上 下
2 / 25
piece1 雨の放課後に出会った優しさは、恋の予感か波乱の幕開けか

思わぬ嫌疑をかけられて

しおりを挟む
「悠里。なんか元気ないよ? どうした?」
翌日の放課後、彩奈が顔を覗きこんできた。
赤縁メガネ越しの瞳が、心配そうに悠里を見つめている。


昨夜は、イタズラ電話について考えを思い巡らせているうちに、空が白んでいた。
うっすらと目の下に隈を作っている悠里を労わるように、彩奈は言った。
「ねえ。なんか、あったんでしょ。話してみてよ」

自分の変化を、いつも敏感に察知してくれる親友。
それだけで、ほんの少し胸が軽くなる。
彩奈に感謝せずにはいられなかった。

そうだ、聞いてもらおう。
少しだけ愚痴を言わせてもらおう。
そうすれば、またがんばれる。
悠里は小さく微笑んで、頷いた。
「彩奈。ありがとう……」


悠里は例のイタズラ電話のことを、ぽつりぽつりと打ち明けた。
このことを弟以外と話すのは初めてだ。
冷静に話しているつもりでも、声は時折、頼りなく震えた。

「イタ電は、いつも非通知で掛かってくるから、着信拒否できればいいんだけど。両親からの電話が、たまに非通知でくることもあるから……」
泣き笑いのような表情で、悠里は呟いた。

彩奈は悠里の手をぎゅっと握り、険しい顔で何度も頷く。
「許せないね……よし、こうなったら私が犯人をシメる!」
「……シメるって言っても、犯人が分からないよ」
悠里が苦笑すると、突然に彩奈は人差し指を突き出し、大声で叫んだ。

「私、アイツが怪しいと思うんだ、勇誠学園の!ほら、先週に悠里を駅まで送ったっていう、アイツ!」
驚きのあまり、悠里は大きな目を更に見開いた。
ここで彼のことが話題にのぼるとは、思ってもみなかった。


「え、どうして?」
しどろもどろに、悠里は興奮した親友に問いかける。
彩奈の勢いは、止まらない。
「だってソイツ、悠里が名乗ったとき、変なリアクションとってたんでしょ? 何か怪しくない? もしかしたら、悠里のストーカーなのかも!」


彼に対する、あまりにも唐突な疑惑の言葉に、悠里は困惑する。
「そんな……そんな人には、見えなかったよ」
「ヒトは見かけによらないよ? だったら直接聞いて、白黒ハッキリさせよう! よし悠里、さっそく勇誠学園に乗り込むよ!」


まだ何も決まっていないというのに、すさまじい迫力だ。
思わず悠里は気負されてしまう。
とどめとばかりに彩奈が畳み掛けてきた。

「イタ電が始まったのって、1週間前なんでしょ? それって、アイツに出会ってからすぐの話じゃん」
「それは、そうだけど……」
「ほらね!」
彩奈は、したり顔で大きく頷いた。
彼女のなかでは、犯人を彼と仮定すると、全ての辻褄が合うらしい。


悠里は唇を噛み、彼の強い瞳と落ち着いた低い声を、丹念に思い返す。

『持ってけ』
自分がずぶ濡れになるのも厭わずに、さっと悠里に傘を差し出してきた長い腕。

『だ、だめです、風邪引いちゃいますよ!」
『だから大丈夫だって』
『だめ、だめです!』

互いに譲り合ううち、いつの間にか2人で入ってしまった、ひとつの傘。
可笑しくなって、どちらからともなく吹き出した。
『じゃあ、一緒に入るか』
そう言って、駅まで傘に入れてくれた。


悠里は更に、彼の悪戯っぽい笑顔を思い返す。

『今度こそ、受け取れよ?』
そう言って、悠里に傘を持たせ、走り去った。
駅まで送ってくれただけでなく、電車を降りた後のことまで、気遣ってくれた。


彼の切れ長の目は優しくて、真っ直ぐな親切心に満ちていた。
その瞳を見れば、相手が誰であっても、彼はきっと同じ行動を取ったのだろうと思えた。
だから自分は、安心して彼の親切を受けることができたのだ――


そんな優しい彼に対して、自分の大切な友人が、あらぬ疑いを掛け始めている。
思わぬ事態に胸が痛んだ。

なんとかして事態を収めようと、悠里は強くかぶりを振る。
「あの人は違うよ。絶対」
「なんでそう言い切れるの?」
彩奈の眉が、吊り上がる。
悠里が頑なに否定を繰り返したことで、火に油を注いでしまったようだ。

