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モモタとママと虹の架け橋
第一話 岬のお家
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空は鈍い鉛色の雲に覆われていました。吹き荒む強風は、白く霞んだ刃のように弧を描いて通り過ぎていきます。一つ一つの風が身を切り裂くような音を響かせていました。
百年に一度と言えるほどの大きな嵐が、岬の上に建てられた海を臨む一軒の洋館に迫っていたのです。
幾重にも重なる雲は太陽の光を完全に遮っていたので、昼間だというのに辺りは暗闇という名のとばりに覆われていました。
雲の淀んだところは、全ての光を吸い込んでしまったかのような闇色に染まっています。まさに世界が闇に閉ざされてしまうのではないか、と思えるほどでした。
赤い屋根の洋館の窓からお外を眺めるモモタという名の赤い首輪をつけた茶トラの子猫が一匹いました。嵐の影響で停電していたので、部屋の中は、暖炉の炎と浮彫のある銀の燭台の上で灯されたろうそくの灯りしかありません。いつもだったら幻想的な揺らめく火の光も、それに照らされたお部屋の中も、今はオバケが出そうに思えてならない雰囲気です。遠雷が轟くたびにモモタは、短くてまあるいしっぽを緊張させながら、空を見つめ続けていました。
次第に雲はぐるぐるとぐろを巻くようになりました。そして、さらに厚みを増していきます。モモタは、雲が地上に落ちてくるのではないか、と怖くなってきました。
降り始めた雨は次第に強くなり、一つ一つの粒が大きくなってきました。窓から見えるその雨粒は、毒蛇のようにのたまい絡み合いながら落ちてきます。そして、ボダボタ、ボダボタ、と建物を打ち付けました。
モモタは、その蛇たちがお家の中に這って入ってきて、お家のご主人様であるおばあちゃんと、お世話になっている自分を食べてしまうのではないか、と思いました。
広いリビングの中を見渡して、蛇の気配を探っていたモモタでしたが、突然の稲光とけたたましい雷鳴にびっくりして、窓の外を見やります。
気がつかないうちに、雷はすぐそばまで迫ってきていました。海は荒れ狂い、高波は空をさらってしまうほど唸っています。
モモタが空を見上げると、渦を巻く雲がモモタを見下ろしています。めまぐるしくうごめく渦は、鬼の顔のように見えました。しかも、黒雲に現れた鬼は、大きく口を開けてお家に迫ってくるではありませんか。
モモタは恐ろしくなって、キッチンからやって来たおばあちゃんのもとに駆け寄って、足に身を寄せながら、「にゃあにゃあ」鳴きました。
おばあちゃんは、「おやおや」と言いながらモモタを抱き上げて「怖い思いをしたのでしょう? でも大丈夫よ。わたしがいますからね」と言って、モモタの頭を優しく撫でてくれました。そして続けて言いました。
「こんな嵐が来るのは二回目かしら。昔、こんな嵐が来た晩に、わたしも怖くなってモモタちゃんみたくお母さんに抱っこしてもらったのを覚えているわ」
そう言ったおばあちゃんは、大きな暖炉の前にある揺り椅子に腰かけて、モモタを膝の上に抱いて撫でながら、『七色の少女』という言い伝えを話して聞かせてくれました。
「――遠い昔、七色に光る女の子がこの近くの浜辺の空に住んでいたの。七色と言っても七つの色にわかれているわけではなくて、混ざり合って真珠貝のように輝く白い少女だったの。髪も眉も、唇も白。瞳は七色が溶け合ったとても美しい真珠の様に輝いていたわ。
生まれた時から空の彼方に住んでいて独りぼっちだったその女の子は、いつも雲の上に伏して泣いていたのよ。
でもね、ある時砂浜の向こうに村ができていることに気がついた女の子は、空から下りていって、その村の子供たちと過ごすようになったの。
みんなには女の子の姿は見えなかったけれど、女の子は寂しくなかったわ。だって、みんな女の子の存在に気がついていたのですもの。
どうして見えないのに気がついていたかって言うと、光の加減でキラキラと七色に煌めいていて、そのきらめきが子供たちにも見えていたから。
