿殿だと思わんか?」
評定の間に定頼の乾いた笑いが響く。言葉とは裏腹に、目は一切笑ってはいなかった。
三好元長を自害に追い込んだ一向一揆は、法華宗だけでなく興福寺をも攻撃目標に据えて大和国に侵入した。
仏敵を討つと呼号して一揆を主導した証如・蓮淳は、三好を討った事で一揆の終了を宣言したが、元々一揆衆は証如の激ではなく食い詰めた民衆が食を求めて立ち上がったのが主な蜂起理由だった。
その為、三好家の備蓄兵糧や堺幕府の兵糧を食い尽くすと、次は大和興福寺の食料を狙って大和に侵入したのが実情だった。
もはや本願寺法主の停止命令も聞き入れなくなって暴走を続ける一向一揆は、興福寺の塔頭を焼き払って米を奪い取ると池の鯉や春日大社の鹿なども食い尽くし、大和に食う物が無くなると摂津や河内の晴元方の諸城の兵糧を狙って攻撃を開始した。
事ここに至って晴元はようやく己の間違いに気づき、一向宗を討伐する事を決意する。
だが、その方法として今度は一向宗と敵対している法華宗の門徒を使うという迷走ぶりだった。
それだけ晴元自身の軍勢が少なかったという事もあるが、宗教勢力は下手に使えば制御できなくなることを学習する事は無かった。
定頼からすれば、加賀の事例を見れば一向宗などに大義名分を与えれば何もかもを食い尽くすイナゴと化すというのは分かり切っていた事だった。
「ともあれ、事が一向一揆であればわしとしても放置はできん。近江にも一向宗の寺内町は数多くある。
イナゴの群れが近江に飛び火すれば、近江の民は飢餓に苦しむ事にもなろう」
比叡山や法華宗から弾圧を受けた本願寺六世蓮如は逃避先として越前や加賀に布教を行ったが、その逃避行の途中で近江にも布教を行っている。
堅田の本福寺周辺や金森寺内町などは一向宗の信徒の多い地域で、万一にも摂津や河内の門徒を受け入れる事にでもなれば近江に一向一揆が広がる事は火を見るより明らかだった。
「藤十郎、三左。お主らはいち早く軍勢を引き連れ、坂本と大津に布陣しろ。
おっつけわしも参るが、それまでに一向宗がこちらに流れてくるようならば坂本で防ぎ止めよ」
「ハッ!」
「ハッ!」
元来六角氏は一向宗に敵対まではしていないが、寛容という訳でもなかった。
あくまで悪さをしないのならばという条件付きで黙認しているに過ぎない。
一向一揆が近江の民を苦しめる恐れがあるのならば、排除する事にためらいは無かった。
天文元年(1532年)八月十一日
六角軍は坂本に到着、次いで翌十二日には大津に布陣し、定頼本隊も十三日には大津に布陣した。
一向宗の本拠地である山科本願寺を討伐し、一向宗を駆逐する事が目的だった。
細川晴元は方々に援軍を求め、法華宗と共に一向宗を仏敵と忌避する比叡山も僧兵を山科へ向かわせる。
武門と宗門との戦いは、まだ始まったばかりだった。
――――――――
ちょこっと解説
加賀一向一揆は最初は加賀守護の地位を争っていた富樫政親の要請を受けて軍勢を出していました。
ところが、一向門徒の数の威力を恐れた富樫政親に裏切られ、政親が実権を握った後は一向宗を弾圧し始めます。
追い詰められた一向門徒は富樫泰高を守護に擁立し、逆に政親を滅ぼしてしまいます。
これにより加賀国の実権を握った一向宗は、その後も弾圧を加えて来る周辺の諸大名と戦いを続け、加賀一国は約百年の間『一向一揆の治める国』となりました。
藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣
三左… 後藤高恒 六角家臣
阿州六郎… 細川晴元 細川京兆家当主 六角定頼の娘を娶る約束をしている
筑前守… 三好元長 細川家臣 主君晴元によって謀殺された
