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第二十四話 本気で戦うかどうかを決めるのは――
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「だーかーら、何回言わせりゃいいんだ、おめぇはよぉ。そこの手、逆だっつてんだろうがッ! それになんだ、その足は! もっとピッと伸ばせ! もっと高くあげろっつてんだろうがッ! 高さが足りねぇ! 腰、もっと入れて!」
目の前で黄色いアフロヘアのぽっちゃり体型オネエサマが竹刀を振り回して檄を飛ばしている。
その相手は言わずもがな私であって。
かれこれ二時間もこんなことをやり続けている。
――だけどさあ!
初めて挑戦するラインダンスに戸惑いと気恥ずかしさとにさいなまされている。
思った以上に体が動かない上に、ものすごい体力を奪われるんだ。
父との空手の稽古を思い出すくらいにはつらいものがあるのだが、目の前の鬼教官は目を吊り上げて、自分を鍛え上げることに情熱を注ぎまくっている。
5日間でステージに上がれるレベルまで鍛えてくれ宣言がなされた翌日の午前7時。
夜中3時までの営業を終えたオネエサマ方は寝る間も惜しんでママの言いつけに従って、どこの骨の馬とも知らぬ小娘を特訓して二時間が経過、現在午前9時。
たった二時間、されど二時間。
何時間も空手の稽古に明け暮れていたという自信がボロボロになっている、
体力や体のキレには少々自信はあったんだ。
しかしながら、この鬼教官の特訓は父の稽古の上をいっている。
リズム感はあるほうだと思っていたのに、まったく体が追いつかない。
ひとりだけ物凄い汗びっしょりで、へとへとになっている。
体が鉛玉を背負っているみたいに重たい。
どうにかやっと動かしている状況。
それなのに、一緒に練習をしているオネエサマ方は汗どころか疲れすら見せず、キレッキレのダンスをご披露している。
とても仕事明けとは思えない体の動き、だ。
――外見は女性。されど中身は男性。
性別ゆえの体力差なのか。
それとも社会人になって日々の鍛練を怠っているからゆえの体の重さなのか。
きっとどちらも正解だ。
――ああ、もう限界。ヘロヘロだ。どう頑張ってももう……
一瞬、ぐらりと世界が回る。
頭がぼんやりとして、足やら腕やらの感覚がなくなってくる。
どっちが床でどっちが天井?
「きゅうけい――――!」
遠くでそんな声が聞こえた気がした。
膝に手をついて肩で息をする。
後から後から汗が吹き出し、それが滝のように額から顎へと落ちていく。
着ているTシャツは雑巾みたいにしぼったら、汗だまりができるのではなかろうかというほど濡れてしまっている。
下着もが汗まみれでぐしょぐしょに濡れて気持ち悪い。
顔や体はこれ以上ないほど火照っている。
吐く息の温度も尋常ではないほど熱い
なんなら消防車の高圧ポンプで一気に水を頭から被りたい。
――なんか……気持ち悪い。
頭と体がくらくらと揺れている。
顔をあげることもできない。
目がかすむ。
そんな私の視界にペットボトルが差し出された。
清涼飲料水の名前が飛び込んできて、一も二もなく手が出た。
上キャップを一気に捻ると、その中身を惜しげもなく喉の奥へとがぶがぶと押し込める。
暑い日のビール一気飲みよろしく飲み終えた後、思いっきり口を放すと『ぷはぁぁぁ』と息を吐いた。
ビールのCMのように汗が玉となって飛び散っていく。
そんな私に飲料水を差し出してくれた気の利く人間を見て、また動けなくなった。
「すっごい汗だねえ、愛希」
ニッコリと涼やかな笑みを湛える人物は、こんな状況に追い込んだ張本人『星野龍空』その男だった。
黒スーツにブルーのワイシャツ。
その襟元のボタンを大きく開け崩したような出で立ちの龍空自身もどうやらお仕事帰りというかんじの様子で、私の前でふぁっと大きなあくびを落とした。
「あーのーねー! あんたの訳のわからんリベンジマッチのせいで、やったこともないラインダンスに四苦八苦させられてるの! それに鬼教官にものすごいいじめ倒されて、心身ともにへとへとになっているの! なのに、なんだそのあくびは、このバカホスト!」
