近江の轍

藤瀬 慶久

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五代 利助の章

第53話 弓株

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 1737年(元文2年) 秋  近江国八幡町 山形屋



 利助は親戚筋の木屋久右衛門の訪問を受け、客間で対応していた

「して、久右衛門殿。今日はどのようなご用向きで?」
「なに、ご機嫌伺いにござるよ。親戚とはいえ商いが違う故あまりこうして話す機会にも恵まれなんだからな」

 久右衛門はニコニコと愛想よく話していたが、利助は何となくうさん臭さを感じていた


 木屋久右衛門は江戸京橋に店を構える弓問屋で、江戸の弓株仲間に加入していた
 享保期までは武士の懐は寂しいもので、武士相手の商売である弓も業績は推して知るべしといったところだった


 一刻ほど雑談を交わした後、久右衛門がおもむろに切り出した

「ところで、我が家が構えておる京橋の弓問屋だが、ご存知のようにわしには後継者が居らぬ
 そこで、親戚筋である西川殿に引き取ってもらえぬかと思うのだが…
 いかがであろう?」

 チラリと伺い見るような目線を受けて利助は困惑した


 兄の先代利助の遺言で無闇に知らぬ商いに手を出さず、守勢一辺倒で経営してきた
 とはいえ、最盛期には二百貫を超えた売り上げも享保の嵐の中で六十貫を少し上回る程度にまで激減していた
 このまま守勢一辺倒ではジリ貧になるかもしれないという危惧は常に心の片隅にへばりついていた


 だが…

「後継者は奉公人から養子など迎えられれば良いでしょう。何故当家に?」
「いや、これを機に我が家は商いからすっぱりと足を洗おうかと考えておってな…」
「久右衛門殿」

 利助は強い口調で遮った

「正直におっしゃってください。掛け倒れ(買掛金の未払)はいくら残っているのです?」
「………二百両ほど。しかし、売掛金も百二十両ほど残っておるし、弓在庫も三千張はある」
「…それで、その売掛は間違いなく回収できるのですか?」
「………正直、おぼつかぬかと思う…」

 利助は深くため息を吐いた


「しかし、御当家の畳表の顧客層ならば弓を揃える必要のある大名や旗本も居られよう
 弓商いは相乗効果を生むのではないかと思って……そのぅ…」
 語尾が徐々に力を失くす
 しかし、利助は相乗効果を生むかもしれないという言葉に心が動いた

 ―――確かに、今出入りしている大名や旗本には軍役として弓を揃える義務がある
 つまり、需要は必ず発生するのだから、工夫すればよい商いになるかもしれぬ


 戦国期に飛び道具の主役は鉄砲に取って代わられたとはいえ、『弓取』という言葉があるように武士にとって弓は精神的な意味を含めて、江戸時代末期まで軍役の一つとして軍備に備え付けることが義務付けられた
 武士のたしなみとしての武芸にも使われるため、需要が無くなることはあり得なかった


「わかりました。当家にて奉公人・在庫諸共お引き受けいたしましょう」
「おお!ありがたい!
 利助殿!恩に着ますぞ」
 拝み伏さんばかりに久右衛門は歓声を上げ、利助はまたため息を吐いた

 ―――まあ、これも縁かもしれん
 新たな商いを工夫していこう


 先代利助の時代に大衆向けの販売に転換したとはいえ、武士への販売が全て無くなっていたわけではなかった
 今も数家の大名や比較的家計に余裕のある旗本には蚊帳と畳表を販売している
 まずはそれらに在庫分の弓の営業をかけていこう


 木屋久右衛門の弓問屋は銀六貫四百匁にて買い受ける事となった
 久右衛門の希望通り、売掛・買掛・奉公人・在庫をすべて含めての完全な企業買収だった



 1740年(元文5年) 夏  陸奥国宮城郡仙台城下



「ほう、仙台の絹は質が良いな」
「ええ、これなら唐物(輸入生糸)と比べても引けを取りません」

 中井源左衛門が手代と共に故郷日野へ持ち下る荷を選定していた


 日野の合薬『神農感応丸』を行商していた中井なかい源左衛門げんざえもん良佑は、この春に仙台城下に店を開き、日野椀・合薬・繰綿・質蔵と合わせて絹を扱っていた
 昨年の元文四年には下野国大田原に一号店を開店し、続けざまの仙台出店だった

 中井家は初代良佑だけでも仙台・京を中心に江戸・福島・山形・広島など全国各地に十九店舗を構え、四代光基の代までには四十四店舗を構える

 小規模多店舗展開である『日野の千両店』を地で行く商人だった



「この品質なら江戸や上方でも十分に売れるだろう。上州の桐生にも西陣織の技術が伝わっていると聞く
 各地で良い産物が次々と生まれて来るな
 この仙台平も紅花と合わせて持ち下れば良い商売になるだろう」

「伊達様も見事借金を返されて、ますます産物の育成に力を入れられてますからな
 これから仙台は面白うございます」



 仙台藩五代藩主伊達吉村は、それまで借金まみれだった仙台藩の財政を立て直した中興の祖と言われるが、その武勇伝は見事なまでの一発逆転劇だった
 仙台藩では元々米作が盛んで、領内の余剰生産米を半ば強制的に買上げ、河村瑞賢が開発した東廻航路によって江戸まで持ち下っていた

 享保十七年に西日本をウンカが襲った享保の大飢饉の時も東北地方は豊作だったが、折よく(と言っていいかどうかわからないが)飢饉によって米価が暴騰した時に仙台藩の米廻船が江戸に到着した
 米価暴騰に合わせて売捌いたことで単年度で実に五十万両という巨額の売買益を得た吉村は、それまでの借金を返済し、仙台藩は一気に黒字経営に浮上した

