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五代 利助の章
第51話 享保の改革
しおりを挟む1722年(享保7年) 春 蝦夷国小樽内クッタルウス(現小樽市入船町)
「よし、ここがクッタルウスだな
思った通り良い漁場になりそうだ」
『恵比須屋』岡田弥三右衛門はイシカリのハウカセと別れてからすでに三代を経て、五代目弥三右衛門正次の代になっていた
弥三右衛門正次は住吉屋に倣って場所請負経営に乗り出し、享保年間に入ってオコバチ・アリホロの漁場を開拓していたが、この程運上金を支払って小樽内のクッタルウスの漁場開発を請け負う事になった
「まずは番小屋を建てて漁の体制を整えるぞ!
アイヌ達にも生活の場所を用意しろ!
ニシンを干す小屋も必要だ!
蝦夷の夏は短いぞ!急げよ!」
弥三右衛門はテキパキと配下たちに指示を出す
もうすぐニシンの群が産卵のためにやって来るはずだ
今年は大網での漁は出来ないが、刺し網で少しでも漁獲を上げておかなければ秋の鮭漁だけで運上金を賄わなければならなくなる
場所請負を開始した以上はすぐにでも利益を上げる体制を作るつもりだった
―――我らは先祖代々この地を開拓し続けて来たのだ
今更他国の商人に易々と権益を渡してたまるものか!
数えで二十八歳の弥三右衛門は、曾祖父の二代目弥三右衛門とハウカセアイヌの友情物語を子守唄代わりに育った
幼い正次にとっては蝦夷の地を豊かに開発するのは自らの使命だと感じるほどになっていた
「アイヌの対応は住吉屋さんに倣えよ。決して彼らの生活を脅かしてはならない
彼らの暮らしを豊かにすることこそ最上と心得よ」
手代たちにも厳しく申し付けた
八幡商人達の松前での仲間組織である両浜組でも、近頃住吉屋と恵比須屋は特に重きを為していた
彼らの漁場経営は他の商人の模範とされ、この頃には蝦夷の特産品といえばニシンと答えが返ってくるほどニシンは蝦夷の名産品の地位を占めていた
八幡町の肥料問屋は江戸初期は伊勢や関東・北陸から干鰯を持ち込んでいたが、この頃には関東や奥羽でも干鰯を使った農業が活発になって干鰯の高騰を招き、それに代わるようにニシン粕の需要が上がっていた
干鰯を必要とする農業は綿花などの商品作物なので、この頃には上方だけでなく関東や奥羽の各農村でも米のほかに商品作物を作って現金を稼ぐ農家が増えて来ていたという一つの証だった
遥か沖合にはかすかに白地に黒の一本線を引いた住吉屋の『ナカ一』の帆が見える
―――住吉屋さんも、タカシマ場所で今年のニシン漁を始めるか
負けていられんな!