「まぁまぁまぁ、愛希ちゃん、ちょっと落ち着いて」
そう言いながら龍空は『あっちで鬼教官が睨んでますよ』と耳打ちする。
龍空の顔を見て思わず逆上して言ってしまったが、ちらりと鬼教官、もとい黄色アフロのぽっちゃりオネエサマを見れば、ものすごい険しい形相でこちらを睨み倒していらっしゃった。
口は災いの元、気をつけろ、気をつけろ。
バクバクしていた心臓がやっと落ち着いたというのに、またあの睨みで心臓が駆け足をし始める。
すると龍空は私の頭の上にスポーツタオルを覆い被せると「ちょっとこっちで休もう」と腕を引いた。
フラッ……と。
引っ張られて足がもつれて倒れてかける私の体を龍空はがっちりと正面から受け止めた。見上げた顔は相変わらずニヤケタお調子者の顔で、力があったら即ぶん殴ってしまいたくなる。
だけど今はその気力すら出ないので、おとなしく腰を支えられながら傍にあった脚の長い椅子に腰を下ろした。
「あんた……なにしに来たのよ?」
「応援に決まってるでしょ?」
「冷やかしでしょうが」
「そんなに性格悪くないんだけど? 愛希ってば本当にオレに対してだけは容赦ないよねえ。ああ、そうか。それも愛情のう・ら・が・え・しなんだ!」
「バカじゃないの?」
「もう、愛希ってば素直じゃないんだからあ」
ふふふ……そう笑うと、龍空は手にしていたコーヒーの缶を口につけて一口飲み込んだ。
「それよりさ、見た?」
「なにを?」
「オネエサマ方のショー」
「見てない。昨日は今日に備えて早く帰って寝ろって倫子さんに言われたから」
「そうかあ……」
すると龍空はなにを思ったのかすくっと立ち上がると、スタスタと鬼教官の方へ出向き、こそこそと耳打ちをした。
なにを話したのかわからないが、耳打ちしている間の鬼教官は私に対して向ける表情とは真逆のものすごく頬がゆるゆるに緩みきったお顔になって、アフロの下の耳は真っ赤に染め上っていた。
そして耳打ちが終了すると一気に形相がまた変わって、休んで団扇で暑さを飛ばしている他のオネエサマに向かって「舞台へお上がんなさい!」と言い放った。
全員がアフロオネエサマの指示に従って舞台に上がる。
それと同時にトップ3がホールにやってきた。
アフロオネエサマはその3人になにやらごにょごにょ相談し始める。
トップ3、ナナ、レイナ、ユウはこちらサイド、私の隣の椅子に座りなおした龍空と私の顔を交互に見つめた後、また龍空の顔を見た。
龍空はそんな3人とアフロオネエサマに軽くヒラヒラ手を振って見せる。
仕方ないと肩を落とすようなリアクションをしたオネエサマ方はしぶしぶといった具合で舞台へと上っていった。
正面最前列中央にナナ。
二列目左サイドにあるポールの真後ろにレイナ。
反対二列目右サイドポールの後ろにユウ。
そしてアフロオネエサマは最後列中央に立つ。
瞬間、ホールに響きわったったのはものすごくハードなダンスナンバーだった。
音楽に合わせてスポットライトが壇上のオネエサマに当てられて、一人一人がプロのダンサー顔負けのキレッキレのダンスをし始めた。
サイドに散ったトップ2と3はポールダンスをご披露してくださっている。
一糸乱れぬ動き。
手足の高さも角度もみな揃っている。
その動きは圧倒ほどの一体感に溢れていた。
笑顔と長い手足が舞い、美しさと妖しさが漂う。
目が釘付けになる。
中でも群を抜いていたのはアフロヘアの鬼教官の動きで、あのぽっちゃり体型からは想像しがたいほど素晴らしく、胸に熱いものが込み上げてきた。
「すごいでしょ、これ。全部、マリリンが仕込んだんだよね。あ、マリリンはあのアフロのオネエサマね。振付rも構成も全部だよ。あの姿からは想像できないでしょ? ああ、昔はもっと細かったんだけどさ。それに初めはねぇ、みんなこんな風にダンスできなかったんだよ」
『マリリン』という名前すら初めて知った。
名前も教えられることなく『やるわよ、小娘』と首根っこを摑まえられてしごかれ続けていたのだから。
「彼女はね、元ダンサーなんだ。それももうトップレベルのね。それこそ、はじめの頃はみんな愛希みたいにボロクソに言われてさ。あまりの厳しさに辞めちゃう子も続出でさ」
