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27 傀儡の悪魔 ~悪魔は死者をも利用する~
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「姫様、姫様、どうか結界を解いてくだされ」
聞き慣れた懐かしい声が耳に届き、姫は瞳を開けました。
「爺や!? 生きていたのね!!」
懐かしい声に振り向くと、いつもそばにいてくれた優しい笑顔の松の神が、そこにいました。
爺やは、満足気に微笑みながら言いました。
「これほどの悪魔達から姫をお守りするなんて、さすがはバラの神。
お泣きになられますな、姫。宮殿に行けば、バラを救う妙薬がありますじゃ」
「本当? それは本当なのですか!?」
「本当ですじゃ。ですから結界を解いて、バラをわしにおあずけなされ。
松の香油で、傷口を塞いでみせましょう」
松の神は、満面の笑みを浮かべて、両手を伸ばしました。
姫は何かを感じ取って、言葉なく爺やを見つめます。
「・・・・・・」
この状況下で結界を解け、と言う松の神に、姫は胸騒ぎを覚えました。しかも、死んだバラの神を渡せ、と言うのです。神気は姫の方が圧倒的に強いのですから、松の神に事態を打開する力があるとは思えません。
姫は不意に宙を見やり、力なく焦点の合わなくなった瞳を漂わせると、苦しそうに顔を歪めて、ゆっくりと目を閉じました。そして、歯を食いしばった姫は、突然、キッと松の神を睨みつけたのです。
鋭い眼光で睨まれた爺やは、その身を呪縛していた傀儡の術が解かれて、本当の姿を現しました。ウジ虫どもが吹き飛ばされていきます。枯れ果てて怪しく黒ずんだ松の木片が現れ、落ちていきました。
「爺やも死んでしまったのですね」
姫は嘆き悲しみ、大粒の涙を流しました。
骨までしゃぶり尽くす卑しさで、魔界の皇子の右に出る者はおりません。松の神は、皇子の呪詛によって呪われ、死してなお無理矢理に生かされていたのです。魂のない空の器として。口のきけない亡骸は、操るには格好の存在だからです。
神と悪魔に善と悪の差はありません。最大の差は、住んでいる世界が天界か魔界かでした。
しいて言えば、天界は公益的なつながりを大事にする者達が多く、魔界は覇権的な性格の者達が多く住んでいます。
甲虫の里の主神であるヘラクレスオオカブトは、力が全ての覇権的性格でしたし、魔界に住むラフレシアの魔王が治める花の大領地は、花の里に近い公益性を保った王政に近い地域です。
ではなぜ魔界の皇子率いる軍勢は、これほどまでに恐ろしい魔物達で構成されているのでしょうか。
魔界は蠅の悪魔王が治める統一された世界です。ですが、実は群雄割拠する不法の豪族たちも多くいました。
土着の悪魔達は、魔王や大魔王を名乗って、それぞれの土地を治めていましたから、その大なり小なりの所領によって、法は異なっています。
悪魔王による『朕は法なり』の世界でありましたが、悪魔王の下命が無い限り、好きなように治められていました。
ですから、比較的平和な大領地がある一方で、好戦的な大領地もあり、度々領主が変わる小領地も多くあります。
荒廃した地域は、そのまま捨て置かれていました。それは復興が難しい、というわけではありません。治める力を宿した魔王が生まれないから、治まらないのだと考えられていました。更に、その様な無法地帯でこそ、覇王は生まれるという慣習から、放置されたのです。
魔界の皇子は、その様な地域で覇を唱える魔王や王子を屈服させては、その配下に納めていきました。ですから、善悪や正邪はおろか、賢愚や美醜ですら入る余地もない完全な暴力のみで統制された凶暴な軍隊だったのです。
皇子の子等である幼いウジ虫でさえ、仲間同士で殺し合って、強者のみが生き残るのです。
松の神ソンフェンは、姫が生まれた時からのお守り役の神でした。睡蓮城が閉じたその日まで姫に仕え続けた、唯一の年老いた神でした。
城が閉じた日、彼は里の東北にある居城レッドパインに戻りましたが、その地を治める息子アレッシオに言って、睡蓮城の後方にある湖の傍に小さな城を建てさせ、そこに住んでいたのです。
