18 / 26
第18話 直感です
しおりを挟む
部屋に入っても、係長はそわそわと落ち着きがなかった。
妹尾がいなくなったことで心細いのか。飲み物を探しに台所に行けば、係長は俺のあとをちょこちょことついて歩いた。
座椅子に腰を下ろせば、俺の膝の上に乗ってきて丸くなる。
横になろうと布団に入れば、その横でウールサッキングをする――という具合だ。
俺の握りこぶしよりも小さい係長の頭をなでる。
本当に小さい。少しでも力加減を間違えたら、壊してしまうほどには小さくて、か弱い生き物とよもや、一緒に過ごす日がやってくるとは思いもしなかった。
小さな命が俺を頼っている。そのことがこれほどうれしいものだということを、この40年間、俺は知らなかった。
「保護活動かあ」
NNNのエージェントではなかったが、妹尾は週末に保護猫活動の手伝いをしているのだという。
具体的にはなにをしているのだろう。
そもそも、保護活動をしなければならないほど、困った事態になっているのだろうか。
枕元にある充電中のスマホを手に取った。ネットワークアプリをタップして『猫 保護活動』で検索してみる。
「すげぇな」
いろんなサイトにヒットした。Googleの1ページ目にざらっと目を通す。
飼えなくなったペットを引き取る団体や長期的に預かってくれる施設があることを初めて知る。
とりあえず、トップにきたサイトから順に覗いていくことにした。
読んでいく中で俺が気になったのは『飼った後で猫アレルギーになったから捨てた』という話だった。
内容を読むうちにあまりにもショックでスクロールする手がとめられなかった。
どうしてこんなことをするんだと、理由を知りたくなった。簡単に命を捨てる人間がいる。
しかも、一緒に暮らしていて、かわいがっていたのに捨てる。
その心理をどうしても知りたくなったからだった。
たしかに元々は係長と同じ野良の子猫だ。
保護団体で健康管理もされて、人にもなつくように躾された子だ。
それでも引き取った飼い主からしてみたら、アレルギー反応が出た以上は自分たちの命に関わる問題へ発展するから、泣く泣く捨てるという選択をしなければならなかったのかもしれない。
いや、命だし。生き物だし。
感情があるんじゃないかと思ったら、胸がキリキリと痛んでしかたなかった。
もしも、だ。この先、俺にアレルギー反応が出たとする。もう飼えない。おまえもしあわせになれと係長を外に放り出したとする。
俺が小さかった頃は野良猫が近所にゴロゴロしていた。
むしろ、いることが当たり前の時代だった。
猫がゴミを漁るのも普通に見かけたし、かくれんぼしていて、猫のフンを踏んでしまったこともある。
でも、今の世の中はどうだ?
食べ物を得るためにゴミを漁ろうとしても、ネットがかかっていて容易にありつけなくなった。
猫だけでなく、カラスだって苦労している。
雑食のカラスは弱っている猫を容赦なく狙うだろう。
そうなれば彼らが餌になってしまう。
それに加えて車の往来が昔よりも断然激しくなっている。
人間よりも視界の低い猫だったら、車の存在に気づかずに横断中にひかれてしまう可能性も高いだろう。
気候も昔と変わった。夏は日陰にいたって暑さをしのげない。冬は極寒で、コンクリートは氷みたいに冷たくなる。
外は危険極まりないところで、猫たちが簡単に生きのびられるような場所じゃない。
そんなところに係長を離す?