私に説明しながら、龍空は踊るオネエサマたちに大きく手を振った。
それを見たオネエサマたちはさらに気合の入ったダンスを披露してくれるものだから、ステージから距離があるにも関わらず、その熱気に気圧されそうだった。
「でもさ。すごくない、このショー? みんな、これを観に全国からやってくるんだよ。ファンもすごくついててさ。そこらへんのアイドルに負けないくらいなの、ここの人気って」
「そうなんだ……」
「そう。そんなステージにド素人の愛希が4日後には立つって言われたら、そりゃマリリンも相当気合入ると思うんだよね」
そこで龍空は一旦言葉を区切るとこちらをじっと見つめた。
「なによ?」
なにか言いたげなのはいい加減読めるようになった。
片方の眉だけ少し下げて、ちょっと口元を左にずらして含んだ顔をするときは、絶対にこちらに言わせたいなにかを待っているときだ。
「あの舞台に立つんだよ、アキ」
「そうみたいね」
「すごくない?」
「そりゃ……すごいけど」
「けど?」
「私がやりたいって言ったわけ……じゃ……ないから……」
そう、別に立ちたくてやっているわけじゃない。
この男が仕組んだから仕方なくやることになっただけ。
でもこの人たちの舞台を初めて見て、ものすごく興奮している。
ワクワクしている。
スゴイスゴイスゴイって、ときめいている。
「ちなみに言っておくね、アキ」
私から顔を背けた龍空は舞台へと姿勢を正した。
踊り終わったオネエサマたちに最大限の拍手を送りながら告げた。
「倫ちゃんもマリリンも、見込みない子はしごかないよ」
「え?」
「愛希はオレがここのショーデビューを目論んだと思っているみたいだけど、ごめん。それは正直オレのプランになかった。だから今日はここへ仕事終わってすっ飛んできたんだけど……」
だけどなんだと言うのか?
この男が目論んでいない?
オレのプランになかった?
では誰のプランでこうなった?
「『本気』で『戦う』かどうか決めるのは愛希自身なんだよ?」
そう言い残して、龍空は踊り終わったオネエサマ一人一人を労いにステージへ駆け寄っていった。
取り残された私の頭にリフレインする龍空の台詞。
『本気で戦うかどうか決めるのは愛希自身なんだよ?』
――仕組んだ張本人のくせに。
流されなければいい。
嫌なら嫌と言えばいい。
決めるのは自分で他の人間じゃない。
龍空がやるからねと言ったところで、やりたくなければやらないと断ってしまえば済んだ話だ。
流されたのは私。
流されることを決めたのも私。
波に乗ってどこまで流されるか皆目見当もつかぬまま、それでも乗っかって、やるだけやって……やれないからリタイヤします?
――それはダメ! それじゃ女が廃る!
日本全国からやって来るお客様方にとったら、数日で舞台に上がろうがなんだろうが関係がない。
舞台に上がる以上はプロとして見られるんだ。
だから『やらされているから』だとか『誰かに言われたせい』だとか。
そんな御託やら言い訳やらを考えて、言っている暇があるんなら本気出せってあんたは言うんでしょうよ。
むかつくけど。
本当にむかつく男だけど。
確かにあんたの言うことはいちいち腹が立るのに間違っていないから。
――見返してやるわよ、あんたなんか!
頭から被っていたタオルを取って肩に掛ける。
わずかに残った清涼飲料水を喉の奥へと流し入れると、空になったペットボトルを渾身の力で握りつぶした。
つぶしたペットボトルを机の上に叩き置くと、触れた渇いた音が小さくホールに響き渡る。その音に反応するように舞台の上の皆様方がこちらを見た。
「すみません、特訓再開お願いしますッ!」
Tシャツの腕をまくり上げてマリリン教官をまっすぐ見つめる私に、舞台のオネエサマ方と龍空がにっこりと一斉に笑顔を向けた。
「振りは覚えているんでしょうねぇ、小娘ちゃん?」
挑発するように二の腕組んだマリリンが意地悪く口角を押し上げた。
その笑みに応えるように私もほほ笑みながら大きくうなずいた。
二時間みっちりたたき込まれた振り付けはしっかり頭と体に刻まれた。
ダンスの一部ではあるけれど、他の振り付けだってやりながらきっちり叩き込んでやる!
