生んでくれてありがとう

緒方宗谷

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酔いの一夜に覚えた確信

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 「信じらんない!!」
 今日あった不愉快な出来事を電話で佳代に打ち明ける千里の覇気は、尋常ではなかった。わなわなと声を震わせて堪えがたい屈辱を受けたと声の印象から感じられたが、怒っているというより悲しみにくれているようである。
 今日デートだと聞いていたから、彼氏の光一と何かあったのであろうことは察しがつく。
 彼は細身で背が高く、鼻にかかるくらいのサラサラした髪に癖はない。フローラル系の洗濯用洗剤の香りを身にまとった清潔感ある青年だ。年齢も2人と同じ30歳、長野県出身で、妻女山近くの農家の生まれだ。
 何度か佳代も会ったことがある。気は弱そうだが優しそうで、少しわがままな千里を抱擁できるように思える。
 そのころ、光一は自宅で1人悩んでいた。千里から、約束の花束がほしいと言われたのだが、何の花束か思い出せない。6月15日が千里の31回目の誕生日で、何気なくほしいプレゼントを聞いてみた時、照れくさそうにおねだりされたのだ。
 今日は1日お買い物デートの予定で、10時に待ち合わせて、都内にある大きな複合施設で遊んでいた。
 そこは、都内でも有数のエンターテイメント空間を演出していて、とても1日では回りきれない規模だ。洋服やアイテムのショッピング、和洋中、南米、東南アジアのレストランは勿論、体験型ゲームセンターも有し、スパも備えていた。
 午前中に買いもしない洋服の試着を繰り返し、家具や雑貨を見て回って、こんなリビングで過ごしたいとか、あんな食器でランチをしたいとか、想像を膨らませて楽しむ。大抵2人のデートで買い物をするのは稀で、お昼を食べて、VRゴーグルを使用したゲームで遊ぶのが定番だ。
 いつもは夕食を食べてから、千里か光一の家でイチャイチャしているのだが、まれに、夕食のころあいまでホテルで休憩していることもあった。この複合施設からそう遠くない場所に数件のホテルがあって、今日のように早めにデートに満足してしまうと、いつも同じバリ風のホテルでカクテルを飲みながら過ごす。
 ホテルに入るまで、千里の機嫌はすこぶる良かった。ルームサービスで頼んだカクテルを飲みながら、今日のデートを振り返って盛り上がった。話がひと段落すると、千里は「シャワーを浴びてくるね」と言ってカクテルを飲みほし、光一にキスをしてベッドを下りて、曇りガラスの向こうに消えていった。
 艶やかな時間を過ごした後時計を見ると、まだ30分位残っている。まったりとした雰囲気の中、光一は千里の誕生日を祝いたいと切だし、千里は喜んでフランス料理が食べたいと答えた。その時点でも千里はまだ上機嫌で、去年、一昨年の誕生日の思い出を話していた。
 千里の話を聞く限りでは、そこまで怒ることはないのではないか、と首をひねる佳代である。ちょっと汚い言葉で表現すれば、そんなに‘ブチギレ’なくても、と思っていた。
 「確かに、三崎君が忘れたのがいけなかったけど、許してあげたら?」
 頑なに拒絶する千里。佳代の受け答えの8割は、千里のフォローに使われていた。最後に一言二言光一を擁護し、仲直りの方向に仕向けさせたい佳代だが、千里に見透かされている様子だ。
 「佳代って、そうやって誘導するところがあるよね、騙されないもん、私」
 何か成長を感じて、嬉しいんだか悲しいんだか複雑な気分だ。佳代は唇を強くつぐんで天井を見やる。
 「でも、好きなんでしょ?」
 「好きだよ」
 ノロノロと気持ちを話す。佳代はそれを静かに聞いていた。
 千里にとって、光一の存在はとても大きい。付き合い始めたのは社会人になってからだったが、お互いの存在は大学時代から知っていた。当時、千里は所沢に住んでいて、同じマンションの同じフロアに光一も住んでいのだ。
 1Kの部屋に住んでいた千里と違い、光一はファミリータイプの部屋で家族と暮らしていた。違う大学に通っていたが、エレベーターでよく顔を会わせる機会があって、光一は笑顔で挨拶をしていた。