想像するだけで、背中がぞくぞくと気持ち悪くなるほど寒くなる。
ーー俺にはできない。
たった2日しか一緒にいない。
だけど係長に俺は必要とされている。
そんな彼が俺も愛おしい。手放してしまったら、罪悪感で俺は自分を責め続けるだろう。
しかし、実際に放棄してしまう飼い主は多いみたいだった。
野良猫は駆除の対象にもなるのだという。
捕獲されて、里親が見つからなければ保健所で処分されるのだ。
年間で約九万匹もの捨て猫や野良猫が命を奪われる。
子猫の処分の割合がとても高い――そんな現実を目の当たりにして、心の中が氷河期みたいに氷で閉ざされる。
こんなことが実際に起こっているなんて思いもせずに生きてきた。
関係のない世界だったから、知ろうとも思わなかった。
だけど知ってしまった。知らなければ、いつもと同じ道も歩けただろう。
しかし、俺は猫たちのいる世界にもう足を踏み込んでしまったのだ。今まで歩いていた道には戻れない。
俺の指先が自然に係長の体に触れていた。
この小さな命だって、妹尾が拾わなければ、飼い主が見つからなければ、そうなる運命だったのかもしれない。
小さな体に鼻先を埋める。係長の心臓の鼓動が指先を伝わる。
ふわふわの毛が鼻の穴をくすぐったけど、俺は構わずに頬ずりした。
健やかな寝息が聞こえる。
それがとても心地よかった。
妹尾はなぜ、俺に係長を送り込んだのだろう。
俺をコイツの飼い主にしようと思ったのだろう。
そんなことを聞けば、アイツのことだ。
「直感です」
なんて言い返しそうだけど。
「アレルギーのことまで、ちゃんと説明しなくちゃな」
会社で猫を飼う。そのリスクの中に猫アレルギーのことまで考慮していなかった。
ーーそれじゃダメだ。
寝ている係長を起こさないように、俺はそっとベッドを出た。ハンガーラックに掛けたニットカーディガンを羽織ると、窓辺のデスクに置いたノートパソコンの電源を入れる。
「きっと解決方法があるはず!」
猫アレルギーの心配を減らす解決法を探して、それも提示する。
多くの人に受け入れてもらえるように――今の俺に必要なのは猫という生き物をよく知ることだった。
妹尾も言っていた。どんな些細な情報でも逃さずに集めることで、武器にできるのだと。
プレゼンで答えられない問題を残してはならない。相手は百戦錬磨の管理職たち。
そして絶対に負けられない戦。
明日は大いに勝鬨《かちどき》を上げなければ――
椅子に深く腰を掛けて、俺はマウスを握った。
それから空が白み始めるまでずっと、パソコンの画面と向き合い続けていたのだった。
妹尾がいなくなったことで心細いのか。飲み物を探しに台所に行けば、係長は俺のあとをちょこちょことついて歩いた。
座椅子に腰を下ろせば、俺の膝の上に乗ってきて丸くなる。
横になろうと布団に入れば、その横でウールサッキングをする――という具合だ。
俺の握りこぶしよりも小さい係長の頭をなでる。
本当に小さい。少しでも力加減を間違えたら、壊してしまうほどには小さくて、か弱い生き物とよもや、一緒に過ごす日がやってくるとは思いもしなかった。
小さな命が俺を頼っている。そのことがこれほどうれしいものだということを、この40年間、俺は知らなかった。
「保護活動かあ」
NNNのエージェントではなかったが、妹尾は週末に保護猫活動の手伝いをしているのだという。
具体的にはなにをしているのだろう。
そもそも、保護活動をしなければならないほど、困った事態になっているのだろうか。
枕元にある充電中のスマホを手に取った。ネットワークアプリをタップして『猫 保護活動』で検索してみる。
「すげぇな」
いろんなサイトにヒットした。Googleの1ページ目にざらっと目を通す。
飼えなくなったペットを引き取る団体や長期的に預かってくれる施設があることを初めて知る。
とりあえず、トップにきたサイトから順に覗いていくことにした。
読んでいく中で俺が気になったのは『飼った後で猫アレルギーになったから捨てた』という話だった。
内容を読むうちにあまりにもショックでスクロールする手がとめられなかった。
どうしてこんなことをするんだと、理由を知りたくなった。簡単に命を捨てる人間がいる。
しかも、一緒に暮らしていて、かわいがっていたのに捨てる。
その心理をどうしても知りたくなったからだった。
たしかに元々は係長と同じ野良の子猫だ。
保護団体で健康管理もされて、人にもなつくように躾された子だ。
それでも引き取った飼い主からしてみたら、アレルギー反応が出た以上は自分たちの命に関わる問題へ発展するから、泣く泣く捨てるという選択をしなければならなかったのかもしれない。
いや、命だし。生き物だし。
感情があるんじゃないかと思ったら、胸がキリキリと痛んでしかたなかった。
もしも、だ。この先、俺にアレルギー反応が出たとする。もう飼えない。おまえもしあわせになれと係長を外に放り出したとする。
俺が小さかった頃は野良猫が近所にゴロゴロしていた。
むしろ、いることが当たり前の時代だった。
猫がゴミを漁るのも普通に見かけたし、かくれんぼしていて、猫のフンを踏んでしまったこともある。
でも、今の世の中はどうだ?
