猫のモモタ

緒方宗谷

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モモタとママと虹の架け橋

第百二話 深海温泉

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 空気に満たされた部屋にあがって、大きな扉があったであろう開口部をくぐると、そこは大浴場でした。薄い雲のような湯気が沸き立っています。

 モモタが床に空いた浴槽に肉球を浸してみると、とても心地のよい温かさでした。なめてみると、海底なのに全く塩辛くありません。そればかりかとてもまろやかで甘みがあるように感じられます。とても美味しいお湯でした。

 モモタが「これ、真水だよ」と、みんなに教えてやります。

 アゲハちゃんが言いました。

 「お湯なのに真水? 真お湯じゃなくて?」

 「あはははは」とみんなで笑います。

 普段水に浸かるのを嫌がるモモタでしたが、あまりの心地よさにゆっくりと温泉に浸かりました。キキも行水を始めます。チュウ太は、キキの背中に乗って浸かりました。

 アゲハちゃんは、翅を濡らすわけにはいかないので、へりに座って足湯です。しばらくすると、表面張力で温泉の上に立てることに気がついて、水面を滑るようにして遊んでいました。

 みんなは、ニーラに作ってもらったあぶく船にそれぞれ入って、温泉の中を探索します。何者かによって切り出された石を組み合わせて作られた浴槽ですから、特別探すところはありません。人間が浸かると、ようやく顔だけが出るといった程度の深さです。広さは学校のプール並みの大きさですが、すぐになにもないことが分かりました。

 洗い場に出たモモタは、ニーラを見上げます。

 「虹の雫には七色あって、あとは赤と橙色だけなんだ」モモタは「これを見て」と言いました。そして、首輪に括りつけられた巾着袋の中に入った虹の雫をニーラに出してもらいます。そして、その一つを温泉の浅いところに浸しました。

 浸されたのは、紫の雫です。たちまちの内に紫の光がお湯に溶けて、紫温泉に変わっていきます。

 驚いたニーラが、ゆっくりと両手でお湯と共に紫の雫をすくい上げます。

 両手一杯しかないお湯なのに、止めどなく溢れて、指の隙間から零れ落ちるではありませんか。手のひらのお湯がなくなる気配は全くありません。そればかりか、手のひらで作った器の縁から溢れ出るお湯は、滝のようになりました。

 『クガニティーラのイハナシ』の中に、虹の雫は登場しません。ですが、ニーラちゃんは、虹の雫の存在を知っていました。たぶん、別のムヌガタイ(物語)に出てくる星屑だろうと思いました。ですから虹の雫を目の当たりにして、ニーラはとても感動した様子です。

 七つの星屑はティーラ(太陽)から生まれた最後の子供たちで、真実の愛情を極めた者だけが発見できる、というお話です。

 ニーラは慈しむように言いました。

 「七つ全てを集めると、真実の愛からなる願い事を一つ叶えてくれるというわ。この感じ、たぶん星屑たちじゃないかしら。

  とても愛情深い結晶なのね。わたしのお家を覆うサンゴの円天井と同じだわ。この暖かい光は、ヒカリゴケの輝きのよう」

  しばらく見惚れてウットリとした様子だったニーラは、モモタに言いました。

 「でも、こんなすてきな雫がここにあったのなら、ムヌガタイに残っていないはずないし、グスク(お城)の中を知り尽くしているわたしが知らないはずないわ。

  確かにこの辺りの海には、愛情の輝きが溶け込んでいるけれど、それはこの雫のものとは違うものよ。ううん、同じ真実の愛なのだけれど、その源泉は違うでしょうね」

 モモタたちはガッカリです。

 ですが、モモタたちはすぐに気を取り直しました。なんせ、良いことを知ったからです。

 一つ目は、太陽となった母星は、絶望に伏して天から落ちてきたのではないということと、虹の雫は悲しみの涙ではないということです。なんせ、ニーラは虹の雫を見て、とても純粋で混ざり気のない愛情深い結晶だと言ったのですから。

