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モモタとママと虹の架け橋
第五十六話 じっとしていた分だけ溜まる力
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羽を毟られた無残な姿のキキが、枝を編んで作った大きな巣の中に転がっていました。
枝に葉のない裸の木がまばらに生えるだけの嶮しい雪原が広がっています。高い木々ですら半分以上が雪の下に埋もれてしまうほどの極寒の山でした。
雪も積もれないような断崖絶壁が聳えています。その頂上付近に作られた大きな巣には、キキの他に、イタチやウサギ、キツネの死骸が転がっていました。
しばらくすると、悠然と舞うオオワシが巣に戻ってきました。くちばしには二羽の山鳩、左右の足にはそれぞれタヌキと大きな鮭を鷲掴みにしています。
巣にヒナはいません。いくらオオワシが大きいからといって、どうしてそんなにごはんを運んでくるのでしょうか。
オオワシが言いました。
「ほらよ、息子よ。山鳩なら食うだろ。ももなんか脂がのっていて美味しいぞ。
はっはっはっ、そうでもないか? 冬だもんな。痩せこけて脂なんてみんな落ちちまっているか」
「誰が息子だよ。僕違うやい」キキが言い捨てて、ぷいっ、としました。
何とキキは死んではいなかったのです。
オオワシが武骨に笑いました。
「はっはっはっ、子供のくせに食べないなんていけないぞ。そんなんじゃ俺のように大きくなれないぞ。息子よ」
「なんで羽を毟っちゃったんだよ。こんなんじゃ、僕飛んで帰れないじゃないか」
「帰ることないだろう。お前はいつまでも父さんと一緒にいるんだ。心配するな。ごはんの面倒はちゃんと見てやるから」
「ごはんなんて自分で捕れるよ」
「生意気言うんじゃない。飛べもしないくせに」
「どの口が言うんだよ。おじさんが羽を毟っちゃったせいじゃないか。こんなんじゃ恥ずかしくて、みんなのもとに帰れないよ」
キキの頭にモモタの笑顔が過ります。
(モモタは今どうしているだろう)
たぶん自分のことを心配しているはずだと考えました。キキは、今すぐにでも戻りたかったのですが、今の翼では帰れません。
キキが自分の翼を見やります。毟られたといっても、全てではありませでした。翼は鳥にとって命と同じです。ですから、自分を捕まえたオオワシも全てはむしりませんでした。飛べるか飛べないかギリギリのところで風切羽を残したのです。
キキはとても心配になりました。
(新しく生えてくれたら、すぐにでも逃げよう。・・・でもそれまでモモタは待っていてくれるかなぁ)
もしかしたら、もう旅立ってしまったかもしれません。キキはオオワシに食べられて死んでしまったのだと思っても無理からぬことです。なんせ、オオワシはキキの倍以上の大きさがあったからです。他のオオワシたちも倍前後ありましたし、たくさんいましたから、キキの生存を信じられなくてもおかしくありません。
オオワシは、来る日も来る日も新鮮なごはんを持ってきてくれました。巣にたまったごはんは、古い物から順順に捨てられて、いつでもキキが新鮮で凍っていない物を食べられるようにしてくれました。
オオワシが言いました。
「頼むから食べておくれよ、息子よ。食べてくれなきゃ死んでしまうぞ」
キキは、差し出された鮭の赤い身を見やってから、心配そうに自分を覗き込むオオワシを見やりました。
(死んでしまったら何にもならないぞ)と思ったキキは、差し出された鮭の身をついばみます。たくさんごはんを食べて、早いとこ羽を生やさないと、と思ったからです。
それを見たオオワシはとても喜んで、次から次へと鮭のきれっぱしを差し出してきました。
ある日、いつものようにごはんを持ってきたオオワシに、キキは、どうして捕まえた僕にごはんを持ってくるんだ、と訊いてみました。
するとオオワシは、「なに言っているんだ。親父が息子にごはんを持ってくるのは、当然じゃないか」と言います。
「息子息子って言うけど、奥さんはどうしたんだよ。僕をここに連れてきてから、まだ一度も舞い戻ってこないじゃないか」
すると、一瞬きょとんとしたオオワシが言いました。
「母さん? 母さんなんて初めからいないだろう」
「いないもんか。お母さんがいないのに子供がいるわけないじゃい。お母さんが卵を産まなきゃ、ヒナに孵らないんだから」
「そんなことどうでもいいだろう。父さんが産んだんだ。お前を産んだのは父さんだよ」
キキは呆れました。バカにしているのかと思って、目を見開いてオオワシの目の奥を見つめます。オオワシの目は、真剣そのものでした。全く濁る隙もないほどに澄んだ黄色の彩光をしています。瞳孔は全く動じることなくキキの瞳孔を直視していました。