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温泉の湯に浸かりながら、定秀は左腕を前後に振り動かしてみる。湯の抵抗が程よい負担を左腕に掛けて来るが、違和感は一切なかった。
続いて上下左右に左腕を曲げ、さらに指を握ったり開いたりしてそれぞれの感覚を確かめる。これも違和感を一切感じず、体に痛みを感じる場所も無かった。
「よし。すっかり元通りだな」
独り言ちた定秀はそっと左肩に手をやる。肩には昨年の箕浦河原で負った傷跡が残ったが、すでにしっかりとした皮膚が張られ、見た目にも古傷と一目でわかる状態にまで回復していた。
天文元年(1532年)七月
定秀は箕浦河原の合戦の後、傷を癒すべく定期的に永源寺の近くの温泉に通っていた。
温泉と言っても湯の湧く場所に粗末な小屋を設えた程度のもので、近郷の百姓や行商がてらに通りがかった商人達が湯に浸かって日常の疲れを癒す場所になっていた。
最初は温泉の湯が傷に障ったが、やがてその痛みも感じなくなり、徐々に左肩や体中に負った傷を元に戻すように湯の中で軽く動かす事を繰り返していた。
湯治を始めて一年。定秀はようやく傷が完全に癒え、元通りの体の動きを取り戻していた。
「ようございました」
隣で妻の辰が湯に浸かりながらニコニコと笑っている。
この一年は定頼から許しをもらい、体の治療と領内の整備に時間を使えた。特に物頭の多くを失った軍勢には各家から次男や三男などを召し出し、それも居ない家は進藤家や馬淵家の家中から養子を取らせて名跡を継がせ、戦力の回復を急がせた。
六角家自身もこの一年は外征を慎み、領内の整備と家臣達の軍勢の回復に充てた。それほど箕浦河原の合戦で受けた被害は深刻だった。
もっとも、辰にとっては有難い一年間だったようだ。
何しろ嫁いでから数えるほどしか顔を合せなかった夫と毎日一緒に居る事が出来た。傷の為に日常生活に不自由する定秀の身の回りの世話にまめまめしく働き、傷がある程度癒えてからは表向きの場に顔を出す事は極力控えたが、湯治の時には毎回同行して同じように身の回りの世話に務めた。
身の回りの世話ならば小姓や近習が居るのだが、湯治の時は護衛の為に同行はしても湯に入る段になると決まって皆一様に腹が痛くなるのだった。
定秀にも辰や家臣達の言いたいことは分かるし、辰を愛おしく思う気持ちももちろんある。身の回りの世話を頼む中で本当の意味での夫婦にもなった。
だが、こればかりは天が授けて下さるのを待つしかないのだから、苦笑しつつ辰と共に湯を楽しむのが恒例だった。
「藤十郎様。帰りにはまた永源寺に参りとうございますわ」
「うむ。今回は快癒のお礼参りに東光寺の薬師如来様にも参拝して参ろうか」
「はい」
辰の顔がだいぶ赤くなっている。「そろそろ上がるか」と言葉を掛けて定秀が先に湯から上がった。
後ろで辰も湯から上がる音がして、二人で体を拭うとお互いに小袖を羽織って少し体を冷ました。
貧血の気がある辰は長時間湯に浸かっているとすぐに気を失ってしまうので、定秀も最近はそこそこで湯から上がるようにしている。
最初に湯治に来た時はまだ左腕に傷が残っており、のぼせて倒れた辰を助け起こすこともできず、かといって外の近習を呼んで辰の素肌を見せる事もできずで、なんとか右腕一本で湯から上がらせてしばらく休ませる破目になった。
湯治を終えると永源寺の山門をくぐって本尊にお参りする。
永源寺は六角氏の居城である観音寺城からほど近い場所にあり、開山そのものが南北朝の動乱期に京の戦乱を逃れて近江へ来た寂室元光という禅僧を迎える為に開いたという由緒がある。
その時に元光を迎えて開基を行ったのが定頼の七代前の当主である六角氏頼だった。