松の神は、血を分けた孫娘の様に姫を可愛がりました。おてんばだった姫には手を焼きましたが、褒める時も慰める時も諌める時も自分の事のように愛情深く、姫のおそばに仕えました。
城は松脂を固めて作ったレンガでできていて、正方形の壁に囲まれた4つの部屋からなる平城でした。松脂は悠久の時の中でも朽ち果てることもなく、重々しい茶色の深く透けた光を湛えています。
薔薇城と同じバロック様式の城で、松の神は1人ひっそりと隠居生活を送っていました。毎日の楽しみは、瑞々しく咲くバラに包まれた薔薇城を見上げる事でした。
松脂の城の防御力は大変高く、主に打撲傷に対して、常に高い回復効果を与え続けます。ですから、城攻めをした多くの悪魔が、この小さな城を落城させることが出来ずに、滅びていきました。たった1人の、しかも戦う神でもない年老いた松の神の前に。
城の上空が緑色に染まるほど多くの松葉の矢が、昼夜を問わず放たれ続けました。大変細い矢であるにもかかわらず、その威力は絶大で、進撃を繰り返す魔軍を次々に射抜いていきます。近づく事すらままなりません。
大変高齢だった松の神は、眷属の松の精霊を生み出すことは出来ませんから、本当に1人で何百何千という魔物をうち滅ぼし、眼前にそびえるイバラの城に鎮座する花の姫君を、命尽きるまで守り続けたのです。
いつかこの時が来ると密かに悟っていた松の神が建造した松脂の城は、主を失ってなお、彼の意思を継いで、魔物を寄せ付けずにいました。松脂のレンガが強烈な香気を帯びた神気を放っていたのです。
悪魔の包囲を突破する事が叶わないまま、いたずらに時が過ぎていきました。姫の神気が徐々に弱まりつつあることは、誰の目にも明らかです。大好きだった松の神の死を目の当たりにして、心が打ちひしがれてしまったのです。
もう諦めるしかないのかという気持ちが、姫の心に過りました。それを察したのでしょうか。遠く地平線の向こうにあった松の城が突然溶けて、流れるマグマとなって吹き上がります。
それを見た姫は、爺やがわたしを救おうと、最後の力を振り絞ってくれたのだと気が付きました。
姫は急旋回を試みました。気を持ち直して薔薇城の上空を突っ切っていきます。降り注ぐ松のマグマを避けもせず、一直線に、です。
何メートルもある大きな松の滴は悪魔達を飲みこみ、落ちていきました。その中に飲まれた悪魔は一瞬の内に沸騰して死んでいきます。
姫の結界に当った松のマグマは、その瞬間に飛散して矢となり、四方八方の悪魔を貫きました。
全ての力を振り絞って、強引に悪魔の包囲を突破しようと決意した姫は、バラを強く抱きしめます。
怖くて怖くて縮こまっていたスズとハルは、ふんわりしたお胸に押し付けられて、苦しそう。悪魔に殺される前に、死んじゃいそうです。
姫のお胸の中から頑張って這い出すと、目の前には大きなシャレコウベに細長い骨の手足が生えた悪魔が、睡蓮の結界にへばり付いていました。
「ぎゃぁ怖い!」
スズとハルは、一目散に胸の中に潜りました。
何十年と飛翔し続けてきた姫の力も、もう尽きようとしていました。
香深き睡蓮の結界も、かつての眩さはありません。毒気が滲み込んできて、姫も、スズもハルも息苦しくなってきました。
まぶたが重く、開いているだけでも必死です。満足に飛行する事すらままならなくなって、段々と高度を下げていきました。光り輝くほうき星は、ついに弧を描いて落ちていったのです。
衰微し始めた佳人の薄幸さにそそられて、待ちきれない悪魔達が勝鬨をあげました。欲望渦巻くその雄叫びが空気を震わせて伝わり、全身を引き裂く様な痛みとなって姫を苦しめます。そのつらさがスズとハルにも伝わって、2人は抱きしめ合って泣きました。
もはや睡蓮の結界は、ふくよかな芳香と微睡む色彩しかありません。悶え踊り狂う悪魔達が、香りの霞を全て我が物にしようと、我先にと押し寄せてきます。
既に姫には、それを拒む力は残されていません。段々と意識が薄れていって、ついに潰えて途切れ果てました。
その最中、力なくたなびいていた腕が、力強く姫の肩を抱きしめました。怒りに目を真っ赤に染めたバラが、むき出しの殺意を発しています。魔神ですらたじろぐようなその気迫に、堕天したのではないか、と皆疑うほどでした。
