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神保町 ~時を忘れて陰影に微睡む~
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九段のほうから神保町の街へと向かう。人通りの多い大通りをさけて、一歩裏手へと歩を進めて、散策をしながらどこへ向かうのか分からない道を行く。日曜日であるせいか辺りは閑散としていたが、至るところに飲食店が立ち並んでいて、平日ならば人々の賑わいが絶えないさまを、静かに教えてくれる町並み。
神保町らしい雰囲気が現れ始めた頃、路地をふと見やると、レンガのファサードからなる古びたカフェを見つけた。
なんとなくそばによって数歩さがり、遠望してみる。物静かに佇立する店構えは、あたかも時が止まってしまったかのようだ。
路地の外は明るくて、訪れた人々が町並みを楽しんでいる。すぐそこには、列のできたカフェもある。それとは対照的なあまりの静けさに閉まっているのかと思ったが、中を覗くと全ての席が埋まっていることに気づく。
小さなアルコーブになった入り口の扉の前で見上げると、オーニングの表面が剥がれたりほつれたりしていて、ずいぶんと歴史を感じさせる。
気配を感じて双眸を向けると、自分を先頭にしてすぐわきに女性が並んだ。迷っている暇はないと判断した僕は、案内に出てきたお店の人に連れられて、すぐさま中に入った。
細長い坑道の中に作られたかのように思えるほど、薄影に照らし出された店内は、見たこともないような独特の雰囲気を醸している。
左に構えられたカウンターの奥にあるキッチンは、重厚で落ち着いた雰囲気のある造りで、飾り気はないのに塗装されたブラフンの陰影が、とてもふくよかな印象を与えてくれる。
はじめは洋館のように思っていたが、ずいぶんと大正昭和初期の風情を感じさせる、古きよき在来建築といった感じだ。
右側には狭いながらも、居心地のよさそうな小さな席が並んでいた。外からはうかがえ知れなかったが、ほぼ満席。全体的にブラウンを基調とした雰囲気の中にあって、統一された赤いソファがなんとも艶やか艶かに感じる。
指定された席は、一番置くにある一人席。コーヒーを頼む予定だが、ふと思った。もし料理を頼んだら、蔓編みのカリトリーとお皿とコーヒーカップ、それだけでいっぱいになってしまう、と。そんな小さなテーブルなのに、全く狭さを感じさせない。それどころか、広く感じてしまう。
手書きのメニューを手に取ると、日本で初めてウィンナーコーヒーを出した店だと書いてある。
木板を並べて造られた壁には絵が飾られていて、見上げると、階段の裏側なのか、壁がなめになっている。ステンドグラスのカバーによってより暖かみを帯びた暖色の明かりに照らし出されたそれは、初めコルクで装飾されているのかと思ったが、撫でてみると、藁を練り込んだ板のようだ。
眼前の嵌め込まれたプリーツ模様の曇りガラスは、モノクロのブラウン管の中にしか見ない趣があって、思いを馳せずにはいられない。
頼んでいたブレンドコーヒーは、意外にもシンプルな白いカップに淹れられてやってきた。山羊のような絵の描かれている。
ハンドルに指を添えて口に運ぶ。焙煎したコーヒーの香りがしっかりと残っていて、唇のあいまに吸い込まれてきた湯気は、仄かに甘みを感じさせる嫋やかな温かみがあった。軽やかな苦味が口いっぱいに広がる。湯気とは違い甘味はなく、微かな酸味を纏っていた。
T型フォードを思わせる木製の小さな置物が並んでいて、それをもっとよく見ようとメニューをどけると、後ろから真珠貝の形をした吸い殻入れと木彫りの何かが出てきた。手に取ると、それは小鳥が逆さまになっていただけだったので、もとに戻してまたコーヒーをすする。
少し冷めはじめて苦味は弱まり、かわりに柔らかな酸味が表に出てきた。それに加えて、熱い時にはあまり感じられなかったフルーティーさが微かに舌を撫でる。
目の前の壁は棚になっていて、戦後間もない頃に建てられたような古い木造の日本家屋と、ドイツの田舎を思わせる家の模型が飾られていた。
だが、それよりも目を引いたのは、パズルを組み合わせたようなつぎはぎに見える壁の模様。それに加えて、換気扇なのか空調なのか分からない薄い家電。新しいものではないようだ。昭和の終わりごろのデザインに見える。
コーヒーは、まもなく飲み終わってしまう。僕は店内に背を向けて座っているので、全容が見えない。そうだと気がついて振り向くと、一瞥した時よりも実際はだいぶ広いことに気がついた。中央にある本棚がアイランドになっていて、それぞれの席では、会話の花が咲いている。
