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case8 大石菜々美『優しい少女と白い魔法使い』

第44話【計画実施4】とても残念です

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「さあ、来なさい。相手をしてあげますよ」

 両足でリズムを刻むお兄ちゃんが右手をクイックイッと動かして、三本傷のある男を挑発する。
 鳥羽山と呼ばれた男は口元をかすかにゆがめると、さっと両手を組んだ。
 すばやく組み換えながら『オン アビラウンケン ソワカ』という呪文を口にした。
 それから指を剣に見立ててクロスすると、格子を作る。

 銀色の糸のような光が男の手から現れた。
 糸が男の手元から、ビュンっと勢いよくお兄ちゃんへ向かって放たれた。
 だがお兄ちゃんはとても涼しい顔をしていた。
 避けるつもりはないらしい。
 やれやれと肩をすくめた彼は

「魔払いとはずいぶんな扱いですね」

とこぼすと、パチンッと扇子を閉じた。
 迫る格子型の光に扇子の先を向けると、軽やかに横へ引いた。
 光は扇子に断ち切られるようにポロポロと床にこぼれ落ちる。
 
「子供だましもいいところ――」

 そう言うお兄ちゃんの言葉は最後まで続かなかった。
 間合いを一気に詰めてきた男にお兄ちゃんは思いっきり殴られたからだ。
力を受けとめきれなかったお兄ちゃんが後方に吹っ飛んだ。
 壁に激突した勢いで、コンクリートに大きなひびが入った。
 体を打ちつけたお兄ちゃんが崩れるようにしてその場に仰向けで倒れた。
 そこへすばやく走り寄った男が、起き上がろうとするお兄ちゃんの胸をこれ以上ないほどの力で踏んづけたのだ。
 踏みつけられた床にも壁同様、ううん、もっと激しいひび割れができて陥没した。
 
 赤い血の塊がお兄ちゃんの口から飛び出した。

『やめて……』

 男のはいている白い靴が真っ赤に染まって汚れていくのを楽しむかのように、男は蹴るのをやめなかった。
 何度も、何度も力いっぱい踏みつけた。
 そのたびに血が飛び散る。
 
――もうやめて!

 クロちゃんがたたきつけられた場面が重なって、ぎゅうっと胸が苦しくなった。
 男の顔には笑みが浮かんでいた。
 ああ、そうだ。
 私を川に突き落としたときも、この男は笑みを浮かべていた。
 同じ顔だ。
 クロちゃんを川に投げたときも。
 この男にたくさんの猫ちゃんが殺された。
 きっとこんな顔で罪のない命を奪っていったんだ。

『お願い……』

 もう二度と罪のない命が奪われないように。

『お願い、お兄ちゃん……』

 もう二度と悲しい命が生まれないように。

『終わらせて――!』
「ええ、もちろん」

 冷水を浴びせられたようにハッとなった。
 急いで振り返った先には、先ほどと同じく涼しい顔をしたお兄ちゃんが立っていた。
 血の跡もない。
 ううん。
 2人……いるんだ。
 踏みつけられて苦しんでいるお兄ちゃんと涼しい顔をしたお兄ちゃんと、だ。

 男が目を見張っていた。
 信じられないとでもいうように、ゆっくりと苦しんでいるお兄ちゃんから足をどけた。
 すると踏みつけられてケガを負ったお兄ちゃんから白い煙が上がると、風船から空気が抜けるみたいにしぼんでいった。
 床に残ったのはボロボロになって破れかけている人の形をした白い小さな紙だけだった。

「満守に力を吸い上げられていたことにも気づかなかったのですか、君は? それともすっかり騙されてしまったのですかね、彼に。どちらにしても式神を身代わりにしていることにも気づかないようでは私を倒すどころか、傷を負わせるのすら難しいでしょうねえ。とても残念です」

 私の後ろに立っていたお兄ちゃんがすうっと音もなく私の前に移動する。
 右手を軽く振って閉じていた扇子を再び開くと、腰を落として左足を後ろへ引いた。
 左手を腰に当てて、くるんと弧を描く。
 右手は軽やかに舞って、サクラの柄がちらり、ちらりと見え隠れする。

「なんのつもりだ、それはっっっ!」

男が逆上してお兄ちゃんに殴りかかった。
しかしお兄ちゃんは舞を続けながら男の攻撃をさらりとかわしたのだ。
男は態勢をくずしながらも諦めることなく、さらに攻撃を続けたがお兄ちゃんにはまったく通じなかった。
男は完全にお兄ちゃんのてのひらで転がされていた。

「くっそおっ!」

男が渾身の力を込めてお兄ちゃんに飛び掛かろうとしたときだった。
ぴたりと舞をやめたお兄ちゃんが早口に言った。

「オン アビラウンケン ソワカ……」
床が光り始めた。
お兄ちゃんと男の足元には2㎝ほどの幅の光りの帯が二人をぐるっと囲むように走っって円の模様ができた。
 続けてその円内にまっすぐな五本の線が現れて星をかたどる。

 いったいなにが起きているのか。

 円と星の組み合わせの柄が完成したとき、光が円全体から天井に向かって一気にほとばしった。
 あまりにもまぶしくて、私は目を細めた。
 視界が金色に染まる。
 光の洪水が細めた目の中まで入りこんでチカチカと光って痛い。

「おまえ……! 踊っていたんじゃなくて五芒星を描いていたのか!」
「ええ、そうですとも。そして気づいたところで、もはや君はこの聖なる印から逃げられません。これまで多くの命から奪ったチカラをすべて返していただきます。そして今度こそ、人としてきちんと裁きを受けなさい。それがあなたの使命ですよ」

 円の中心でお兄ちゃんはぱちんと音を鳴らしながら扇子を閉じた。
 
「うわあああああっっっ!」

 五芒星の光は男の体を突き抜けると、そこから魂のようなものが青い炎となっていくつも空へと駆けて行った。
 そのうちの二つが男の体から出たところで浮遊した。
 左右に旋回したそれらはゆっくりと私のところに近づいてくると、猫の姿へと形を変えた。

 金色の目をした二匹の猫だ。
 クロちゃんと同じ匂いがするような気がした。

『もしかして……クロちゃんの家族なの?』

 彼らはスルッと私の足元や手に体をこすりつけると小さく『ウナア』と鳴いた。
 まるで私に『戻って』と念を押すみたいに――

『うん。わかった。ありがとう』  

 二匹の頭を撫でる。
 彼らは嬉しそうに目を細めると空へと走って行ってしまった。
 そんな彼らが空に消えると同時に、五芒星という光の印も消えてなくなったのだった。

 床にうつぶせの状態で男が倒れていた。
 ピクリとも動かない。
 そんな男を見下ろしながら、お兄ちゃんはふぅっと長い息を吐いた。

『お兄ちゃん……これで……大丈夫なの?』
「ええ、彼はもう二度と悪いことはできません。あなたの勇気が多くの命を救ったのですよ」
『よく……わからないけど。本当にありがとうございました』
「じゃあ、体に戻りましょう。ご家族も心配しておいでですからね」
『はいっ!』

 私は大きくうなずいた。

「今度はねこねこふぁんたじあで会いましょう。ステキなプレゼントを用意しておきますからね」

 フフフッと扇子を口元に押し当てながら、お兄ちゃんは優しく目を細めて笑ったのだった。 



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