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初代 仁右衛門の章
第12話 蒲生飛騨守氏郷
しおりを挟む1582年(天正10年) 秋 近江国蒲生郡日野 中野城
「柴田様は長年の寄り親。柴田様こそ頼りとすべきではないか?」
「されど、柴田様の軍は越前。最も近くて長浜の伊賀守様では、我らは羽柴への抑えとして磨り潰されることになろう」
「伊勢には滝川様も居られる。此度の会議に参加できず、しかも切り取った領地の保証もされず、では内心面白くは思われまい。滝川様の動きを見極めねばならんのではないかな?」
「やはり筋目で言えば、亡き中将様の御嫡男三法師君を織田家の跡継ぎにというのは筋が通っておる。柴田でも羽柴でもなく、三法師様へ従うとすれば筋は通るのではないか?」
「左様な日和見が許される情勢であろうか。戦端が開かれる前に旗幟を鮮明にすべきだ」
蒲生氏の居城、中野城では清須会議の結果とその後に来るべく戦について重臣たちが軍議を開いていた
二か月前の清須会議にて一旦は織田家後継問題は決着したが、それが仮初めのものに過ぎないことは織田家の全員が承知していた
家臣筆頭である柴田に対して、成り上がりの羽柴を面白く思わない者は多いが、それにしても信長の仇を討ったというのは誰しもが無視できない大功であったからだ
早晩、柴田と羽柴がぶつかるのはもはやこの場の全員の共通認識となっていた
会議には当主左兵衛太夫賢秀と嫡男忠三郎賦秀はじめ、主だった者たちが参加していた
「忠三郎はいかが思うな?」
賢秀が賦秀に顔を向ける
全員の視線が賦秀に集中した
「…私は羽柴様へ付くべきかと思いまする。長年の寄り親である柴田様への義理はございますが、柴田様はおそらく羽柴様にはかないますまい」
「続けよ」
「此度の京での謀反、ならびに山崎での戦を見るに、情勢の変化は一段と『速さ』を増しておりまする。しかるに、柴田様は変事の折りも故実に倣って軍を整え、粛々と進軍しておられたと聞き及びます
『兵は拙速を貴ぶ』との言葉もござれば、中国から大返しに進軍していち早く光秀めと決戦した羽柴様の『速さ』に柴田様は翻弄されることになりましょう」
「ふむ…」
賢秀はしばし考え込んだ
全員の視線が今度は賢秀へと集中する
「皆の者聞けぃ!本日只今より、蒲生の当主は忠三郎とする!」
「父上!」
「聞け、忠三郎」
思わず腰を浮かしかけた賦秀を制止して賢秀が話を続ける
「そなたは家督を継いだ上で、筑前守様へ合力致すが良い」
「よろしいのでございますか?」
「わしは隠居とするが、状況によってはそなたを放逐し、再び当主へと就く。その時はそなたの暴発として修理亮様へは報告しよう」
「父上…」
賦秀が言葉を失っていると賢秀がにんまりと笑う
「そなたの祖父様ならばそのくらいの事はしたであろう」
世上律義者・臆病者・小心者など賢秀に対しての評価は祖父定秀よりも決して高くないが、日ごろ律儀であればこそ、ここ一番の謀略がうまくいくことを賢秀は知っていた
「殿、ご当主への就任おめでとうございまする」
賦秀の私室にて宗兵衛が頭を下げる
本能寺の変の際慌てて軍装で駆け付けたが、戦力として率いる軍を持たぬ以上は兵糧・軍馬の供出などいざという時の後方支援が宗兵衛の役目だった
「うむ。これよりは名を忠三郎氏郷と改め、飛騨守を称することとした」
「飛騨守氏郷様…」
宗兵衛が口の中で繰り返すと賦秀改め氏郷は声を上げて笑った
「ま、名乗りを変えたところで俺は俺だ。今後とも忠勤を尽くせ」
「はっ」
宗兵衛は再び平伏した
「それでな、戦のことはそれとして、俺は亡き信長公に倣いこの日野を楽市とする。その楽市の元締めとして宗兵衛を商人司に任命する」
突然のことに宗兵衛があっけに取られていると、再び氏郷が声を上げて笑った
「そなた以外に商いの事を任せられる者などおらぬ。励めよ」
「は、ははっ」
蒲生氏郷は織田信長から気に入られて、信長の娘を娶っていた
その為だけではないだろうが、氏郷は信長に倣うこと非常に多く、この年の十二月に日野に発布される楽市令は安土のそれとほぼ同文であった
しかし、商業思想として信長と大きく異なる点は信長が岐阜や安土に諸国の産物を集めてお膝元での商売とそれに伴う税収の増加を目指したのに対し、氏郷は日野の産物を諸国に売り出す事を主眼としていた
