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序章 蒲生藤十郎
第2話 音羽城
しおりを挟む主要登場人物別名
藤十郎… 後の蒲生定秀
霜台… 六角定頼 六角家当主
藤兵衛尉… 蒲生秀紀 定秀の従兄弟 蒲生家当主
――――――――
「ええい!寒い!六角はまだ軍勢を引き揚げぬのか!」
二十二歳になる蒲生秀紀は、冬将軍の猛威に身震いしながら近臣たちに怒鳴り散らしていた。
「まだ退く様子は見えませぬ。それどころか、物見からは冬支度の荷が続々と陣中に運び込まれている様子とのこと」
秀紀は舌打ちして両腕を抱え込む。
二の腕の辺りをさすっておかないと凍え死んでしまいそうだった。
「殿、もはやこれまででございます。五百名いた手勢も冬の寒さで既に二百名にまで減ってしまっております。
ここは霜台様に降って城を開くと申し出られるほかは…」
老臣の原藤衛門が秀紀に相対して両拳を左右に着く。
「やかましい!それで蒲生の家督を叔父上に引き渡せと申すか!」
「やむを得ぬ事でございます。殿の一命はこの藤衛門一身に代えましても…」
必死の説得にも秀紀は耳を貸そうとしなかった。
音羽城は秀紀・藤十郎の祖父に当たる貞秀が築いた城だが、幾多の戦乱を耐えきった名城で、城の北の日野川が濠の代わりとなり、東西には切り立った谷がそびえる。
谷と谷の間の丘陵地に本丸が築かれ、攻め寄せるには南の鎌掛城を攻め落とすか、さもなくば日野川を強引に渡るしかなかった。
鎌掛城も秀紀方の城で、音羽城と連携して防備に当たる。
鎌掛城を攻めれば音羽城から後詰があり、いかな定頼といえども一筋縄ではいかなかった。
事実、六角定頼の父、六角高頼が美濃の斎藤利国や近江守護代の伊庭貞隆と争った際には六角勢は音羽城に籠り、籠城戦の末撃退している。
音羽城に守られた高頼の息子が音羽城を攻める事になるとは、皮肉な事ではあった。
しかし、七月から始まった籠城戦は十二月になっても終わる気配が見えず、夏の単衣で参陣していた諸将は冬将軍の前に為す術が無かった。
音羽城内には五百の将兵が詰めていたが、凍死や風邪をこじらせての病死などでこの頃にはすでに半分以上が討死していた。
秀紀もまさかにこれほど長期間の籠城戦になろうとは思いもしていなかった。
定頼からは降伏を勧める使者が引きも切らずだったが、秀紀はそれらと一切会おうとしなかった。
「うう、寒いな」
朽木弥五郎植綱は日野川から十町(1㎞)の所に布陣し、配られた綿入れを着込みながら火にあたっていた。
それほどまでしても身を刺し貫くような寒さに凍える。防寒衣の備えの無い城方はたまったものではないだろうと気の毒に思った。
―――まったく、何故六角の戦に駆り出されねばならんのか
不本意と言えば不本意だった。
朽木家は六角家と同じ宇多源氏の佐々木氏から別れた家で、六角佐々木氏は佐々木の嫡流にあたる。
佐々木氏傍流である朽木家は、六角家に代わって近江守護となっても良い家柄だった。
もっとも、鎌倉の頃から近江守護といえば六角佐々木氏が務めており、南北朝の頃や応仁の乱の動乱期には一時京極佐々木氏が務める事もあったが、本来的には六角氏が頭一つ抜けている。
当代の定頼もなかなかの傑物で、植綱は風下に立たざるを得なかった。
しかも朽木家は六角家の被官ではなく、足利将軍家の奉公衆だ。
植綱自身も将軍足利義稙から片諱を受けて植綱を名乗っており、六角にアゴで使われる謂れは無かった。
―――大体、あ奴の父は意地汚い盗人ではないか
応仁の乱において西軍に付いた六角高頼は、中央の政変には極力関わろうとせずに近江の公家の荘園や寺社の所領、あるいは東軍方の諸将の所領を横領して回った。
乱が一時収まった時には足利将軍家から横領した所領を返還するように何度も御内書を受け取っているが、悉く無視した。
口では承知するものの、実際には一向に返そうとはせず、業を煮やした比叡山などは六角家と何度か武力衝突を繰り返していた。
しかし、豊かな近江盆地の所領を抑えた六角家の軍事力は畿内でも有数の軍勢となっており、北の京極氏とも度々戦を繰り返しながら勢力を伸ばしてきている。
昨年には幕府から朽木家へ足利義晴の元服費用の段銭を求められたが、近江国内の事は自分が宰領すると言い放って幕府の使者を追い返してしまった。
事実、植綱は幕府の直臣でありながら、本拠地朽木谷のある高島郡の段銭は六角定頼を通じて納めるという事態になっていた。
それに異を唱えられぬ幕府にも情けないという思いをし、内心とは裏腹に定頼に従わざるを得ない身の不甲斐なさに憤りも覚える。