スズとハルも怯え慄いています。バラの生贄になるのかと震えています。畏れを持って受け入れようと必死です。2人を喰らえば、少しは神気の足しになるでしょう。
バラは、荒ぶる憤怒の神と化していました。
聞き慣れた懐かしい声が耳に届き、姫は瞳を開けました。
「爺や!? 生きていたのね!!」
懐かしい声に振り向くと、いつもそばにいてくれた優しい笑顔の松の神が、そこにいました。
爺やは、満足気に微笑みながら言いました。
「これほどの悪魔達から姫をお守りするなんて、さすがはバラの神。
お泣きになられますな、姫。宮殿に行けば、バラを救う妙薬がありますじゃ」
「本当? それは本当なのですか!?」
「本当ですじゃ。ですから結界を解いて、バラをわしにおあずけなされ。
松の香油で、傷口を塞いでみせましょう」
松の神は、満面の笑みを浮かべて、両手を伸ばしました。
姫は何かを感じ取って、言葉なく爺やを見つめます。
「・・・・・・」
この状況下で結界を解け、と言う松の神に、姫は胸騒ぎを覚えました。しかも、死んだバラの神を渡せ、と言うのです。神気は姫の方が圧倒的に強いのですから、松の神に事態を打開する力があるとは思えません。
姫は不意に宙を見やり、力なく焦点の合わなくなった瞳を漂わせると、苦しそうに顔を歪めて、ゆっくりと目を閉じました。そして、歯を食いしばった姫は、突然、キッと松の神を睨みつけたのです。
鋭い眼光で睨まれた爺やは、その身を呪縛していた傀儡の術が解かれて、本当の姿を現しました。ウジ虫どもが吹き飛ばされていきます。枯れ果てて怪しく黒ずんだ松の木片が現れ、落ちていきました。
「爺やも死んでしまったのですね」
姫は嘆き悲しみ、大粒の涙を流しました。
骨までしゃぶり尽くす卑しさで、魔界の皇子の右に出る者はおりません。松の神は、皇子の呪詛によって呪われ、死してなお無理矢理に生かされていたのです。魂のない空の器として。口のきけない亡骸は、操るには格好の存在だからです。
神と悪魔に善と悪の差はありません。最大の差は、住んでいる世界が天界か魔界かでした。
しいて言えば、天界は公益的なつながりを大事にする者達が多く、魔界は覇権的な性格の者達が多く住んでいます。
甲虫の里の主神であるヘラクレスオオカブトは、力が全ての覇権的性格でしたし、魔界に住むラフレシアの魔王が治める花の大領地は、花の里に近い公益性を保った王政に近い地域です。
ではなぜ魔界の皇子率いる軍勢は、これほどまでに恐ろしい魔物達で構成されているのでしょうか。
魔界は蠅の悪魔王が治める統一された世界です。ですが、実は群雄割拠する不法の豪族たちも多くいました。
土着の悪魔達は、魔王や大魔王を名乗って、それぞれの土地を治めていましたから、その大なり小なりの所領によって、法は異なっています。
悪魔王による『朕は法なり』の世界でありましたが、悪魔王の下命が無い限り、好きなように治められていました。
ですから、比較的平和な大領地がある一方で、好戦的な大領地もあり、度々領主が変わる小領地も多くあります。
荒廃した地域は、そのまま捨て置かれていました。それは復興が難しい、というわけではありません。治める力を宿した魔王が生まれないから、治まらないのだと考えられていました。更に、その様な無法地帯でこそ、覇王は生まれるという慣習から、放置されたのです。
魔界の皇子は、その様な地域で覇を唱える魔王や王子を屈服させては、その配下に納めていきました。ですから、善悪や正邪はおろか、賢愚や美醜ですら入る余地もない完全な暴力のみで統制された凶暴な軍隊だったのです。
皇子の子等である幼いウジ虫でさえ、仲間同士で殺し合って、強者のみが生き残るのです。
松の神ソンフェンは、姫が生まれた時からのお守り役の神でした。睡蓮城が閉じたその日まで姫に仕え続けた、唯一の年老いた神でした。
城が閉じた日、彼は里の東北にある居城レッドパインに戻りましたが、その地を治める息子アレッシオに言って、睡蓮城の後方にある湖の傍に小さな城を建てさせ、そこに住んでいたのです。
松の神は、血を分けた孫娘の様に姫を可愛がりました。おてんばだった姫には手を焼きましたが、褒める時も慰める時も諌める時も自分の事のように愛情深く、姫のおそばに仕えました。