日ノ本のすみずみまで物を行き渡らせようという思想は、諮らずも伝次郎やそれを受けた宗兵衛・甚左衛門の思想と合致していた
日野の産物は日野塗の食器類であるが、宗兵衛の献策により誘致した酒造業も軌道に乗っていた
酒蔵の数も順調に増え、現在では年間で最大百石ほどは生産が可能になっていた
現在の価値で酒だけで売上総額は一千万円以上 そのうち三割の税収を得たとすると三百万円分の経常収入が得られる
人一人が一年間最低限生きていくのに二十万円ほどの物価の時代である
十万石に満たない日野周辺の経営予算としては十分に収益の柱であっただろう
宗兵衛にとってはそれらの税収を得て日野を富ませ、氏郷がより勢力を拡大する援助をする
そうすることで自らが取締役となる市場も大きくなり、商いが拡大する
当時の領主と御用商人の関係は、現在の大企業とそれを誘致する地方自治体の関係などよりもよほどにお互いの利害関係が絡み合う間柄であった
「必ずや飛騨守様の天下取りに貢献できる市場として繁栄させてみせましょう!」
「天下ときたか!十万石に満たぬ身代ではいささか厳しかろう」
氏郷がニヤニヤ笑いながら宗兵衛を見る
「いいえ!飛騨守様は天下に相応しいご器量をお持ちでございます!その為にこの越後守、粉骨砕身を致す所存でございます!」
「頼むぞ」
氏郷も満更でもない顔をしていた
確かに身代は小さいが、日野は場所が非常に良かった
諸国への街道を扼する南近江にありながら、日野は山間の地で大軍で攻めるには難しい地形である
これからの情勢次第ではまだまだ氏郷にも天下の目はあるかと思われた
何よりも、氏郷は若い
天正十年時点で27歳
人間五十年としてもまだ折り返したばかりだった
1583年(天正11年) 夏 伊勢国庵芸郡白子
宗兵衛は白子湊の商人又二郎を訪ねていた
秀吉への従属を申し出た氏郷は、この年の正月に伊勢で挙兵した滝川一益に対する先鋒として峰城を始めとした北伊勢諸城の攻略を担当した
雪が溶けて柴田勝家が越前より進出すると、滝川勢への抑えとして織田信雄と蒲生氏郷らの約一万の軍勢を長島に残し、秀吉自身は北国街道を北へ向かった
羽柴・柴田両軍の睨みあいが続く中信長の三男織田信孝が岐阜城へと進出したため、秀吉は美濃を攻めるべく大垣城へと入る
これを好機と見た佐久間盛政が進撃を開始し大いに戦果を上げたが、再三にわたる勝家の撤退命令を無視したため敵中に孤立
ちょうど琵琶湖を渡っていた丹羽長秀の軍勢が海津に上陸すると、佐久間盛政の軍勢を撃破して賤ケ岳砦を確保した
また、知らせを受けて大垣城から夜の間に取って返した秀吉が軍を進め、両軍は激戦となった
戦闘は一進一退だったが、秀吉に内応した前田利家が戦線を離脱すると、柴田勢は総崩れとなった
そのまま余勢を駆って柴田勝家の本拠地北ノ庄城を包囲すると、勝家は城に火を放って自害する
氏郷が予言した通り、勝家は秀吉の『速さ』に翻弄される形となった
戦後氏郷には秀吉から伊勢亀山城が与えられた
氏郷は家臣の関盛信を置いたが、亀山城からほど近い白子の湊も氏郷の勢力圏へと入ったことで宗兵衛は伊勢から酒造りの米の買付を行うことを狙っていた
「冬になれば飛騨守様へと供出する米を買付けたい。五百石ほど用意してはもらえぬだろうか?もちろん金は相場通りに支払う」
半分は酒造米に使うのだが、それはうやむやにした
「もちろんです。手前どもの湊を使ってただけるのならこれに勝る喜びはございません」
「よろしく頼む」
氏郷が亀山城を拝領した効果は抜群であった
十年前に商売の拠点を作るべく伊勢の各湊を歩き回ったが、どこでも新儀商人(新興商人)にはいい顔をしてくれなかった
しかし、蒲生様の商人司といえば二つ返事で協力を申し出てくれる
宗兵衛は改めて氏郷の天下を夢に描いた
もちろん、その隣で絶大な商業権を手にする自分の姿もだ
一見すると領主の強権をかさに着て威圧的な商売をしているように取られることが多い御用商人だが、その分租税の徴収などの雑務を引き受けたり、組下の商人が難儀している場合は融資も含めて相談に乗るなど果たすべき義務も多い
商人司と組下の商人の関係は武士の寄り親と与力の関係に似ていた
