Kaddish

緒方宗谷

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別れ

24ー2

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 春人が住んでいた町は、既にソ連の占領下にあった。1045年4月21日、ソ連軍接近の報を受けた収容所は大騒ぎである。残虐行為の証拠を隠滅しようと多くの収容者が駆り出されて、書類を焼き死体を埋めた。
 収容者は誰も何も言わなかったが、生きる希望が出てきた。血の気無く死んだような容姿ではあるが、その眼には明らかに希望の火が灯っているようだ。
 春人は隠ぺい工作の最中、幸助が持っていた懐刀を探した。初めて見る物であったが、一目で日本の物だという事が分かる。明らかにドイツ文化で作られた短刀とは違っていた。
 漆塗りの懐刀は、代々受け継いできた宝刀だ。戦国の昔に仕えていた徳川家康から賜ったと伝えられる宝物である。訪独の際に、父から受け継いだのだ。
 幸助は密かに決心していた。もし春人が生きていなかったら、息子を強制収容所に送ったダニエルを殺してやる、と。
 もともと武芸に長けているわけではない。先祖が旗本で活躍したらしいが、幸助は剣道も柔道も嗜んではいなかった。優柔不断で争い事が好きではない性格から、己の考えを明らかにせずに今まで過ごしてきたのだ。
 だからこそ、ナチスに心情を気取られずに生きれ来られたのだが、今度ばかりは我慢できない。恐ろしい考えであったが、自分は武士の子孫だと己に言い聞かせ、刃を懐中に忍ばせていた。
 春人は、あの様な懸命な幸助を見た事が無かった。良く日本の武将の事を話してくれていたし、自分も侍の血が流れていると自慢していたから、武士道精神に突き動かされたのだろうと思った。
 だから、何としてでもあの懐刀を取り戻したい。軍人の話では、日本軍は、太平洋で自殺攻撃を繰り返しているらしい。ドイツ兵達は、なんて野蛮な奴らなんだと笑っていた。そして、幸助の死に様も侮辱していた。
 春人は、幸助が野蛮だったからあのような暴挙に出たわけではないと確信している。自分を守るために、命を賭して戦ってくれたんだと理解していた。
 しかし、見つからなかった。漆塗りの短刀は、工芸品としても大変美しく、美術品としての価値も有している。幸助の形見は、既にSS少将のコレクションになっていた。
 収容所の親衛隊と合流した一部の国防軍は、人々を他の収容所に収容すべく、行軍を開始した。しかし、その時点で、収容所の所長は、今後どうするべきか考えあぐねていた。既にベルリンの滅亡も目前に迫っていたからだ。
 ヒトラーが潜む地下施設を中心に、ドイツ国防軍の抵抗は続いていたが、それが途絶えるのも時間の問題となっていた。
 孤立化した一行に、最新の情報は入ってこなかったが、四方が敵に囲まれた状況である事は明らかだ。
 親衛隊は、連行する集団を集めると、機関銃を向けて発射した。ものすごい射撃音がいつまでも続き、バタバタと人々が倒れていく。咄嗟に隠れた春人あったが、壁となった人を貫通した弾丸に貫かれて、その場に倒れ込んだ。
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