「直接確かめなきゃ、わかんないじゃない! 行くよ! っていうか、悠里が行かなくても私は行く!」
「彩奈……」
悠里は彼女の怒りに燃えた瞳を見て、言葉を失う。


猪突猛進、という言葉がぴったりの親友である。
一度火が点いた彼女を止める術がないことを、悠里はよく知っていた。

それに、彩奈がここまで言うのは、悠里を思うが故なのだ。
そう思うと、ジクリと胸が傷んだ。
「……わかった。私も、行く」

彩奈を1人で行かせるよりは、マシだ。
悠里は唇を噛み、重い腰を上げた。  


***


勇誠学園は、2人の学校から歩いて15分程度のところにあった。
重厚な歴史が匂い立つ、煉瓦造りの美しい門がそびえ立っている。

憂鬱な表情の悠里とは対照的に、気合い充分といった体で、彩奈が言った。
「悠里。シバサキ、ゴウシね?」
「うん……」
俯き加減に、悠里は応えた。

――来ちゃった。
彼が犯人だなんて、思ってない。思いたくないのに……

できるなら、今すぐこの場から逃げ出したかった。
しかし、それはもう叶わぬ願いだ。
自己嫌悪に苛まれながら、悠里は彼女の後ろに立ち尽くすより他なかった。 


思い悩む悠里をよそに、彩奈は門の傍を通りかかった生徒を捕まえ、呼び出しをかけていた。
「話があるから、門に来てって伝えてください」
呼び止められた生徒は、彩奈の剣幕に、ぽかんとしている。

金髪にピアスという派手な風貌だが、優しい顔立ちの生徒だった。
「な、なに。ゴウ? あいつなら、部活だよ?」
偶然にも、彼は柴崎剛士の知り合いのようだ。
すぐそこの体育館を指しながら、しどろもどろに応えている。

彼の存在を間近に感じ、ドキリと悠里の胸が飛び跳ねた。
「すぐ呼んできて!」
彩奈が畳み掛けると、彼は血相を変えて、体育館に駆け込んで行く。
「おい、おいゴウ! マリ女が来てんぞ!」
大声で叫びながら。
マリ女とは、悠里たちの通う聖マリアンヌ女学院の通称である。


――どうしよう。
にわかに悠里の胸が早鐘を打つ。もうすぐに、彼が来てしまう。

――いやだ。こんな形で再会するなんて。
彼の親切に泥を塗って返すようだ。

悠里の固い表情を不安だと勘違いしたらしい、彩奈が優しく肩を叩いてくる。
「悠里、大丈夫だからね。あんたは何も話さなくていいから。私に任せてよ」
悠里は目を上げる。

――やっぱり、こんなのダメだ。止めなくちゃ。
意を決して、悠里は口を開いた。
「ねえ彩奈、やっぱり帰ろ……」
「来たよ!」
興奮した彩奈の声が、悠里を遮った。


体育館の方を見ると、先ほどの男子生徒とともに歩いてくる、長身の姿が目に入った。
さらりと流れる黒髪。
そして、切れ長の強い瞳。確かに彼だ。

男子生徒の言ったとおり部活中なのだろう。
『勇誠学園 籠球部』と胸元に書かれた、黒いジャージを着ていた。

――バスケ部なんだ……
現実逃避するかのように、悠里は彼のジャージの文字を、ぼんやりと見つめた。

 
「……何?」
彼の声が、耳を打った。
初めて聞いたときと同じ、落ち着いた低い声。
でも、あの雨の日とは違う、冷たい声音だった。

切れ長の黒い瞳が、彼を睨みつける彩奈を、真っ直ぐに見つめ返している。
部活を中断させられた苛立ちが、刺々しく彼を包み込んでいた。

悠里の胸が、申し訳なさに痛みを増す。
彼は一瞬、ちらりと悠里に視線を動かしたが、特に何も言わなかった。


「あなたが、シバサキゴウシ?」
彩奈が、一歩前に出た。
「だから、何の用だよ」
彼――剛士は、整った顔に苛立ちを隠さず、低い声で応えた。

「彩奈」
何とか止めようと、悠里は小声で親友に呼びかける。
しかし彩奈は振り向きもせず、剛士に向かい、一気にまくし立てた。
「悠里の家に毎日イタ電してるの、あなたですか? 悠里、すごく迷惑してるんです。やめてください」

「い、イタ電!?」
剛士より先に、金髪の男子生徒が素っ頓狂な声を上げた。
剛士の隣に立ち、彼と彩奈とを交互に見つめている。

「……はぁ? 何だそれ」
呆れたように、剛士は溜め息をついた。
「知らねえよ。そんな話なら戻る」
言いながら踵を返そうとする剛士に、彩奈が食い下がる。
「逃げんじゃないわよ! 悠里、あんたに会ってからイタ電が始まって、ホントに困ってるんだよ!?」
「だから、知らねえよ」
本格的に気分を害したらしい、剛士の声が一層鋭くなる。


「ちょ、ちょっと、どっちも落ち着けって……な?」
ただならぬ事態に、無関係なはずの金髪の男子生徒がとりなす。

「よくわかんないけどさ、ケンカは良くない。な?」
男子生徒が、宥めるように剛士の肩に手を置く。
彩奈は、依然として剛士を睨みつけている。

もう、耐えられない。
悠里は、懸命に彩奈の腕を引いた。
「彩奈、やめよう。違うって言ってるじゃない」


「おい、そこ! 何事だ?」
突然、雷が落ちたような大声が飛んできた。
ぎょっとして4人はその方向に顔を向ける。
門の前で、派手に騒いでしまったからだろう。
勇誠学園の教師らしき男性が、こちらに走ってくるのが見えた。

「やべ、生活指導の谷だ」
男子生徒が顔をしかめる。
「え、先生? マズい……」
彩奈が狼狽えたように呟いたが、もう遅い。
4人はその場に立ち尽くした。
しおりを挟む

処理中です...