キキは思いました。(こんなに立派なオオワシが、一羽でいるなんておかしい)と。
オオワシに出会うのは、北海道に来てから初めてでしたが、同じ猛禽ですから、大きくて強いオスがモテモテなはず。しかもたいそうな子供好きそう。こんなイクメンのオスがモテないはずがありません。奥さんがいるはずですし、今年巣だったヒナがいてもおかしくありません。
ですが、この巣には新しい卵の破片は、一欠片すら混在していませんでした。そもそもごはんの乏しい真冬に子育てをするなんておかしな話です。しかもタカの子を。キキには、なぜだか全く見当がつきません。
そうこうする内に、だんだんと新しい羽が生えてきました。
キキは、新しく生えた羽を可能な限り翼の中に隠します。飛べないと見せかけたいからです。成長期ですから、どんどん羽が伸びていきます。オオワシは、まさかこんなに早く羽が生え揃っていくとは露知らず、新たに生えた羽を毟ろうとはしませんでした。
キキは、のらりくらりして名前を教えてくれないこのオオワシに、オオワシ親父という名前を付けました。
キキは、来る日も来る日もオオワシ親父がいない時間を使って、飛ぶ練習をしていました。オオワシ親父のお家はとても高い崖の上でしたから、失敗したら落っこちて死んでしまいます。恐る恐る巣の上で羽ばたいて、浮かび上がれることを確認しました。
まだうまく浮かび続けることは出来ませんでしたが、キキは、足で掴みつけそうな岩肌めがけて飛びました。不安定ですが、多少浮遊できます。不器用にホバリングを繰り返しながら、ピョンピョンと岩を飛び回ります。そして、すぐに巣に戻って動くのをやめました。
オオワシ親父は、キキと同じくとても目がいいはずです。ですから、どこから飛べるようになったキキを見つけるか分かりません。キキは、早くモモタのもとに返りたい、と気が焦っていましたが、羽の成長を待ちました。しっかり力を蓄えてから「えいやぁ」と飛び立つためです。
ある晩、オオワシ親父が言いました。
「息子よ。そろそろお前の羽も生え揃ってきた頃だろう。もう羽毛もほとんど抜けてタンポポの種のように飛んでいってしまったからな。どうだ? もう明日には飛べるんじゃないか?」
キキはドキッとしました。瞬時に目を逸らします。
オオワシ親父は、そんなキキを見つめて続けました。
「まあいい、お前は大空の王者たるオオワシだ。しかも覇者たる俺の息子。飛び立とうと思えばいつでも飛び立てるさ」
空には満月が輝いていました。明日はよく晴れることでしょう。
枝に葉のない裸の木がまばらに生えるだけの嶮しい雪原が広がっています。高い木々ですら半分以上が雪の下に埋もれてしまうほどの極寒の山でした。
雪も積もれないような断崖絶壁が聳えています。その頂上付近に作られた大きな巣には、キキの他に、イタチやウサギ、キツネの死骸が転がっていました。
しばらくすると、悠然と舞うオオワシが巣に戻ってきました。くちばしには二羽の山鳩、左右の足にはそれぞれタヌキと大きな鮭を鷲掴みにしています。
巣にヒナはいません。いくらオオワシが大きいからといって、どうしてそんなにごはんを運んでくるのでしょうか。
オオワシが言いました。
「ほらよ、息子よ。山鳩なら食うだろ。ももなんか脂がのっていて美味しいぞ。
はっはっはっ、そうでもないか? 冬だもんな。痩せこけて脂なんてみんな落ちちまっているか」
「誰が息子だよ。僕違うやい」キキが言い捨てて、ぷいっ、としました。
何とキキは死んではいなかったのです。
オオワシが武骨に笑いました。
「はっはっはっ、子供のくせに食べないなんていけないぞ。そんなんじゃ俺のように大きくなれないぞ。息子よ」
「なんで羽を毟っちゃったんだよ。こんなんじゃ、僕飛んで帰れないじゃないか」
「帰ることないだろう。お前はいつまでも父さんと一緒にいるんだ。心配するな。ごはんの面倒はちゃんと見てやるから」
「ごはんなんて自分で捕れるよ」
「生意気言うんじゃない。飛べもしないくせに」
「どの口が言うんだよ。おじさんが羽を毟っちゃったせいじゃないか。こんなんじゃ恥ずかしくて、みんなのもとに帰れないよ」
キキの頭にモモタの笑顔が過ります。
(モモタは今どうしているだろう)
たぶん自分のことを心配しているはずだと考えました。キキは、今すぐにでも戻りたかったのですが、今の翼では帰れません。
キキが自分の翼を見やります。毟られたといっても、全てではありませでした。翼は鳥にとって命と同じです。ですから、自分を捕まえたオオワシも全てはむしりませんでした。飛べるか飛べないかギリギリのところで風切羽を残したのです。
キキはとても心配になりました。
(新しく生えてくれたら、すぐにでも逃げよう。・・・でもそれまでモモタは待っていてくれるかなぁ)