食べ物を得るためにゴミを漁ろうとしても、ネットがかかっていて容易にありつけなくなった。
猫だけでなく、カラスだって苦労している。
雑食のカラスは弱っている猫を容赦なく狙うだろう。
そうなれば彼らが餌になってしまう。
それに加えて車の往来が昔よりも断然激しくなっている。
人間よりも視界の低い猫だったら、車の存在に気づかずに横断中にひかれてしまう可能性も高いだろう。
気候も昔と変わった。夏は日陰にいたって暑さをしのげない。冬は極寒で、コンクリートは氷みたいに冷たくなる。
外は危険極まりないところで、猫たちが簡単に生きのびられるような場所じゃない。
そんなところに係長を離す?
想像するだけで、背中がぞくぞくと気持ち悪くなるほど寒くなる。
ーー俺にはできない。
たった2日しか一緒にいない。
だけど係長に俺は必要とされている。
そんな彼が俺も愛おしい。手放してしまったら、罪悪感で俺は自分を責め続けるだろう。
しかし、実際に放棄してしまう飼い主は多いみたいだった。
野良猫は駆除の対象にもなるのだという。
捕獲されて、里親が見つからなければ保健所で処分されるのだ。
年間で約九万匹もの捨て猫や野良猫が命を奪われる。
子猫の処分の割合がとても高い――そんな現実を目の当たりにして、心の中が氷河期みたいに氷で閉ざされる。
こんなことが実際に起こっているなんて思いもせずに生きてきた。
関係のない世界だったから、知ろうとも思わなかった。
だけど知ってしまった。知らなければ、いつもと同じ道も歩けただろう。
しかし、俺は猫たちのいる世界にもう足を踏み込んでしまったのだ。今まで歩いていた道には戻れない。
俺の指先が自然に係長の体に触れていた。
この小さな命だって、妹尾が拾わなければ、飼い主が見つからなければ、そうなる運命だったのかもしれない。
小さな体に鼻先を埋める。係長の心臓の鼓動が指先を伝わる。
ふわふわの毛が鼻の穴をくすぐったけど、俺は構わずに頬ずりした。
健やかな寝息が聞こえる。
それがとても心地よかった。
妹尾はなぜ、俺に係長を送り込んだのだろう。
俺をコイツの飼い主にしようと思ったのだろう。
そんなことを聞けば、アイツのことだ。
「直感です」
なんて言い返しそうだけど。
「アレルギーのことまで、ちゃんと説明しなくちゃな」
会社で猫を飼う。そのリスクの中に猫アレルギーのことまで考慮していなかった。
ーーそれじゃダメだ。
寝ている係長を起こさないように、俺はそっとベッドを出た。ハンガーラックに掛けたニットカーディガンを羽織ると、窓辺のデスクに置いたノートパソコンの電源を入れる。
「きっと解決方法があるはず!」
猫アレルギーの心配を減らす解決法を探して、それも提示する。
多くの人に受け入れてもらえるように――今の俺に必要なのは猫という生き物をよく知ることだった。
妹尾も言っていた。どんな些細な情報でも逃さずに集めることで、武器にできるのだと。
プレゼンで答えられない問題を残してはならない。相手は百戦錬磨の管理職たち。
そして絶対に負けられない戦。
明日は大いに勝鬨《かちどき》を上げなければ――
椅子に深く腰を掛けて、俺はマウスを握った。
それから空が白み始めるまでずっと、パソコンの画面と向き合い続けていたのだった。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
後宮の記録女官は真実を記す
悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】
中華後宮を舞台にしたライトな謎解きものです。全16話。
「──嫌、でございます」
男装の女官・碧燿《へきよう》は、皇帝・藍熾《らんし》の命令を即座に断った。
彼女は後宮の記録を司る彤史《とうし》。何ものにも屈さず真実を記すのが務めだというのに、藍熾はこともあろうに彼女に妃の夜伽の記録を偽れと命じたのだ。職務に忠実に真実を求め、かつ権力者を嫌う碧燿。どこまでも傲慢に強引に我が意を通そうとする藍熾。相性最悪のふたりは反発し合うが──
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
なりゆきで、君の体を調教中
星野しずく
恋愛
教師を目指す真が、ひょんなことからメイド喫茶で働く現役女子高生の優菜の特異体質を治す羽目に。毎夜行われるマッサージに悶える優菜と、自分の理性と戦う真面目な真の葛藤の日々が続く。やがて二人の心境には、徐々に変化が訪れ…。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる