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piece9 おまけのお話 彩奈と拓真

諦めない

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悠里の親友。
そう言われて、彩奈の胸が熱くなる。

拓真が、にっこりと微笑んだ。
「だからゴウは、彩奈ちゃんに本当のことを、全部話したんだよ?」
「……え?」

意味を測り兼ね、首を傾げた彩奈に、拓真は穏やかな声で続ける。
「本当はね。今日、ゴウたちから話を聞くのは、オレだけの筈だったんだ」


目を見張った彩奈に、拓真は頷いてみせた。
「でも、彩奈ちゃんから電話がかかって来たことで、ゴウはきっと、覚悟を決めたんだ。彩奈ちゃんにも今日、打ち明けようって」

「そう、なんだ……」
彩奈の耳に、電話越しに聞いた、剛士の苦しげな声が蘇る。

拓真は穏やかな調子を崩さず、ゆっくりと話す。
「今日は、彩奈ちゃんを呼ばずにさ。先にオレと、相談する手もあったと思う。でもゴウは、そうしなかった。彩奈ちゃんに、嘘つきたくなかった。誤魔化したく、なかったんじゃないかな」

「……私に本当のことを言えば、怒るって、わかってましたよね」
小さな声で、彩奈は問う。
「罵られるって、わかってて……呼んだの?」
「それでもいいから、呼んだんでしょ」

当たり前だというように、拓真が答えた。
「ゴウは悠里ちゃんのこと、助けたいんだよ。自分が、どう思われようとさ」


悠里を助けたいのは、彩奈だけではない。
そう伝えられた気がした。

剛士も。拓真も。
エリカも。その恋人の高木も。

公園で彩奈が拒絶し、退けた人たち。
みんな、思いは同じだったのだと、いま初めて、腑に落ちた気がした。


後悔の念が、頭をもたげてくる。
腹の底から、重く、唸るような凶暴性を持って。

彩奈は、ぎゅっと吊り革を握り締める。


理解していなかったわけではない。
けれど、皆の気持ちを思い遣る余裕が、自分にはなかった。
ただただ、自分の心の叫びを、ぶち撒けた。


『悠里の親友は、私です!!』


皆を退けるために、100パーセントの力で、攻撃した。
傷ついた悠里から、皆を遠ざけたかった。

必死だった。
悠里のことを守りたい一心だった。

けれど、自分がこう言えば皆は反論できないと、全く想像しなかったかと言えば、それは嘘になる――


そう。自分は、計算していた。

自分の気持ちを押し通すために、誰も反論できない言葉を、選んだ。
皆を抑え込んで、自分の意志を貫いた。
それは悠里の親友である自分の、当然の権利だと思っていた。


狡くて、傲慢な私――


溜め息とともに吐き出した、彩奈の声は、震えていた。
「これじゃ私、あいつと同じだよね……」

彩奈の脳裏に、諸悪の根源となった人物の顔が蘇った。

悠里を冷たい目で見下ろし、残虐な笑みを降り注いだ女。
剛士への執着心を悠里への嫉妬に変え、執拗な嫌がらせをした。
悠里を追い詰め、ズタズタに傷つけた、あの女の顔。


自分の思い通りにするためならば、人を傷つけること、人の気持ちを踏み躙ることに、何の躊躇もない。
自分の気持ちが最優先されるべきだと、信じて疑わない。

それはまさに、あの女と同じ。
腐った物の考え方だ。

自分自身に、心が冷たく震える。
嫌悪感に苛まれ、彩奈は顔を歪ませた。


「――全然違う」
拓真は前を見据えたまま、決然と否定する。
「彩奈ちゃんは、悠里ちゃんのために戦ったんだ。自分の欲求を満たすためだけに暴れた、あの女とは違うよ」


まさか、こんなに力強く否定して貰えるとは、思っていなかった。
思わず彩奈は、彼の顔をじっと見つめる。
心を塗り込めかけていた重い闇を、拭われた気がした。

拓真が、首を傾けるようにして彩奈と目を合わせ、柔らかく微笑む。
「彩奈ちゃんは、正しい。オレが保証する。だから自分のこと、そんなふうに言っちゃダメだよ?」


剛士を、傷つけてしまった。
友だちなのに。
彼も、自分にとって、大切な友だちだったのに……

そんな後悔と自己嫌悪に沈む彩奈を全力で肯定する、温かい言葉だった。
彩奈は隣りに立つ彼の目を、食い入るように見つめる。


「彩奈ちゃん」
拓真は、いつもと同じ、朗らかな笑みを浮かべた。
「ゴウのことは、オレに任せて?」

いつもと同じ、悪戯っぽくて優しい拓真の瞳が、力強く輝く。
「彩奈ちゃんが、悠里ちゃんを助けるように。オレが、ゴウを助ける」
「拓真くん……」
「だから、ゴウのことは、何も心配しないで。彩奈ちゃんは、悠里ちゃんに集中して」

泣いてしまいそうになり、彩奈は慌ててパチパチと、赤メガネの下の目を瞬かせた。
拓真が、戯けたように、片目を瞑ってみせる。
「ね。いつも通り、オレと分担しよ?」


いつも通り。

なんて得難くて、幸せな言葉なんだろうか。
日常が壊れてしまったいま、強く、強くそう思う。


彩奈は、グッと心に力を込めて、涙を押し込める。
そうして拓真を見つめ、口角を上げてみせる。
「……うん」

しっかりと目を合わせ、2人で、笑い合う。
微笑みを交わすことで、彩奈は彼から差し伸べられた優しさを、しっかりと受け止めた。


もっと、拓真と話したかった。
けれど、彩奈の降りる駅まで、あとひと駅に迫っていた。

間もなく駅に到着するという車内アナウンスがかかった後、拓真が言った。

「――オレは、諦めないよ」
「……え?」
「このまま、オレたち4人が……あの2人が壊れてしまうなんて、嫌だ。絶対に」


電車が停まり、ドアが開き、ポツリポツリと、人が降りていく。

「オレは、諦めない」


うまく言葉を返せず、彩奈は辛そうに顔を歪めた。
言葉を探したくとも、間もなくドアが閉まってしまう。
もう、降りなければ。
結局、彩奈は何も答えられないまま、俯き加減に歩き始めた。

このまま、終わってしまう。
けれど、どうすることもできない。
彼に背を向けて電車を降りながら、彩奈の心は後悔と不安に潰れそうになっていた。


そのとき、優しい声が耳を打った。

「またね、彩奈ちゃん!」

ハッと振り返ると、拓真が明るい笑顔で、手を振ってくれていた。


いつも通りの言葉。いつも通りの笑顔。

これにまた、自分が応えられる日は、来るだろうか。


彩奈は、何も言えなかった。
けれど拓真の顔を見つめ、微かに頷いた。

出発を告げるアナウンスと共に電車のドアが閉まり、彩奈は優しい笑顔から完全に隔てられた。
それでも拓真はいつも通り、窓越しに手を振り続けてくれた。

電車が、走り出す。
優しい笑顔はすぐに、見えなくなってしまった。


『諦めないよ』

彼の口から出た祈りが、彩奈の耳に、熱く残っている。


悠里と剛士に、この先どんな未来が待っているのか。
2人がもう一度、結ばれる日が来るのか。

――そんな日が、来た方がいいのか。

どちらが悠里にとって幸せなのかは、いまの彩奈には、わからない。


けれど、他の誰かの手によって、幸せを崩されるなんて。
みんなの絆を、砕かれるなんて。

そんなことは、許せない。
幸せな未来を、諦めたくない。

拓真は強く、言い切った。


自分も、そうでありたい。
強く、強くありたい……

彩奈は鞄を持つ手を、ぎゅっと握り締めた。
そうして、拓真の声を反芻する。


『いつも通り、オレと分担しよ?』


くすりと、彩奈は笑った。
「……そうだよね」

諦めたくないなら。
日常を、取り戻したいなら。
いまは自分にできることを、やるしかない。
そして、自分にできないことは、拓真を信じて、任せるんだ。


彩奈は、黒い夜空を見上げた。

――明日、悠里に会いに行こう。

私は、私のやるべきことに、集中する。


「……拓真くん。こっちは、任せて」
拓真を目の前にしては言えなかった決意を。
彩奈は、しっかりと唇に乗せた。

「私絶対に、悠里のこと、助けるからね」


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