「上等よ。さあ、みんな仕切りなおしていくわよ!」
ゆっくりと舞台から降りる龍空とすれ違うようにして私は壇上へと上がった。
龍空はすれ違いざまに小さく笑みを零すとそのままホールから静かに姿を消していった。
熱気と熱風、怒気怒声。
響き渡る音楽と共に腕を振り上げ、足を高らかに。
腕の角度、指先に至るまで決して妥協は許されない。
そうだ。
このとき私は確かに充足感を取り戻していた。
社会人になってから得たことのなかった満ち足りた気持ちというものを心から――
目の前で黄色いアフロヘアのぽっちゃり体型オネエサマが竹刀を振り回して檄を飛ばしている。
その相手は言わずもがな私であって。
かれこれ二時間もこんなことをやり続けている。
――だけどさあ!
初めて挑戦するラインダンスに戸惑いと気恥ずかしさとにさいなまされている。
思った以上に体が動かない上に、ものすごい体力を奪われるんだ。
父との空手の稽古を思い出すくらいにはつらいものがあるのだが、目の前の鬼教官は目を吊り上げて、自分を鍛え上げることに情熱を注ぎまくっている。
5日間でステージに上がれるレベルまで鍛えてくれ宣言がなされた翌日の午前7時。
夜中3時までの営業を終えたオネエサマ方は寝る間も惜しんでママの言いつけに従って、どこの骨の馬とも知らぬ小娘を特訓して二時間が経過、現在午前9時。
たった二時間、されど二時間。
何時間も空手の稽古に明け暮れていたという自信がボロボロになっている、
体力や体のキレには少々自信はあったんだ。
しかしながら、この鬼教官の特訓は父の稽古の上をいっている。
リズム感はあるほうだと思っていたのに、まったく体が追いつかない。
ひとりだけ物凄い汗びっしょりで、へとへとになっている。
体が鉛玉を背負っているみたいに重たい。
どうにかやっと動かしている状況。
それなのに、一緒に練習をしているオネエサマ方は汗どころか疲れすら見せず、キレッキレのダンスをご披露している。
とても仕事明けとは思えない体の動き、だ。
――外見は女性。されど中身は男性。
性別ゆえの体力差なのか。
それとも社会人になって日々の鍛練を怠っているからゆえの体の重さなのか。
きっとどちらも正解だ。
――ああ、もう限界。ヘロヘロだ。どう頑張ってももう……
一瞬、ぐらりと世界が回る。
頭がぼんやりとして、足やら腕やらの感覚がなくなってくる。
どっちが床でどっちが天井?
「きゅうけい――――!」
遠くでそんな声が聞こえた気がした。
膝に手をついて肩で息をする。
後から後から汗が吹き出し、それが滝のように額から顎へと落ちていく。
着ているTシャツは雑巾みたいにしぼったら、汗だまりができるのではなかろうかというほど濡れてしまっている。
下着もが汗まみれでぐしょぐしょに濡れて気持ち悪い。
顔や体はこれ以上ないほど火照っている。
吐く息の温度も尋常ではないほど熱い
なんなら消防車の高圧ポンプで一気に水を頭から被りたい。
――なんか……気持ち悪い。
頭と体がくらくらと揺れている。
顔をあげることもできない。
目がかすむ。
そんな私の視界にペットボトルが差し出された。
清涼飲料水の名前が飛び込んできて、一も二もなく手が出た。
上キャップを一気に捻ると、その中身を惜しげもなく喉の奥へとがぶがぶと押し込める。
暑い日のビール一気飲みよろしく飲み終えた後、思いっきり口を放すと『ぷはぁぁぁ』と息を吐いた。
ビールのCMのように汗が玉となって飛び散っていく。
そんな私に飲料水を差し出してくれた気の利く人間を見て、また動けなくなった。
「すっごい汗だねえ、愛希」
ニッコリと涼やかな笑みを湛える人物は、こんな状況に追い込んだ張本人『星野龍空』その男だった。
黒スーツにブルーのワイシャツ。
その襟元のボタンを大きく開け崩したような出で立ちの龍空自身もどうやらお仕事帰りというかんじの様子で、私の前でふぁっと大きなあくびを落とした。
「あーのーねー! あんたの訳のわからんリベンジマッチのせいで、やったこともないラインダンスに四苦八苦させられてるの! それに鬼教官にものすごいいじめ倒されて、心身ともにへとへとになっているの! なのに、なんだそのあくびは、このバカホスト!」
「まぁまぁまぁ、愛希ちゃん、ちょっと落ち着いて」
そう言いながら龍空は『あっちで鬼教官が睨んでますよ』と耳打ちする。