 二つ目は、七つの星屑を集めると願いがかなう、というお話です。冒険の目的は、モモタとママを再会させる、というものですから、俄然やる気が出てきました。

 もしかしたら、絶望を残して零れ落ちたのが虹の結晶で、太陽に残ったのが絶望のみ、という可能性は残っているかもしれません。当然、モモタの中にそれは思い浮かびました。みんなの中にも思い浮かんだことでしょう。

 ですが、その考えはすぐに消えてなくなりました。モモタがみんなを見やります。みんなの表情は和やかでした。ですから自分と同じように思っている、とモモタは思いました。

 不意に上を向いたニーラが、一瞬間をおいて言いました。

 「イルカたちが心配して、あなたたちを探しているわ。そろそろ戻ってあげないと」

 モモタが叫びます。

 「忘れてた! 早くしないと、クークブアジハーが目覚めて、帰れなくなっちゃうよ」

 ニーラは、心配そうに自分を見やるモモタに言いました。

 「大丈夫よ。わたしが海上に戻してあげるから」

 みんなは今きた道を戻っていきます。

 水路を進んでいくと、前のほうからニーラが放つ淡い光に照らされた大きな影がやってきて、頭上を通り過ぎていきました。

 チュウ太が息を殺して囁きます。

 ((クークブアジハーだ、アイツもう目覚めているんだ。僕たちを探しているんだよ))

 アゲハちゃんが怯えます。

 ((じゃあもう気がついたわ。だって、わたしたち、ニーラちゃんに照らされていたんですもの))

 モモタたちが後ろを振り返ると、気配を海に溶かして伝わらせることなく、あの大きな影が戻ってきました。

 みんな恐ろしくて硬直してしまいます。クークブアジハーなら、モモタたちを一口で丸飲みにできるでしょう。イルカやジュゴンと同じ大きさのニーラでさえ、一口かもしれません。

 黒い影は、ゆっくりとしたペースで近づいてきました。そして、モモタたちの真後ろについて泳ぎ始めます。ゆっくりと口が開いて、牙が光に照らされました。

 モモタたちが、もうだめだ、食べられる、と思った次の瞬間の出来事です。ニーラは、優しく左手を差し出して、クークブアジハーの鼻頭を撫でてやりながら言いました。

 「えくぼちゃん、この子たちのことを食べちゃダメよ」

 クークブアジハーは何も答えませんでしたが、ゆっくりと大きく頭をあげてから、一回頷きました。

 チュウ太が小声で言いました。

 「大丈夫なのかな? なんか一呼吸で吸い込まれそうだけど・・・」

 ニーラがチュウ太に言いました。

 「この子は、竜宮城の守部なの。小さかった頃にやってきて、ここに住みついたのよ。わたしのことが大好きだから、ここを守ってくれているのよ」

 「それでなのね」とアゲハちゃんが言いました。「だから誰もここに近づけたくなかったのよ。屋上のお庭はあんなに広いのに、それに見合うだけのお魚は住んでいなかったでしょう? たくさんいたけれど、もっといてもよかったじゃない?」

 「正解よ」とニーラが拍手します。「愛を育んだ者しか入れない運命めいたものがあるのだと思うわ。ウーマクとちゃくちゃくはお互い愛し合っているから、えくぼちゃんに見つからずに、わたしのお家まで入ってこられたのね。そしてごはんにはならなかった。あなたたちも同じよ」

 アゲハちゃんが、とても喜んだ様子で言いました。

 「まあすてき。あの二頭の愛は真実の愛なのね」

 「そうなり得る成長中の愛なのだわ、きっと」とニーラが答えます。

 海水を通して、イルカたちの動揺が伝わってきます。クークブアジハーの影を見つけて、大慌てで逃げていくようでした。

 しばらくすると、海面を透過する光が揺らぐクークブアジハーのねぐらの入り口が見えてきました。外側は光に満たされて眩しすぎます。真っ白なカーテンに覆われているようでした。

 モモタたちは目を瞑りました。しばらく目を慣らしてからまぶたをあげると、目の前にはサンゴの海が広がっています。サンゴ山の外に出てきたのでした。

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