猫のモモタ

緒方宗谷

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モモタとママと虹の架け橋

第百五話 愛情の悲劇

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 オオウツボが、人魚を洞穴の奥深くに閉じ込めてから、幾年月が過ぎたのでしょう。

 オオウツボは、心の安寧を手に入れたはずでした。ですが、その安寧とは裏腹に、漠然とした自信の無さは残り続けました。

 オオウツボは、ずっと昔から夢見ていました。この美しい人魚とお付き合いできたら、みんなが羨むだろう。そうしたら自分には自信がついて、みんなに隠れて夜泳ぎに出なくても、堂々と昼間人魚を連れて泳げるようになるだろう、と。

 ですが、そうはなりませんでした。そのことに思い悩んだオオウツボは、思いつきました。

 「そうだ、僕の真心から生まれたというサンゴだ。このサンゴさえあれば、僕は自信が持てる。僕には蛇のように長い体があって牙がある。そんじょそこいらの魚よりも強いはずだ。そして美しい人魚が片時もそばを離れずいてくれる。みんなは僕を羨んでいるはずだ。あとは僕の心の素晴らしさを知らしめることができれば、きっと僕には自信が出てくるはずだ」と。

 さっそくオオウツボは朝深しをして、朝日の昇った海へと泳ぎ出ました。ですが、サンゴは見当たりません。想像では、色とりどりのサンゴがお家のある岩を覆っているはずでしたが、灰色交じりの褐色でゴツゴツした岩肌が露出する、なんの変哲もない岩のお家です。

 「おかしいな」と思ったオオウツボは、辺りを探して泳ぎ回りますが、やっぱりサンゴはありません。ささやかな勇気を持って外に出たオオウツボでしたが、急速にその勇気は萎んでいきました。

 そこに、ブダイが通りかかりました。

 オオウツボは、心が折れて消えて無くなる前になんとか勇気を絞り出して、ブダイに訊きました。

 「君は南の海から来たのだろう? それならサンゴを見たことがあるんじゃないか? 僕のお家にはサンゴが生えているはずなんだ。一緒に探してくれないか?」 

 ブダイは、目をぱちくりさせてウツボを見やってから、その後ろの岩肌に視線をやりました。

 「サンゴってそれのことかい?」

 オオウツボが後ろを振り返って、ブダイの視線の先を見やると、白く色の褪せた極小さなでっぱりが岩にくっついています。

 ブダイは言いました。

 「でも死にかけているね。ここの海は暖かいけれど、南国ほど暖かくないから生きていけないんだろうね」

 オオウツボは動揺しました。このサンゴは自分の真心のはずです。今正にその真心が死に絶えようとしていることを、まざまざと見せつけられてしまったのです。

 オオウツボは、いたたまれず一目散にお家へと逃げ帰りました。美しい熱帯のお魚であるブダイにあざけり笑われると思ったからです。そして、そのままお家から外に出なくなってしまいました。

 砂のお布団にくるまれた人魚は言いました。

 「見てしまったのね、サンゴの有様を」

 「君は言ったね、あのサンゴは僕の真心だと。僕になんか真心はなかったんだ。とてもちっぽけなサンゴだった。そればかりか死にかけていたんだよ」

 人魚は、泣き崩れるオオウツボにたおやかに微笑み、言いました。

 「真心のないお友だちなんていやしないわ。だって真心は心の芯なのですもの。みんなそのありかを忘れてしまったり、汚れて見えなくなっているだけなのよ。

  だから今は泣きなさい。泣くだけ泣いてたくさん涙を流せば、汚れは洗い流される。その涙は真心が流している涙だから、心にできた水たまりの中心に、あなたの真心はあるはずだわ」

 オオウツボは、人魚が包まった砂の中に頭を潜り込ませて、毎日毎日泣き続けました。

 夜に泣いている時もあれば、昼に泣いている時もあります。昼夜問わずに泣き続けるオオウツボの頭を、人魚はいつも優しく撫でて慰めてくれました。

 ある日の朝、悲しみに暮れる夢を見たオオウツボは、自らが発した嗚咽によって目が覚めました。目覚めた時には既に涙が流れていましたが、目を開けた途端さらに涙が溢れてきます。