城は松脂を固めて作ったレンガでできていて、正方形の壁に囲まれた4つの部屋からなる平城でした。松脂は悠久の時の中でも朽ち果てることもなく、重々しい茶色の深く透けた光を湛えています。
薔薇城と同じバロック様式の城で、松の神は1人ひっそりと隠居生活を送っていました。毎日の楽しみは、瑞々しく咲くバラに包まれた薔薇城を見上げる事でした。
松脂の城の防御力は大変高く、主に打撲傷に対して、常に高い回復効果を与え続けます。ですから、城攻めをした多くの悪魔が、この小さな城を落城させることが出来ずに、滅びていきました。たった1人の、しかも戦う神でもない年老いた松の神の前に。
城の上空が緑色に染まるほど多くの松葉の矢が、昼夜を問わず放たれ続けました。大変細い矢であるにもかかわらず、その威力は絶大で、進撃を繰り返す魔軍を次々に射抜いていきます。近づく事すらままなりません。
大変高齢だった松の神は、眷属の松の精霊を生み出すことは出来ませんから、本当に1人で何百何千という魔物をうち滅ぼし、眼前にそびえるイバラの城に鎮座する花の姫君を、命尽きるまで守り続けたのです。
いつかこの時が来ると密かに悟っていた松の神が建造した松脂の城は、主を失ってなお、彼の意思を継いで、魔物を寄せ付けずにいました。松脂のレンガが強烈な香気を帯びた神気を放っていたのです。
悪魔の包囲を突破する事が叶わないまま、いたずらに時が過ぎていきました。姫の神気が徐々に弱まりつつあることは、誰の目にも明らかです。大好きだった松の神の死を目の当たりにして、心が打ちひしがれてしまったのです。
もう諦めるしかないのかという気持ちが、姫の心に過りました。それを察したのでしょうか。遠く地平線の向こうにあった松の城が突然溶けて、流れるマグマとなって吹き上がります。
それを見た姫は、爺やがわたしを救おうと、最後の力を振り絞ってくれたのだと気が付きました。
姫は急旋回を試みました。気を持ち直して薔薇城の上空を突っ切っていきます。降り注ぐ松のマグマを避けもせず、一直線に、です。
何メートルもある大きな松の滴は悪魔達を飲みこみ、落ちていきました。その中に飲まれた悪魔は一瞬の内に沸騰して死んでいきます。
姫の結界に当った松のマグマは、その瞬間に飛散して矢となり、四方八方の悪魔を貫きました。
全ての力を振り絞って、強引に悪魔の包囲を突破しようと決意した姫は、バラを強く抱きしめます。
怖くて怖くて縮こまっていたスズとハルは、ふんわりしたお胸に押し付けられて、苦しそう。悪魔に殺される前に、死んじゃいそうです。
姫のお胸の中から頑張って這い出すと、目の前には大きなシャレコウベに細長い骨の手足が生えた悪魔が、睡蓮の結界にへばり付いていました。
「ぎゃぁ怖い!」
スズとハルは、一目散に胸の中に潜りました。
何十年と飛翔し続けてきた姫の力も、もう尽きようとしていました。
香深き睡蓮の結界も、かつての眩さはありません。毒気が滲み込んできて、姫も、スズもハルも息苦しくなってきました。
まぶたが重く、開いているだけでも必死です。満足に飛行する事すらままならなくなって、段々と高度を下げていきました。光り輝くほうき星は、ついに弧を描いて落ちていったのです。
衰微し始めた佳人の薄幸さにそそられて、待ちきれない悪魔達が勝鬨をあげました。欲望渦巻くその雄叫びが空気を震わせて伝わり、全身を引き裂く様な痛みとなって姫を苦しめます。そのつらさがスズとハルにも伝わって、2人は抱きしめ合って泣きました。
もはや睡蓮の結界は、ふくよかな芳香と微睡む色彩しかありません。悶え踊り狂う悪魔達が、香りの霞を全て我が物にしようと、我先にと押し寄せてきます。
既に姫には、それを拒む力は残されていません。段々と意識が薄れていって、ついに潰えて途切れ果てました。
その最中、力なくたなびいていた腕が、力強く姫の肩を抱きしめました。怒りに目を真っ赤に染めたバラが、むき出しの殺意を発しています。魔神ですらたじろぐようなその気迫に、堕天したのではないか、と皆疑うほどでした。
スズとハルも怯え慄いています。バラの生贄になるのかと震えています。畏れを持って受け入れようと必死です。2人を喰らえば、少しは神気の足しになるでしょう。
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