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三、雨上がりの庭

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 二人並んで傘に入り、歩いた。
 どれぐらいの間そうしていただろう。ただ雨音が流れているから、息が詰まるようなことはなかった。むしろそれがひどく落ち着くような気さえした。

「止みましたね」
 翔が手のひらを空に向けて確かめるようにする。あんなに降っていたのに、雨はいつの間にか止んでいた。彩恵はそのことにちっとも気づいていなかった。

 そしてもう、黒木家の玄関の前である。
 翔はぱたりと傘を畳む。続けて重ための前髪をかき上げて、鬱陶しそうに頭を振った。ぱたぱたと水滴が散る。そうしていると本当に、子犬のようだ。

 けれど覆い隠していたものが無くなれば、整った顔立ちがよく分かる。思わず見惚れてしまうほどの美丈夫だ。

 彩恵はゆっくりと息を吸った。雨上がりの清々しい空気が、肺を満たしていく。

「きれい、ですね」
 そう言って彼は、涼やかな目元をほんの少しだけ柔らかくする。

「ええ、本当に」

 広い庭はよく手入れされていて、いつも四季折々の花が咲いている。雨粒に濡れた紫陽花が太陽に照らされて、まるで宝石のようにきらきらと輝いていた。

「いえ、そうではなくて……そうだな」
 くしゃりと濡れた前髪を掴んで話す翔の声は掠れている。

「その服、とてもよく彩恵さんに似合っています。着物よりずっといい」

「は、はい」
 なんて返事をすればいいのか、分からなかった。黒い瞳と見つめあったままただ呆然とする。

 頬がかっと熱くなる。朝この服を当てて、彩恵は何度も己の姿を鏡に映したのだ。その弾んだ気持ちが、いやそれ以上になって返ってくる。くるりと回って揺れるスカートの裾を誇りたいぐらいに。

 口にしてから何かに気づいたように、翔は目を見開いた。

「ああ、義姉ねえさんって呼んだ方がいいですか」

 羞恥に似た色を宿して、翔の目は揺れる。湿ったズボンのポケットのあたりをぎゅっと握りしめていて、手の甲に血管が浮かび上がる。

 その手に触れてみたい。けれど、それは、だめだ。

「いえ」
 あと三月みつきもすれば、彩恵は彼の兄嫁になる身だけれど。

「どうぞ、お好きなように呼んでください」

 ほんのこのひと時、名前を呼ばれるぐらいは許されるだろう。
 雨が降っていてよかった。
 そう思った。
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