 息をつまらせた口を大きく開けて咽び泣こうとした時、頭にかぶっていた砂が少なくなっていて、とても軽くなっていることに気がつきました。砂粒の間を冷たい海水がすり抜けてきて、とても肌寒く感じます。

 人魚の肌に頬を寄せて泣こうと思ったオオウツボは、頭をあげました。そして人魚の姿を見て、顔面を蒼白とさせました。出会った頃の美しさは見る影もなく、痩せ衰えていたのです。

 人魚は、オオウツボの望み通り洞穴の奥深くに隠れ続けていたので、あまりごはんを食べていなかったからです。

 オオウツボは叫びました。

 「なんて大変なことをしてしまったんだ! あんなに美しかった君を大切に思っていたからこそ、大事に隠しておいたのに!」

 こんな目にあってもなお、人魚はオオウツボに微笑みを返し、優しくゆっくりとした口調で答えます。

 「それでしたら、外に出してください。そうすれば、わたしは自分でごはんと探してこられますから。それなら、あなたの牙を煩わせることもないでしょうし」

 ですが、オオウツボは言いました。

 「いいや、それは出来ない。そんなことをしたら、君がみんなの目に晒されてしまう。そうなったら、君に言い寄ってくる魚はごまんといるだろう」

 「そうかもしれませんが、どのお魚に寄りそうかはわたしが決めること。集まってくるお魚が決めることではありませんわ」

 その真意は、わたしを信じてください、といったものだったのでしょう。そして、その言葉は本心からだったことでしょう。

 ですが、オオウツボには信じられませんでした。自分を選ぶか否かも人魚次第だと聞こえたのです。

 オオウツボは、あの日の美しい人魚の姿を取り戻そうと、昼夜を問わずごはんを捕まえにいっては、人魚に与え続けました。そしてしばらくして、人魚は元の美しい姿へと戻っていきました。

 ですが、今度は違う問題が起こってしまいました。オオウツボは、捕ってきたごはんを、みんな人魚へあげてしまっていましたから、回復していく人魚とは逆に痩せ衰えていってしまったのです。

 人魚は言いました。

 「またお家の水が輝き出しましたよ。今度は桃色だけではなくて、青や赤にも。外で弱っていたサンゴも生き生きと育ち始める頃でしょう」

 オオウツボは言いました。

 「そうか、それはよかった。・・・よかったけれども、もう僕は動けないよ。きれいなサンゴの姿を見られないなんて残念だなぁ」

 「それでしたら、ここで待っていてください。今度はわたしがごはんをたくさん捕ってきてあげますから」

 そう言って、人魚はお家の外へと出ていきました。

 オオウツボは思いました。もう彼女は帰ってこないだろう、と。初めからそうだったのだ。あんな美しい人魚が、こんな薄暗い洞穴に住むくすんだ色の得体のしれない大きなウツボになんか目もくれない。こんなところにいたいなんて思ってもいなかったはずだ、と。

 ですが人魚は戻ってきました。たくさんのお魚やタコを捕っては、オオウツボのところに戻ってきて、一緒に食べました。

 オオウツボは思いました。

 (こんなに楽しいお食事は、いつ以来だろう)

 思い返すと、随分と前のことのように思えます。

 (そう言えば、昔僕にはイセエビのお友だちがいたんだ。僕はごはんを捕ってきて食べると、僕は必ず彼をまねいて、一緒にお食事をしていたんだ。彼はよくうちに遊びに来て、お部屋をお掃除してくれていたな。体に住みついた虫も食べてくれるから、僕はお礼に、お口に残ったごはんをあげていたんだ。
  でも、いつから来なくなったんだろう。どうして来なくなったんだろう)

 いくら考えても思い出せません。その内に、そのように思いふけることもなくなりました。
  
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