その後も永源寺は六角氏の強力な庇護の元に発展してきた。
臨済宗の寺である永源寺には修行中の禅僧も多く居て、本来的には修行の妨げになる女人は立ち入りを禁じていたが、六角重臣の蒲生藤十郎の妻女と言えば無碍にも出来なかった。
「熱心にお参りされていますな」
永源寺の住職を務める開光禅師がにこやかに定秀に声をかけて来る。視線の先には本堂に向かって一心に手を合わせる辰の姿があった。
永源寺は愛知川が削り取った渓谷の中に建立されており、眼下には愛知川の流れがはるか下に望め、彼方には湖東三山の山並みが雄大に広がる風光明媚な景勝地だ。
だが、辰が湯治の度に永源寺を参りたがるのは別の理由があった。
子が無かった氏頼の息子の六角満高が熱心に本尊に祈願していると、やがて嫡子の満綱を授かったと言う故事にちなみ、永源寺の本尊は世継観音と呼ばれた。
世継観音を参ると良い跡継を授けて下さるという伝承があり、子宝を願う辰にとっては一日中参っていても飽き足りないご本尊だった。
―――早く授けてやれるといいのだがな…
定秀は心の中で苦笑した。
開光禅師もニコニコと対応しているが、周りがそうやって微笑ましく対応すればするほど定秀には重圧がかかる。
定秀は二十五歳、辰も十九歳になっている。定秀には辰だけでなく家臣達や開光禅師にまで早く子宝をとせっつかれている気がして落ち着かなかった。
もっとも、辰の背負っている重圧は定秀の比ではないだろうと思うと、何はともあれ早く授けてやりたいと願う事しかできなかった。
※ ※ ※
七月の末には観音寺城にほど近い八日市で夏祭りが開催され、定秀も辰を伴って祭り見物に来ていた。
観音寺城下には家臣に屋敷地が与えられ、定頼の直臣以外に国人領主層も観音寺城に上る時には与えられた屋敷地を宿とした。日野音羽城などのように不必要な城を破却し、中央集権化を推し進める一方で商工業者の屋敷地も整備され、全国に先駆けて城下町の祖型が出来上がっていた。
湯治の利便性から定秀も近頃では観音寺城下に居住する事が多くなり、それに伴って辰も観音寺城下の蒲生屋敷に住んでいる。
もっとも、後年のように妻子を人質として住まわせるような事はなく、各々の妻子を呼び寄せるかどうかはそれぞれの国人領主に一任されている。それどころか領主本人の在住すら強制ではなかった。
定秀は定頼に対して一切の二心を抱く事は無かったので、何の疑問も無く観音寺城下に辰を住まわせた。
「あ、殿。あちらに田楽の舞台がありますわ」
「まあ待て、慌てずとも田楽は逃げんさ」
辰が楽しそうに定秀の手を引いて田楽の舞台の方へと歩く。
新婚当初の慎み深さはどこへやらで、一度肌を重ねてからは辰も定秀に積極的に接して来ていた。
辰と手を繋いで歩いていると、同じく田楽見物に来ていた定頼夫妻とばったりと出会ってしまった。
「おっ、御屋形…モゴッ」
「しっ!それ以上言うな!」
驚いて声を上げそうになった定秀の口を強引に塞いで、定頼が慌てて自分の口元に人差し指を当てる。
よく見れば定頼と志野も護衛らしき者を連れておらず、さらには二人共着古した小袖を着て百姓と見まがうように変装している。
おそらくこっそり抜け出して来たのだろうなと思うと、いかにも定頼らしい振る舞いに定秀も苦笑するしかなかった。
「百姓の祭りに守護が来ているなどと知られれば百姓たちが心から楽しめんだろう。わしはこっそりと見物したいのだ」
憤然と言い放つ定頼に、志野もニコニコと笑っている。足利家御一門の出自であるにも関わらず、志野にはそういった事に頓着するところは一切なかった。むしろ定頼と共にそうした振る舞いをすることを楽しんでいる節さえあった。
余りの事に辰は言葉を失って慌てて頭を下げるだけだったが、定頼は一切気にする事無く、むしろ定秀をからかいにきていた。
