ホラー短編集

緒方宗谷

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鬼胎

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 そんなことできるわけがねー。俺は我に返った。沙織をバラバラ死体になんて出来ねーよ。スマホをいじっている時以上に集中し没頭していた。沙織に視線を向けると、浴室の前の廊下に転がっている。
「やっぱ捨てるっきゃねー」この周辺のカメラの位置を思い出そう、と躍起になった。「駅の方はだめだ。やっぱり玲奈んちのほうか」この辺りは閑静な住宅街で、カメラは設置されていない。商店街に面した場所は町内会のカメラが電柱についていたが、ここは大丈夫だ。三階建て以上のマンションもないようなところだし、繁華街から離れている。
 俺は沙織にブーツを履かせながら、事故で死んだことにすればいい、という結論に思い至った。それもみんなの前で。昔テレビで見たことがある。絞殺体は、首にその痕跡が残るって。だから、飛び降り自殺と交通事故死とかはダメだ。溺死も論外。近くに隅田川が流れているが、川に沈めてもどざえもんにはならない。見つかって引き上げられても綺麗な死体のまま。あれは生きているやつが溺れるから、水をたらふく飲み込んでパンパンに膨れるんだ。既に死んでいる沙織は、綺麗な死体のままなはず。
 肩を組んで立ち上がった後、投げ捨てたスマホのことを思い出して、またしゃがむ。拾ってそれを沙織の胸ポケットに入れた。そして思い出してクローゼットに向かい、俺のマフラーなみに長いスカーフを手に取った。沙織の首に巻きつける。玄関のドアの前で深呼吸して息を整える。大丈夫だ、いける。酔った彼女を介抱しながら家まで送っているように装えるはずだ。そう心に言い聞かせて、俺は外に出た。
 帰宅ラッシュは下火になりつつある駅のホーム。「大丈夫? 沙織? 吐くなよ。もうすぐ家につくからな」と、俺は、そばのサラリーマンに聞こえる程度の声で、定期的に繰り返し言う。誰もが俺を訝しげな眼で見ているように思えた。
 電車は空いている。長椅子の隅に沙織を座らせて、右に傾けて手すりにもたれさせる。幸いアルミパイプの手すりだ。最近よく見る壁型ではない。運がいいぞ。俺は思った。周りの様子を窺いながら、手すりにスカーフを引っ掛ける。つなぎ目を探して、上手くひっかけた。
 突然、「クスクスクス」と言う嘲笑の声がかすかに聞こえて、その声の大きさとは裏腹に、俺は度肝を抜かれた。心臓が握りつぶされたかのようにきゅう、っとなった。俺は固まって、声に耳をそばだてる。
「見てあの女」男の声がした。「すっげー白目向いて寝てる。八割開いてる」「本当だ」もう一人の男が小声で答える。続けて「すっげー美人なのに台無し。口閉じろよ、くっくっくっ」
 ずっと見てたのか。早く降りちまえよ。そう思うと同時に、この電車はぐるぐるエンドレスだから、とも思った。それだけで救われる。落ち着け。落ち着け。慎重にやるんだ。時間はたっぷりある。二人組の男は三駅先で降りた。
 俺は体を沙織に密着させて、見えないように右手で彼女の腰を前に押した。少しずつ少しずつ上半身を引きずり下ろそうとした。だいぶ時間が経って、爆睡しているような格好になった。俺は看病するふりをして、沙織の顔を覗き込む。右目の端でスカーフを見やる。まだたるんでいる。そう、俺は、引っかかったスカーフで首が絞まって死んだという事故を偽装しようというのだ。
 車内に視線を戻すと、俺の左前に不自然なサラリーマンがいる。飲んだ帰りなのか、顔が赤らんでいてにやけていた。だらしなくたるんだワイシャツは、腰から半分抜けている。スーツもしわだらけだ。コイツの何が異様かっていうと、すんげー浅く座っている。普通に座った時の胸の位置に頭があった。
