生んでくれてありがとう

緒方宗谷

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美人な汚女子

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 その日の仕事が終わると、いつもなら徒歩で帰宅する佳代だが、今日はそのまま北池袋駅から電車に乗って目黒へ向かった。
 朝家を出る時に、昨晩用意したお泊りセットを仕事で使っている黒いリュックに入れていた。一度帰宅することも考えたが、移動中に帰宅ラッシュの時間に突入するだろうと考え、そのまま千里の家へ行くことにしたのだ。
 大体上池袋内で用を済ませる佳代にとって、池袋は別世界だ。まず、人口密度が全く違う。駅の構内は広く、デパートや電気店と直結している上、改札内でさえ興味をそそるお店が並んでいる。
 北池袋には1か所しか出口がないのに対して、池袋駅には数えきれないほどの出口があって、もう構内地図を見ても迷子になるほどだ。JRの改札も沢山ある。どこから入っても問題ないのだが、目当ての路線に乗れるのか不安になる。
 千葉から出てきた18歳当時、その凄さに圧倒されて、恐怖を感じるほどだった。生まれ故郷にある大きな建物は学校程度しかない。沢山の人がいる場所といえば、やはり学校だけ。他は山と海があるだけだ。
 遊ぼうと思えば千葉駅に行かなければならず、佳代はほとんど地元から出ることはなかった。小学校の時は、川遊びか山登りしかすることがない。ドキドキした体験は、防空壕跡を散策したときにお弁当箱を見つけて、悲しい戦争アニメの主人公の女の子を思い出し、涙を流した思い出くらい。アルミのお弁当箱だろうか、戦時中なら真鋳製も考えられるが、緑青が全く出ていない銀色で、楕円形のお弁当箱だった。
 中学校に入って以降、千葉駅周辺のカラオケに行ったりデパートに行ったりしたから、東京にあるような大きな建物も見たことはあったし、沢山人がいる環境も知ってはいたが、頻繁に行くところではなかった。
 実際東京の人ごみの比ではないし、見渡す限り大きな建物に囲まれてもいないから、初めて東京に来たときは本当に怖くて、千葉に帰りたいと思ったほどだ。
 東京は千葉駅がちょっとすごくなった程度、と言った千里の言葉を信じていた佳代は、ショックを受けたその思いを乗せて彼女を見やったが、千里は全く気付くことなく1人興奮していた。
 あれから10年以上も経つ。既に環境には慣れてはいたものの、地上に出た後、目的地に向かうときは必ず路上の地図を見やってしまうし、改札を入るとき路線に間違いがないか不安に思ってしまう。田舎の大自然の中で育ったという本質は、全く変わっていないのだ。
 幸い、山手線はまだ混んではいなかった。座れはしなかったが、18時前と言うこともあって、まだ安心できる程度の混雑具合だ。
 OL時代は良く痴漢にあっていたため、通勤退勤時はとてもストレスに感じていた。
会社勤めが始まった当初は、女性専用車両を知らなかったが、それを知ってから通勤時のストレスは無くなったものの、退勤時はずっとストレスを感じる日々が続いた。
 新宿へ向けて駅を通過するたびに人は増えていったものの、新宿駅で多くが下りてしまったため、目黒までの数駅は座ることが出来た。ここから乗ってきた人で再び満員になった車両だが、座ってしまえば何も心配することはない。
 目黒についたのは18時台であったが、既に外は暗かった。権の助坂の方が商店街ぽくて面白味があったが、目黒通りの方が安心できると考えた佳代は、横断歩道を渡って真っ直ぐ坂を下って行った。
 池袋も北池袋もこんなに急な坂が無いので、ここの雰囲気は独特なものがある。店並自体は、西武線沿いにある人の多い商店街と似たようなところもあるが、メインストリートが坂道であるという違いが、不思議と面白さを醸し出していた。
 山手通りから横道にそれる際に千里に電話をし、佳代は通話したまま歩いた。ほんのちょっとの距離だったが、彼女にとってはとても怖い道のりだった。
 根本的に怖がりなのだろう。実家の周辺は今歩いている歩道よりも暗くて、1人で歩いていると狸に襲われるのではないか、といつもびくびくしていた。なぜ狸なのか、と友達には笑われていたが、怖いものは怖い。
 今はそれが人間に変わったが、今も昔も変わらないのは、振り返るとお化けがいるのではないかという恐怖だった。
 千里の住むマンションは、大手不動産会社が管理する築10年程度の新しいマンションだ。つくりはよく見るタイル張りで、側面と後面はペンキ塗りだった。
 共用部分はオートロックで防犯カメラがあり、エレベーター内にもカメラが設置されている。10階建ての4階にある真ん中の部屋で、角部屋と比べれば窓は少ないものの、ベランダが南西向きであったため、日当たりは良好だ。
 1DKの部屋は、相変わらず全てが散らかっていた。こないだの食事会の日に部屋に上がったが、その時よりも散らかっている。
 「まあまあ、ここに坐ってちょうだい」
 「ここってどこ?」
 ダイニングに食事用のテーブルは無く、リビング用のソファーとテレビ、その間に足の短いテーブルが置いてあるのだが、テーブル周りは脱ぎ散らかした洋服で埋まっている。
 「手伝って」、と千里が急かす。
 言われるがままに佳代は洋服をかき集め、隣の寝室にあるベッドの上に置いた。寝室も同じような惨状で、足元には洋服と化粧品関係のビンやチューブが散乱している。