「噂には聞いていたが、美しき妻女ではないか。うらやましいのう、藤十郎」
「ええ、そうでしょう。某は果報者です」
定秀がニコリと返すと、定頼が豆鉄砲をくらったような顔をして定秀を見た。
「こやつ、さらりと言い返しおって。すっかりからかい甲斐が無くなってしもうたわ」
定頼が興ざめたように苦笑する。定秀も近頃ではようやく定頼の扱い方を心得てきていた。
からかわれても慌てずに平然としていればいいのだ。恥ずかしがったり慌てたりしたら、その反応を面白がって益々からかいにくる。
しかし、それを知らない辰は顔を真っ赤にして俯いていた。このように真正面から定秀に美しいと言われた事はない。
久々に顔を赤らめて俯きながら、定秀の小袖の裾を握っていた。
行きがかり上、護衛を兼ねて定頼夫妻と共に田楽を見物する事になった。
暗闇の中で舞台の周りに明々とかがり火が焚かれ、太鼓の音に合わせてくちをすぼめた道化役の男が袖から出てきた。
一座が拍手で迎えると、早速男はおどけた仕草で田植えの様子を演じ始める。
次々に野良仕事をこなしながら合間合間に女とあいびきする男に、女房役の役者が舞台袖から出てきて男を問い詰め始める。演目は女好きの男が野良仕事の合間に上手く浮気をしながら過ごしていくが、ついにバレて女房に尻を蹴り上げられるという筋書きだった。
この時代男は庶民であっても複数の女性と関係を持つのが一般的だが、女房も大人しく従っているだけではない。
気に入らなければ亭主の尻を蹴り上げて三下り半を突きつける事もあった。
主従関係と同じく、江戸時代ほどに男女の関係は女性に厳しい物ではなかった。
一座の百姓たちも大笑いで手を叩いていた。興が乗った定頼は定秀を引っ張って飛び入りで舞台に上り、即興でおどけた舞を披露して百姓たちを喜ばせた。
どの顔もまさか城主である六角様が田楽舞台で舞っているとは夢にも思っていない。
世阿弥は猿楽を洗練して能を完成させたが、定頼は上品な猿楽だけでなく下卑た笑いを楽しむ田楽も好んだ。
民衆が生活の中で娯楽として舞った田楽は、その時代なりの『あるあるネタ』のような笑いを民衆に提供するものだった。
※ ※ ※
八月に入ると六角家臣に召集が掛かった。
「またぞろ京で騒ぎが起こったようだ」
上座に座る定頼がため息を吐きながらそう宣言すると、定頼の後を継いで進藤貞治が一座に話し始めた。
「阿州六郎様が一向一揆の軍勢を使って三好筑前守殿を敗走させ、腹切らせたとの報せが参りました」
定秀は驚きの余りしばらく無言で進藤の顔を見つめる事しかできなかった。
あの明るさを持つ青年が主君に裏切られて腹切らされたなどと、聞いていて気持ちの良い話ではない。しかし定秀の視線にも気づかぬように進藤は話を続ける。
「一向門徒は筑前守殿を死なせて堺の政所を壊滅させただけでは止まらず、続けて大和に乱入して興福寺を攻撃し、筒井や越智などの地頭が軍勢を出してようやく大和から追い出したとの由。
さらに勢いを増した一向門徒は、摂津や河内の諸城を落として各地の兵糧を食い荒らし、とうとう六郎様も軍勢を出して一向門徒の討伐を始められたそうにございます。
一向門徒の本拠地である山科本願寺を攻略して京洛から一向門徒を駆逐するため、我が六角家にも山科本願寺攻めに参加してもらいたいと要請が参りました」
一座には沈黙が落ちた。外の眩しいくらいの日差しと対照的に日陰となった室内は暗い空気に包まれ、うるさく響く蝉の声は過ぎ去る夏を表すように茫漠とした寂寥感を運んで来る。
―――六郎様は一体何を考えておられるのか…
しばらく蝉の声だけが響く室内で、定秀は細川晴元の頭は本当に大丈夫なのかと不安になった。