 当時、千里は、光一より中学生の妹のほうと仲がよかった。挨拶しか交わさない彼と違い、妹の知美とは、エレベーターを待つ時間に良くおしゃべりをしていて、光一との記憶よりも知美との記憶の方が多いように思える。
 知美は、よく兄の話をしていていたから、千里は彼女を通して、光一の人となりを知ることができた。とても妹思いのお兄さんで、挨拶をされたときに向けられる笑顔に、彼女が話す通りの優しさを感じていた。
 部活か何かで帰りが遅くなった知美を心配して、迎えに行くところに遭遇したこともあったし、千里がコンビニに行ったときにゲリラ豪雨にあって帰れずにいると、たまたま通りかかった光一が傘に入れてくれたこともあった。
 大学時代はお互いに恋人がいたから特別親しくはならなかったが、大学での友達のことを話すとき、言葉の端々にでる友への気遣いも、彼の人柄の良さを感じさせる。そんな彼に好感を抱いていた千里は、お互いが内定をもらった第1希望の会社が近いということを知って、社会人になってからも会おうと提案し、光一も心よく承諾した。
 就職後しばらくはどちらもフリーではなく、あくまで友達として、お互いの近況報告をする程度だった。時には、千里が仕事のことについて相談したり、彼氏のことを相談したり、光一が彼女へのプレゼントの相談をしたり、洋服について相談したり、それだけだ。
 自分に言い寄ってくる周りの男と違い、節度を保ってくれる光一の女性への姿勢に、千里は信頼を寄せ始めていた。
 決定的だったのは、ある日のコンパで男女の人数が合わず、千里が光一をメールで誘った時のことであった。彼女がいる身でコンパに出るのは、と渋る光一に、無理を頼んで来てもらった。千里も自信を持って断言できるほど美人ぞろいで、みんな彼に興味を持っていたにも関わらず、光一は楽しみながらも女性と距離を置く姿勢を貫いたのだ。
 女性陣の好感を得るためのパフォーマンスではない。コンパ後、酔いが回って千鳥足の千里を送る、と言う光一と、2人一緒に帰ったのだが、途中で千里が気持ち悪くなってしまい、路上で吐いてしまった。
 光一は千里を親身になって看護し、近くのコンビニのイートインでミネラルウォーターを飲ませて休ませた。
 胃にあったアルコールが抜けたせいか、気持ち悪さが和らいだ千里は、ある程度思考がはっきりしていた。それでも心の境が曖昧になっていて、このまま一緒にいたいと思っていた。
 1人で帰れない風を装う彼女を、光一は待ち続けた。30分以上経った位にようやく千里が身を起こして、謝ったりお礼を言ったりしながら、また2人で帰路につく。
 何もなければ光一の最寄り駅で別れて1日が終了するはずだったが、またも気持ち悪くなってしまった千里は、光一に肩を抱かれて大分手前の駅で下車し、ホームの水場で吐いてしまった。
 気分が落ち着く前に終電を迎えてしまったため、光一は千里をおぶって自宅へと向かう。千里は意識もはっきりしていて、もしかしたらどうにかなるのかもしれない、と思っていた。
 過去の異性関係で、千里は不道徳な道を歩んだことはなかった。光一の彼女にも自分の彼氏にも申し訳ないとも思っていた。それなのに、そういう関係になるのかもしれない、という思いに、抗おうとしなかった。お酒のせいだろうか、理性が弱くなっていた。
 しかし、光一は千里に手を出さなかった。帰宅すると、千里のジャケットを脱がしてベッドに寝かせ、濡れタオルで唇を拭いた。千里は寝ているふりをしていて、それに気づいていない。しばらく千里の傍に坐って、彼女の寝顔を眺めていたが、不意に立ち上がって歯を磨きに行き、戻ってきたら部屋着に着替えて、すぐに電気を消して眠ってしまった。
 アルコールのせいで眠りの浅かった千里は夜中に何度か目が覚め、そのたびに光一を見やった。朝も光一より早く起きたので、自分がなにもされていないことに何の疑いもない。
 光一は、酔いつぶれたのを良いことに、女性に対してひどいことする人ではない。大学時代、飲み会の後に意にそぐわない一夜を過ごした友達の話をよく聞いていた。千里は常にそういうのを警戒して、男の品定め的な観察を欠かさなかったから、今の気持ちに自信を持てた。
 謀らずも光一を試す結果となった。千里は、私にはこの人しかいないと確信した。

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