ホッとコーヒー ~偶然見つけたカフェのひととき~

緒方宗谷

文字の大きさ
上 下
2 / 21

神楽坂 ~森の奥に迷い込んだら、そこは妖精が集うカフェでした~

しおりを挟む
 陽気でポップなアフタヌーンの足取り。所用を済ませて坂道を下る僕のステップは、とても軽やかだ。
 なんせ普段こっちには来ないし、思いの外早く用事が済んだので時間がある。だから、久しぶりにガレットでも食べていこう、と心が踊った。
 あと少しで道玄坂に出るという所。ふと見ると、歩道の隅に小さな黒い看板が立っている。もしやと思って顔を上げると、民家の間にコンクリート敷きで、通路と言うには広めの、遊歩道と言うには狭めの、不思議な肉厚の観葉植物が出迎える敷地の向こうに、薄片鎧を思わせるダークグレーのスマートな建物がある。
 可愛いドワーフの子供のようなA型看板の案内に誘われて足を踏み入れてみると、木目の風味を浮かび上がらせる透き通ったブラウングレーに染められた店構えのカフェスタンドを見つけた。
 順番を待つ間に、僕は鼻で大きく深呼吸をした。回りをコの字に囲まれているせいか、この一角は、淹れる前のコーヒー豆が放つ香り混じりのよい匂いが立ちこれめていた。風が吹いても途切れることのないその香りは、とても濃厚で深みを感じる。
 イートインは無いが、休日はテラス席を使用できるらしい。見ると、奥にテーブル席が二つと、三つのベンチ席が設けられていた。
 ここ最近、酸味が微かなコーヒーを飲む機会が多かったので、酸味を楽しめるコーヒーを選ぶことにした。
 春うららかな菜の花畑を舞う黄蝶のようにまばたきをして、羽ばたく黄色い翅の一瞬一瞬をカメラにおさめたかのような視線をもって、僕の好みに合う豆を説明した女の子の店員に、エチオピア産のハンドドリップコーヒーとクッキーをお願いした。
 クッキーは二種類あって、見た目はスコーンの弟みたい。味はプレーンと抹茶。残念ながら抹茶はSOLD OUT。注文が終わると僕はテーブル席を目指したが、四段からなる階段を下りるる途中で、すぐ右側がガラス張りのギャラリーになっていることに気がついて、その反対にあるベンチに座った。
 しばらくして、小さなプレートに乗ったコーヒーとクッキーが運ばれてきた。基本テイクアウトだから、紙コップ。真っ先に飲み口を開けて香りを嗅ぐと、フルーティーな紅茶を思わせる爽やかな香り。一口飲むと、とろみのある酸味が口一杯に広がる。とても軽い感じで、飲みやすい。
 風通りがよく、歩道からリズム良く吹くそよ風。ときおり反対からの風に吹き変わる度に、羽衣ジャスミンを思わせる香りが鼻に届く。
 ライトな味わいのコーヒーだからか、ジャスミンの甘い香りがほどよく合う。その香りに誘われてテーブル席の方を見やると、森歩きをしているとたまに見る、ひらけた木陰の草原(くさはら)のように見える。僕が今いる所は、さながら現実世界とおとぎの世界を隔てる境界のようだった。
 青空から降り注ぐ光のベールに包まれたおとぎの広場で楽しくおしゃべりをするフェアリーテイルや、ピクシーたちがはしゃぎ回っている。僕はそれを柔らかい苔むした木の陰から眺めていた。心の目で。そんな気分だ。
 正面に見える欧米風の一コマまんがに似たカラフルな絵を眺めながら、数口飲む。
 モノクロの絵もあったが、それすらカラフルに見えた。面白い絵だが、どことなく心の闇をかい間見たような印象。席の後ろのオフィスに所有者か画家さんがいるみたいだった。
 口が苦味で満たされたので、クッキーに手をのばす。まるで日焼けした乳白色のわんぱく少年のようだ。ちょうど成長期といったプレーンクッキーはとてもカリカリで、うまい具合に焼き上げたトーストのようだった。バターがきいていて、仄かな塩味。その見た目とは裏腹に、随分と大人びた味だ。
 あたかも、いつまでも子供だと思っていた元気っ子が、いつの間にか青年めいていたことに気がついた時に感じる物悲しさが混じった感動に似た味。コーヒーで思い出の中の瞬きを流すと、塩味が際立つ。
 少しコーヒーを残しておいて、ギャラリーを鑑賞した。ガラス越しに見えるヘリンボーンの床が矢印となって指し示すように、僕を絵に導いたからだ。
 コーヒーをベンチに残して中に入ると、真っ先にむくの木の香りを感じた。その香りは、喉の奥に残るコーヒーの風味を思い出させる。その時僕は思った。ああ、コーヒーをまだ残しておいて本当に良かった、と。
 神楽坂が近いのにとても静かな雰囲気だった。箱庭チックな閉ざされた環境に心が安堵する。落ち着いていて満ち足りた空間。ちょっと闇め(wackyな)の絵がアクセント。
 ガレットはまた今度にしよう。満足感が溢れる中で食べても幸せ半分だ。また来る楽しみができた。いつになるかは分からないけれど。
 僕は最後の一口を飲みきった。いつもだったら舌の上で転がすけれど、そうせずに。後味としてはっきりと残る澄みきった酸味が恋しくて。
 離れるのを寂しく思って余韻に浸る。ジャスミンの香りがまた訪れるのを待ったけれど、彼女たちは舞い飛んでは来なかった。でもそれで良い。記憶の中で鮮明に舞っている。
 そう思いながら、店を後にして歩道に出た。もうすぐそこが神楽坂だ。でも僕は下りて行かなかった。賑わいに背をむけて、さっき下りて来た道を戻って行った。
 舌に残ったフルーティーな酸味が影のように延びている。その余韻は、いつかまたここに来るその時まで残るだろう。心の片隅に映る思い出に控えめなテイストを添えて。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

クルマでソロキャンプ🏕

アーエル
エッセイ・ノンフィクション
日常の柵(しがらみ)から離れて過ごすキャンプ。 仲間で 家族で 恋人で そして……ひとりで 誰にも気兼ねなく それでいて「不便を感じない」キャンプを楽しむ 「普通ではない」私の ゆるりとしたリアル(離れした)キャンプ記録です。 他社でも公開☆

カクヨムでアカウント抹消されました。

たかつき
エッセイ・ノンフィクション
カクヨムでアカウント抹消された話。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ホームカフェ

夕月 檸檬 (ゆづき れもん)
エッセイ・ノンフィクション
自宅でカフェメニューを楽しむヒントになるかもしれないエッセイ。 私の日常の一部をお見せします。

処理中です...