「笑えるだろう。敗走寸前の自分を救ってくれた家臣を謀殺し、その手先となった一向一揆を制御できずに今度は一向一揆を討つというのだからな。そして一向一揆を討つために今度は法華宗の一揆を使うそうだ。
真におつむの切れる婿殿だと思わんか?」
評定の間に定頼の乾いた笑いが響く。言葉とは裏腹に、目は一切笑ってはいなかった。
三好元長を自害に追い込んだ一向一揆は、法華宗だけでなく興福寺をも攻撃目標に据えて大和国に侵入した。
仏敵を討つと呼号して一揆を主導した証如・蓮淳は、三好を討った事で一揆の終了を宣言したが、元々一揆衆は証如の激ではなく食い詰めた民衆が食を求めて立ち上がったのが主な蜂起理由だった。
その為、三好家の備蓄兵糧や堺幕府の兵糧を食い尽くすと、次は大和興福寺の食料を狙って大和に侵入したのが実情だった。
もはや本願寺法主の停止命令も聞き入れなくなって暴走を続ける一向一揆は、興福寺の塔頭を焼き払って米を奪い取ると池の鯉や春日大社の鹿なども食い尽くし、大和に食う物が無くなると摂津や河内の晴元方の諸城の兵糧を狙って攻撃を開始した。
事ここに至って晴元はようやく己の間違いに気づき、一向宗を討伐する事を決意する。
だが、その方法として今度は一向宗と敵対している法華宗の門徒を使うという迷走ぶりだった。
それだけ晴元自身の軍勢が少なかったという事もあるが、宗教勢力は下手に使えば制御できなくなることを学習する事は無かった。
定頼からすれば、加賀の事例を見れば一向宗などに大義名分を与えれば何もかもを食い尽くすイナゴと化すというのは分かり切っていた事だった。
「ともあれ、事が一向一揆であればわしとしても放置はできん。近江にも一向宗の寺内町は数多くある。
イナゴの群れが近江に飛び火すれば、近江の民は飢餓に苦しむ事にもなろう」
比叡山や法華宗から弾圧を受けた本願寺六世蓮如は逃避先として越前や加賀に布教を行ったが、その逃避行の途中で近江にも布教を行っている。
堅田の本福寺周辺や金森寺内町などは一向宗の信徒の多い地域で、万一にも摂津や河内の門徒を受け入れる事にでもなれば近江に一向一揆が広がる事は火を見るより明らかだった。
「藤十郎、三左。お主らはいち早く軍勢を引き連れ、坂本と大津に布陣しろ。
おっつけわしも参るが、それまでに一向宗がこちらに流れてくるようならば坂本で防ぎ止めよ」
「ハッ!」
「ハッ!」
元来六角氏は一向宗に敵対まではしていないが、寛容という訳でもなかった。
あくまで悪さをしないのならばという条件付きで黙認しているに過ぎない。
一向一揆が近江の民を苦しめる恐れがあるのならば、排除する事にためらいは無かった。
天文元年(1532年)八月十一日
六角軍は坂本に到着、次いで翌十二日には大津に布陣し、定頼本隊も十三日には大津に布陣した。
一向宗の本拠地である山科本願寺を討伐し、一向宗を駆逐する事が目的だった。
細川晴元は方々に援軍を求め、法華宗と共に一向宗を仏敵と忌避する比叡山も僧兵を山科へ向かわせる。
武門と宗門との戦いは、まだ始まったばかりだった。
――――――――
ちょこっと解説
加賀一向一揆は最初は加賀守護の地位を争っていた富樫政親の要請を受けて軍勢を出していました。
ところが、一向門徒の数の威力を恐れた富樫政親に裏切られ、政親が実権を握った後は一向宗を弾圧し始めます。
追い詰められた一向門徒は富樫泰高を守護に擁立し、逆に政親を滅ぼしてしまいます。
これにより加賀国の実権を握った一向宗は、その後も弾圧を加えて来る周辺の諸大名と戦いを続け、加賀一国は約百年の間『一向一揆の治める国』となりました。
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