七色の女の子はいつも、追いかけっこをする男の子たちと走ったり、おままごとをする女の子たちと一緒に座っているだけだったけれど、とても楽しく過ごしていたわ。
でもある日、ぱったりと地上に下りられなくなってしまったの。どんなに頑張っても、下りる場所を変えても無理。時間を変えてもダメだったわ。
そこで、いつもどうやって下りていたのだろう、と女の子が記憶を振り返ると、初めて地上に降りた時は、子供たちが空に向かって何かを叫んでいた時だったし、それ以降も子供たちのはしゃぐ声が聞こえると、引き寄せられるように地上に舞い下りることが出来たのだと気がついたの。
女の子は、たまにはお外で遊ばない日もあるのだろう、と思って呼ばれるのを待っていたのだけれど、待てど暮らせど一向に呼ばれない。業を煮やした女の子は、もう一度地上に下りて、今度はお家の中で遊ぼう、と考えたの。
でも気がつくと、空は一面雲海に覆われていて、地上に下りる隙間がなくなっていたから、さあ大変。女の子は飛び回りながら隙間を探したけれど、真っ白な雲はどこまで行っても途切れることなく続いていて、見渡す限り水平線のようだったわ。
そこで初めて、雲のせいでみんなの声がここまで届かなかったのだわ、と気づいた女の子は、雲をかき分けて雲の底を目指していったのだけれど、何か様子が変。太陽の光を全身に浴びて白銀に輝く白い雲は、次第にくすんできて輝きを失っていくし、変な唸り声をあげるようになるしで、女の子はだんだん不安になってきたの。それで急いで雲をかき分けて潜っていったわ。
でも雲は何重にも重なっていたから、幾つもの雲を抜けてもまた雲があって、なかなか地上が見えてこない。それでもあきらめないで黒みがかった雲を潜っていって、ようやく最後の黒雲を突き抜けたのだけれど、現れた地上は正に世界の終りのような有様で、女の子は言葉を失って見渡すことしか出来なかった。
きれいだった黄色みを帯びた白い砂浜は海に沈んで、高波が村をも飲みこんだ後だったの。幾つかのお家は流されずにいたけれど、ほとんどのお家がなくなっていたわ。
お友達はみんな流されてしまったのだと察した女の子は、渦巻く黒雲に翻弄されながら、長いこと泣いていたの―――…」
それは、とても悲しいお話でした。
百年に一度と言えるほどの大きな嵐が、岬の上に建てられた海を臨む一軒の洋館に迫っていたのです。
幾重にも重なる雲は太陽の光を完全に遮っていたので、昼間だというのに辺りは暗闇という名のとばりに覆われていました。
雲の淀んだところは、全ての光を吸い込んでしまったかのような闇色に染まっています。まさに世界が闇に閉ざされてしまうのではないか、と思えるほどでした。
赤い屋根の洋館の窓からお外を眺めるモモタという名の赤い首輪をつけた茶トラの子猫が一匹いました。嵐の影響で停電していたので、部屋の中は、暖炉の炎と浮彫のある銀の燭台の上で灯されたろうそくの灯りしかありません。いつもだったら幻想的な揺らめく火の光も、それに照らされたお部屋の中も、今はオバケが出そうに思えてならない雰囲気です。遠雷が轟くたびにモモタは、短くてまあるいしっぽを緊張させながら、空を見つめ続けていました。
次第に雲はぐるぐるとぐろを巻くようになりました。そして、さらに厚みを増していきます。モモタは、雲が地上に落ちてくるのではないか、と怖くなってきました。
降り始めた雨は次第に強くなり、一つ一つの粒が大きくなってきました。窓から見えるその雨粒は、毒蛇のようにのたまい絡み合いながら落ちてきます。そして、ボダボタ、ボダボタ、と建物を打ち付けました。
モモタは、その蛇たちがお家の中に這って入ってきて、お家のご主人様であるおばあちゃんと、お世話になっている自分を食べてしまうのではないか、と思いました。
広いリビングの中を見渡して、蛇の気配を探っていたモモタでしたが、突然の稲光とけたたましい雷鳴にびっくりして、窓の外を見やります。
気がつかないうちに、雷はすぐそばまで迫ってきていました。海は荒れ狂い、高波は空をさらってしまうほど唸っています。
