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第6話

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 木の扉をぶち破り、部屋の中に入ると雑談していたコボルド3匹が慌てて立ち上がろうとするが遅すぎる。
 両手斧を振るい、あっという間にコボルドの体を両断した。

 改めて室内を見回すと、床から天井まで雑貨品で埋め尽くされている。
 天井から吊り下げられているのは、小動物の毛皮や乾燥させた薬草、床には分厚い本や木箱などが無造作に置かれており、突撃した時に少しばかり物を壊してしまった。

「へぇ、これは魔導書ですね。なになに『時間加速の書』『下位魔神召喚』『危険の予兆』ですか、コボルドにしてはずいぶんと高度な、というよりも分不相応な本ですね。他には『次元の裂け目に関する考察』『強化魔法の固定化及び弱体化魔法の永続化に関する議題』『オーダイム大陸における危険生物分布図』ですか」

 そう言って、イリスはパラパラと本をめくる。
 俺もちらっと見てみたが、頭が痛くなるような文字の羅列と意味不明な図形の数々だ。本は元あった場所に戻す。

「ちょ、グロムさん! 乱暴に戻さないでください! 知識の宝物庫みたいなものですよ」

 珍しくイリスが抗議の声を上げる。
 別に乱暴に扱ったわけじゃない。少しばかり知恵熱が出て、雑に扱っただけだ。

「扉がいくつかあるな。俺はそっちを探索してくる。お前はここで本でも読んでいろ」
「はーい」

 床に散乱している木箱や本をできる限り丁寧に避けて、俺は閉じた扉に向かう。この部屋はL字型になっており、俺がいる場所からは3つの扉が並んでいるが、さらに奥にも扉があるかもしれん。
 だが今は、とりあえず近くの扉に手をかける。

 奥から気配は感じない。
 勢いよく開いて、中に踏み込むと、そこは実験室のような部屋だった。先程の部屋と変わらず物が散乱しており、机の上には緑や紫色の液体が入った小瓶が置かれている。棚には気持ち悪い蟲が詰め込まれた大瓶が並べられている。
 知識欲が旺盛な奴なら目を輝かせたかもしれんが、俺はまったく興味を引かれない。

 次。
 同じような部屋であり、瓶の中身が虫から小動物に変化したくらいで、さほど変わったところはない。

 だが3つ目の扉、その奥からは何やら気配がする。
 侵入者である俺の存在には当然ながら気づいているはずだが、部屋から飛び出てこないところを考えるに、コボルドが恐怖に震えているのだろう。
 戦意のない弱者を葬るのは趣味ではないが、集落に手を出した連中の仲間であるのなら仕方がない。可能な限りや楽に始末してやろう。

 俺は部屋の中に飛び込んだが、部屋にいたのはコボルドじゃない。
 人間の女だ。

「おい、イリス!」
「はいはい~、なんですか、ベレムさん? って、これはまあ、ずいぶんと手ひどくやられていますねぇ」
「助かるか?」
「いや、これは流石に無理だと思いますよ。むしろ、生きているのが不思議です」

 イリスの言葉に、俺も同感だった。
 長机の上で仰向けにされている女は、まるで解体中の動物のような状態である。
 食らうために殺したというよりも、何かの実験なのだろうか? 命を繋ぐために必要な血は細いチューブから流し込まれており、腹部から臓器の一部が取り出されて、先程見た大瓶などに詰め込まれている。

「ひゅぅー、ひゅぅーー」

 女の口から声にならない声が漏れる。
 その瞳は死を懇願するような輝きが宿っているのをみた。死を間近にした戦士が見せるものに近いが、それよりも哀愁を感じさせる。この女がどうしてこのような状況にあるのか、俺は知らない。
 ひょっとしたら、このような扱いを受けるほどの罪を犯した罪人なのかもしれない。
 だが、何も事情を知らない俺は心の赴くままに、やるべきことをした。

 両手斧を振り下ろす。
 瀕死の女を殺して、部屋の中にあるものを手当たり次第に破壊する。これが何なのかはわからんが、ろくなもんじゃねえ。

「あー、まあ、別にどうでもいいですか」

 イリスは俺の行動に何やら口を挟もうとしたが、沈黙を守ることにした。
 それは正解だ。
 今の俺は少なからず苛ついている。
 下手な口出しをされたら、八つ当たりをしてしまうかもしれない。だがまあ一通り暴れまわって、少しばかりは苛立ちが収まった。残された苛立ちは、コボルド共とこの実験を指示した奴にぶつけることにしよう。


