Kaddish

緒方宗谷

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母親としてしたかった事

14ー1

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 妻のメラが支店にやって来てから1カ月が経った。妻は初め、少しの時間店先に立って、お客さんとおしゃべりをする事を好んだ 。
 日本にいる時は、体の弱かった息子の世話をするために家庭にいる事を望んでいたが、多少裕福であった我が土屋家は、幾人かの女中を雇う余裕はあったから、父は孫の世話の大半を女中に任せて、妻を通訳の仕事に呼んでいた。
 昼食が終わるまでは息子の世話をして、玄関先で人力車に乗って2時頃に出社する。日が暮れる前に家に帰って、夕食の世話をするのが妻の日課であった。父は、妻に朝から働いてほしいと望んでいたが、妻は頑なに拒んだのだ。
 とても愛情深く、子供部屋から見える庭は、年中楽しめるように、と草花を植えて、暇があれば手入れに勤しんでいた。真冬だけは花が咲かなかったから、雪だるまや小さなかまくらを作る。夜は蝋燭をともして、イルミネーションを楽しんだ。
 私には無い発想だった。外国人が多く住む横浜に行けば、館の庭はバラなどが沢山咲いていたりするが、我が家でそういう庭を作ろう、と思った事もなかったし、イルミネーションにしても、灯篭や提灯で庭を照らす位は思いつくだろうが、実際にそれをしようとは思わないだろう。
 妻はすぐに実行した。両親もそれを訝しくは思わなかった。もともと武家の出である母は、明治初期にアメリカに留学した上役の娘に付き従った女性の子として生まれて育ったから、自身は日本から出た事は無くても、昭和期の女性の中でも開明的な性格だと思う。
 突然、板敷きの家から畳敷きの家に代わって戸惑いを見せる妻だったが、西洋式の居住空間のない在来建築の家での生活も、それほど窮屈に感じていない。
 「ああ、やっぱり畳の香りって良いわ。
  こんな素晴らしい大都市なのに、同時に自然の中に住めるのなんて、世界中で日本だけよ。
  わたしの家は、冷たい石でできていたから、色々な装飾品を飾らなければ、心が冷えてしまうけれど、日本の家は木と紙でできているから、変に飾り立てる必要はありませんね」
 「こんな古臭い家が良いのかい? レンガや石造りの家の方が丈夫で良いじゃないか」
 「そんな事ありませんよ、障子を透き通る淡い光の壁なんて、ドイツに住む誰が想像できまして?」 
 ドイツの建築家タウトが日本建築を再発見して以来、日本を訪れる外国人の間で日本建築を評価する声が高まっているが、前の来日以降、彼女もその類の本をよく読んでいたようだ。
 初めて日本を旅行した英国人女性の手記は勿論、モース、グリフィスの手記も見た事があるらしい。ドイツ語で書かれた新渡戸稲造の武士道を日本にまで持って来ていた。
 彼女が日本で馴染めなかったのは、明治期に日本を訪れた外国人同様粘々した食べ物だけだった。食感もそうだが、その食べ物から土の香りがするのが嫌なのだそうだ。私と春人は、それが大好きなのだが。





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