協力を惜しまなければ万一の時に助けてもらえるという期待がある
そのため、組下の商人達も自ら喜んで配下に加わることも多かった
現在の大企業と下請け企業の関係にも似ているかもしれない
「ところで、ここらで絹の反物を扱っている店はないかな?」
「はぁ?」
満面の笑みを浮かべていた又二郎が素っ頓狂な声を上げる
「…ゴホンっ いや、なに、ちとお方様に貢物などご用意したいと思ってな…」
又二郎がすぐに嫌らしそうな笑顔を出す
「なるほど。御台所から攻めるも上策でございますな」
「うむ。ま、まあな…」
嘘である
宗兵衛はイマイチしっくりいかない夫婦関係を少しでも改善しようと思っていた
古今東西、男から女への関係改善はまず贈り物と相場が決まっている
だが、自分の台所への貢物とは恥ずかしくて言えなかった
(喜んでくれるだろうか)
いざ反物を前にするとやはり多少浮き立つ心があって思わず顔が綻ぶ
新八は見た目から優しさのオーラが半端ない感じだが、宗兵衛は一見ぶっきらぼうだが常に心配して見ている優しさがある
一方の甚左衛門は、細かいことには口を出さずに木の上から見守るような包容力があった
三者三様だが、三人ともそれぞれに妻となった女性を愛する性質の持ち主だった
ちなみに、この頃の夫婦はほぼ家と家の関係で決まった
それは大名であれ一般庶民であれ変わりがない
家長が決めてきた婚姻は絶対であり、宗兵衛のように主君が世話するとなれば断ることなどとんでもなかった
秀吉のような恋愛結婚は稀であり、稀であるからこそ記録に残ったのだろう
贈り物の御利益かどうかはわからないが、宗兵衛は翌天正十二年の春に長男太一郎を授かった
1583年(天正11年) 秋 摂津国東成郡 大坂
「ふむ、とりあえず本丸の構えは間に合いそうだな。官兵衛」
「はっ。まだ完成までには時がかかりますが」
「やむをえまい。ゆるゆる仕上げていこう」
間もなく築城成る大坂城の本丸部分を見上げながら羽柴秀吉と黒田官兵衛が立ち話をしていた
「上様は陸路を好まれたが、やはり船のほうが沢山の荷を運べるな。京よりもここの方が商いも盛り上がろう」
「左様ですな」
黒田官兵衛が頷く
賤ケ岳の戦いで柴田勝家を下した羽柴秀吉は、元石山本願寺があった大坂に拠点となる城とその城下町を作りつつあった
天下の名城を据え、軍事・商業の中心基地として発展させる
四国で対決姿勢を鮮明にしている長宗我部への睨みも利くし、堺の商人達を呼び寄せれば南蛮との交易も自身のお膝元にて行える
そういう意味でも天候に左右されない『陸路』を重視した信長の政策の発展形として『水運』を取り込む構想は大規模物流の発達に大きく貢献する目論見であった
「正月には諸将を招く。安土の三介様もそろそろこちらへ来て頂かなくてはのぅ」
「素直に応じましょうか?」
「わからん。だが、応じてもらわねば東国への抑えが効かぬ。京・大坂に対して岐阜は遠すぎる。近江に中継できる拠点が必要なのだ」
秀吉は持っていた鞭を顎に当てて思案していた
「安土には誰か別な者を置きますか?」
「いや、安土では上様の匂いが残りすぎる。安土城を破却して八幡山あたりに城を築こうと思う」
「城将は蒲生飛騨守様で?」
「いや、なまなかの者には任せられん。孫七郎あたりを引っこ抜くか…」
「良き御思案かと思いまする」
官兵衛は氏郷に任せると秀吉が言い出せば反対するつもりだった
信長に認められた器量といい、28歳の若さといい、近江という交通の要衝に陣取らせるにはあらゆる面で不安があった
「まずは九兵衛に縄張りと築城の指揮を執らせよう」
(柴田の次は徳川との関係を整理せねばならん)
それが秀吉と官兵衛の一致した考えだった
本能寺の変の際に堺に周遊に来ていた徳川家康は、伊賀越えのご大難と呼ばれる逃避行をして居城の岡崎城に戻っていた
その後山崎の合戦で秀吉が光秀を倒すと、中央の情勢には関与せず、滝川が伊勢に戻って空白地帯となった旧武田領を切り取っていた
現在の家康は甲・信・駿・遠・三の五カ国の太守となっており、秀吉の畿内制覇もまだ確実なものではない
例え畿内を全て抑えたと言っても油断できる相手ではなかった
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