 そのため、この頃にも積極的に産物開発に励み、『仙台平』と呼ばれる絹織物や馬産などに力を入れていた


「この生糸の桑苗と蚕種は手に入るか?」
「仕入れている問屋に頼めば手に入ると思いますが…?」
「なに、これほど上質の絹を作れる蚕種だ。日野に持ち帰って飼育すれば、日野の新たな産物になるかもしれんと思ってな」
「なるほど!それは良いかもしれませんな!
 早速手配して参ります」

 手代がいそいそと出かけ支度をする
 源左衛門はもう一度仙台平を見ながら品質を確かめていた



 日野商人の特筆すべきビジネスモデルは二つあり、その一つは『産物廻し』と呼ばれる商法だった

 産物廻しとは日本各地に開いた店舗網を使って各地で需要のある産物を店同士で融通し合う仕組みだ
 即ち、京の繰綿を仙台に、仙台の絹を江戸に、江戸の小間物を山形に、山形の紅花を京にといった具合に、その土地の産物をより高い付加価値を付けて売れる場所を調査し、その地に運ぶことで利益を上げた
 市場調査マーケティングを駆使した、いわゆるノコギリ商法の発展形だった

 もう一つは『梃子使いの原理』と言われる資金運用法だった


 日野商人は小規模店舗を多数構えたが、開店資金は当地の金主を募って借入金によって多くを賄った
 時にはチェーン店の自転車出店のように次から次に借金で店を出した
 だが、その借金の使い方が非常に上手かった

 例えば
 ・一万両を自己資金、二万両を借入金で賄って出店したとする
 ・借入金には4%の利子が付くものとする
 ・総額三万両の資金を使って利益率10%の商売をするとする

 すると、商売による利益は三千両を稼ぎ出す
 支払利子は八百両を支出する
 残った経常利益は二千二百両となる

 この時、投資した自己資本は一万両なので、自己資本利益率は22%の高利益体質となる
 つまり、一万両の元手で二千二百両を稼げる体質になる


 もちろん、借入金なので最終的には返済しなければならないが、少ない元手で十分な利益を上げることが出来た
 当時の感覚では、完全自己資本の出店ならば利益率10%では十分とは言えないどころか、火事などのリスクもあるので割に合わないと言ってもいいくらいだった
 しかし、日野商人は梃子使いの原理を実践することで、他の商人より安く売っていても『薄利』ですらない高利益率を確保していた


 また、日野商人は『大福帳式』と呼ばれる複式簿記の会計システムを編み出していた

 これは西洋式の複式簿記よりもさらに複雑で精巧な会計システムで、西洋式の簿記にはない『帳合せ』という仕組みを組み込むことで誤記入を発見・追跡できる高度な会計システムだった

 現代の会計学の教授が試しに当時の日野商人の帳簿を企業決算書に落とし込んだところ、九割以上がそのまま転記可能だったという


『産物廻し』と『梃子使いの原理』という高度な商品流通と金融理論を実践するために会計システムも高度化する必要があったのだろう
 日野商人の出店攻勢は当地の商人に脅威と受け取られ、排斥運動すら起きるほどだった

 それほどに、カネの使い方が上手かった



 1741年(寛保元年) 年末  近江国八幡町 山形屋



 新たに買い取った京橋店の営業報告として、京橋店支配人の西野嘉兵衛が山形屋の本店を訪れていた


「実質九月からの営業でもう十貫以上の売上を立てたか」

 木屋久右衛門から買い取った弓問屋株は日本橋店の弓営業権に使っていたので、京橋店の営業権を取るために新たに近江屋長兵衛という弓問屋から弓株を買い入れて、八月から京橋店も本格的に営業を開始していた


 利助は上機嫌だった
 思った以上に弓商売は今までの山形屋の商売と親和性が高い
 この年の決算では日本橋店・京橋店合わせて百貫にまで売上を回復していた

「思った以上に武家の懐が温まってきているようで、大名・旗本の他ご家中の方々からも引き合いがあります
 畳表・蚊帳と共に良い商売となっております」

「うむ。新たに近江屋さんから弓株を買い増した甲斐があったな
 十一月には京の下地屋(弓職人)と一手仕入れの契約を結んだ
 独占仕入れが出来る代わりに不景気でも全て引き取らねばならんから、気張って売ってもらわねばならんぞ」


 弓は蚊帳や畳表と違って、伝統こそあったが需要は武士だけに限定される
 つまり他の商いに比べてニッチな産業に属した

 しかし、ニッチである事で逆に少ない資金でも独占契約を結ぶことが可能だった

 五代目利助が始めた弓商売は、寛保以降京で製造される弓を江戸で独占販売することが可能となった
 呉服や小間物といった幅広く対応する業態ではなく、いわゆる専門店としてニッチな業界で独占に近い商売をしていく事は今後の西川産業の方向性を定めたと言っても過言ではない


「弓が順調だからといって蚊帳や畳表を忘れてはいかんぞ
 弓営業の際にも必ず畳の表替えや蚊帳を勧めておくことを忘れぬようにな」

「お任せください。最近は江戸も景気が良くなってきております
 必ずや元禄期以上の商売に育てて見せます」

「良く言った!来年は今年の倍の量を江戸へ送るとしよう」

「ばっ倍ですか!?」

 嘉兵衛が思わず目を剥いた

「はっははは。冗談だ
 だが、三年後には冗談じゃなくしてくれよ」


 弓株の買い入れは山形屋に新たな転機をもたらした
 これ以後蚊帳・畳表と共に弓問屋としての山形屋の声望は高まっていくのだった


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