龍空の顔を見て思わず逆上して言ってしまったが、ちらりと鬼教官、もとい黄色アフロのぽっちゃりオネエサマを見れば、ものすごい険しい形相でこちらを睨み倒していらっしゃった。
口は災いの元、気をつけろ、気をつけろ。
バクバクしていた心臓がやっと落ち着いたというのに、またあの睨みで心臓が駆け足をし始める。
すると龍空は私の頭の上にスポーツタオルを覆い被せると「ちょっとこっちで休もう」と腕を引いた。
フラッ……と。
引っ張られて足がもつれて倒れてかける私の体を龍空はがっちりと正面から受け止めた。見上げた顔は相変わらずニヤケタお調子者の顔で、力があったら即ぶん殴ってしまいたくなる。
だけど今はその気力すら出ないので、おとなしく腰を支えられながら傍にあった脚の長い椅子に腰を下ろした。
「あんた……なにしに来たのよ?」
「応援に決まってるでしょ?」
「冷やかしでしょうが」
「そんなに性格悪くないんだけど? 愛希ってば本当にオレに対してだけは容赦ないよねえ。ああ、そうか。それも愛情のう・ら・が・え・しなんだ!」
「バカじゃないの?」
「もう、愛希ってば素直じゃないんだからあ」
ふふふ……そう笑うと、龍空は手にしていたコーヒーの缶を口につけて一口飲み込んだ。
「それよりさ、見た?」
「なにを?」
「オネエサマ方のショー」
「見てない。昨日は今日に備えて早く帰って寝ろって倫子さんに言われたから」
「そうかあ……」
すると龍空はなにを思ったのかすくっと立ち上がると、スタスタと鬼教官の方へ出向き、こそこそと耳打ちをした。
なにを話したのかわからないが、耳打ちしている間の鬼教官は私に対して向ける表情とは真逆のものすごく頬がゆるゆるに緩みきったお顔になって、アフロの下の耳は真っ赤に染め上っていた。
そして耳打ちが終了すると一気に形相がまた変わって、休んで団扇で暑さを飛ばしている他のオネエサマに向かって「舞台へお上がんなさい!」と言い放った。
全員がアフロオネエサマの指示に従って舞台に上がる。
それと同時にトップ3がホールにやってきた。
アフロオネエサマはその3人になにやらごにょごにょ相談し始める。
トップ3、ナナ、レイナ、ユウはこちらサイド、私の隣の椅子に座りなおした龍空と私の顔を交互に見つめた後、また龍空の顔を見た。
龍空はそんな3人とアフロオネエサマに軽くヒラヒラ手を振って見せる。
仕方ないと肩を落とすようなリアクションをしたオネエサマ方はしぶしぶといった具合で舞台へと上っていった。
正面最前列中央にナナ。
二列目左サイドにあるポールの真後ろにレイナ。
反対二列目右サイドポールの後ろにユウ。
そしてアフロオネエサマは最後列中央に立つ。
瞬間、ホールに響きわったったのはものすごくハードなダンスナンバーだった。
音楽に合わせてスポットライトが壇上のオネエサマに当てられて、一人一人がプロのダンサー顔負けのキレッキレのダンスをし始めた。
サイドに散ったトップ2と3はポールダンスをご披露してくださっている。
一糸乱れぬ動き。
手足の高さも角度もみな揃っている。
その動きは圧倒ほどの一体感に溢れていた。
笑顔と長い手足が舞い、美しさと妖しさが漂う。
目が釘付けになる。
中でも群を抜いていたのはアフロヘアの鬼教官の動きで、あのぽっちゃり体型からは想像しがたいほど素晴らしく、胸に熱いものが込み上げてきた。
「すごいでしょ、これ。全部、マリリンが仕込んだんだよね。あ、マリリンはあのアフロのオネエサマね。振付rも構成も全部だよ。あの姿からは想像できないでしょ? ああ、昔はもっと細かったんだけどさ。それに初めはねぇ、みんなこんな風にダンスできなかったんだよ」
『マリリン』という名前すら初めて知った。
名前も教えられることなく『やるわよ、小娘』と首根っこを摑まえられてしごかれ続けていたのだから。
「彼女はね、元ダンサーなんだ。それももうトップレベルのね。それこそ、はじめの頃はみんな愛希みたいにボロクソに言われてさ。あまりの厳しさに辞めちゃう子も続出でさ」
私に説明しながら、龍空は踊るオネエサマたちに大きく手を振った。
それを見たオネエサマたちはさらに気合の入ったダンスを披露してくれるものだから、ステージから距離があるにも関わらず、その熱気に気圧されそうだった。
「でもさ。すごくない、このショー? みんな、これを観に全国からやってくるんだよ。ファンもすごくついててさ。そこらへんのアイドルに負けないくらいなの、ここの人気って」