一組一組が帯びる空気は、回りと調和して一体となり、景色の一部と化していた。自分もそうなれていただろうか。
忘れていた時間が巡りだす。冷めたコーヒーを一口で口に含んだ僕は、ゆっくりと立ち上がる。
長居はしなかったはずなのに、冬のせいか外はだいぶ暗くなっていた。
神保町らしい雰囲気が現れ始めた頃、路地をふと見やると、レンガのファサードからなる古びたカフェを見つけた。
なんとなくそばによって数歩さがり、遠望してみる。物静かに佇立する店構えは、あたかも時が止まってしまったかのようだ。
路地の外は明るくて、訪れた人々が町並みを楽しんでいる。すぐそこには、列のできたカフェもある。それとは対照的なあまりの静けさに閉まっているのかと思ったが、中を覗くと全ての席が埋まっていることに気づく。
小さなアルコーブになった入り口の扉の前で見上げると、オーニングの表面が剥がれたりほつれたりしていて、ずいぶんと歴史を感じさせる。
気配を感じて双眸を向けると、自分を先頭にしてすぐわきに女性が並んだ。迷っている暇はないと判断した僕は、案内に出てきたお店の人に連れられて、すぐさま中に入った。
細長い坑道の中に作られたかのように思えるほど、薄影に照らし出された店内は、見たこともないような独特の雰囲気を醸している。
左に構えられたカウンターの奥にあるキッチンは、重厚で落ち着いた雰囲気のある造りで、飾り気はないのに塗装されたブラフンの陰影が、とてもふくよかな印象を与えてくれる。
はじめは洋館のように思っていたが、ずいぶんと大正昭和初期の風情を感じさせる、古きよき在来建築といった感じだ。
右側には狭いながらも、居心地のよさそうな小さな席が並んでいた。外からはうかがえ知れなかったが、ほぼ満席。全体的にブラウンを基調とした雰囲気の中にあって、統一された赤いソファがなんとも艶やか艶かに感じる。
指定された席は、一番置くにある一人席。コーヒーを頼む予定だが、ふと思った。もし料理を頼んだら、蔓編みのカリトリーとお皿とコーヒーカップ、それだけでいっぱいになってしまう、と。そんな小さなテーブルなのに、全く狭さを感じさせない。それどころか、広く感じてしまう。
手書きのメニューを手に取ると、日本で初めてウィンナーコーヒーを出した店だと書いてある。
木板を並べて造られた壁には絵が飾られていて、見上げると、階段の裏側なのか、壁がなめになっている。ステンドグラスのカバーによってより暖かみを帯びた暖色の明かりに照らし出されたそれは、初めコルクで装飾されているのかと思ったが、撫でてみると、藁を練り込んだ板のようだ。
眼前の嵌め込まれたプリーツ模様の曇りガラスは、モノクロのブラウン管の中にしか見ない趣があって、思いを馳せずにはいられない。
頼んでいたブレンドコーヒーは、意外にもシンプルな白いカップに淹れられてやってきた。山羊のような絵の描かれている。
ハンドルに指を添えて口に運ぶ。焙煎したコーヒーの香りがしっかりと残っていて、唇のあいまに吸い込まれてきた湯気は、仄かに甘みを感じさせる嫋やかな温かみがあった。軽やかな苦味が口いっぱいに広がる。湯気とは違い甘味はなく、微かな酸味を纏っていた。
T型フォードを思わせる木製の小さな置物が並んでいて、それをもっとよく見ようとメニューをどけると、後ろから真珠貝の形をした吸い殻入れと木彫りの何かが出てきた。手に取ると、それは小鳥が逆さまになっていただけだったので、もとに戻してまたコーヒーをすする。
少し冷めはじめて苦味は弱まり、かわりに柔らかな酸味が表に出てきた。それに加えて、熱い時にはあまり感じられなかったフルーティーさが微かに舌を撫でる。
目の前の壁は棚になっていて、戦後間もない頃に建てられたような古い木造の日本家屋と、ドイツの田舎を思わせる家の模型が飾られていた。
だが、それよりも目を引いたのは、パズルを組み合わせたようなつぎはぎに見える壁の模様。それに加えて、換気扇なのか空調なのか分からない薄い家電。新しいものではないようだ。昭和の終わりごろのデザインに見える。
コーヒーは、まもなく飲み終わってしまう。僕は店内に背を向けて座っているので、全容が見えない。そうだと気がついて振り向くと、一瞥した時よりも実際はだいぶ広いことに気がついた。中央にある本棚がアイランドになっていて、それぞれの席では、会話の花が咲いている。
一組一組が帯びる空気は、回りと調和して一体となり、景色の一部と化していた。自分もそうなれていただろうか。
忘れていた時間が巡りだす。冷めたコーヒーを一口で口に含んだ僕は、ゆっくりと立ち上がる。
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