ホラー短編集

緒方宗谷

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鬼胎

怨霊のラーメン

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 ある田舎の町の片隅、家々の合間に田畑も散見されるのどかな風情の街道に、繁盛しないラーメン屋があった。気がつくといつも店名が違う。すぐに潰れて次の店がオープンするのだが、どれもはやらないのだ。場所が悪いわけではない。城跡のある市街は歴史ある街で、隣の駅には新幹線も停まる。
 駅のそばから大きな一本の街道が山に向かって走っていて、それが山奥にある有名な温泉街へと続いていた。東京方面から下ってきても、岩手方面から上ってきても、秋田方面からやってきても、電車だろうが車だろうが、この町からでないと温泉には行けない。更には、温泉に向かうにはこの街道を行くしかなく、観光シーズンともなれば、温泉へと向かう車でひっきりなしだ。
 街道には幾つもの地元で人気のラーメン屋やうどん屋などがあって、昼時ともなると大勢の人々が列をなす。もちろん観光客の多くも車を止めて、地元の名物に舌鼓を打っていた。
 にもかかわらずどういうわけか。ある一軒の店だけには、観光客ばかりか地元客も寄り付かない。どんなに有名な店が出店しようとも、そういう店から独立した弟子が出店しようとも、初日から閑古鳥が鳴く始末だ。そうしていつしか、ここに店を構えようとする者はいなくなった。
 それから幾年か経ったある日の午後。たまたま会社の車で通りかかった配管工の作業員の男が、ここに店を見つけて中に入った。
「ご主人、手打ちラーメン1つ」
「へい」
 店主の気のない返事が、寂しいほどに静まり返った店内に響く。中年で痩せた店主だった。入ってきた客のほうを見向きもしない。厨房で背を向けたまま、大きな寸胴の前に屹立して腰に手をすえている。厨房は、店内と同じく煌々と蛍光灯が照っているにもかかわらず、心なしか灰色にくすんで見えた。
 男は店内を見渡した。店構えは古い感じがしたのだが、店内は清潔感がある。透ける茶色に塗られた床板で、壁は昭和の終わりか平成の初期を思わせる在来建築ながらも壁紙は新しい。安っぽい作りではあるものの、地元の伝統を受け継いだ置物や人形が飾ってあって、いい雰囲気だ。
 漫画の並んだ本棚を見つけた男は、一冊選んで手に取って席に座った。それから間もなくして、気配を感じさせない店主が、無口で一杯のラーメンを運んできた。
 底が見える琥珀色のスープは、鳥ガラベースの醤油味。メンマ、なるとに、法蓮草と叉焼、この地域のオーソドックスな地元のラーメンだ。
 店自慢の手打ちの麺は縮れ麺で、モチモチとしていながらプチリと切れる歯ごたえが堪らない。 
 大きな叉焼も自家製のようだ。朝、炭火でいぶしたらしく、燻製の香ばしい香りが鼻を擽る。肉に醤油が滲みているのか、頬紅をさしたかのように、薄らと赤みがかっていた。
「うまいねぇ」男が褒める。
「どうも」
 やはり店主は気のない返事。興奮気味に褒める男に見向きもしない。
 本当にうまいラーメンだった。醤油の味はきつすぎずダシがきいていて、縮れた麺によく絡む。はっきりとした小麦の味は感じられなかったが、噛めば噛むほど甘みが湯気に溶け込む。スープの醤油の味と相まって、口いっぱいをとてもふくよかな味で満たした。
 昼休憩を終えて会社に戻った男は、社員に美味しいラーメン屋ができた、と教えた。
「絶対うまいから、今度行ってみろよ」
 男がそう話していると、幾人かのラーメン好きの社員が食いついてきた。その中の1人、後輩の鈴木という大のラーメン好きが「明日にでも行ってみようかな」と話に乗った。
 だがあくる日、鈴木が会社の車を借りて男が話していたラーメン屋に行ってみるが、教えてもらった辺りに、新しくできた店などない。
