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第一部
29.願うもの
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「何? じゃあ君は気に入らないお話はないの?」
気に入らないと言われると少し違うかもしれないが、納得のできない話ならある。
「『人魚姫』かしら」
あの魔女は特に意地悪だ。泡になってしまった人魚姫を思うと、ぎゅっと胸が切なくなる。
けれど、偉大な魔術師の意見は違うようだった。
「いい話じゃないか、『人魚姫』」
「でも、対価を払ったのに、願いは叶わないじゃない」
声を捨てて愛したのに、願いは叶わず彼女は泡になって消えてしまう。
「それは願うものが違うからだろう」
「願うもの?」
「別にあの魔法使いは姫を呪っちゃいないし、姿形を変える魔法は高度だ。だから対価としては【声】じゃ足りないぐらいだ」
抱きしめるハーディの力がぐっと強くなる。少し、苦しい。
「王子が欲しいのなら、最初からそう願えばいい。人の心なんて魔法で何とでもなる。海の底にだって引きずり込んで、自分の物にすればよかったんだよ。そうしないから、人魚は泡になるしかなかった」
ハーディの手が白くなって、少し震えていることに気が付いた。
「ハーディはそうするの?」
その手に触れたら、はっと気づいたように腕の拘束が緩んで、ハーディの体が離れた。
振り返ると、驚きで見開かれた青と見つめ合った。
「好きな人ができたら、そんな風にするの?」
ハーディなら、そんなことしなくても、誰の心だって手に入りそうなのに。
さざ波のように、美しい青が揺れる。
ハーディはわたしから目を逸らした。そのまま、こつんとわたしの肩に頭を乗せる。
「そうしたいって、思う時もあるよ」
わたしの首筋に頭を埋めて、絞り出すような声で彼は言った。
「潮時だな」
空に昇る月はもう、糸のように細くなっている。ハーディは呟いた。
「明日、最後の呪いを解くよ」
最後の呪い。わたしのお腹に唯一残った、子宮が爆発する呪い。
本当に呪いが解けたら、わたしは王城に戻ることになるだろう。離れて暮らしていたお兄さま達にもまた会える。庭園の薔薇もまた見ることができる。
「呪いが解けたらハーディも王城に来ない? ここよりもおいしいお菓子がもっとたくさんあるのよ。クリームがたっぷりのったトルテとか」
わたしは延々とお菓子の名前を挙げつらったけれど、ハーディは何も返してくれなくて。
嘘を吐けない彼にとって、否定をしないことはできる限りの優しさなのかもしれなかった。
「わたしから、何の対価をもらうか、決めたの?」
「うん、もう、決めた」
そう言って、ハーディは立ち上がってわたしに背中を向けた。どんな顔をしているのか、わたしからは見えなくなる。
「わたしは、どんな対価を、」
「それは明日のお楽しみだよ」
そんなの、全然楽しみではない。
代わりに尋ねた。
「前に、ハーディが呪った王妃様の話をしてくれたでしょう?」
「うん」
「あの呪いを解く方法を、ハーディは何にしたの?」
ハーディはこの三百年間、莫大な数の願いを叶えて呪いも作ってきたはずだ。昔のことのように話していたから、もう覚えていないかもしれない。
「魔術師はみんな意地悪だって言ったよな。否定はしないよ。魔術師はみんな、狡猾で、卑怯で、どうしようもないほど利己的なんだ」
引きずり込まれそうなほど悲しい声で、ハーディは答えた。
「解く方法はね、王妃様が王様を愛することだよ」
太陽の昇らない朝はないけれど、月のない夜はある。
欠けて、欠けて、月は姿を消してしまう。
明日の夜は新月だ。
朝がきても、小鳥は来なかった。
花瓶に生けた花は萎れ始めていて、水を替えたり色々してみたけれど、元のように戻ることはなかった。
気に入らないと言われると少し違うかもしれないが、納得のできない話ならある。
「『人魚姫』かしら」
あの魔女は特に意地悪だ。泡になってしまった人魚姫を思うと、ぎゅっと胸が切なくなる。
けれど、偉大な魔術師の意見は違うようだった。
「いい話じゃないか、『人魚姫』」
「でも、対価を払ったのに、願いは叶わないじゃない」
声を捨てて愛したのに、願いは叶わず彼女は泡になって消えてしまう。
「それは願うものが違うからだろう」
「願うもの?」
「別にあの魔法使いは姫を呪っちゃいないし、姿形を変える魔法は高度だ。だから対価としては【声】じゃ足りないぐらいだ」
抱きしめるハーディの力がぐっと強くなる。少し、苦しい。
「王子が欲しいのなら、最初からそう願えばいい。人の心なんて魔法で何とでもなる。海の底にだって引きずり込んで、自分の物にすればよかったんだよ。そうしないから、人魚は泡になるしかなかった」
ハーディの手が白くなって、少し震えていることに気が付いた。
「ハーディはそうするの?」
その手に触れたら、はっと気づいたように腕の拘束が緩んで、ハーディの体が離れた。
振り返ると、驚きで見開かれた青と見つめ合った。
「好きな人ができたら、そんな風にするの?」
ハーディなら、そんなことしなくても、誰の心だって手に入りそうなのに。
さざ波のように、美しい青が揺れる。
ハーディはわたしから目を逸らした。そのまま、こつんとわたしの肩に頭を乗せる。
「そうしたいって、思う時もあるよ」
わたしの首筋に頭を埋めて、絞り出すような声で彼は言った。
「潮時だな」
空に昇る月はもう、糸のように細くなっている。ハーディは呟いた。
「明日、最後の呪いを解くよ」
最後の呪い。わたしのお腹に唯一残った、子宮が爆発する呪い。
本当に呪いが解けたら、わたしは王城に戻ることになるだろう。離れて暮らしていたお兄さま達にもまた会える。庭園の薔薇もまた見ることができる。
「呪いが解けたらハーディも王城に来ない? ここよりもおいしいお菓子がもっとたくさんあるのよ。クリームがたっぷりのったトルテとか」
わたしは延々とお菓子の名前を挙げつらったけれど、ハーディは何も返してくれなくて。
嘘を吐けない彼にとって、否定をしないことはできる限りの優しさなのかもしれなかった。
「わたしから、何の対価をもらうか、決めたの?」
「うん、もう、決めた」
そう言って、ハーディは立ち上がってわたしに背中を向けた。どんな顔をしているのか、わたしからは見えなくなる。
「わたしは、どんな対価を、」
「それは明日のお楽しみだよ」
そんなの、全然楽しみではない。
代わりに尋ねた。
「前に、ハーディが呪った王妃様の話をしてくれたでしょう?」
「うん」
「あの呪いを解く方法を、ハーディは何にしたの?」
ハーディはこの三百年間、莫大な数の願いを叶えて呪いも作ってきたはずだ。昔のことのように話していたから、もう覚えていないかもしれない。
「魔術師はみんな意地悪だって言ったよな。否定はしないよ。魔術師はみんな、狡猾で、卑怯で、どうしようもないほど利己的なんだ」
引きずり込まれそうなほど悲しい声で、ハーディは答えた。
「解く方法はね、王妃様が王様を愛することだよ」
太陽の昇らない朝はないけれど、月のない夜はある。
欠けて、欠けて、月は姿を消してしまう。
明日の夜は新月だ。
朝がきても、小鳥は来なかった。
花瓶に生けた花は萎れ始めていて、水を替えたり色々してみたけれど、元のように戻ることはなかった。
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