小樽内はタカシマ場所の隣にあった
「住吉屋さんに負けんように我らも支度をしてニシン漁を始めるぞ! 急げよ!」
「「「おう!」」」
弥三右衛門と手代達の溌溂とした声がクッタルウスの浜に響いていた
1723年(享保8年) 夏 江戸城本丸
「上様。大岡越前守様がお見えでございます」
「おう、ここへ通してくれ」
「ハッ!」
江戸城の本丸には八代将軍吉宗と老中の水野忠之が待っていた
江戸南町奉行の大岡忠相が入室してくる
「上様にはご機嫌麗しゅう存じ上げ、祝着至極にて…」
「堅苦しい挨拶はいい。今は見ての通り余と和泉守しかおらぬ」
「ハッ!では、此度御用の趣はいかなることでしょうか?」
「それは某から申し上げましょう」
水野忠之が口を挟む
「昨年に亡くなられた井上侍従殿より実施された『流地禁止令』でござるが、それによって一揆が発生し、容易ならざる事態となっており申す
すでに一揆そのものは鎮圧されておるが、このまま放置しては再び同じことが起きぬとも限らぬ
某は直ちに撤回すべきと思うのだが、その方の意見も求めたいと上様の御意である」
―――あれは井上殿の無謀な献策によるものだな
確かに今の世の中ではそぐわぬだろう
元禄八年に萩原重秀が出した『質地取扱の覚え』以降、土地の質流れによる売買は普通に行われていたが、この前年に老中井上正岑の発案で寛永期の『永代田畑売買禁止令』を再度徹底するべく質地取扱の覚えの無効化となる流地禁止令が出されていた
しかし、実体経済においてはすでに農村部で資本の集中が起きており、そのおかげで作物の生産方式が工夫されていることもあって時代に逆行する愚策と言わざるを得ない
流地禁止令の施行後まもなく、越後と出羽で小作農達が地主から元々自分の物だった土地を取り返そうとして騒動が起こった
地主たちも既に一体の農地として作付け計画を立てているので、はいそうですかと返すわけにはいかない
返してしまえば収穫の計画が大幅に狂ってくる
まして、元々貸したカネの質として受け取っていたものだったので、ただ土地を返すのでは徳政令と変わらない
徳政令は経済的には金融システムの正常な発達を阻害する害悪でしかない
貸したカネは返されるという信用が無ければ金融はそもそも成り立たないのだから当然だった
これによって今度は小規模農民がカネを借りられなくなるという事態が発生し、逆に小規模農民を苦しめていた
踏み倒されると分かっていてカネを貸す馬鹿はいないからだ
「某も水野様と同じくすぐにでも撤回すべきものと思料いたしまする」
「ふむ。では昨年の禁止令は撤回しよう
和泉守。すぐに撤回の触れを出せ」
「かしこまりました」
享保の改革と呼ばれる一連の改革はそのほとんどがこの前年の享保七年に実施された
小石川療養所の設置やサツマイモの試験栽培の開始は飢饉対策や貧民対策として治安の安定に一役を買った
しかし定免法の導入などは事実上の農民への負担増であり、各地の農民は抵抗した
定免法はそれまでの実地検分(検見法)ではなく、過去の物成の平均値を石高として算出する
凶作の時も平年並みの収穫がある前提で徴収されるので、幕府財政は安定する反面農民には決して有利な制度ではなかった
―――萩原近江守殿の目は確かに時代に即したものだった
今更ながらに恐れ入る
大岡忠相は新井白石以後の治世を見るにつけ、国の富は萩原重秀の時代よりも確実に縮小している現実を認めざるを得なかった
「一つ御進言致したき事がございますが…」
「ん?申してみよ」
「金銀の改鋳でございます。元禄の頃に萩原殿の主導によってご公儀は改鋳を行いました
結果を見ればそれが民の暮らしを豊かにしたことは紛れもない事実でございます
翻って、新井殿の正徳金銀の流通以後は町は景気の悪い状態が続いておりまする
百姓は国の基でござれば、新井殿の正徳金銀を改め、萩原殿の金銀に復すべきかと愚考いたしまする」
「ふぅむ…」
吉宗は途端に不機嫌になった
「あの折は物価が上がって苦しい目を見た
百姓が豊かであっても武家が貧困にあえぐようでは意味があるまい
今は家光公以来の質素倹約をこそ専一に為すべきだろう」
「…はっ」
―――武士の貧困か… それも大事ではあるが、民百姓を犠牲にしてまで行うものなのか…
大岡忠相は今少し吉宗を説得できるだけの材料を揃える必要性を感じた
1726年(享保11年) 冬 京 越後屋大元方会所