「そうなんだ……」
「そう。そんなステージにド素人の愛希が4日後には立つって言われたら、そりゃマリリンも相当気合入ると思うんだよね」
そこで龍空は一旦言葉を区切るとこちらをじっと見つめた。
「なによ?」
なにか言いたげなのはいい加減読めるようになった。
片方の眉だけ少し下げて、ちょっと口元を左にずらして含んだ顔をするときは、絶対にこちらに言わせたいなにかを待っているときだ。
「あの舞台に立つんだよ、アキ」
「そうみたいね」
「すごくない?」
「そりゃ……すごいけど」
「けど?」
「私がやりたいって言ったわけ……じゃ……ないから……」
そう、別に立ちたくてやっているわけじゃない。
この男が仕組んだから仕方なくやることになっただけ。
でもこの人たちの舞台を初めて見て、ものすごく興奮している。
ワクワクしている。
スゴイスゴイスゴイって、ときめいている。
「ちなみに言っておくね、アキ」
私から顔を背けた龍空は舞台へと姿勢を正した。
踊り終わったオネエサマたちに最大限の拍手を送りながら告げた。
「倫ちゃんもマリリンも、見込みない子はしごかないよ」
「え?」
「愛希はオレがここのショーデビューを目論んだと思っているみたいだけど、ごめん。それは正直オレのプランになかった。だから今日はここへ仕事終わってすっ飛んできたんだけど……」
だけどなんだと言うのか?
この男が目論んでいない?
オレのプランになかった?
では誰のプランでこうなった?
「『本気』で『戦う』かどうか決めるのは愛希自身なんだよ?」
そう言い残して、龍空は踊り終わったオネエサマ一人一人を労いにステージへ駆け寄っていった。
取り残された私の頭にリフレインする龍空の台詞。
『本気で戦うかどうか決めるのは愛希自身なんだよ?』
――仕組んだ張本人のくせに。
流されなければいい。
嫌なら嫌と言えばいい。
決めるのは自分で他の人間じゃない。
龍空がやるからねと言ったところで、やりたくなければやらないと断ってしまえば済んだ話だ。
流されたのは私。
流されることを決めたのも私。
波に乗ってどこまで流されるか皆目見当もつかぬまま、それでも乗っかって、やるだけやって……やれないからリタイヤします?
――それはダメ! それじゃ女が廃る!
日本全国からやって来るお客様方にとったら、数日で舞台に上がろうがなんだろうが関係がない。
舞台に上がる以上はプロとして見られるんだ。
だから『やらされているから』だとか『誰かに言われたせい』だとか。
そんな御託やら言い訳やらを考えて、言っている暇があるんなら本気出せってあんたは言うんでしょうよ。
むかつくけど。
本当にむかつく男だけど。
確かにあんたの言うことはいちいち腹が立るのに間違っていないから。
――見返してやるわよ、あんたなんか!
頭から被っていたタオルを取って肩に掛ける。
わずかに残った清涼飲料水を喉の奥へと流し入れると、空になったペットボトルを渾身の力で握りつぶした。
つぶしたペットボトルを机の上に叩き置くと、触れた渇いた音が小さくホールに響き渡る。その音に反応するように舞台の上の皆様方がこちらを見た。
「すみません、特訓再開お願いしますッ!」
Tシャツの腕をまくり上げてマリリン教官をまっすぐ見つめる私に、舞台のオネエサマ方と龍空がにっこりと一斉に笑顔を向けた。
「振りは覚えているんでしょうねぇ、小娘ちゃん?」
挑発するように二の腕組んだマリリンが意地悪く口角を押し上げた。
その笑みに応えるように私もほほ笑みながら大きくうなずいた。
二時間みっちりたたき込まれた振り付けはしっかり頭と体に刻まれた。
ダンスの一部ではあるけれど、他の振り付けだってやりながらきっちり叩き込んでやる!
「上等よ。さあ、みんな仕切りなおしていくわよ!」
ゆっくりと舞台から降りる龍空とすれ違うようにして私は壇上へと上がった。
龍空はすれ違いざまに小さく笑みを零すとそのままホールから静かに姿を消していった。
熱気と熱風、怒気怒声。
響き渡る音楽と共に腕を振り上げ、足を高らかに。
腕の角度、指先に至るまで決して妥協は許されない。
そうだ。
このとき私は確かに充足感を取り戻していた。
社会人になってから得たことのなかった満ち足りた気持ちというものを心から――
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