 ダイニングに置いてもよさそうな、足の長い無垢な色合いの木製テーブルの上にも、化粧品が散乱していた。よく見ると、未開封のまま使用期限が切れた試供品が多い。
 そこで佳代は異様な物を見つけた。
 「この牛乳、変な臭いがするけど・・・」
 「あはははは、捨てて、捨てて」
 何とか2人が座れる空間をダイニングに確保して、お楽しみの夕食タイムに突入する。
 「飲み物は・・・、ビールがいいよね」
 佳代が焼ブリ、千里が照り焼きチキンを選んだことを考慮し、ビールを選択して取る後姿を見守っていた佳代は、衝撃の発見をしてしまった。
 「なにこれ!?」
 「何だろ、わかんない」
 少し黒ずんだオレンジ色の塊が、冷蔵庫に鎮座している。ぽかんとする千里の横で、しかめ面の佳代が恐る恐る手を伸ばす。
 つついて見たが反応はない。生き物ではないようだ。
 「これ・・・、人参?」
佳代が手に取ったそれを2人してマジマジと見やると、いつからあるのかわからない干からびた人参のように見える。
 「わはははは、朝鮮人参みたい」
 こんな無残なものと朝鮮人参を一緒にしたら、朝鮮人参に失礼だ、と佳代は思いながら、勇気を振り絞って冷蔵庫の中を捜索する。期限切れのチーズ、期限切れのサラダチキン、期限切れのパン、期限切れの牛丼のパウチなどなど、冷蔵庫の中身はほとんど期限が切れた食材だった。
 「まあ、まだ食べれるよ」
 「人参以外はね」
 面目なさそうに笑う千里は、その恥ずかしい状況から逃れるべく声のトーンを上げて、「ビールを飲もう」と提案してきた。しぶしぶ同意した佳代が乾杯すると、千里は半分以上を一気にのんでから、「ぷはぁ」と息をついて、焼ブリから電子レンジにかけた。
 もちろん人参はゴミ箱行きだったが、賞味期限が半年以上過ぎた調味料も含めて、期限切れ食品は、全て冷蔵庫にしまわれた。
 (・・・・・!!食べるんだ・・・)、と佳代は口をきつくつぐんで衝撃を受け止めた。
 切れ端程度の大きさしかない焼ブリが、「申し訳ない」と訴えかけてくるようだ。キャベツのお浸し以外は、今まで食べたお弁当に入っていた材料と同じ、味付けは違うようだが、毎日食べるとなると少し見た目に飽きが出そうだ。
 千里が持ってきた照り焼きを見やると、主菜のチキンが大きい分、まだ見た目の満足感がある。それでも副菜の材料はかぶっていた。
 「慣れると、意外にいけるわ」
 ご飯を頬張りながら、満面の笑顔で千里が言った。レンジで温めるご飯の容器が、ゴミ箱から溢れている。千里にとってご飯に合うおかずなら、基本的に何でも良いようだ。イタリアン好きの割に、今のところミートソーススパゲティへの文句が一番多い。
 ポツリと佳代が言った。
 「もう少し、旬の料理があるといいね」
 「そう?でもしょうがないんじゃない?この値段なら。
  味だけ変えて、同じ材料でお弁当を作れば安くつくし、バリエーションが増えれば、メニューが豪勢にも見えるしね」
 インテリア関係の会社に勤めるだけあって、佳代と比べてコスト意識を持っているようだ。
 千里の話によると、同じ形の商品でも色違いや模様違いを用意したり、組み合わせを変えられるようにして、別の商品として売ったりしているらしい。千里の会社のパンフレットを思い返すと、確かに似た商品がリビングにおすすめだったり、寝室におすすめだったりしている。
 確かに、食材が同じでも料理が異なれば、そんなに不満には思わないだろう。実際、佳代の自炊内容を考えると、毎日料理は異なっても、食材は2,3日同じようなときがある。とりあえず、メインディッシュで牛豚鳥魚が連続しないことと料理が毎日異なってさえいれば、食事に失敗したと思うことはなかった。
 次の日の朝ご飯は、佳代がチキンの香草焼、千里が法蓮草のグラタンだった。
 「・・・・」
 「どうしたの、佳代?」
 「この食パン、賞味期限が切れてたよね?」
 「そうだっけ?気にしない、気にしない」
 賞味期限は味が変化しない期限であって、食べられる期限でないことは佳代も知っている。冷蔵庫の中にあったとはいえ1カ月近く過ぎていて、かみ砕けるのかと疑うほどカチコチになっていたパンだ。
 カビは生えていないから大丈夫だというのが千里の言い分で、平然とむしゃむしゃ食べ始めた。
 もともと常温で売られているものだし、冷蔵庫の中で完全に乾燥していた。防腐のためにビタミンCが添加されているから、簡単には腐らないだろう。少し水で湿らせてレンジにかけられ、なよっとしたパンに変身して出てきたそれは、それほどまずそうに見えない。
 「・・・・」
 ただ、特別おいしいとも思えない食感だ。
 「なんか、もう少し食材に特別感があるといいね。
  佳代の香草焼なんか結構おいしいけど、ハーブやフラワーのサラダとか何か。
  500円位じゃ売れないだろうけど」
 宅配弁当のサイトを探していた時、若者向けのそういうお弁当を販売している会社も幾つかあった。それを思い浮かべながら佳代が言う。
 「私としては、お婆ちゃんおじいちゃんのご飯環境が知りたくて注文してるから、それ前提に考えると、これでいいのかなぁって思う」
 今回の10食を食べてみて、これといった不満はなかったものの、満足感もなかった2人であった。

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