  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 L字型の部屋を曲がった先には、更に別の扉があった。
 それを開いて、更に道なりに進むと十字路に出る。足跡は左側に多くついているので、おそらく左を進めばコボルドが大量にいるだろう。一方、左側は何かを引きずったような跡がついている。大型の怪物か、あるいは死体でもあるのだろうか? 一方、右側には足跡どころか、塵一つない。罠の可能性が大だが……、ひょっとしたらコボルドがピカピカに掃除するほどの大物が潜んでいるのかもしれん。

 少し悩んだが、先程のことがあった後なので、コボルドが大量にいる可能性の高い左の道を進む。

 そして進んだ先は大広間となっており、予想通りに大量のコボルドがいた。
 ただし予想とは違う部分もあった。
 全員死んでいる。

「おい、増援が来たみたいだぜ!」
「護衛にトロールを雇っていたのか」
「1匹だけみたい。やれる?」

 コボルドを殺したのは――冒険者のようだ。
 鎧兜を着込んだ戦士、軽装で口元をマスクで隠した盗賊、そして妖艶な雰囲気の女――三角帽子とゆったりとしたローブから見て、おそらくは魔法使い。

 やはり、コボルドと冒険者たちは争っているのだろう。かなりの数のコボルドを倒した後だというのに、さほど疲労しているようには思えない。しかし、俺がコボルドに雇われているだと?
 一体何を考えていやがるんだ? いつもならば不愉快な発言に激怒して、そのまま闘いを挑むのだが、今は気分が乗らない。

「見逃してやる。どこへなりとも消えろ」

 俺は人間たちの喋る共通語で言ってやった。
 そして、シッシッと手を振るう。
 話し合いをしようかとも思ったが、こいつらと組んでも良さそうなことはない。そんな俺に対して、

「――爆炎火球!」

 冒険者の1人、やはり魔法使いだった女が杖をこちらに向けて、攻撃魔法を放った。
 戦士が魔力を帯びた長剣と盾を構えて、盗賊はヌラリと毒が塗られた短剣を手にして、一気に距離を詰めてくる。
 この野蛮人め!
 そちらがその気なら、容赦しない!
 男はぶち殺して、女は繁殖用の奴隷として集落に連れて帰る。

「ゴォおおおおおッ!!」

 俺は凶悪な咆哮を上げる。

「嘘、ファイヤーボールが効いていない」

 ケルベロスの毛皮で作った皮鎧は、女魔法使いの攻撃を見事に防いでくれたようだ。
 イリスの奴、思ったよりも良い仕事をする。

 俺は両手斧を振るう。
 その一撃を、人間の戦士は盾で防ぐ。衝撃を受け流して、ダメージを最小限に抑えやがった!

「オラァ!」

 戦士は防御に徹して、盗賊が短剣で攻め立てる。
 薄い傷ができるが、その程度の傷なら再生能力ですぐに治癒する……はずだった。短剣には再生能力を狂わせる毒が塗ってあったのだろう。小さな傷口は大きく開いて、真っ赤な血が吹き出る。

「糞が、丈夫なトロールだぜ」

 盗賊は一旦距離をおいて、ベルトポーチから取り出した毒薬を短剣に染み込ませる。
 そいつを追いかけようにも、戦士が俺の行く手を妨害する。先ほどから何度も両手斧を叩きつけるが、巧みに盾を使い受け流し、あるいは回避する。無視して進もうとすれば、その隙を狙って魔力の帯びた長剣で切り裂いてくる。
 こいつら戦い慣れてやがる。
 先程までの不愉快さが、だんだんと高揚感に変わってくる。
 これだ。
 これを望んでいたのだ。

「ウォオオオ!!!」

 俺は両手斧を全力でぶん投げる。
 凄まじい回転をしながら迫りくる斧を、盗賊は回避することはできなかった。身体に両手斧が突き刺さったまま、盗賊は後ろに吹き飛んで壁に激突した。