もしかしたら、もう旅立ってしまったかもしれません。キキはオオワシに食べられて死んでしまったのだと思っても無理からぬことです。なんせ、オオワシはキキの倍以上の大きさがあったからです。他のオオワシたちも倍前後ありましたし、たくさんいましたから、キキの生存を信じられなくてもおかしくありません。
オオワシは、来る日も来る日も新鮮なごはんを持ってきてくれました。巣にたまったごはんは、古い物から順順に捨てられて、いつでもキキが新鮮で凍っていない物を食べられるようにしてくれました。
オオワシが言いました。
「頼むから食べておくれよ、息子よ。食べてくれなきゃ死んでしまうぞ」
キキは、差し出された鮭の赤い身を見やってから、心配そうに自分を覗き込むオオワシを見やりました。
(死んでしまったら何にもならないぞ)と思ったキキは、差し出された鮭の身をついばみます。たくさんごはんを食べて、早いとこ羽を生やさないと、と思ったからです。
それを見たオオワシはとても喜んで、次から次へと鮭のきれっぱしを差し出してきました。
ある日、いつものようにごはんを持ってきたオオワシに、キキは、どうして捕まえた僕にごはんを持ってくるんだ、と訊いてみました。
するとオオワシは、「なに言っているんだ。親父が息子にごはんを持ってくるのは、当然じゃないか」と言います。
「息子息子って言うけど、奥さんはどうしたんだよ。僕をここに連れてきてから、まだ一度も舞い戻ってこないじゃないか」
すると、一瞬きょとんとしたオオワシが言いました。
「母さん? 母さんなんて初めからいないだろう」
「いないもんか。お母さんがいないのに子供がいるわけないじゃい。お母さんが卵を産まなきゃ、ヒナに孵らないんだから」
「そんなことどうでもいいだろう。父さんが産んだんだ。お前を産んだのは父さんだよ」
キキは呆れました。バカにしているのかと思って、目を見開いてオオワシの目の奥を見つめます。オオワシの目は、真剣そのものでした。全く濁る隙もないほどに澄んだ黄色の彩光をしています。瞳孔は全く動じることなくキキの瞳孔を直視していました。
キキは思いました。(こんなに立派なオオワシが、一羽でいるなんておかしい)と。
オオワシに出会うのは、北海道に来てから初めてでしたが、同じ猛禽ですから、大きくて強いオスがモテモテなはず。しかもたいそうな子供好きそう。こんなイクメンのオスがモテないはずがありません。奥さんがいるはずですし、今年巣だったヒナがいてもおかしくありません。
ですが、この巣には新しい卵の破片は、一欠片すら混在していませんでした。そもそもごはんの乏しい真冬に子育てをするなんておかしな話です。しかもタカの子を。キキには、なぜだか全く見当がつきません。
そうこうする内に、だんだんと新しい羽が生えてきました。
キキは、新しく生えた羽を可能な限り翼の中に隠します。飛べないと見せかけたいからです。成長期ですから、どんどん羽が伸びていきます。オオワシは、まさかこんなに早く羽が生え揃っていくとは露知らず、新たに生えた羽を毟ろうとはしませんでした。
キキは、のらりくらりして名前を教えてくれないこのオオワシに、オオワシ親父という名前を付けました。
キキは、来る日も来る日もオオワシ親父がいない時間を使って、飛ぶ練習をしていました。オオワシ親父のお家はとても高い崖の上でしたから、失敗したら落っこちて死んでしまいます。恐る恐る巣の上で羽ばたいて、浮かび上がれることを確認しました。
まだうまく浮かび続けることは出来ませんでしたが、キキは、足で掴みつけそうな岩肌めがけて飛びました。不安定ですが、多少浮遊できます。不器用にホバリングを繰り返しながら、ピョンピョンと岩を飛び回ります。そして、すぐに巣に戻って動くのをやめました。
オオワシ親父は、キキと同じくとても目がいいはずです。ですから、どこから飛べるようになったキキを見つけるか分かりません。キキは、早くモモタのもとに返りたい、と気が焦っていましたが、羽の成長を待ちました。しっかり力を蓄えてから「えいやぁ」と飛び立つためです。
ある晩、オオワシ親父が言いました。
「息子よ。そろそろお前の羽も生え揃ってきた頃だろう。もう羽毛もほとんど抜けてタンポポの種のように飛んでいってしまったからな。どうだ? もう明日には飛べるんじゃないか?」
キキはドキッとしました。瞬時に目を逸らします。
オオワシ親父は、そんなキキを見つめて続けました。
「まあいい、お前は大空の王者たるオオワシだ。しかも覇者たる俺の息子。飛び立とうと思えばいつでも飛び立てるさ」
空には満月が輝いていました。明日はよく晴れることでしょう。
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