正しい首輪の使い方

あんたが大将

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第4.5話 マダム

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 ガタン――タタン――。
「はぁ……」
 ドアにもたれかけたこめかみから伝わる振動とは別のリズムで、街灯が次々と視界に飛び込んではゆっくりと遠ざかっていく。
 その動きの一つ一つを黒目が忙しなく追っているのを感じる。
 時折緑やグレーの壁が混じる光景を眺めていると、無心になれるような気がする。
 空っぽの胸に、五感で感じるものが、あるがまま受容されていく。
 やがて、その全てが、列車の勢いのまま自分の身体をすり抜けていくような、そんな感覚。
 乗車してからここまでのおよそ10分、ようやく無に沈みかけていた僕の意識が、不意に引き上げられる。
「どうしたの? 具合悪い?」
 上目遣いで尋ねる外枝の声は、さっき僕が泣かせたせいで少し掠れている。
「……人、多かったから疲れた」
 僕はため息交じりに嘘を言う。
 同じ中学校に通っていた僕たちは、最寄り駅も一緒だ。
「ああ、1個前の駅で乗り換える人多いもんね」
 外枝が、電光掲示板に表示された路線図を見上げながら言う。
 僕たちの最寄り駅は、ここから6駅先、時間にして丁度もう10分程だろうか。
「座る?」
 外枝がおじさんとおばさんに挟まれた空席を指す。
「いや、外枝が座りなよ」
 一人になれるから。
「ん、いいの?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
 一人になりたいから。
「いやぁ……でも」
 善意で僕を気遣う外枝は、食い下がる。
「そんなに心配しなくてもいいよ、ありがとう」
 僕も負けじと応戦する。
「ほら、さっき散々泣いて疲れてんじゃない?」
「ん、誰が泣かしたんだよ……」
 ダメ押しの一言に、外枝は曖昧に笑う。
「まあ、まあ」
 早く座れよ。
「ん……」
 なおも食い下がる外枝に、僕の心にさざ波が立ち始める。
「あの、よろしかったら、こちらへどうぞ?」
 煮え切らない僕らの会話に、座していたおばさんが一石を投じる。
 おばさんは一つ隣へ移り、2人分の座席を開けてくれた。
「いいんですか…?」
 外枝が遠慮がちに尋ねる。
「もちろん、学校帰りでお疲れでしょう?」
「「ありがとうございます」」
 スカートやパーカーの裾を踏みあわないよう、マダムが居住まいを正し、外枝は後ろ手で裾を抑えながら腰を下ろす。
 僕もそれに倣ってゆっくりと腰を下ろし、逆隣のおじさんに会釈する。
「あの、ありがとうございます」
 柔和で上品な微笑みを見せるマダムに、改めてお礼を伝えると、外枝も続いてペコリと頭を下げた。
 マダムは表情を崩さないまま、口元に手を当てて、うふふと息を漏らす。
「不躾だけれど、お二人は、カップルさん…?」
「えっ」
 ハスキーな高音。
「んぐ」
 鳩尾を殴られた声。
 僕たちは顔を見合わせることもなく、同時に答える。
「「違います」」
 それを見て、マダムはもう一度、さっきより少しだけ深く目尻に皺を寄せて、うふふと笑った。
「ごめんなさい。だけれど、あなたたち、とても仲が良いのね」
「そっそう見えますかっ」
 間髪入れずに反応を見せたのは外枝。
「ええ。なんと言ったらよいのかしら。お互いが、お互いをよく見ようとしているような……」
 すごいぞマダム。確かに、外枝は僕のことを監視していると言った。
「そうですか……!」
 小さく、そっかぁ……と繰り返す外枝。こちらに背を向けているため、その表情を窺うことはできない。
 ふと、外枝の小さく跳ねた後ろ髪の向こう側で、マダムと視線がぶつかる。
「あ、っと……」
 照れる。
「それじゃあ、私はここで。また、会えたら」
 気づけば列車が緩やかに速度を落とし、停車するころだった。僕たちの最寄り駅まで、あと一駅だ。
「ありがとうございました!」
 やはり素早く反応した外枝に続いて、僕も三度お礼を言う。
 漫画だったら「しゃなり、しゃなり」と擬音が当てられそうなウォーキングで去っていくマダムの後ろ姿が、どんどん遠ざかって、すぐに見えなくなった。
 外枝は、マダムの降りたドアを名残惜しそうに見つめている。
 その横顔と、視線の先、窓に映る左右反転した顔を眺めているうちに、列車はトンネルを抜け、夕暮れの景色が現れた。
 半透明の外枝の顔の向こうで、西日に照らされた町が左から右へ流されていく。
 僕は外枝の向こうに町を透かしているのか、町の上に外枝を重ねているのか、考える。
 考えているうちに、薄い外枝と目が合う。
 隣を見ると、不透明の外枝と目が合う。
 一秒経って、前髪をいじりながら視線を外す外枝。
 気づくと、10分前の心のさざ波はすべてどこかへ行ってしまっていた。
 
 


 



 
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