しかし、現実に戦って勝てる気はしないのだからやむを得ぬ事だった。
「殿、今夜は雪が降るかもしれませんぞ」
「六郎。俺は何故こんな所で寒さに震えていなければならんのだ」
朽木家家臣、野尻六郎右衛門は複雑な顔をして若い当主の顔を見た。
二十四歳の植綱には、六角の風下に立つことが口惜しいのだろう。
だが、これも乱世の習いと思い定めるしかない。
「お気持ちはわかりまするが、今は霜台様のお下知に従われるのが上策かと」
「情けない。幕府が今少ししっかりしておれば、六角如きにこのように主君面されずとも済んだものを…」
「殿、お声が大きゅうございますぞ」
「……ふん」
今回の『日野御陣』と朽木家で呼ばれた音羽城攻めは、兵糧なども朽木家から持ち出しており、植綱にとっては自腹を切って定頼に尽くさねばならない事が業腹だった。
せめて、早く帰りたいと痛切に思った。
「…降ってきましたな」
野尻の言葉に植綱も空を見上げると、灰色の空から白い欠片がチラチラと大地に落ちては消えていった。
吐く息の白さと相まって厳しい冬の風情をなお一層引き立て、陰鬱とした気持ちを運んで来る。
植綱は再び目線を落とすと、身をかがめて足元の焚火に手をかざした。
翌朝には音羽城周辺を包み込むように銀世界が広がり、戦の最中にあるとは思えぬ幻想的な光景を醸し出していた。
年末から襲った冬将軍は正月になっても蒲生秀紀方を散々に痛めつけ、年を越して松が取れる頃にようやく寒さが緩んだ。
音羽城では動ける者がすでに四十人に満たない有様であり、もはや城が堅固であっても如何ともし難かった。
二月に入ると、池田高雄が改めて降伏を勧めるために音羽城へ使者として遣わされた。
藤十郎も池田に従って蒲生宗家の当主である従兄弟と城内で面会していた。
「我が主からは音羽城を明け渡し、鎌掛城へお退き下さるようにとのことでござる。
藤兵衛尉殿にはご賢察の上、英断を賜りますようお願いいたします」
「……フン。家督は叔父上にというのであろう?」
「いえ、蒲生家の家督は変わらず兵衛殿で構わぬとの仰せにござる」
「ほう…しかし、それでは叔父上が承知すまい。そうではないか?藤十郎」
秀紀が池田から藤十郎に視線を移す。宗家を見限って六角に走った裏切者を見る目は冷たい怒りに満ちていた。
秀紀の父、高郷の兄に当たる蒲生秀行が亡くなった時、秀紀は十三歳の若造だった。
幼弱の当主を戴いた蒲生家の行く末を案じた高郷は、未だ生存していた前当主貞秀に対し兄の家督を自分にと申し出たが、貞秀は高郷の言を受け入れずに将軍家に蒲生家の家督を秀紀に継がせたと申し出てしまった。
貞秀は高郷の粗暴さを嫌ったのであろうと藤十郎は思っていたから、祖父の判断に異を唱える気はなかった。
しかし、今度の敗戦で秀紀は蒲生家の家督を奪い取られると疑心暗鬼に陥っている。
家督争いをした叔父に対する怒りを自分にぶつけられても困ると思いながら、藤十郎は真っすぐに秀紀の目を見返した。
「……フン。気に入らん。気に入らんが、承知した」
「ご英断に感謝いたしまする」
池田と共に藤十郎も頭を下げる。
もはや城方で動ける者は数えるほどしかいない。
戦える状態でないことは六角方にも承知の上だった。
これは交渉ではなく、勧告なのだ。
大永三年(1523年)三月八日
秀紀は音羽城を開城し、鎌掛城へと引っ込んだ。
音羽城に入城した定頼は、広間に諸将を集めて宣言した。
「この城を破却する」
一座にざわめきが広がる。藤十郎も祖父の遺した名城が破却される事は残念だったが、前日に定頼直々に破却することは知らされていた。無念ではあったが、やむを得ないと理解はしている。
一旦は降ったものの、鎌掛城の蒲生秀紀が次に背かぬという保証は無いのだ。いや、勧告の時の様子を思えば、一朝事があった際には欣喜雀躍として背くだろう。
その時に音羽城が残っていれば厄介な事になる。
「音羽城は天下の名城だ。真に惜しい事ではあるが、やむを得ない」
定頼が藤十郎の方をまっすぐに見据えながら諄々と説く。
隣を仰ぎ見ると、高郷も同じく神妙な顔をしていた。
事情は高郷も同じで、蒲生家を保つ為には六角家に臣従する事が最良の選択だと信じていた。
翌三月十日から城の破却普請が行われ、蒲生家の本城は鎌掛城となり、高郷は音羽城から三十町(2.5㎞)西にある中野城に拠った。
藤十郎は若衆の任を解かれ、父と共に中野城の守備に当たる事とされた。
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