Kaddish

緒方宗谷

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出産

19ー4

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 「逃げて! わたしの事は良いから、逃げて!!」
 妻は、振り絞るような声で叫んだ。
 「何を言っているんだ! 一緒に逃げるんだよ!!」
 妻を抱き上げようとした私は、愕然とした。破水している。妻の顔を見やると、表情を歪めて苦しみに唸っている。避難に耐えられそうもなかった。
 「はると、1人で逃げるんだ! みんなの中から知っている人を探して、その人と一緒に生き延びるんだ!!」
 「嫌だよ! 僕もお母さんと一緒にいるよ!!」
 泣き叫ぶはるとを抱えて階段の方へ放るが、すぐに這って戻ってきて、妻を引きずって行こうと躍起だ。
 「動かしちゃだめだ!! 赤ちゃんが生まれるんだ!! 破水しているし、陣痛も始まっている。
 予定日よりも早いが、爆発の衝撃で生まれてしまうんだ!!」
 はるとは固まって、どうすれば良いのか分からない様子だ。私だって分からない。第一子が生まれた時は日本にいたが、全て産婆と女中達が赤子を取り上げた。私と父は、応接間で右往左往していただけだ。
 一枚壁を隔てた向こうは、炎が燃え盛っている。一刻の猶予もない。私はコートを脱いで床に敷くと、はるともコートを脱いで妻にかぶせた。
 息も絶え絶えではるとの手を握り、出産の痛みに身を強張らせている。
 「頑張って、お母さん」
 「痛い!! お腹が痛い!!」
 本来、出産すべき時ではないからなのか、妻の痛がり様は尋常ではない。第一子の時は、こんなにも痛がっただろうか。襖数枚を隔てた距離は、それほど遠くなかったはず。7、8m位か。今の様な悲痛な叫びは、聞こえてこなかった。
 町を消し炭に変える炎に照らされて、胎児の頭が出てきた。
 「お母さん!? お母さん!!」
 それ以上胎児は出てこなかった。私は、両指を胎児に添えて慎重に取り出し、自らが着ていたワイシャツで拭いてやった。おかしい。泣き声を聞かせてくれない。私は、頬を叩いたり揺らしてみたりしたが、赤子は動かなかった。
 無理矢理に息をさせよう、と私は思わず小さな鼻に吸いつき、気道に貯まった羊水を吸い出した。
 「ほぎゃっ」
 やった。一瞬だが鳴き声を上げた赤子は、呼吸を開始した。
 「メラ! 生まれたよ!メラ!! 私達の赤ちゃんが!!」
 「お母さん!! お母さん!!」
 「・・・・・?・・メラ?」
 妻は息を引き取っていた。生まれた事を確信したのか、揺れるオレンジの明かりに照らされた表情は安らかで、微笑んでいるようにも見えた。
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