 俺は気がついて無性にむかっ腹が立ってきた。だらしない姿勢の沙織の足は中途半端に開いている。無理にお尻を前にずらしたものだから、スカートのお尻側がめくれていた。膝上二十センチ程度のミニスカートだから、パンツ丸見えだ。このクソ親父、沙織のパンツを見ようっていうんだろう。ぶん殴ってやりたい。こんな緊急事態じゃなかったら、裏に呼び出してやるのに。
「う……ううん」右耳にあえぐ声が聞こえた。咄嗟に見やると、苦しそうな表情を浮かべる沙織が、眉間にしわを寄せて宙を見やっていた。すごいしかめっ面で状況を把握しようとしているように。
「生きていたのか! よかった。よかった」俺は無性に涙が溢れてきた。
「秋人……」そう呟いて、沙織がこっちを見る。「わたし……どうしたんだっけ?――」
 覚えていない? こりゃいい。好都合だ。俺は言った。
「沙織が帰ろうとして立ち上がった時に、俺が無理に引きとめたから転んじゃったんだ。頭打ったから病院行こうかって俺訊いたんだけど、『いい』って頭を振って『でも送って』って……」
「なにしてたんだっけ…思い出せない」
 別れ話も覚えていないのか。俺は別れねーぞ。誰にも渡さない。切り刻んで食ってやりたいって思ったほど愛しているんだぜ。沙織、こんな男には二度と巡り合えないぞ。
 沙織の胸がピンピロリン、と鳴った。チャットかメール。沙織は胸ポケットからスマホを出して、画面をいじり始める。「新宿ー」とアナウンスが聞こえた。ここで乗換だ。沙織は東中野に住んでいる。俺たちは立ち上がった。未だにスマホをいじっている沙織の腰に右手を添えて、リードしてホームに降りた。しばらくホームの真ん中に立ち尽くす沙織を待つ。その間、辺りを見渡す。大丈夫だ。ばれていない。沙織も記憶がないし、このまま隠し通せる。
 心なしか、俺を取り囲む帰宅の途に就くスニーカーのサラリーマンたちが、みんなこっちの様子を窺っているように見えた。しょうがないだろう。さっきまで殺人事件を隠ぺいしようとしていたんだ、その余韻で妙に怯えていたってさ。だがもう後の祭りだ。なかったことにできる。別れずに済むんだ。俺は、咄嗟に沙織の首を絞めてしまったことに後悔の念をいだいていた。だが同時に、もしまた別れ話をされたのなら、また殺してやる、とも思った。
 沙織がスマホを胸ポケットにしまって歩き始めた。ピンピロリン、ピンピロリン、と着信音が何度か鳴った。俺は「よく鳴るね」と言った。「うん」と沙織が答える。そして黙った。ピッコロ、と鳴った。いつもと違う音だ。「なんの音?」と俺は訊いた。
「うん…ああ…、お母さん、着信変えてるの」「ふーん」
 ケツのポケットの中で、俺のスマホがバイブしている。それに気がついた俺は何気なくスマホと取った。思わず「げっ」と唸る。二十五通のSMSが届いている。メールが次々と届く。五…六…十…十三…十七…。まだ止まらない。テル着信も三件あって、またバイブし始めた。奇跡だと思って、俺は沙織に見せてやろう、と画面を傾けた。
 その時、右の二の腕を冷たい空気が撫でて、不意に寂しく感じた。心細くて沙織を見やると、そこに沙織はいなかった。後退していくブーツを追って視線をあげる。沙織は、無表情で俺を見つめながら、一歩、また一歩とさがっていく。無性に不安に駆られた。サラリーマンたちが俺を取り囲んで、視線でがんじがらめに縛りつけているようだった。
 ―――俺は……――、ハッとして我に返った。「……」脳が宙に浮く。開け広げられた冷蔵庫の温度が上がって、グオングオン、と音を発てている。
 後ろの沙織を見やる。唇をかむ。全身汗でぐっしょりだ。早く何とかして風呂入りてぇ。何か手があるはずだ。考えろ。考えろ。
 そして閃いた。俺は沙織の両脇に手を引っ掛けて、風呂場に引きずりこんだ。


「そうだ、頭を切り落とさないと――」
 またぐらに供えられた生首を想像した。またゲロがこみ上げてきて、浴槽に急ぐ―――

おわり


    
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