「おかしいな」鈴木が呟いた。「居酒屋の隣で、道路の向かいに布団屋がある……」続けてそう言って、辺りを見渡す。まさにここで間違いない。だが、ラーメン屋はない。鈴木は、結局ラーメン屋を見つけることが出来ずに、諦めてコンビニでサンドウィッチを買って帰らざるを得なかった。
 鈴木から話を聞いた男は言った。
「街道沿いだぞ。別の道を行ったんじゃないのか? 横道にそれたとか、隣の通りを行ったとか」
「いや、ちゃんと街道沿いを行きましたよ。目印が違うんじゃないですか? 車で何度も行ったり来たりしたんですけど、ありませんでしたよ。だからこんなです」鈴木は、サンドウィッチを手に掲げて言った。「ひもじいお昼です」
 後日、男はもう一度あの店にラーメンを食べに行った。
「街道沿い。居酒屋の隣で、向かいに布団屋。間違いないじゃんか」男は呆れた。そして、駐車場に車を入れながら、「あいつやっぱり間違いたんだ」
 そう言って店に入り、今度は大盛りを食べた。
 昼休憩を終えて戻ってきた男は、社内を見渡した。鈴木はいない。一言言ってやりたかったが仕方がない。自分の席について、夕方の予定を確認することにした。
 しばらくして、鈴木が昼から戻ってきた。それを見るや否や、男は席を立って鈴木のもとに歩み寄って言った。
「お前がやっぱり間違ってたんだよ、温泉に行く街道だぜ! 新幹線駅に行く通りじゃないぜ!」
「そうですよ、温泉に行く街道ですよね、あの『道の駅』がある温泉街道」
 翌日、鈴木は同期の社員榎本と町田の二人を連れて、一緒にラーメン屋を探しに行った。だが、男が教えたラーメン屋はやっぱりない。三人して、男の悪口をブーブーたれる。
 車で何度往復しても見つからなかったので、別のラーメン屋に入ろうとするも超満員。なので、結局みんなしてコンビニ弁当になってしまった。
 会社に戻ってきた後輩たちの話を聞いた男は、しょうがないので、次の日みんなを連れて行くことにした。
「ここだよ、ここ」男が、車を駐車場に入れて言った。
「ここって、どこですか?」鈴木が辺りを見渡した。
「目の前にあるじゃねぇか」
 目の前には、廃虚となった住居と店舗を兼ねる一軒家しかない。ガラスも割れていて、入り口には、侵入を防ぐために打ち付けられた木の板が、雨で朽ちて外れかけていた。
「おう、みんな行くぞ」
 男はそう言って車を降り歩み出す。
 ついていく町田が小声で話す。
「冗談だよな?」
「中でカップラーメンだったりして」榎本がそう答えると、町田が鼻で笑った。
「オープン前なんじゃないか? 知り合いが店を開くことになっていて、本田さんがいつも味見していたとか」
 鈴木が思いついたかのように、引き継いで言った。
「ありえる! 俺たちにお披露目して、味の感想を訊こうってことじゃないの?」
隣の町田が言う。
「これから改装か。もしかして出資しろなんて言われねぇだろうな」
 だが店の中に入ると、どう考えてもこれから店を始めるために味の研究をしているような雰囲気ではない。外観同様、廃墟でしかなかった。塵にまみれた店内には、雑然とテーブルが置いてあって、椅子もそこいらに転げている。見上げると、蛍光灯は全て割れていて、接続部分付近のガラス部分しか残っていない。
 奥にあるカウンターの手前に、斜めに置かれたテーブルにはイスが1つあって、そこだけ塵の堆積が薄い。
 そこに腰かけて、「まあ座れよ」男が言った。
 後輩たちが落ちていた椅子を拾ってきて男のそばに座ると、厨房から低く間延びした精気を感じられない声がした。
「あれ? 今度はお友達を連れてきたんですか? 参ったな、見られちゃって」
 厨房からカウンター越しに顔を出した店主を見て、みんなは「ぎゃあ!!」と声を上げた。

つづく


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