越後屋の大元方会合では三井高平の長男高房を中心に分家当主や重役たちが座を囲んでいた
高平も既に七十四歳になり、高平の弟達や初期の重役たちも世代交代を余儀なくされていた
「今日集まってもらったのは他でもない
この十二月にお上より物価引下のお触れがあった
奢侈禁止令と合わせて物の値段を安くせよとのことだ
町奉行所からは物の値が高いと詮議を受ける事態となっていると聞く。ただでさえ物が売れにくくなっているこの時にあってな…」
高房は自嘲気味に笑った
「そこで、古い重役たちと共に新たに取り立てた別家衆にも来てもらった
これ以後、不況の中でどのようなかじ取りを行っていくか、皆の意見を求めたい」
「では、私から…」
京両替店を取り仕切る松野治兵衛が口火を切った
「現在大坂の御金蔵銀の取り扱いは、一部大名貸しや商人貸しにも資金を回して運用しておりますが、これらを取りやめ、利殖よりも資産を損なわぬように考えるべきかと愚考します」
「しかし、宗寿様(高利の法名)以来行っている紀州公への貸金は何とする
紀州公や牧野家への貸金はこれを断らぬことと御遺言を残しておられますぞ」
「もちろん、その両家への貸金は格別でございます
ですが、細川様などは他の両替商の貸金も踏み倒しておられます
これ以上危険を冒して大名にカネを貸すよりも堅実に守りの姿勢を明確にすべきかと」
「それなら、仕入れも木綿の比率を上げて値段の引下に対応すべきだ」
「品揃えを安っぽくしてはそれこそお客様が離れかねぬ
先年には上州藤岡から上州絹を仕入れる体制も整えたことですし、絹の扱いは減らすべきではないでしょう」
「そのお客様が買いに来て下さらないからこそ、木綿などの品ぞろえも必要と申しておるのです」
高房は喧々囂々と交わされる議論に耳を傾けていた
やがて激論を戦わせる声が落ち着くと、一つ一つ考えをまとめていった
「まず、大名貸しは松野の言う通り紀州公と牧野様以外は廃止していこう
紀州公は越後屋発祥の伊勢のご領主様であるし、牧野様は我が越後屋をご公儀御用に推挙して下さった恩人だ
この両家はないがしろにするわけにはいかん
だが、それ以外の大名家に関しては今後断っていく方針とする」
大坂の大商人には割のいい利殖として大名にカネを貸し、引き換えに大坂の米の売捌きを請け負って利益を得るものが多かったが、この頃には『米価安の諸色高』の傾向は鮮明であり、肝心の米売買が利益を出せずに巨額の貸金を踏み倒されることで破産していく者が後を絶たなかった
鴻池屋のように新田開発などで新たな資産を獲得できた者は少なく、今まで豪商と呼ばれていた者達も次々と没落していた
「それと、脇田の言った木綿の品ぞろえだが、我が越後屋は絹を庶民に求めてもらえるようにするという初志を忘れてはいかん
品ぞろえは引き続き絹を中心に行い、仕入れを工夫して値打ち物を揃えることで物価引下令に対応していこう
ただし、木綿の仕入れの開発も忘れてはいかんぞ」
享保七年には上州藤岡に絹の仕入れ店を設けるなど国産の値打ち物の生糸は少しづつ産量を増やしていた
越後屋の絹呉服の仕入れももっと工夫できるという自信が高房にはあった
「それから、身上一致を固く守っていく事
父上や叔父上達は仲違いすることなく三井家を保たれたが、今後はどうなっていくかわからん
三井同苗が今後も身上を一致して資産を割ることがないよう、父上が遺言に定めた意志を持って家法とする
……そんなところかな?」
「「「ハッ!」」」
参加者が一斉に頭を下げる
―――皆が一致して臨めば、この難局も必ず乗り切れよう
なに、あの呉服仲間達からの苛烈な嫌がらせをも乗り越えたのだ…
ご意見番として出席していた高平は、長男の高房を満足そうに見ていた
今の議論も中心になって取り仕切り、どうやれば越後屋を末永く発展させられるか真剣に取り組んでいる
頼もしくなったと思った
「今後の越後屋の経営は父上の遺言を持って家法とし、固く守ることを各々胆に銘じよ!」
「「「ハハッ!」」」
高平の遺言として享保七年にまとめられた『宗竺遺書』は長く三井家の家法となり、また越後屋の経営にあたって困難が生じたときは必ず回帰する拠り所として近世越後屋の事業を規定するものとなった
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