モモタが空を見上げると、渦を巻く雲がモモタを見下ろしています。めまぐるしくうごめく渦は、鬼の顔のように見えました。しかも、黒雲に現れた鬼は、大きく口を開けてお家に迫ってくるではありませんか。
モモタは恐ろしくなって、キッチンからやって来たおばあちゃんのもとに駆け寄って、足に身を寄せながら、「にゃあにゃあ」鳴きました。
おばあちゃんは、「おやおや」と言いながらモモタを抱き上げて「怖い思いをしたのでしょう? でも大丈夫よ。わたしがいますからね」と言って、モモタの頭を優しく撫でてくれました。そして続けて言いました。
「こんな嵐が来るのは二回目かしら。昔、こんな嵐が来た晩に、わたしも怖くなってモモタちゃんみたくお母さんに抱っこしてもらったのを覚えているわ」
そう言ったおばあちゃんは、大きな暖炉の前にある揺り椅子に腰かけて、モモタを膝の上に抱いて撫でながら、『七色の少女』という言い伝えを話して聞かせてくれました。
「――遠い昔、七色に光る女の子がこの近くの浜辺の空に住んでいたの。七色と言っても七つの色にわかれているわけではなくて、混ざり合って真珠貝のように輝く白い少女だったの。髪も眉も、唇も白。瞳は七色が溶け合ったとても美しい真珠の様に輝いていたわ。
生まれた時から空の彼方に住んでいて独りぼっちだったその女の子は、いつも雲の上に伏して泣いていたのよ。
でもね、ある時砂浜の向こうに村ができていることに気がついた女の子は、空から下りていって、その村の子供たちと過ごすようになったの。
みんなには女の子の姿は見えなかったけれど、女の子は寂しくなかったわ。だって、みんな女の子の存在に気がついていたのですもの。
どうして見えないのに気がついていたかって言うと、光の加減でキラキラと七色に煌めいていて、そのきらめきが子供たちにも見えていたから。
七色の女の子はいつも、追いかけっこをする男の子たちと走ったり、おままごとをする女の子たちと一緒に座っているだけだったけれど、とても楽しく過ごしていたわ。
でもある日、ぱったりと地上に下りられなくなってしまったの。どんなに頑張っても、下りる場所を変えても無理。時間を変えてもダメだったわ。
そこで、いつもどうやって下りていたのだろう、と女の子が記憶を振り返ると、初めて地上に降りた時は、子供たちが空に向かって何かを叫んでいた時だったし、それ以降も子供たちのはしゃぐ声が聞こえると、引き寄せられるように地上に舞い下りることが出来たのだと気がついたの。
女の子は、たまにはお外で遊ばない日もあるのだろう、と思って呼ばれるのを待っていたのだけれど、待てど暮らせど一向に呼ばれない。業を煮やした女の子は、もう一度地上に下りて、今度はお家の中で遊ぼう、と考えたの。
でも気がつくと、空は一面雲海に覆われていて、地上に下りる隙間がなくなっていたから、さあ大変。女の子は飛び回りながら隙間を探したけれど、真っ白な雲はどこまで行っても途切れることなく続いていて、見渡す限り水平線のようだったわ。
そこで初めて、雲のせいでみんなの声がここまで届かなかったのだわ、と気づいた女の子は、雲をかき分けて雲の底を目指していったのだけれど、何か様子が変。太陽の光を全身に浴びて白銀に輝く白い雲は、次第にくすんできて輝きを失っていくし、変な唸り声をあげるようになるしで、女の子はだんだん不安になってきたの。それで急いで雲をかき分けて潜っていったわ。
でも雲は何重にも重なっていたから、幾つもの雲を抜けてもまた雲があって、なかなか地上が見えてこない。それでもあきらめないで黒みがかった雲を潜っていって、ようやく最後の黒雲を突き抜けたのだけれど、現れた地上は正に世界の終りのような有様で、女の子は言葉を失って見渡すことしか出来なかった。
きれいだった黄色みを帯びた白い砂浜は海に沈んで、高波が村をも飲みこんだ後だったの。幾つかのお家は流されずにいたけれど、ほとんどのお家がなくなっていたわ。
お友達はみんな流されてしまったのだと察した女の子は、渦巻く黒雲に翻弄されながら、長いこと泣いていたの―――…」
それは、とても悲しいお話でした。
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