「スコット! 貴様ぁ!」

 武器を失った俺に対して、戦士は剣で攻め立てる。
 この男の剣と盾の扱いは見事だ。両手斧を使った武器の扱いでは、俺の負けだろう。
 だが両手斧はコボルドを殺す時に便利な武器でしかなく、俺の本命はこの拳――鍛え上げた肉体だ。

 魔力を帯びた剣の一撃をあえて受け止めて、俺は戦士の身体を掴む。

「くぉ、離せぇえ!!」
「は、ははぁ!!」

 戦士は更に剣を食い込ませる。一方、俺も戦士を掴む手の力を強めるミシミシと鎧が悲鳴を上げて、肉体を傷つけるが、人間にしては想像以上に頑丈な身体だ。

「――肉体強化」

 女魔法使いからの支援を受けて、戦士は更に頑健さを増したようだ。

「ぐ、ぐおおおおおおぉッ!!!」
「ぐはは、ぐはははははぁ!!!」

 剣が更に深く突き刺さり、俺の肉体を傷つける。
 俺の生命力が上か、あるいは戦士の生命力と女魔法使いの支援が上か、力比べというこうじゃないか!

 命の遣り取りをする楽しい時間は、すぐに終わりを迎える。
 戦士の顔が絶望の色に染まり、糸が切れた人操り人形のように動かなくなる。
 死んだふりではない。戦士の身体を掴み続けている俺には断言できる。こいつの生命は、俺が今、奪い取った。

「あ、あああ、きさまぁあああ!!!」

 女魔法使いが怒りの形相を浮かべて、魔法の杖を向ける。
 かなりの魔力が集まっているようだ。

「――貫通雷撃」

 杖の先端から、青白い雷が撃ち出される。
 この女の怒りと魔法力のすべてを込めたかのような一撃、今の身体では回避は不可能。
 魔力を吸収する皮鎧の性能はどれほどか不明だ。
 無防備なままでいるよりはと、俺は耐えるように全身の力を込める。結果的に、それは功を奏した。
 魔法による攻撃をある程度は吸収してくれたが、それでも全身を貫くような痛みと痺れが、俺の体を襲う。耐えるという気合がなければ、失神していたかもしれない。

 そして雷が収まるのと同時に、俺は一気に女魔法使いに迫る。

 さらなる魔法をはなとうとするが、先程の一撃にかなりの力を費やしたらしい。
 剣も魔法も共通点がある。大技を放った後は隙が生まれやすいのだ。

「これで終わりだ」

 女魔法使いの杖を取り上げる。
 放さないようにするが、先程の戦士に比べれば非力すぎる。俺は殺さないように注意しながら、女魔法使いの頭を掴む。

「う、うぐぅうう、ぐうぅう……」

 両手で俺の手を引き剥がそうとするが、無駄な抵抗でしかない。
 俺は空いた手で、女魔法使いを軽く小突く。それだけで、女魔法使いはゲロを吐いて、体をくの字に曲げる。
 手が汚れたが、まあそれは仕方がない。
 俺は何度か小突くのを繰り返す。普通の人間ならば内臓や骨がぐちゃぐちゃ担ってしまうかもしれないが、魔法使いとはいえ冒険者だ。
 常人よりも遥かに頑丈で、その予想は間違っていなかった。

 10回目で、ついに失神したのか、手をぶら~んとさせて、ジャアアッと失禁しながら、熟れた果実のようにぶら下がる。

「よし、とりあえず1人目だ」

 十分な戦闘能力もあるので、かなりの数の同胞を産み落とすことだろう。
 勝利の余韻と戦利品を手に、俺は晴れやかな笑顔を浮かべる。

「いや~、グロムさん。お疲れ様でした。お見事です。実にお強い」

 イリスは蝙蝠翼を羽ばたかせながら、太鼓持ちのようなセリフを言う。
 まあ悪い気分ではない。
 俺は毒の短剣で受けた傷口部分を食い千切ると、イリスに指示を出す。

「お前の魔法が役立つ時が来た」
「はいはい、喜んで~」

 女悪魔は気絶している女魔法使いの傍まで来ると、胸元の当たりに手をおいた。
 そして禍々しい呪文を唱え始める。

「背徳の世界の支配者にして、甘美なる闇の女帝ハルヴァーよ。忠実なる下僕が、御身の助力を乞う。我が言葉は枷となり、我が意思は呪いとなり、この者の魂を縛らん。苦痛ではなく悦楽を、恐怖ではなく至福を、甘き堕落を与えん」

 ハルヴァー? そう言えば、封印から解かれた時に仕えているとか聞いたが、知らん神の名前だ。まあ、悪魔が崇拝している神様なんだ。
 なんにせよ、できる限り関わりたくないもんである。

 イリスは女魔法使いの体に触れながら、長々と同じ詠唱を繰り返す。

 俺は魔法には詳しくないが、それでも短い詠唱で即座に効果を発揮する戦闘魔法と、長々と呪文を唱えて効果を発揮する儀式魔法の違いくらいはわかる。前者は戦う時に使う魔法で、後者は戦闘以外で使う魔法だ。
 長老なんかも、雨が降らない時は長々と呪文を唱えて雨雲を呼んだりする。儀式魔法も戦いで使えないわけじゃないそうだが、それは戦争くらいだ。
 個々人の戦闘では術者が隙だらけになり、ものの役に立たない。逆に戦争での儀式魔法は、凄まじい威力を発揮するらしい。長老の話によれば大地震を引き起こし、天から星を落として、地形を自在に変えることができるとか。他にも大軍勢を敵陣の真っ只中に瞬間移動させたり、神話の世界で語られるような天の頂に座す存在や奈落の最下層に眠る怪物を召喚したりすることもできるらしい。
 まあ酒の席で聞いた話なんで、何処までが真実なのかはわからんが。

 イリスが唱えているのは、儀式魔法に分類されるものだろう。
 儀式魔法の中でも、詠唱に数時間、あるいは数日も必要なものがあるらしいが、5分程度で呪文が唱え終わった。
 ちなみに同じくらいの時間で、食いちぎった肉体の再生も完了している。体を動かしてみるが、特に痛みは感じないので完治したのだろう。

「これでよし! グロムさん、この女はもう貴方の命令に逆らえませんよぉ」

 女悪魔は一仕事終えた良い笑顔(ゲスがお)をする。

「まあ抵抗はするでしょうが、それでも魂に直接呪印を刻みましたから、強い意志で命じれば嫌々ながらでも従います。逆らえば逆らうほど呪印が深く浸透して、魂を絡め取りますよぉ。解呪に対するカウンター・トラップも仕込みましたから、グロムさんが殺される以外には、逃れるすべはありません」

 楽しそうだな、こいつ。
 しかも何やらかなり高度なことをしたようだが、まあいい、この女魔法使いが起きたら、とりあえず荷物持ちをさせてみよう。
 その他、必要な情報も聞き出す。
 コボルドの城塞に潜入してから、なんだかんだで3日くらいの時間が経過している。

 ここいらでひとつ、状況確認をしてみるべきだろう。
 優秀な戦士というのは、自分の置かれた状況を的確に判断するべきだと、師匠も言っていたからな。



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 何を持って「善」とするか、あるいは「悪」とするか、個々人により違うだろう。それでも、我々人間は社会生活を営む上で善悪の線引をしなくてはならない。もちろん、それらの取り決めも地域や国ごとに差異はある。だが、それらのルールに従わない者は、必ず一定数現れるものだ。君たちのような冒険者諸君も、その例に含まれているといってもいいだろう。
 そして、それは何も我々人間に限ったことでもない。
 冒険者に接触してきたゴブリンの商人や傭兵として自分の腕を売り込んできたオーク、金銭の代わりに血を要求するラミアの娼婦など、人間社会全体から「敵」であるとされている種族の中からも変わり種が現れることもある。
 ここで問題となるのは、このような魔物と遭遇した場合、冒険者はどのように対処するのが正解だろうか? もちろん、この問いかけに明確な正解などは存在しない。
 他の魔物と同じように殺すのも、交渉を受け入れるのも、あるいは無視するのも自由だ。だが予めどのような対処をするのか、パーティー内で決めておくべきだろう。意見の相違がある場合、パーティーが分裂することもあるからだ。
 冒険者は過酷な職業だ。
 それゆえ、信頼できる仲間を見つけてほしい。

P.S.
「運命の銀貨」亭では、新しい冒険者を歓迎します。

                   ―― 冒険者ギルドの掲示板 ――

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